その232 月島へ
結局なんだかんだで、私が集合場所に到着したのは、予定ピッタリの時間。
そこでは、連絡不行き届きで一人だけ早く来ていた運転手の孝史さんが、哀しげな表情でボンヤリしていました。
「まあ、いろいろ点検作業とかあったし、いいけども……」
などと、ちょっぴり嫌味を言われつつ。
その数分後には、全員が集結します。
夜久さんに、凛音さん、綴里さん、そしてもちろん、藍月美言ちゃんも。
ついでに、見送りのため麻田梨花さんと、――少しだけ彼女の面影がある中年の男性が一人。
「やあ君。娘から話を聞いたよ。どうも色々と大変なようだね」
彼の名は麻田剛三さん。麻田梨花さんのお父さんだそうです。
「やっぱり、私のことも……?」
「ええ、まったく覚えがありません。いや、誰このおっさんといったほうが正しいでしょう」
「そ、そうか……。一日も早く、良くなることを祈ってる」
「そりゃどうも」
「できるなら、私も同行したいところだが」
「いえ、それは結構です」
彼は彼なりに、なにかと忙しいみたいなので。
なんでも剛三さん、西武池袋線上に存在するコミュニティ全てを代表してここにいるらしく、日々、あの秋葉原の幹部連中とやり合っている、とのこと。
元からなのかどうかは知りませんが、彼の灰色な髪を見るだけでも、その苦労がうかがい知れます。
「そちらにしかできない仕事があるのなら、それに注力するのが一番かと」
「ああ、わかった」
剛三さんが快く頷くと、娘の方が口を開きました。
「次に会うときは、記憶が戻ってる……はず、ですよね?」
「ええ、まあ」
「だったらその時はちゃんと呼んで下さいね。”麻田さん”じゃなくて、”梨花ちゃん”って」
「え? ……ああ」
記憶を失う前の私、そういう風に呼んでたんだ。
なんか、第一印象がめっちゃ不気味だったせいか、いつの間にか名字読みが定着していたんですよねー。
「残りの道中も、あんまり危険なことはしないでくださいね」
「……ええ」
…………それにしても。
記憶喪失が戻る時って、今の記憶ってどうなるんだろ。
物語の世界では、記憶を失っている間の出来事は、丸ごと忘れちゃう……みたいな話がありますけど、あれ何かの医学的根拠に基づいた描写なんでしょうか。
うーん。
もし、本当に今の記憶がなくなっちゃうんだとしたら。
さすがにちょっと怖いな。
ふと胸に湧いた恐怖をかき消すように、バスのエンジンがかかります。
「センパイッ」
娘の方の麻田さんが叫びました。
「どうか、ご無事で!」
無意味に彼女を心配させる訳にもいかないので、私は無言でピースサインを返します。
なんとなく、それが今生の別れになる気がしていました。
まあ実際、……”今の私”と彼女は、これきりお別れになる、のかも。
▼
バスは秋葉原の正門を出て、すぐに左折。一方通行を無視する形で神田川沿いを少し走って、昭和通り→首都高速道路に出ます。
高速道路に入ると”ゾンビ”の姿はほとんど見えなくなり、乗り捨てられた車が時々邪魔になる、といった程度の楽な道のりに。
「ここまで来たら一安心だが。……こっから先は、わしも久しぶりに走る」
と、”終末”前は色んな大型車両の運転手をしていたという孝史さん。
「そうなんですか?」
「うむ。ちなみに平時なら、多少混んでいても一時間も掛からん行程よ」
そっかぁ。
でもまあそれって、”敵性生命体”に襲われなかった場合に限られますからねえ。
「なんにせよ、なるべく戦闘は回避するようにしたいですね」
「うむ」
すでに先行している夜久さんには、群れを見かけたら迂回するルートを考えてもらうよう頼んでいます。
「とはいえ、月島に近づくほど、楽になっていくはずじゃよ」
「月島……というと」
私は、車内に張り付けられている地図……というか勢力図をちょっと見て、
「ああ。”守護”と名乗る連中がおるとこよ」
”守護”……って、たしか、政府から派遣されてきた”プレイヤー”、でしたっけ。
どんな人たちなんだろ。
「綴里さんは、会ったことあるんですか?」
たまたま近くの席で暇そうにしていた綴里さんに話を振ると、
「え? ……ああ、はい。一度、政府の関係者を名乗る人が訊ねてきて、スカウトされたことがあります。とはいえ私は”従属”した身です。勝手な真似はできないので、丁重にお断りしましたが」
「なるほど」
なんとなく、黒スーツにサングラスの秘密工作員めいた人物像を思い描きつつ。
「ってことは、私のところにも来たのかな、その人」
「ありえますね。……もっとも、記憶を失う前の”戦士”さんは一時期”ギルド”関係の仕事をこなしていたようなので、入れ違いになっていた可能性もありますが」
ふーむ。
私くらい権威に弱い性格だと、政府関係者ってだけであっさりその申し出を受けちゃいそうですけど。
話している間にも、バスは高速道路を降り、隅田川を通り過ぎ、月島駅の方面に向かいます。
「この先、もんじゃ焼き屋さんがいっぱい並んでる通りがあるんですよ~」
懐かしいなあ。
たしか、祖父母が生きていた時に一度だけ、東京の名物を食べようって話になって、――……と、想い出に浸りかけた、その時でした。
「ぬ?」「ありゃ」
声を上げた孝史さん、凛音さんに釣られて前を向くと、私が指し示したもんじゃストリートいっぱいに”ゾンビ”の群れが。
「うへえ。これは……」
私はその様子を見て、池袋の通勤ラッシュを思い出しています。
”ゾンビ”と化してなお、人混みにもみくちゃにされるとか。……地獄だなぁ。
しかし、凛音さんはむしろ真逆の感想らしく、
「この光景、懐かしいねえ。”ハク”、――あんたはあれくらいの数相手にして、助けにきてくれたっけ」
と、なんだかホッコリした表情。
”ゾンビ”の群れ見てこんな顔する女子高生って、さすがにどーなんでしょうね。
「今となってはいい想い出だよ」
そこで、ばんばんばんっ、と、バスの側面が叩かれます。
見ると、夜久さんが寄ってきていていました。
凛音さん、バスの窓から顔を出し、
「当てが外れたね。てっきりこの辺は楽に通れると思ったんだけど。……迂回するかい?」
「それも考えたんだが、……よく見てくれ」
夜久さん、”ゾンビ”の群れの向こう側を指さしています。
そちらの方向に、よくよく目をこらすと、――。
「あ」
車内にいる全員が、同タイミングで気付きました。
数匹の”ゾンビ”が、ぽーんと上空高く吹き飛んだのが見えたので。
「誰かが戦ってる……ッ」
その数は、見たところ三、……いや、四人。
一瞬だけ見えた感じ、男二、女二のチームみたい。
「見たところ、危なげなく戦えているようだが……」
問題は、彼らが相手にしている数です。
3~400メートルくらいの通りが、”ゾンビ”でぎゅうぎゅう詰めになっている様子をご想像ください。
いくら”プレイヤー”がスーパーマンだといっても……さすがに分が悪い。
「どうする?」
そう問いかける夜久さんの手にはすでに、シカゴ・タイプライターが握られていました。
答えるまでもなく、――やるつもりじゃん。この人。
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