その123 まともな人間

 ぼんやりと、崩壊した池袋を歩きながら。

 今野林太郎こんのりんたろうの脳裏には、名状しがき焦燥がよぎっていた。


――やべーよなぁー。ぜったいやべーよ。


 そう思わせるような出来事が、最近多くなっている気がする。


――このままだとなぁ、まともじゃいられなくなるヤツ、増えてくんだろぉーなー。なんとかしねーとなぁ。……っつっても、オレっちじゃ、どうにもできないんだけども。


 ため息を一つ。


「あらら」

「ん?」

「珍しいわねぇ。林太郎くんもため息なんて吐くんだ」


 同行者である君野明日香が、からかうように言った。


「んん? そんな珍しいかぁ?」

「そうよぉ。いっつも、ヘラヘラ笑ってるイメージがあるもん」

「言っとくけど、俺だっていろいろ考えたりするんだぜ。……たまには」

「へえ。例えば?」

「なんつーか。……いよいよ”世界の終わり”が近づいてきたなぁー、っていう、実感?」

「まあ、確かに。ここんとこ鬱展開が続いてる気がします」

「だよなぁ?」


 渋谷に最初の”ゾンビ”が現れてから、もう半年近く経過していた。

 ”文明人”の化けの皮が剥がれ始めるには、十分な時間である。


 幸い、今のところ林太郎たちのグループは安定しているが……。


 いつだったか、”雅ヶ丘高校”の代表者の一人でもある佐々木先生が、高らかにこう宣言したことがある。


「とにかく、長期的な視野を」と。


 ある種のストレス環境下においては、多くの人が”短期間の”耐性を発揮する。危険なのは、そうしたストレスフルな環境が長期に渡る場合だ。

 最初の一ヶ月が平気だったからといって、次の一ヶ月も平気であるとは限らない。

 心が折れる瞬間は、ある日突然、誰の身にも起こりうるのである。


 問題は、コミュニティにいる人々の、ストレスに対する抵抗力がどの程度のものか、という話で。

 果たして、人を喰らう死人どもに囲まれた状況で、いつまで我々はでいられるのだろう?


 心的疲労の蓄積は危険だ。

 怪我などと違って、目に見えるものではないところが特に。

 そして、それらはやがて、個人だけでなく、コミュニティそのものをも徐々に蝕んでいくだろう。


 既に、東京に取り残された多くのグループが、残酷な最期を迎えていた。

 その原因の大半が、人間同士の争いである。


 あと、ほんの少し。

 数日か、あるいは一週間だけでも平静でいてくれれば救助が間に合った、……そういう人たちも、数多くいて。

 林太郎たちはこの数日間、そうした現場を数多く目の当たりにしているのだった。


「はぁ……」

「はぁぁぁぁぁぁぁ~」


 明日香も釣られて、深いため息を吐く。

 二人分の吐息が、人気のない池袋に響いた。


「覚悟はしてたけど。……ホント、心の折れる仕事だねぇ」


 今、林太郎たちが戦っている敵は、”ゾンビ”でも”怪獣”でもない。

 恐らくそれは、”絶望”と呼ばれる、目に見えぬ敵であった。


――首をくくった子供たちだとか。

――自ら火を放たれた一軒家だとか。

――ケダモノのように通行人を襲う悪漢だとか。

――狂気にとらわれてしまった人々だとか。


 “雅ヶ丘”から一歩外に出れば、胸を抉るような出来事はごまんと転がっている。

 林太郎は、普通の人よりも精神的にタフ(というか、無神経)だという自負があるが、そんな彼ですら、メランコリックな気分にさせる事態が続いていた。


――こういう時に……。


 林太郎は、ふいに顔をしかめて。


――こういう時に、がいてくれたら。


 もはや癖になりつつあるないものねだり。

 君野明日香きみのあすかは大きくため息を吐いて、


「……今日はいったん、帰ろうか?」


 と、提案する。

 だが、林太郎は首を横に降った。


「いいや。もうちょっとだけ探そうぜ。この辺りは”ゾンビ”が少ないから……まだ、生き残ってる人もいるかもしれない」

「でも……」

「そういや、たしかこの辺が最後の目撃情報があったあたりだよな?」


 彼らの目的は、”物資の補給”と”人助け”。

 ……そして、もう一つあった。

 二ヶ月ほど前に姿を消した、三人の仲間の捜索である。


「そうなんだよねー」


 明日香は髪の毛をいじりながら、


「どーこ行っちゃったんだろーなぁ。……センパイは」

「ああ。それに、彩葉ちゃんと、百花さんって人もな」


 声に出してみて、林太郎たちが“センパイ”とだけ呼んでいた人の存在がいかに大きいものだったかを思い知らされる。


――みんなの心が荒んでいってるのも、センパイがいなくなってしまったからじゃないか?


 そんな妄想まで頭に浮かぶ始末だ。


 個人の力で、物事の流れがそこまで変わるとも思えない。

 それでも、心のどこかで、あの人がいてくれれば何かが変わっていた気がしている。

 思うに、真の英雄とは、そういう存在のことを言うのだろう。


 “センパイ”は、決して間違わない人ではなかったが。

 少なくとも、前に進むことを恐れない人ではあった。

 一緒にいる仲間に、「やるぞ」という気持ちを起こさせる人だった。



 ”センパイ”が林太郎たちの前から姿を消したのは、今からおよそ二ヶ月前のことである。

 ”センパイ”とその仲間たちが、”ダンジョン”呼ばれる巨大な地下空間に向かっていったところが、最後の目撃情報。


 そして、……そこで何か、得体のしれない出来事が起こった。


 池袋の街を滅茶苦茶にする、何かが。

 それ以来、”センパイ”を含め、羽喰彩葉、恋河内百花という三人の仲間たちは、未だもって行方不明のままだ。


 何がどうなっているのか。

 林太郎たちには、検討もつかない。

 この二ヶ月、“センパイ”から一切連絡がないのである。

 これは、あまりにも彼女らしくない事態であった。


 もっとも、死んではいないという確信はある。

 ”センパイ”とは、とある”絆”で結ばれているためだ。


――《隷属》スキル。


 林太郎たちは、“スキル”と呼ばれる不思議な力で、超人じみた能力を持っている。

 その力は、いまも消失していない。


――ってことはつまり、センパイはまだ生きてるってことだよな。うん。


 そこで、一瞬だけ思考を切って、


「でもさ。やっぱさ。……センパイは、俺達を避けてるんじゃないのか?」

「なんで?」

「もし、あの人が俺たちを必要としてくれてるんなら、きっと向こうから連絡があると思うんだ。俺たちの場合は、軽く念じてやれば済む話なんだから。……でも、それがないってことは……」

「そうかもしれない。でも、そうじゃないかもしれない。何かの理由で、それすらできない状況にいるのかも」

「何かの理由って?」

「……さぁ? わかるわけないよ」


 もうこれで、十度目にもなる議論である。

 林太郎はもう一度、深くため息を吐いた。


 結局はすべて、雲をつかむような話で。

 こちらにできるのは、ただ、諦めずに前に進むことだけ。


 と、その時だった。


「た、助けてくれぇッ」


 小さく悲鳴を上げながら、一人の男が林太郎たちの前に現れる。

 歳は……こちらとあまり変わらないくらい。

 ごくごく平凡な男子高校生って感じの男だ。


『うぉおおお、ぉおおおお、おおおおおおおおおおおッ!』


 彼の背後にいるのは、一匹の“ゾンビ”。

 この辺はあまり”ゾンビ”がいないことで有名だったが、それでも全くいないわけではないらしい。


「俺が」

「林太郎くん……、わかってるよね?」

「ああ」


 目配せだけで、その言葉の意図を察する。

 明日香は要するに、、と言っていた。


 “センパイ”からスキルの力を与えられた林太郎たちだが、普段はなるべく常人らしく振る舞うことにしている。


 これには理由があった。

 一つは、”プレイヤー”と呼ばれる、凶悪な力を操る連中に目をつけられるのを避けること。

 そしてもう一つは、……あまりに強い力を見せつけてしまうと、時として救助しなければならない相手を警戒させてしまうためだ。


「大丈夫だ、そいつは俺が仕留める! そのまま、引きつけておいてくれ!」

「あ、ああ!」

「よぉし……」


 林太郎の”演技”は上等だった。

 自分が常人だった頃とあまり大差のない程度に力をセーブして、”ゾンビ”の背後を取り……がつん、と、その後頭部を叩き割る。


「一丁上がりぃ!」


 叫ぶと、目の前の男は息を切らせつつ、地面の上に倒れこんだ。


「はぁ、はぁ……あ、危なかった……!」


 どうやら、ずいぶん長距離に渡って追いかけっこをしてきたらしい。


「大丈夫ですか?」


 明日香が、外行き用の笑顔で手を差し伸べる。


「ああ……問題ない」

「私は君野明日香と申します。……そちらは?」

「俺は、犬咬。犬咬蓮爾いぬがみれんじだ」


 青年は、一瞬だけ値踏みするような表情を見せてから、


「どうやら、あんたたちはそうだな」


 ニヤリと笑った。

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