その242 拠点
日比谷康介をはじめとする先遣隊が拠点としたのは、かつて”舞浜駅”と呼ばれた建物の一階。ギフトショップがあるスペースだった。
なんとなく空っぽのプレゼント箱を思わせる店内にいて、康介は不思議な安息を見いだしている。
――ここはいい。
”ゾンビ”も”怪獣”もいない。
この手の建物にしては、かなり掃除も行き届いている。
めぼしい物資は全て”非現実の王国”の連中に浚われてしまったものの、壁紙やら、ちょっとしたモニュメントやらに、盛況だったころ……平和だったころの名残が感じられた。
「はぁ…………」
とはいえ、退屈なことは確かである。
福沢諭吉が印刷された紙切れで折り紙を作るのにも、すっかり飽きていた。
古いビデオデッキを思わせる無線機はしばらく沈黙を保っている。
君野明日香は”アビエニア”、親父は”グランデリニア”に潜伏中。
同じく居残り組の早苗さんは物資探し、といった具合で、話し相手がいないせいでもあった。
――いや。
このメンツではむしろ、話さなくて済む分、助かっているのかもしれない。
例の一件で明日香には嫌われてしまったし、その雰囲気を読んでか、早苗さんもあまり話しかけてこなくなってしまった。
例外的にときどき話しかけてくる父は、そもそも昔から苦手だ。
「ううむ……」
さいきん、”ゾンビ”を殺すよりも人間関係の方でストレスを受けている気がする。
こういう時、気を遣わずに話せる今野林太郎のような人物がいてくれると、どれだけ助かるか。
気が重い理由はそれだけではない。
”センパイ”に、どういう顔を向けるべきかわからないのだ。
彼女は記憶を失っているから、文句を言われたり説教されたりすることはないだろう。
だが、だからといって気まずくない訳がない。
……と、そこまで考えて、腹の奥底あたりに封じ込めておいたはずのもやもやが再び湧き上がり、最近落ち着きを取り戻していたはずの康介を苦しめた。
――切腹って、このもやもやを取り除くための外科手術だったのかもしれないな。
などと、益体もない考えが浮かんだりして……。
▼
結論から言うと、麻田梨花と別れた原因は、浮気だった。
”奴隷”の《性技》スキルが影響したから……などと、弁明にもならない。
相手に関しては、……正直、語りたくもなかった。
今になって思えば「何であんな人を」と思わずにはいられない。二つ年上の元女子大生。ただ胸は大きかった。思春期の青年にはそれがとても重要だった。二つのおっぱいが思うままになるとわかっているのに、我慢しろという方が無理がある。
一度目は、彼女の寝所に誘われて。
二度目、三度目もそう。
四度目は外。霧雨の降る夜。生暖かい空気の中、お互い泥にまみれながら。
五度目はもう動かなくなった、バリケード近くの車中。
六度目は校舎にある女子トイレの中と、だんだん行為はエスカレートしていって……、
そして、全てが発覚した。
しかも、考える中でも最悪な形だ。ゴキブリみたいに女子トイレのタイルの上で二人、素っ裸でぐちゃぐちゃの汗まみれになっているところを、武装した梨花と数人の生徒に見られてしまったのである。
夜な夜な奇妙なうめき声が廊下に響いていて、”終末”に至りとうとうトイレの花子さんまで現れたと、みんなの噂になっていたそうだ。
どれほど弁の立つ男であっても、言い訳する余地はなかったように思う。
時代を超えて愛されるもの笑いの種は、――他人の下半身事情を面白おかしく揶揄したものだ。
それ以来、康介はコミュニティに存在する全ての女子から総スカンを食らっている。
ただ一人だけ同情的だったのは、かつて複数の女子と関係を持ったが故に嫌われた、中田日出利という友人だけだった。
「…………うぐぐぐぐぐぅ………」
冷めた目で福沢諭吉がこちらを観ている。
『日本銀行券』と印刷されたそれを、くしゃくしゃに丸めつつ。
その時だった。
「――っと……。来たか……」
来客を、感覚的に察知したのは。
これは、”解放奴隷”(康介たちは勝手に”兵隊”と名乗っているが)に与えられた新たな力だ。
今の康介たちが持つスキルは、
《格闘技術(上級)》、《射撃術強化(上級)》《自然治癒(強)》、《皮膚強化》、《骨強化》、《飢餓耐性(強)》、《スキル鑑定》
《拠点作成Ⅱ》、《武器作成(下級)》、《オートメンテナンス》、《投擲Ⅴ》、《攻撃力Ⅰ》、《防御力Ⅰ》、《魔法抵抗Ⅰ》
と、こうなっている。
この中に《拠点作成Ⅱ》という力があり、これにより限られた範囲内を”拠点化”できると気付いたのは、舞浜駅をしばらくの居住地にすると決めたあとのことだった。
”拠点化”された土地内において、康介たちはいくつかの特性を得ることができる。
ひとつ、拠点にとどまることで、”魔力”はじわじわと回復していく。
ふたつ、拠点内への侵入者を察知することができる。
みっつ、拠点にいる者同士であれば、位置情報を共有することができる。
よっつ、拠点内は通電される。
など、など。
全て、最近になってあの奇妙な女装男子からもたらされた情報だ。
彼氏、情報を出し惜しみする癖があるのか、なんだか今頃になってスキルの特性を教えてくれる気になったらしい。
――人数は五人か。少し時間が遅れたみたいだけど、”センパイ”たちだろう。
重い腰を上げて、立ち上がる。
ほとんど雅ヶ丘から逃げ出すように、この旅に志願してしまったが。
いずれ自分も、きちんと決着をつけなくてはなるまい。
梨花にも、ちゃんと謝って。
その上で復縁を断るというのであれば……哀しいが、それを尊重するしかあるまい。
その時、ふと、――
――なあ、康介。お前にはあの小さな女の子より、赤ジャージの”彼女”がふさわしいと思うんだが。
いつだったか聞かされた、父の無神経な言葉が蘇る。
馬鹿。いまはそんなことを考えてる場合じゃないだろ。
彼女を、……出迎えなければ。
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