その277 フィッシュ・ディッパー

「バ……カ……な……ッ!?」


 ニャッキーの面が鮮血で紅く染まった。

 傷口を押さえながら膝をつく、――その隙を見逃すほど、美言はお人好しではない。


――全力! 思いっきり! これでたおす!


 間髪入れず、渾身の力を込めた右ストレートを叩き込む。

 狙いは、ニャッキーの中の人の右耳がある辺り。

 ボクシングなどでは急所の一つに数えられる部位だ。

 強固な皮膚と骨に護られた”プレイヤー”であっても、内臓や脳までは鍛えられない。ここを強く打てば三半規管が狂い、しばらく立ち上がれなくなる……はず。

 ロボットは、美言が期待した通りの強烈なパンチを繰り出し、ニャッキーを吹き飛ばした。


「――ガッ……は!」


 虎マントが弧を描くようにして宙を舞う。

 その間も、スーツケースから飛び出した生き物が彼女の身体を削り取った。


 謎の生き物。

 美言には、目の前のそれについて、その他に表現しようがない。

 先ほど美言はそれを”虫”と表現したが、今はむしろ植物のようでもあり、魚のようにも思えている。

 それは、体長30センチほどのロッドを思わせる生物で、そこに小型の翅が六枚と、帯状のヒレがくっついたような形状をしている。

 どういう理屈で動いているかはわからないが、そのスピードは既存のどの動物よりも素早く、美言ほどの動体視力の持ち主であっても、軌道を目で追うのがやっと、という案配であった。


 寡聞にして彼女にはそれが何かわからなかったが、オカルトに詳しい者がそれを見たら、一目でその正体に気付いたであろう。

 ”スカイ・フィッシュ”。

 界隈では有名な、未確認動物UMAの一種である。

 美言の目の前にあるそれは、その”スカイ・フィッシュ”に、――小麦粉をまぶしてカラッときつね色に揚げたような形状をしていた。


「急いで! あいつが”虎のマント”に引きつけられてるうちに!」

「う、うん」


 瑠依のポジションが安定したところを見計らって、美言は倉庫内を駆けた。

 とはいえ、来た道を引き返すことはできない。あっちの廊下は狭すぎるし、いちいち”ゾンビ”の相手もしていられない。


「このロボットを運び込むのに使った、別の道があるはず……それを探して!」


 瑠依の助言通り、美言がぐるりと壁を見回すと、――ロボットが自動的に逃走経路を検索してくれる。

 求める答えは、即座にスクリーンに表示された。

 一カ所、コンクリートで固められた扉をあるらしい。

 見ると、確かに壁の塗りが新しい箇所があった。

 ロボットはさらに、扉の先の地図まで用意してくれている。それによると、この先はいつも寝泊まりしている、幅の広い地下通路に繋がっているようだ。


 美言は、手にした戦槌を思い切り振り上げて、それを新しい壁目掛けて――


「させるかぁ! ――《絶・天狼》……ッ!」


 ……振り下ろす、と、見せかけ、飛びかかってきたニャッキーをなぎ払う。

 ほとんど未来予知めいた読みだったが、これはほぼ、藍月美言の先天的な戦闘センスに寄るものだ。ニャッキーの中の人の動きが直情的で読みやすい、ということも手伝っている。

 槌頭を思い切りこめかみに受け、


「……げ、ぼ……!」


 カエルが潰れるような音を発して、ニャッキーは再び床に転がった。

 これで、二度も脳にショックを与えた。今度こそもう、まともに立ち上がれまい。

 美言は改めて、戦槌を大扉に振り下ろした。

 一度、二度、三度目でそれは扉枠ごと吹き飛び、ロボットでも余裕を持って歩けそうな、広々とした廊下が現れる。どうやらこの辺りはファンタジー・エリアの地下らしい。看板を見ると、『不思議の国のアリス』のコースター系アトラクションへと繋がるエレベーターがこの付近にあるようだ。


「よし! 後は逃げるだけ!」


 言われずとも、美言はそちらの方角へ走り出している。

 もう一度くらい、あのニャッキーと抗戦する覚悟があったが、幸い追いかけてはこない。

 それについて、今はロボット右肩のポジションにしがみついている瑠依が解説してくれた。


「あれだけ大騒ぎしたんだから、きっと地下の”ゾンビ”が集まってきてるはず。――あの人、わざわざ蹴破って入ってきたんだから……」


 今はその対応に追われている、と。

 やむを得なかったとはいえ、馬鹿なやつだ。

 二人は、それでも追っ手が来ないか十分に気をつけながら、大型荷物用のエレベーターのスイッチを入れる。スイッチは地下と地上階しかない簡易なもので、ロボットはそれに、ハイハイするような格好で乗り込んだ。

 一瞬、積載量をパスするか不安になるが、――扉は危なげなく閉まり、二人の身体が、ゆっくりと地上に向かっていく。


「……よかった……」

「ねえ」

「ん?」

「さっきのあの、……虫みたいな、魚みたいなやつって……なに?」

「ああ、――あれは、”フィッシュ・ディッパー”よ」

「は?」


 なんか、得体の知れない怪獣にも、美味しい揚げ物にも聞こえる名前だが。


「お姉ちゃんって、スカイ・フィッシュって動物、知ってる?」

「しらない」

「そういう不思議な生き物がいてね。あれは、そのスカイ・フィッシュを油で揚げたものらしいわ」

「なんでいったん油であげちゃったの?」

「さあ? なんでだろうね? その方が凶暴になるから、とか?」

「???」


 首を傾げる二人。


「……まあ、カルマ中立系の”実績報酬アイテム”は、わけわかんない夢とか空想の具現化、みたいなのが多いのよ。深く考えるだけ無駄だと思う」

「ふーん」

「あと、一応言っとくけど、今回みたいなことがまたあったとしても、”フィッシュ・ディッパー”を利用するのは難しいからね」

「なんで?」

「あのニセニャッキー、――”虎のマント”を着ていたでしょう。あれも”実績報酬”の一種で、動物とか人間を威圧する効果があって……それなら、凶暴な”フィッシュ・ディッパー”を利用できるって、そう思いついたのよ」

「へー」


 美言は改めて、この少女の見識の広さに感心している。

 弱者は弱者なりに、生きる術を学ばなければならない。

 知識を溜め込むのも、生き抜くための力なのだろう。


「ありがと。たすかった」

「これで貸し借りなしよ」

「ばか。ぜんぜんたりないわ」


 すると瑠依は、その幽霊じみた顔を少しだけ紅潮させて、ほっぺたを膨らませる。

 こいつ、こういう顔もするのか、と、美言は新鮮な気持ちになっていた。

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