その368 不道徳な女

 ぷひーっと鼻息荒く”謁見室”と呼ばれているパソコンルームから飛び出すと、そこには一組のカップル、――クドリャフカさんとその彼氏さんがいました。


「あれ? いろh……ニャッキーと舞以さんは?」

「帰ったよ。”不死隊”の招集があったって」


 あらら。

 まあひょっとしなくても、私対策ですよね。


「あなた、麗華と何を話したの? こーんなオモシロ……いや、オオゴトになるなんて」

「いや、別に特別なことは何も」


 さっきの短いやり取りで彼女に興味を持たれた理由がよくわかりません。

 あるいは彼女、もともと私に関心があったのかも知れませんけど。


「ま、いいや。ねえ先輩、例のものを」


 彼女が声をかけると、彼氏さんがのたのたした歩調で現れ、USBフラッシュメモリを差し出します。

 私、パンツ一丁のその人からなるべく目を逸らしながら、


「これは?」

「……いまの、……謁見内容を録音したものだ」


 意外と爽やかな声ですね、この人。


「さっき麗華さんが言ってたやつですか」


 それを受け取ると彼、絡め取るように手を握り、声を潜めて私に囁きます。


「……頼みがある」

「へ?」

「君に人の心があるなら、助けてくれないか。俺には死んだ弟がいるんだ。そいつを生き返らせてやりたい」

「はあ」


 私、迫る彼の顔面から逃れるように後退して、


「頼む。俺、本当はこんなところにいるつもりはないんだ。生活のため仕方なくあの女と一緒にいる。……助けてくれ。頼む」

「わざとあなたに掴まれってことですか?」

「ああ、そうだ。金はいらない……いや、やっぱりできれば、金も欲しい。俺、できるだけはやく工藤から逃れたいんだ……」


 さすがに、その長台詞に気付かないほど、クドリャフカさんも鈍くありません。


「セ・ン・パ・イ? 何をコソコソしてるの?」

「――ひっ」


 そして、女性の膂力ではけっしてあり得ない力で彼の肌をぎゅっとつねって、


「ひょっとして”名無し”ちゃんに色目使ったんじゃないよね?」

「ああ、それは違います、ぜんぜん」


 代わりにそう、私が弁明したのが悪かったのでしょうか。


「……なんで”名無し”ちゃんが代わりに応えるの? 今のやり取りで二人は、お互いにかばい合うような、――そんな仲になったってこと?」

「え?」

「きっと、……きっとそうだ。そうなんでしょ!?」


 クドリャフカさん、ニッコニコの表情から突如、雷が落ちたように絶叫します。


「やっぱり先輩は若い女がいいんだ! ”名無し”ちゃんの綺麗な目が! 白い肌が! もさもさの髪が! ほどよいサイズのおっぱいがいいんだ! うわーん!」


 そして彼女、それはそれは強烈な右ストレートを彼氏に繰り出しました。

 彼は拳を顔面のド真ん中に受け、


「ぶっ、…………がはッ!」


 片付けられたオフィス用の机の山に突撃します。

 彼の身体はヘンテコな方向にひん曲がったまま、動かなくなりました。


「ちょっと、クドリャフカさん! ダメですよ。”プレイヤー”が本気で殴ったら……死んでしまいます!」


 実際いまのは、『名探偵コナン』の世界観の登場人物だったら百回くらい死んでもおかしくないダメージ。


「しらない、しらないしらない! 先輩! きっといま、おちんちんが膨らんでいた!」


 ダメだこりゃ。

 私、仕方なく倒れた彼氏の方へ駆け寄って、


「し、しっかりしてください!」

「うう……」


 まず、《火系》の一番を彼の口元に寄せ、その炎の揺らめきから、ちゃんと息があることを確認。そして《治癒魔法》を使って彼の怪我を癒やしてやると、


「せ、先輩が……先輩が、私以外の人の治癒を受けてる……?」


 と、クドリャフカさんがヒステリックな表情でこちらを見ています。

 そして、ふいにくしゃりとその顔を歪めて、――


「嫌だ……嫌だ! いやいやいや! なんで? なんでそんな……ひどいよ……私には先輩しかいないのにィ! 先輩の、先輩の柔らかいふにふにして良く伸びる皮に包まれた、その温かな肌に抱きしめられるのが好きなのに!」


 そして、その場でだだをこねるようにひっくり返ってしまいました。

 私はなんだか、ものすごく不道徳なことしてるような気がして、


「あ、あのぅ……?」

「おねがい! おねがいおねがい”名無し”ちゃん! わた、私から、私から、私から先輩を奪わないで! 愛してるの! 彼の美しい乳首の形がすばらしいの!」

「いや、取りませんって」

「じゃ、じゃ、じゃあなんでそんな風に、いやらしい手で彼の身体に触ってるの? しかもそんな……そんなに緑色に発光させて……! ……ああ……っ、私の、私がつけた二人の絆が……愛の印が消えて行く……」

「愛の印じゃないでしょ。ただの怪我ですよ」


 私、狂乱するクドリャフカさんに弁明しながら、なんで自分はここにいるんだっけ、と思います。

 さっさと”アビエニア城”に向かって、麗華さんと会わなくてはならないのに、まさかこんな邪魔が入るとは。


 ……と、ぼんやり思った、その瞬間まででした。

 私がこの二人に対して、完全に油断していたのは。


 ふと、いつの間にか、いま《治癒》してあげている彼の手が私の左側頭部に伸びているのに気付いて、――


「――ッ!?」


 瞬間、私は《治癒魔法》を発動させたままの右腕で彼の手を払いのけると共に、その腹部を思いっきりぶん殴りました。


「ぎゃあっ」


 今度こそ本物の悲鳴を上げて、男は苦悶に身をよじらせます。


 ……いまのしょーじき、かなり危なかった。

 まさか彼氏さんまで”プレイヤー”だったなんて。


「あーっ! おっしい! あっはははは! 先輩、いまのすごく惜しかった!」


 ぱちーんと指を鳴らしながら、けらけら笑うクドリャフカさん。

 マジか、こいつら。


「後もうちょっとで、大金持ちだったのになーっ」


 油断禁物。

 危うく、高い授業料を支払う羽目になるとこでしたよ。


 ところで私、いまの技に見覚えがあります。

 確かあれ、《隷属》っていうスキルだったはず。

 でもあのスキル、人間にしか効かないはずなんですけども……。

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