その372 二つの目的

 夏が終わり、秋が近づきつつありました。

 辺りに心地よい風が吹き抜ける中、私と里留くんは対峙します。

 周囲には”守護”の二人(トールさんたち)が控えており、里留くんは何やら、ぺらりとページをめくり、視界の隅で素早くその内容に目を通していました。


「ふむふむ……なるほど。そーいうことですか」


 その言葉に、なんとなくぞわぞわするものを感じつつ。

 私は、本の帯に書かれている『大丈夫。アリスちゃんの攻略本だよ。』というふざけた一文を頭の隅っこに置いています。


 アリス、――という言葉は、あれですよね。

 犬咬くんが話してた、この世界に終末をもたらした人。

 もしあれを彼女から受け取ったとするならば、――さて。

 どのようにして、事情を聞き出したものか。


 そこでふと、時計をちらり。

 制限時間は一時間。

 こちらの勝利条件は単純で、


・ランド中央に建つアビエニア城、そのVIPルームにいる志津川麗華とのじゃんけんに勝ち、彼女の所有する実績報酬アイテムを全て奪取する。


 そこに今、もう一つの目標が追加されました。


・七裂里留くんを倒し、彼の持つ”攻略本”と、それにまつわる情報を手に入れる。


 これは、彼との関係を悪化させてしまうことを考えても、メリットのあること。

 必要ならば、先ほど酷い目に遭わされかけたクドリャフカさん(正確にはその彼氏ですが)のスキル(”プレイヤー”にも《隷属》をかけられるやつ)を借りることも視野に入れなければ。


「…………ふむ」


 ゴールまでの距離はだいたい、《魔人化》でびゅーんと空を進んだとして四、五分といったところでしょうか。時間には余裕があります。

 ただ、ぐずぐずすればするほどに、私には失うものがありました。


 一つはもちろん、私自身の”魔力”。

 そしてもう一つは、――私の、アビエニアという小さな箱庭内での人気です。


 ってわけで、できれば里留くんにはスピーディーにご退場願いたい。


「怖いなあ。なんだか酷いことを思いついている顔をしている」

「ソンナコトナイデスヨ?」

「でも、『攻略本』にはこうあります。『この戦いに敗北した場合、この本は恒久的に奪われてしまうだろう』と」


 バレとる。


「でも”戦士”さん、――きっと信じてくれないと思いますけど、あなた、このまま進んでも不幸な結末が待つだけですよ。あなたは麗華との勝負には勝てず、誰も得をしません。だったら、ここで俺たちに捕まっちゃってもいいのでは?」

「……と、その本に書かれているんですか?」

「ええ」

「ちょっとそれ、見せてもらっていいですか」

「それはダメです」

「じゃ、その言葉を信じる理由もありませんよね」

「……………うん。やっぱり『説得に応じる確率は低い』、と」


 青年は、妹の面影がある容姿を皮肉そうに歪めます。

 私は少し距離を詰めて、とりあえず出方を見ることにしました。

 彼の手持ちにどのような情報があるとしても、刻一刻と変化する修羅場の全てを把握できるわけがない。そう判断したためです。


「………………」


 私は、通常の建築では考えられない歪み方をしたカートゥーンの街並みを、ぴょん、ぴょんと跳ねて近づいていきました。

 途中、わざとらしく隙を作って、攻撃するチャンスを与えたりもしましたが、彼は乗ってきません。


「……――《火球》」


 私は小さく呟いて、手のひらに火炎の塊を出現させました。


「うわっ、すげっ。でかっ。……おなじ”戦士”なのに、なんでこんなに違うのか」

「……”攻略本”には書いてないんですか、その理由」

「あいにく、そーいう細かい仕様については、ちょっと」

「不完全だなあ」


 努力値に関して一切触れられてないタイプの攻略本かな?


 でも、考えてみれば当然かもしれません。もし彼が何もかも知っていたのであれば、――今、レベル49の程度の”プレイヤー”であるはず、ありませんから。

 それだけの情報でも、あの”攻略本”に書かれている全てが、最適解ではないことが窺えます。

 私は、”麗華さんには必ず負ける”という情報にちょっとだけたじろいでいた自分を奮起させ、


「じゃ、……さっさと終わらせましょうか」

「残念ながら、そこそこ粘ります」

「あらそう」


 まず、里留くんの顔面目掛けて《火系魔法Ⅲ》を投擲。


「おっと!」


 首を少し捻っただけで躱す彼に、すかさず接近しました。

 まず、中指の第三関節を尖らせた裏拳で鳩尾みぞおちを狙います。ここへの一撃をまともに食らえば、どれほど屈強な男でも膝をつくことは必定でした。

 正直、それで全て終わらせてしまうつもり……だったのですが。


「――ッ」


 がきぃ、と、本来人間の骨が慣らすはずのない音が響きます。

 どうやら里留くん、そこまで安い相手ではなかったらしく、軽々それを受け止めてみせました。

 私は表情一つ変えず、彼の顎へと拳を打ち上げます。

 しかし彼は、それすらも涼しげな表情で受け止めて見せました。


「――このッ」


 その後、空いた左手で、脇腹、肘打ち、手刀、貫手と連続して打撃を加えますが、里留くんはその全てを綺麗に捌いていきます。

 ひとしきり、空手の有段者が行う演舞のようなやり取りが続いた後、私は素早くその場を後退しました。


 思ったよりこの人……強い。


 何より驚かされたのは、――そう。

 彼、私の攻撃を全て、左手一本で受け止めたこと。

 もう一方の手は、”攻略本”を持ったままでした。


「やっ……やるじゃん」

「いや、そりゃね。”名無し”さん、《格闘技術》は下級までしかとってないでしょ。技は俺の方に分がある」


 確かに、《格闘技術(下級)》は、以前の戦いで咄嗟に取得したスキルです。

 とはいえ、今の私は《剣術》による強化を受けていました。決して打ち合いに負けない自信があったのですが……。


「それにもう一つ。――あなたは、俺と妹を重ねているでしょう。妹は”プレイヤー”としてあまり強くなかったので、それで知らず知らずのうちに手加減してしまってるんですよ。さっきのやり取りだって、足技を使っていればやられていたかもしれない。だが、あなたはわざとそれをしなかった」

「……親切な解説、どうも」

「もし必要なら、この場で《格闘技術》を最大まで取っていただいても構いませんが?」

「いいえ。結構です」


 この人、あるいは長々としゃべって時間稼ぎしてるだけかも。


「ちなみに、――」

「?」

「先ほどの打ち合いは、俺も本気じゃあなかった。手刀を受けた時、あなたは致命的な失敗をしていたのです」

「……」

「俺があの時、咄嗟に力を入れていれば、――あなたの指を折ることができた。眼球、内臓系、指関節への攻撃は、”プレイヤー”にとっての弱点でもある」

「ほほう」

「わかりますか? 心してください。次は折ります。そしてそうなった場合、多くの女の子は耐えられずに泣き出してしまう。とくに女性は、自分の身体が壊れてしまうことに耐性がないので」

「……ふむ」


 私は、唇をへの字にして頷きました。

 んで、ふと思います。


 なんかこの人……。

 ちょっとだけ、バトル漫画の解説キャラみたいだな。

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