その338 異常事態
見た目ほどダメージがひどくなかったのには助かった。
《骨強化》の効果サマサマ、と言ったところで、ダメージがほとんど内臓に達していなかったのだ。
七裂蘭が、肋骨に挟まっていたらしい、一番厄介な箇所の鉄釘をペンチで引き抜いて、仕上げの《治癒魔法》をかける。
「これで、……よし、と」
「うん。ありがと。助かったよ」
「いーえ。蘭さんがよく我慢したお陰です」
小さく笑う。自分が痛みを無視できていたのは、《ハイテンション》によって脳内麻薬どばどばだったからだ。決して自分が我慢強かった訳ではない。
破れた服を近くのスポーツ用品店で着替え、念のために新たな武器、――金属バットを二本、調達する。
一応、腰のガンホルダーにはコンバットナイフとハンドガンが収めてあるが、どちらも一応、温存している。
刃物はすぐに刃こぼれしてしまうので多数の”ゾンビ”相手には向かないし、ハンドガンは弾に限りがあった。
今さらながら、軽装を選んだ”名無し”が正しかったことに気付かされる。
「よーし、浜田の野郎……次会ったら、このぶっといバットをケツの穴に……」
ぶち込んでやる、と、言おうとしたその時だった。
ぶつん、と音を立て、モール全体の電灯が切れたのは。
「ありゃ?」
「これって……」
「なんだ、あの野郎、あたしがやり返すより前に死んだのか」
「みたいですね」
蘭が、ほっとしたような吐息を吐く。
「”名無し”さんか、あの変てこな男の人か……」
「どっちでもいいさ。あたしはもう、こんなとこにゃあうんざりだ。この後、異世界脱出編を撮影したら、一週間は寝て過ごす。絶対に仕事なんかしないぞ」
「ですね」
「ねえ、蘭。今回のことは、すまなかったね」
「え?」
「本当は、トール・ヴラディミールが不参加な時点で止めとくべきだったんだ。あいつさえいりゃあ、もっと仕事は楽だっただろうに」
「…………」
「あんたは、低レベルなのによく頑張ってるよ。本当に」
暗闇の中、二人は特に相談し合うようなこともなく、チョコバーを取りだしていた。
もそもそとそれを口に含んで、魔力を補給する。
”王国”ならいくらでも食べられる、豪勢な食事が恋しかった。
「なあ、蘭」
「?」
「ディズニャーの中央に、すげえ高級なホテルあるの、知ってる?」
「もちろん。昔はそこに泊まるの、夢だったから……」
「全部終わったら、そこで一緒に住まないか。プールみたいにでっかい風呂に、うまい食いもん食べ放題なんだ」
ごくりと生唾を飲む音がする。
「そらもう、よろこんでっ。……と、言いたいとこですけど……えっと。それって、ナナミさんのチームに加われってことですよね?」
「ダメかな」
「……うち、にいやんがいるから」
「そっか」
振られてしまった。彼女もまた、志が高い方の人だということか。
自分のように、個人の幸福を追い求めるタイプではない、と。
「良い子ちゃんは貴族の暮らしに興味がない、……か」
すると闇の中、ころころと鈴の音が鳴るような笑い声がした。
「ナナミさん、ずっと思ってたけど、悪者ぶるの、好きですよね」
「は?」
「うちからみたら、ナナミさんも十分、善人ですよ。本当にジコチューな人だったら、そもそもここにいませんし」
「あー……」
素直な彼女の意見に、むず痒いものを感じつつ。
「言っとくけど、あたしは別に、善行のためにここにいるんじゃないよ」
「?」
「だいたい、そもそもの発端は、舞以がいつまで経っても謝ってこないからさ」
「舞以さんが?」
「あいつがさくっとあたしに頭を下げりゃあ、あたしだってこんなとこまで付き合わなくて済んだんだよ。我ながら、なんでこんなことになったんだか」
そのタイミングで《雷系魔法Ⅲ》が使われた。
魔法を使ったのはナナミでも蘭でもないから、恐らく階下にいる”名無し”あたりだろう。
店内が灯りに照らされると、なんだかニコニコした顔が現れる。
「ところでうち、ずっと気になってたんですけど、舞以さんとナナミさんって、どーして喧嘩しちゃったんです?」
「は?」
「昔は仲良しだったんでしょ?」
「あー……」
ナナミは視線を逸らして、「それな」と応える。
「なんというか……まあ、一言で説明できるようなことじゃなくて、いろいろと、な」
「?」
「強いて言うなら、方向性の違い、というか……。物作りの考え方の違い、というか……」
「じゃあ、決定的な何かがあったってわけじゃなく?」
「まあ、そうかな」
「きっとそれですよ」
「なに?」
「舞以さん、きっと『これだ』っていう謝り方がわからないから、今の今までなんとなく、ずるずるになっちゃったんです」
ずいぶんと自信ありげな推理だなと思っていると、
「その手の喧嘩は、あるあるなんです。うちのにいやんと」
「それじゃあ、蘭はこういう時、どーやって仲直りするの?」
「そらもぉ、簡単ですよ……」
と、その時だった。
何か巨大なものが衝突したような音がして、西エリアの各階を繋ぐエスカレーターが破壊されたのは。
ちょっと先を覗き込んで確認すると、どうやら、”名無し”の仕業らしい。彼女が何らかのスキルを使って、”ゾンビ”の通行を遮断したのだ。
浜田に加えて、”ゾンビ”がこれ以上行き来できないように対応したのだろう。
店内に入り込んだ”ゾンビ”くらい、”プレイヤー”五人が協力すればなんとでもなりそうな気もするが……。
「ところで、話を戻すけど」
「……ん? ええ……」
「蘭はこういう時、どーやって仲直りを……」
「ちょ、ちょちょ、ちょっと待ってくださいっ」
「あん?」
「そこに、……さっき、倒してなかった”ゾンビ”、いましたよね」
そういえば、たしかに。
蘭が生み出した”携帯型マイホーム”の中に閉じ込めた四匹だ。
見ると、玄関扉の奥から、赤い宝石のように怪しく目を輝かせた四匹が、こちらを覗き込んでいて……。
「話は後だな。とりあえずこいつらを……」
言い終えるよりも遙かに早く、連中が猛烈な勢いで走り出す。
その際に発された鳴き声は、――どこか、猿の怒声にも似た鋭いもの。
”名無し”の少女が使う《雄叫び》というスキルと同質のものであった。
「――な、なんだぁ? こいつらっ!?」
何かはわからない。
だが、とにかく、異常な事態が起こっていることだけは間違いない。
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