その321 餌食

「”ゾンビ”の対処は私とナナミさん、舞以さんで」

「ん」「わかったよん」


「蘭ちゃんは念のため、みんなに注意を促しておいてください」

「は、はい!」


 浜田さんに案内されるがまま我々が向かったのは、建物一階にあるスーパー。

 ここ、”ゾンビ”が見えるエントランス付近にあるためか、大半の食糧が移動済みだそうで。

 商品と人気の消えたその一角に、我々は暴飲暴食の痕跡を発見します。


「モールの見回りが習慣でね。そしたら偶然、この有様を見つけたんだ」

「これは……」

「食べ物は全て、保管室から盗まれたものらしい。脱出が決まってから、管理がかなりずさんになっていたから」

「ふむ」

「それでおかしいと思って、この先の部屋を覗いてみた。それで見つけたんだよ。……悪夢のように変わり果てた、三人の姿を」


 そして私たちは、浜田さんが指し示す、精肉加工室の扉を開きました。


「うわっ」


 中に充満していたのは、吐き気を催すほど腐り果てた肉の臭い。

 そして、スプラッタ映画もかくやという凄惨な光景でした。


 その場に倒れた、上半身と下半身が分断された男性の名は、末位さんと言ったでしょうか。

 彼の傍らで屈んでいるのは、吉武さんと宇目さん。

 二人は、末位さんの腹部からどろりとあふれ出たブヨブヨの臓器を懸命に手ですくい、すくっては口へと運んでいます。


「なんてこと……」


 思わず目を見張っていると、――ナナミさんが部屋の隅へと駆けて、


「おげぇ……げえええええええええええええええええええ……」


 先ほど飲んだばかり紅茶と、透明な胃液を吐き出しました。

 無理もないでしょう。彼女、遊びとはいえこの三人と寝た経験があるんですから。


「どうしてこんなことに……」

「わからない。ただ彼ら、昨日のこと、かなりショックだったみたいだ」

「それくらいはわかってます、けど」

「人前で、あんな風に貶められたんだ。自分から”ゾンビ”の血を飲んだのかも知れない」

「あの……」

「クソっ。まさかそこまで三人が、ナナミさんに本気だったとは。相談に乗ってやるべきだった」


 私は浜田さんに対して、ちょっと理不尽な怒りを覚えます。

 そういう話は、――少なくともたった今、反吐を吐いている当人の前ですべきではないように思えたためでした。


「ナナミ、しっかり」


 すかさず消毒済みの水をよこしたのは、舞以さん。

 ナナミさんはそれで口の中をがらがらがらぺってして、


「くそったれ。まだ、みんなの唾の味まで覚えてるのに」


 胸を裂かれたような表情です。

 と、そこでようやく、


『おおおお………お、お、お、お………』


 哀しげにうめく彼らが、新鮮なお肉の到着に気付きました。


「あたしが……ッ」


 始末する、と言いかけたナナミさんを無視して、舞以さんがその辺にぶら下がっていた包丁を二本、吉武さんと宇目さんの額に投げます。


『が………っ』


 たったそれだけで二匹の”ゾンビ”はスイッチが切れたように息の根を止め、それぞれ血の海へと身体を沈めました。

 ついでに、身体が半分こになってしまった末位さんの額にも、包丁をグサリ。

 これでもう、再び彼らが起き上がることはないでしょう。なむなむ。


「おい、舞以。余計な真似すんな」

「無理しないことよ。今はね」

「無理? ……あたしがいつ、無理したって」


 舞以さんはそれを無視して、


「ねえ、”名無し”ちゃん。私たち蘭ちゃんに事情を説明に行ってくるね。ここ、任せてもいい?」


 私は無言のまま、頷きます。

 浜田さんも一緒にここを離れたがっていましたが、一応彼は引き留めておいて。

 ナナミさんのフォローは、舞以さんに任せておきましょう。


 その後、私と浜田さんは二人、強烈な臭気が漂う精肉加工室を歩き回って、そこに飲みかけの赤ワインの瓶を発見しました。


「これで……」

「ああ、間違いないね。”ゾンビ”の体液を混ぜたワインを飲んだんだ」

「しかし、どこでそんなものを」

「わからん。だが今どき、手に入れようと思えばどこでもあるものだからな」


 それは、確かに。


「変異するまでは個人差があるから、末位さんだけが”ゾンビ”の餌食になったんだ。気の毒に……」

「ふむ」


 その点、おかしなところは見当たりませんね。


「それにしてもこの、ガスが充満してるみたいな臭いは、――」

「ああ。ここはしばらく放置したままだから。元々置かれていた肉が腐ったんだろう」


 じゃあこれ、”ゾンビ”の死骸の臭いじゃなかったんだ。

 言われてみれば、できたての死体が、ここまでひどい臭いの訳ないか。

 浜田さん、ちょっとハンカチで口元を押えながら、


「それで、……これ、どうする?」

「屋上まで運んでいって、ちゃんとお弔いしましょう。仲間だったんですから、みんなで見送って上げるべきです」

「そこまでする必要、あるだろうか」

「と、いうと?」

「移動するメンバーの説得も済んでいないことだし、それではまた、脱出計画が遅れてしまうことになるよ」

「それは、――」


 やむを得ない、でしょう。

 三人のお葬式はちゃんとしてあげなくては。


「そうだね。……ありがとう”名無し”さん。急ぐ君たちには悪いが」

「ええ」

「すこしぶっきらぼうだが、ユーモアがあって楽しい奴らだった。我々にとっては、笑顔の太陽だった」

「ええ」

「では、仲間を呼んでくる」

「……ええ」


 答えながら私は、その舌の上に猛烈に苦いものを感じていました。


 赤ワイン。

 それに混ぜられた、人ならざる者の血。


 その死に方は正しく、――前世の私の終焉と同じものでしたから。


 とはいえその時の私は、すぐさま自らの首を撥ねてその命をお仕舞いとしたので、ちょっとだけ条件は違いますけどね。

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