その122 変わり果てた街

「ほほーう……」

「こ、これは……」


 俺たちは、揃って深刻な表情を浮かべている。

 目の前の惨状に、息を呑んでいたためだ。


「本当にここが池袋か……?」

「それは間違いありませぬ。看板に書いてありますからな」


 池袋駅西武口から地上に出た俺たちは、まずその異常な光景に息を呑んでいた。


 それを、何かに例えるのなら。


 爆撃機による攻撃と、戦車による撃ち合いが行われた戦場跡、とか。

 あるいは、ナッパが「クンッ」ってやった後の東の都、って感じか。

 ……うん、やっぱ『ドラゴンボール』に例えるとわかりやすいな。なにごとも。


 池袋の街並みは、とにかくそんな具合だった。

 ぐるりと見回したところ、一つとして無事な建物はない。背の高いビルはみんな、大砲の砲撃のようなもので、あちこちが歯抜けになっている。

 以前Wiiを買うのに並んだこともあるビックカメラなどは根本から完全に倒壊していて、瓦礫の山を作っていた。


 特に酷いのは、かつて”サンシャイン60通り”と呼ばれていた繁華街。

 何が起こったのかは知らないが、その辺の建物がごっそりなくなっている。

 代わりにあるのは、巨大なクレーターらしきもの。

 ここからではちゃんと見えないが、その辺一帯、なにか不吉なオーラを放っているように思えた。


「なんなんだ、何が起こったらこうなるんだ。……軍が戦ったのか?」

「そういう話は聞いておりませぬ」


 興一が、妙に自信ありげに言う。

 赤坂見附の駅を通り過ぎていった旅人の情報によると、我が国が誇る陸上自衛隊はとっくの昔に関西方面へと退散してしまっているようだ。

 なんでも、政府のお偉方は早々に東京から脱出を図っていて、今では大阪を新たな首都にしようとする動きもあるらしい。

 そしていま、この街における、数少ない安全地帯が、”理想郷”と呼ばれるところだという。


「しかし、その”理想郷”っての、本当に実在するのか?」

「むろんデマの可能性もござる。こうした状況下において、虚偽の情報が飛び交うのは当然のことですぞ」

「おいおい……」

「しかし、他に頼るものがないのも事実」

「そりゃそうだが……」


 それじゃあ、今、俺たちがやっていることは、無駄足になる可能性が高いってことか?


 そう反論しかけて、俺は口を閉じた。

 考えてみれば、行く先に何が待ち受けていようと、大した問題ではない。

 俺と光音の目的はあくまで、”レベル上げ”と”人助け”だ。

 ここにいる五人の安全を確保できるなら、それでいいじゃないか。

 もし、”雅ヶ丘”に”理想郷”がなくとも、そこに俺達の”理想郷”を築けばいいだけの話だ。


「とりあえず……早いとこ、休める場所を探したほうが良さそうじゃの」


 そこで、車椅子に座った老人が口を開いた。


於保多おおたさん、……傷が痛むのか?」

「ん? 傷ぅ? いいや? 好調じゃよ。前は身体のあちこちが痛かったが、今はマシになっとるし。犬咬くんの薬のお陰でな」


 行きがかり上、助けることになったホームレス風の爺さんは、悟りを覚えた仙人のように笑う。

 俺と興一は、一瞬だけ視線を合わせた。

 お互い、苦い表情。


 この爺さん、きっと無理をしている。……してない訳がなかった。


 突如として右足と右腕を奪われた上、自分の生命を託す相手が頼りないガキ二人ときたもんだ。


 目を覚ましてからというもの、於保多さんは、何事にも俺たちを気遣うように振る舞う。

 そうすることが、自分が生き延びる唯一の手段だとわかっているかのように。


 ……まあ、あれこれ文句を言われるよりはマシだという考え方もある。


 それでも、今の俺たちには、腰の曲がったお年寄りにきつい肉体労働を強制しているかのような、そんな気まずさがあるのだった。

 思うに、爺さんって生き物は、ふんぞり返って若者に説教垂れるくらいの距離感がちょうどいい気がする。弱い立場から顔色を伺われるなんて、まっぴらだ。


 幸い、光音によると、


――ものすっごぉく頑張って”レベル上げ”したら……。


 《治癒魔法》というのが使えるようになるという。

 その力があればなんと、失った手足をもう一度にょきっと生やすこともできるらしい(そう、ナメック星人のように)。


 於保多さんのためにも、俺はなるべく早く”レベル”を上げる必要があった。

 正直、作業プレイは大嫌いなのだが、今回ばかりはそれもやむなし、である。


「それでは皆の衆。一度、ウエストゲートまで戻りましょうぞ。あっち側なら、まだ使えそうなホテルがあったハズです」


 一行を先導する役目の興一が、そう告げた。

 そして俺たちは、ぞっとしない光景に背を向ける。



 今のうちに、俺達と行動を共にしているガキどもについて紹介しておこう。


 三人の子供たちは皆、ネズミのように素早く、それでいて図太かった。

 俺が連中の年頃なら、”ゾンビ”なんて見ようものならギャーギャー泣きわめいていただろうに、大した奴らである。

 もっとも、そうでなければ生き残れなかったため、必然的にそうなったのだろうが。


 それぞれの名前は、

 リーダー格のヒデオ、

 皮肉屋のアキラ、

 紅一点のアカリという。


 三人は、どこからともなく食料、とりわけ菓子類を拾ってくる達人だった。

 しかも、それを仲間に振り分ける人徳まで兼ね揃えている。将来きっと大物になるだろう。

 あるいは、こういう状況下においては、共同体として生き残ることが、個人の幸福に最も繋がりやすい、……と、本能的に心得ているのかもしれない。


「なあなあ、今夜はここで寝ようぜ!」


 ヒデオの提案で、俺たちはほとんど無傷で残っていたホテルを選ぶことになった。

 ”アパホテル”と辛うじて読めるそのビジネスホテルは、高級感のある大理石製の床が特徴的だ。


「やったー! まるで王様のホテルだ!」


 アカリが、頬を染めて言う。


「チェーンのホテルに、大げさな娘じゃのォ」


 於保多さんが喉を鳴らして笑った。

 ……とはいえ、すっかり雑魚寝が板についていた俺たちにとって、そのホテルはまさしく”王様の”宿に思える。


「吾輩もここがいいと思いますぞ」

「ああ。何より、扉をノックしている”ゾンビ”がいないのがいい」

「決まりですな。……では、大先生。よろしくお願いいたしまする」

「了解だ」


 そして俺は、”勇者”のヘルメットを頭に装着した。


――お? 仕事かね?


 同時に、光音が応える。

 銀色の鎧を身にまとった戦士と化した俺は、剣を握りしめ、すでにこちらに向かってきつつある数匹の”ゾンビ”と相対した。


「ああ。ひと肌脱いでもらうぞ」

――オッケー。脱ぐような服なんて、もう着てないけどね!



「そういや、この辺、わりと”ゾンビ”が少ないみたいなんだが。光音はなにか知らないか?」

――ん? ……ああ、それはすぐそこに”ダンジョン”があるからよ。”ダンジョン”周辺には、不思議と”ゾンビ”が寄り付かないんだな。たぶん、連中の間で住み分けでもあるんじゃない?

「”ダンジョン”?」

――細かい説明は省くけど、要するに怪物がいっぱい住んでるところよ。

「それ、省いていい説明じゃない気がするが……」

――いいの。どうせ今は不活性化してるんだから。

「……今は安全なんだな? 信じて良いんだな?」

――もちろん。


 ならいいんだが。

 俺は、見かけた”ゾンビ”を片っ端から始末した後、しっかり戸締まりされている自動ドアを破り、仲間たちを招き入れた。


 興一が謎の上から目線で、


「ふむ。ご苦労ですぞ」


 小憎たらしい笑みを浮かべている。


 俺は非常階段を通って、安全な場所を確保し、全員を客室のあるフロアへと案内した。

 それぞれ個室を使っても良い……状況にはなったのだが、満場一致の希望により、少し広めのツインルームを全員で使うことにする。

 無理もなかった。昨今の世界情勢を鑑みるに、俺ですら、仲間と離れて眠るのが不安に思えるほどだ。隣の部屋でがさごそ音が聞こえたら、反射的に”ゾンビ”を疑うよう、身体が躾けられているせいもある。


 その後、俺は何往復かして、十分な食料と大量の水、そして全員分の着替えをホテルへと持ち帰った。


「……犬咬どの。食料品はともかく、ここまで大量の水をどうするつもりで?」


 そこで俺は、宣言する。


「これから、全員で露天風呂まで移動する」

「風呂? ……しかし」

「そこで、全員身奇麗になるんだ」

「ほほう? それはまた、なんと贅沢な……」

「”理想郷”の連中には、少しでも文明人らしく見てもらう必要があるからな」


 同時に、全員が押し黙る。

 “身体を洗浄する”という常軌を逸した考えに、みんな息を呑んでいたのだ。


「でも、おみず、もったいないんじゃ……」


 アキラの気弱な反論に、


「飲み水は十分あるから心配しなくていい。それよりも、数ヶ月分の垢を落とす方が重要だ。俺たち全員、家畜小屋の牛みてーな臭いがするんだから」


 幸い、すっかり暖かくなっていたため、お湯を作る必要がなかったのには助かった。

 その後、浴場に移動した俺たちは、老若男女問わず全員すっぽんぽんになり、持ってきた水で全身を洗っていく。

 身体の不自由な爺さんに関しては、全員で協力して、ごしごしと洗ってやるのだった。


「ふうううううううううむ。……こりゃ心地いいわ……」


 於保多さんも、その時ばかりは心の底からの言葉を口にしていたように思う。



 それにしても。

 全員の身体に染み付いた汚れは酷かった。

 垢を通り越して……なんかもう、白い粉みたいなのが風呂場に広がっていく始末である。

 だがまあ、それも当然か。

 ”終末”が訪れてからの五ヶ月間、みんな”生きる”ことを再優先にしてやってきた。水は飲むもので、身体を洗うのに使うものではなかったのである。


 数時間後。


 すっかりピカピカになった俺達は、そろってベッドの上に倒れこんだ。


 全員、ほとんど同じタイミングで猛烈な睡魔に襲われていったのは、偶然じゃない。

 それだけ、暖かいベッドで眠るという行為が、麻薬的に心地よかったのである。


 俺の両腕に抱きつくように、アキラとアカリが。

 その隣のダブルベッドに、興一と於保多さん、ヒデオがそれぞれ川の字になって横になっている。


 その時、俺たちは人生に必要なもの全てを得て、充足していた。



 世界一幸福な睡眠。

 その、次の日の朝。

 自然と目を覚ました俺は、ホテルの備品にあった歯ブラシで歯を磨きつつ、ぼんやりと外の風景を眺めていた。


 むろん、観光目的ではない。

 “ゾンビ”の動向が気になるのだ。


 崩壊後の世界において、二足歩行で歩くものを見かけたら、それは間違いなく”ゾンビ”である。

 この辺は数が少ないとは言え、群れに出くわさないとも限らない。今のうちから、どういうルートで進むか考えておく必要があるのだ。


 ……が。


「――ん?」


 視界に”あるもの”が移って、俺の目は釘付けになる。


 それは、今時珍しい、――生きた人間だった。


 目を凝らし、その姿を注視する。

 見たところ、男が一人、女が一人いるようだ。

 男の手には、……サバイバルナイフ。

 女の手にはどうやら、スコップが握られているらしい。


 とても、それだけで”ゾンビ”たちと渡り合えるとは思えないが……。


――なんか変な魔法使ったり、人間離れして強すぎたりするやつは、基本的にみんな敵だと思ったほうが……。


 光音の言葉を思い出す。

 彼らは……だろう。


 そう、値踏みしながら。


「おにーちゃん……どうかした?」


 目を覚ましたアカリが、声をかけてくる。


「いや。なんでもない」


 なんにせよ、この子たちを危険に晒すわけにはいかないな。


「まだ早いから、しばらく寝てていいぞ」

「ふぁい……」


 その時の俺の頭には、一つの案が浮かんでいたのだった。

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