その243 覚悟

 違和感は、三つあった。


 まず一つ。

 屋内とはいえここまで静かな場所にいて、バスの排気音がまったく聞こえなかったこと。


 二つ。

 ”拠点”に足を踏み入れた者の数は、五人。

 だが、事前に知らされたメンバーは、”センパイ”、藍月美言、沖田凛音、天宮綴里、運転手のタカさん。

 それに新顔の夜久銀助という”プレイヤー”だったはず。


――几帳面なタカさんなら、バスの点検やら何やらで一人だけ遅れてる可能性はあるけど。


 だとしても、……三つ。

 建物に入った連中は皆、バラバラに動いているように思えるのだ。

 まるで何か、後ろめたいことでもするみたいに。


――賊か。


 やれやれ! まさか一人きりのタイミングで……ついてない!

 眉をひそめて、息を詰める。

 とはいえ、油断は禁物だ

 ”終末”後の力関係において、自分はさほど高いヒエラルキーには位置していない。

 ”プレイヤー”を一線級のZ戦士に例えるならば、自分はクリリンとかヤムチャくらいだろうか。


――って、こんなときに何考えてるんだ、俺は。


 苦笑する。

 どうも”センパイ”の漫画オタクが感染っているらしい。


「とにかく……」


 まず、相手を見極めなければ。


 救助を求める人であれば、とうぜん保護する。

 暴力的な輩であれば、多少荒っぽくなってもお帰りいただく。

 もし彼らが”プレイヤー”ならば、争うべきではない。逃げる。


 方針を決めて、康介は動き出した。

 状況は今のところ、まだこちらに有利だ。

 なにせ康介には、相手の居場所が手に取るようにわかる。

 彼は、念には念を入れてギフトショップの従業員用扉に向かっていた。

 カチャ……と、鋼鉄の扉をゆっくり開き、非常口へ。

 ぐるりと建物を回り込んで、出入り口の方から様子をうかがう作戦である。

 そこで《スキル鑑定》を行い、もし手に負えないようなら逃げ出して”センパイ”たちとの合流を待てば良い。


 人気のない廊下を進みつつ管理室を通り過ぎ、そっと外へ出る。


「よし……」


 建物そばに”ゾンビ”の影はなし。

 予定通りぐるりと建物を回り込み、タクシー乗り場を右手に見ながら、ガラス張りの出入り口に向かう……と。

 その途中だった。

 歩道の真ん中で一人、うずくまる少女を発見したのは。

 六人目の侵入者である。


――”拠点”の範囲外にいたから気付かなかった。


 少女は、腹部を押さえていて苦しげだ。歳は小学校、低学年くらいだろうか?


「君……?」


 はっと嫌な予感がする。

 もし思った通りなら、彼らは薬を探しているに違いない。


 康介は”終末”後、数多くの子供の死を看取ってきた。

 不幸な子供ほど、見ていられないものはない。


「大丈夫かい? お腹、痛いのか?」


 可能な限り穏やかな声を発し、少女に歩み寄る。

 そこで、違和感に気付いた。

 彼女の肌が、――まるで血の気を失っているように白いこと。

 そして何より、日比谷康介はその女の子に見覚えがあるということ。

 当然だ。

 彼女は”終末”後、雅ヶ丘高校の校舎でしばらく一緒に過ごした……、


「水谷、瑠依るいちゃん?」


 祖父と父親を”ゾンビ”に、母親を”怪獣”に殺された、哀れな娘だ。

 そういえばしばらく彼女を見ていない。救助活動に集中していて気付かなかった。

 いや、それより……、


「なぜ君が、こんなところに」


 そこで、彼女と視線が合う。

 その、――水気が感じられない、泥のように濁った目と。


「――ッ!」


 反射的に理解する。これは恐らく、危険なものだ。

 瑠依ちゃんは、かつての彼女のように、どこか陰気な口調で囁く。


『おにーちゃん、つよい?』


 後ろに跳ねたのは正解だった。うずくまっている少女は、隠した爪を大きく振るって、康介の喉元を掻ききろうとしたのだ。


「………くそっ!」


 危機を回避する反射能力は、”センパイ”に戦いを教わったメンバーの中でも褒められるべき方だと思っている。

 だが惜しむらくは、彼には決定的に足りていないものがあった。

 覚悟である。

 康介は、梨花の父親から受け取った、特製のサイレンサー付きニューナンブM60、――日本の警察官が使う拳銃を向けて、


「動くなッ!」


 そう叫ぶ。

 だが彼は、問答無用で引き金を引くべきだったのだ。

 そうすれば、


『キ、アアア、アアア、アアアアアアアアア、アアアアアアア、ッ!!!』


 彼女の絶叫を防ぐことができたかもしれなかったのに。


「――くッ!」


 感覚でわかる。拠点内を捜索していた五人が、こちらに向かっている。

 しかも尋常な速度ではない。まるで獲物を追う豹だ。


 今度こそ、容赦はできなかった。


「ごめん!」


 それでも良心の呵責に苦しみながら、瑠依の肩と足に弾丸を撃ち込む。

 ぱす、ぱす、と、気が抜けるような音と共に弾痕が生まれ、少女はまるで無力に倒れ込んだ。


 そして康介は、背を向けて走り出す。


――”センパイ”に、……あの人たちと合流しないと!


 ……と、その次の瞬間だった。

 自分の背に、強烈な衝撃が走ったのは。


「がはっ!」


 常人であれば、それだけで死んでいてもおかしくないような蹴りだ。

 康介は空中で数回転、アスファルトの上に玩具のように転がる。


『……ルイを撃ったのはお前か』


 起き上がって見ると……なんと、その男にも見覚えがあった。

 彼は松村若人わかひとと言って、その名に反して若くはない、中年の男。髪は短髪。眉は太め。紺の着流しに下駄を履きこなすその姿は、まるで任侠もの映画の登場人物のようだ。 

 記憶が確かならば、ジョブは”伝承使い”。レベルは75。

 ”センパイ”ですら「ありゃ適わん」と言っていた”ギルド”メンバーの一人。


――たしかこの人、”ギルド”の紹介で練馬駅コミュニティの防御に付いていたはず。


 そんな彼の肌は水谷瑠依同様、マネキンのように血の気が感じられない。


 彼が現れるのとほぼ時を同じくして、その他の四人がゆらりと現れた。

 見覚えがある者もいれば、まったくない者も。


 地に倒れ伏しながら、日比谷康介はどこか冷静に考えている。


――たぶん俺、ここで死ぬな。


 結局、梨花と仲直りもできずに。

 と。

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