その278 小指
『そんじゃ、今日も元気にいってみよう! クドリャフカの日間投稿動画ランキングだ!』
日に一度は流れるやかましい声を聞きながら、ロボットは静かに歩いている。
二人は、MCのアナウンスが終わる前にことを済ませるべく、『不思議の国のアリス』のコースター型アトラクションの内部に入り込み――暗闇の中、なるべく人形の配置ががちゃがちゃしたエリアにロボットを寝かせる。管理室にあった埃よけのビニールシートを被せて、二人はようやく一息吐いた。
ぐるりを見回す。ここはアリスがハートの女王の裁判を受けるシーンで、ずらりとトランプの兵隊たちが並んでいた。
顔を怒らせた女王の人形は、いまにも『その者の首をはねよ!』と叫びそうだ。
「これで一安心、ね」
「うん」
未稼働の人形に囲まれた暗闇の中、二人は背中合わせに座り込む。
ランキング動画はすでに終了していて、辺りは静かさを取り戻していた。
遠く、少女たちの悲鳴と歓声が聞こえている。けん玉の練習動画を撮影中なのだ。美言にはそれのどこが面白いかわからないが、美人が一生懸命何かをする動画には一定の需要がある。失敗したときの悲鳴がマスターベーションの材料になるのだそうだ。
時計を見る。時刻はおよそ六時前。
今からシャワーを浴びて血のにおいを消して、仲間と合流する。
みんなには一応、麗華の宝物の場所を伝えておこう。
その情報を連中がどう使うかは自由だ。
ほう、と、小さくため息を吐く。
結果から言うならば、今回の探索は大成功だったと言えるだろう。
たっぷり、十数分ほどだろうか?
しばらくの無言があった。心地よい沈黙の時間が。
お互い、今回の冒険を反芻しているのである。
先に口を開いたのは、水谷瑠依であった。
「改めて、――助かったわ」
「ん」
「おねーちゃんがいなかったら、私きっと、うまくやれなかった」
「知ってる」
そこで美言は、この娘がポケットに入れていた例の紙切れを思いだして、
「あなたは、なにをぬすんだの?」
「ああ、それは、――」
瑠依は、ポケットの中のものを取り出す。
それは何の変哲もない、ただのノートの切れ端に見えるものだった。
彼女はそれをじっと眺めて……しばらく悩んでから、
「ええと。……――証明が困難な事象・存在を一時的に存在させるためのアイテム……って説明で、わかるかしら?」
「なんだそりゃ。ぜんぜんわからん」
「だよね。麗華も使い道がよくわかってなかったみたいだし。だから、あんなところに放っておいたんだわ」
藍月美言は思っている。こいつ、知識はあるけど、感情は子供のままだ、と。
だから要らぬことまで、べらべらとしゃべってしまうのだ。
「それで、――だれをころすの?」
「え?」
「おまえはそれをつかって、だれをころすの?」
「別にこれは、誰かを殺すためのものじゃ……、何で急に、そんなことを言うの?」
背中の方から、息を呑む気配が伝わってくる。
「だっておまえ、私たちのテキだろ?」
「……………………」
「なんか、いろいろおかしいところがあったし。――それにさっきロボットに乗ったとき、見えたんだ。おまえが何ものか」
瑠依のステータスには、こういう表示があった。
”きじん”、と。
再び、沈黙が生まれた。
今度の静寂は、先ほどのものに比べて、重く沈痛だ。
瑠依は、ただ一言でも間違えれば殺される、とばかりに、慎重に言葉を紡ぐ。
「それに気付いてたなら、なんで……?」
いつでも、自分を始末するチャンスはあったはずなのに。
「別に、なんとなくだけど」
「なんとなく?」
もとより美言は、あれこれ論理的に考えて行動するたちではない。それが、この少女と、少女をとりまく仲間たちとの大きな違いであった。
「ただ、――なんとなく、ともだちになれるとおもって」
「え」
「テキでも、ともだちなら、ひどいことしないだろ。ちがう?」
「そ……」
瑠依はその言葉を呑み込みかけて、改めて口にした。
「『そうよ。私はあなたの友だちだから、決して傷つけない。』なんてさ。仔犬みたいに尻尾をふったとして、あなたはそれを信じるの?」
「うん。まあ」
「だとすると、ひどく愚かだわ」
「なんで?」
「だって、私が嘘を吐いているかもしれないじゃない。あなたのことなんて本当は何とも思ってなくて、感謝もしてなくて、別れ際、とつぜん爪で引っ掻いてくるかも……」
「おまえじゃ、百万回やっても私にかてないよ」
瑠依は一瞬、「ぐぬ」と唸って、
「で、でも……」
「いいか。じゃ、こーしよう。これは、私たちだけのひみつの約束だ。もし、お互いの行き場所がなくなったとき、私たちは私たちだけの味方になるんだ」
「私たち、だけの……?」
「うん。ここいらじゃみんな、きちがいだ。私もきちがい。おまえもきちがい。だから、うまくやらなくちゃいけない」
それが『不思議の国のアリス』に登場するチェシャ猫の名句の引用とは気付かずに、美言は囁く。この世の中にはこのように、無意味な奇跡が数多存在する。
「それに、どーせおまえ、そのうち仲間にすてられるし。ヤクタタズだから」
「はっきり言わないでよ。……否定しないけど」
「私だっていつ、今いるところをおいだされるかわかんないんだ。だからそうなったときのために、私たちは本当の仲間になる。どうよ」
「本当の……?」
瑠依は視線を逸らした。
同年代の少年少女に比べれば遙かに高い知性を持つ彼女が、この愚かで冷酷な少女の言葉に揺れている。
「だからいつ、仲間を裏切っても良いように、こっそり準備をしておく……?」
「そう、それ」
美言はようやく言葉が伝わったことを満足して、にっこり笑う。
「どうせ、世界にバケモノがいなくなったらきっと、”プレイヤー”どもは人間をイジメはじめるよ。もしそうなったら、ロボットをつかってあいつらをみんな、殺してしまおう。その時のために、仲間がひつようなんだ」
その表情には、もはや人ならざる身となってしまった瑠依ですら薄ら寒いものを感じさせる何かがあった。
「でも私、人殺しの手伝いをしたわ」
「うん」
「そのあと、その人の心臓を食べたの」
「うん」
「だから人間に化けているんだけれど」
「うん」
「私の本当の顔は、もっともっと不気味で……まるで死人みたいなのよ」
「うん」
「爪も尖ってるし。なんか黒いし」
「うん」
「肩と太ももの怪我を見て。銃で撃たれたの。もう二度と治らないの」
「うん」
「それに私の仲間はみんな、すっごく怖い顔をしているの」
「うん」
「私、あなたの信頼に応えられないかもしれないわ」
「うん」
美言はそこで、一拍ほど、間を置いて、
「ぜんぶ何もかも、どーでもいい」
さっと小指を差し出した。
「だから、指切り」
それが、――家族を残らず失った少女にとって魅力的な申し出であったことは、想像に難くない。
暗闇の中、二人の少女が小指を絡ませた。
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