その339 奴ら

「なんだ、こいつら、――ッ!?」


 敵意が、猛烈に駆ける。

 奴らが迫ってくる。

 一人の娘として、これに本能的な恐怖を覚えずにはいられなかった。

 このような状況は、例えば”プレイヤー”と戦う時でも中々お目に掛かれはしない。人間はもっと慎重に自分の命を使うし、接近戦を挑む時はお互い、ある程度の覚悟が固まっていることが多いのだ。


 それに対して、この”ゾンビ”たちはどうだろう。

 まるで無防備のように見えるし、それが彼らにとって唯一の戦略であるようにも思えた。


『ぎぃ、あああああああああああああああああああああああああああああああッ!』


 その、悲鳴にも聞こえる吶喊も、何もかも。

 どこか苦悶に歪んでいるような、その表情すら。

 全てが、一つの意図に基づいて演出されているようだ。

 それを一言で現すならば、――”憤怒”とでも呼べばいいのか。


 走る”ゾンビ”の群れは、一匹はナナミに、三匹は蘭に飛びかかる。


「――ひっ」


 ”ゾンビ”殺しは十分に熟れているはずの蘭が、数歩、たじろいだ。

 無理もない。目の前の奴らはもはや、これまでとは全く違っている。


――どうする!? を使うべきか……!?


 いや。まだダメだ。まだ、賭に出ていいタイミングではない。


――なら……ッ!


 我ながら判断は早かった。いったん落ち着いて、《口笛》を使う。


 ピィ――――――――――――――――――――――ッ! と、涼やかな音が辺りに響き渡った。


 《口笛》は、音を聴いた”敵性生命体”の注意をこちらに向けるスキルだ。

 音を聴いた三匹のうち、二匹がこちらに軌道変更。


――よしッ。


 これで、少しはお姉さんらしいことはできただろうか。

 あとはこっちに惹きつけた連中を始末するだけ。


 まずナナミは、最速でこちらに辿り着いた一匹の頭に金属バットを振り下ろす。

 通常、強化された筋力を持つ”プレイヤー”の力があれば、それだけで頭部が破壊されようものだが……、


――……硬ッ!?


 サラリーマンめいた格好の”ゾンビ”の頭は、まるで石でできているような手応え。

 ”ゾンビ”は一切怯まず、そのままナナミの身体を押し倒し、左肩に噛みつこうとした。

 生臭い息が鼻につく。思わず、金属バットを握る手を離してしまった。


「くそ!」


 狂乱の中、腰元のガンホルダーからナイフを取りだし、その左目に向けて突き刺す。さすがにそのダメージは脳に達したらしく、一匹目の”ゾンビ”はそれで動かなくなった。

 もちろん、まだ危機は去っていない。ナナミは自分の左足に粘り気のある何かがくっついている気がして、全身に怖気を走らせた。見ると、金色に髪を染めた女”ゾンビ”が噛みついている。


「ぅわあッ!」


 脊髄反射的に、ナナミはそれを蹴り飛ばした。

 慌てて傷痕を確認するが、《皮膚強化》の恩恵か、肉を噛み千切られはしなかったらしい。

 安堵も一瞬、命を危険に晒された怒りがナナミの心に満ちた。

 彼女は素早くハンドガンを抜き、”王国”で結構真剣になって練習したそれで金髪の女”ゾンビ”の耳を撃ち抜く。


「――ん、で!」


 まず起き上がり、体制を立て直して。

 再び金属バットを手に、まずはもう一匹、ナナミに覆い被さろうとしていた”ゾンビ”の胸を突く。

 奴らの動きは、ミサイルのように真っ直ぐ、直線的だ。冷静に見切れば、その動きを読むことはできなくもなかった。

 ナナミはそのまま、よろめいたそいつの頭に一発、二発、三発と繰り返し打ち付ける。

 カチカチに感じられたその頭部も、落ち着いて叩けばそれほどでもない。

 五発目を打ち込んだ頃には、三匹目の”ゾンビ”も動かなくなった。


「はあ、はあ、はあ、はあ……」


 息を整えながら、素早く蘭の方を見る。

 そこには、――


「うげ、ごぼ…………」


 襲いかかられた一匹に押し倒され、その口から吐き出された黒い泥のようなものを顔面に浴びている七裂蘭の姿があった。


「なッ――」


 ナナミが目を剥く。


「何やってんだこのやろぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 ここまでの人生で、これほどまでに殺意が漲ったことはなかった。

 ナナミは、蘭の上に覆い被さる”ゾンビ”のこめかみを金属バットで殴打し、よろめいたそれの頭に、ハンドガンの弾を三発、撃ち込む。


――まずい、まずい、まずい、まずい……!


 倒れている蘭の顔を上着の袖で拭ってやる。

 何をビビってるんだ、とか。

 一匹くらい自分の力でなんとかならなかったのか、とか。

 さすがに、そういう文句は出てこなかった。


 死人が歩く。それだけで十分恐ろしいのに、奴らは走ってきたのだ。

 中学生くらいの女の子が戸惑ってしまうのは、仕方がない。


「ごめ、……ごめん、なさ……ナナミさん……」

「しゃべるなッ! 血は、奴らの血を飲んだか!?」


 聞くまでもなかった。彼女の顔面にぶちまけられた穢れは、まず眼球に入り込んでいる。


――くそ……あたしがいながら……っ!


 ナナミは、ハンドガンを蘭の喉元に当てて、


「安心して! 怖くないから! 必ず蘇生してあげるから! だから落ち着いて、――防御系のスキルを全部オフに!」


 蘭が、小さく頷く。

 数秒だけ待って、ナナミは蘭の肌の一部を引っ掻く。跡が残る。それだけ確認し、


 引き金を引く。


 タン、と、手のひらの中で火薬が破裂する音がして、――弾丸が頭蓋を貫いた。

 それきり、蘭は動かなくなる。

 ほんの数十秒前までには、普通におしゃべりして、笑っていたのに。


 頭の中には、脳天気なファンファーレが鳴り響いていた。


――おめでとうございます! 実績”介錯”を獲得しました!


「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ……」


 何も考えられず、しばし、息を整えている。

 何が……あの、”ゾンビ”たちに起こったのかはわからない。


 ただ、とりあえず、……これからする仕事が厄介になったことだけは確かだった。

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