その124 決裂
「危なかったですねぇ~。お怪我は?」
差し伸べられた手をしっかと握りしめ、俺は立ち上がる。
「問題ない……っす」
「お、意外と元気な感じ?」
すると少女は、くすくすと魅力的な笑みを浮かべた。
「”ゾンビ”に襲われた後って、しばらく足腰がガクガクしません?」
「ああ……わかるよ」
……この、明日香って娘。
ちょっと可愛い。
そこで、“ゾンビ”を仕留めた男が、得物のサバイバルナイフを拭きながら、
「へっへへ! でも、もう大丈夫だぜ。スーパーヒーローのオレっちが来たからにはな!」
運動能力の高い、同年代の青年。
そして、どこか陰のある美少女。
……二人はどういう関係なんだろうか。
「オレっちは今野林太郎だ。よろしくな」
そして、ぎゅっと手を握られる。
がっしりとした、力強い手だった。戦士の指だ。
この数ヶ月、ゲームばかりしてきた俺の指とは違う。
「ああ、よろしく……」
林太郎は、「今後とも仲良くやっていこうぜ」とでも言わんばかりだ。
一瞬、それにあっさりとほだされそうになる……が、まだ、こいつらが味方だと決まったわけではない。
「あんたら、どこから来たんだ?」
少なくとも、根無し草にはみえなかった。
二人とも、ここんとこ見かけた人間の中では清潔な方だし、飢えているようにも見えない。
つまり、どこかにある安全な場所から派遣されてきた可能性が高い、ということだ。
「“雅ヶ丘”ってとこだけど」
「“雅ヶ丘”、……って、
「おうよ」
「理想郷だって聞いたが」
「おお? そんな噂が立ってんの?」
どうやら、初耳らしい。
「……良いとこなのか?」
「まあな。そうなるよう、みんながんばってる」
同時に、俺は二つのことを理解した。
“雅ヶ丘”には、よそ者を追い払わない程度には恵まれた物資がある、ということ。
そしてもう一つ。
外部に対抗するための十分な備えがある、ということだ。
(理想郷、か)
案外、誇張ではないかもしれないな。
▼
林太郎と明日香さんを伴ってホテルに戻ったのは、それから数十分後のことであった。
一応、外出する旨、書き置きを残しておいている。
そのためか、興一はあまり心配していないようだった。
「ややや、おかえりなさいですぞ」
ただ、俺が連れてきた二人組を見て、
「そちらのお二人は? あっ、犬咬どの、ひょっとしてお助けしてあげたので?」
と、余計なことを言う。
「助け、……? いいえ、逆です。みなさんを救助しに来ました」
「ほほう?」
「私たちは、”雅ヶ丘”から来た者です」
「……それマジ?」
「マジです」
「それは僥倖。ちょうど我々はそこに向かっているところだったのですぞ」
「ええ。それは良かった」
そこで興一は、少し顔をしかめて、
「ちなみに……我々は今後、どうなるのですかな?」
「拠点は”雅ヶ丘高校”周辺です。そこまで移動した後、……たぶんみなさんには、近くにあるマンションの部屋が割り当てられるでしょうね」
「なるほど」
「その後、気持ちの整理がついたら、何かの仕事についてもらう必要があります」
「具体的には?」
「いろいろですねぇ。最近は、自給自足の生活を送れるよう、農業を始めていますので。できればそっちの仕事が回されるんじゃないかしら」
「安全で、人を傷つけずに済む仕事なら、なんでもしますぞ」
「それは良かった」
明日香さんが、穏やかに微笑む。
「それと。……そちらのお爺様と子供たちはご家族で?」
「いいや。皆、血のつながりはありませぬ。ただ、同じ釜の飯を食った仲ですぞ」
「なるほど」
「何か問題でも?」
俺の幼なじみは、思ったよりも抜け目のない男だった。
さり気なく探りを入れているらしい。
もし、身体に不自由を抱えている……於保多のおっさんのような人を見捨てるような連中ならば……こちらとしても、移住に一考の余地があるように考えたのだろう。
「いいえ。単純に、ここから移動するとなると、道中、危険だな、と思っただけです。知っての通り、“ゾンビ”以外にも街のあちこちに悪漢が潜んでいますので」
「たしかに」
「トラックを派遣した方がいいかもしれませんねぇ。林太郎くん。いま、空いてるトラックってあったかな?」
「どうだっけ。たしか、紀夫のおやっさんがこっちまで来てるって聞いたけど」
「無線で呼び出せる?」
「ダメ元で試してみるかぁ」
言いながら、林太郎はバックパックから無線機を取り出し、部屋を後にした。
すると興一が、
「少し……我々だけで、話し合いの機会をいただけますかな? できれば数十分ほど」
と、提案する。
「もちろん」
にこやかにそう言って、明日香さんもホテルの部屋から出て行った。
二人が立ち去ったのを確認してから、興一は振り向く。
「どう思いますかな? 二人は信用できるでしょうか?」
「わからんけど、できるんじゃないか。於保多さんのことも、ぜんぜん気にしてない感じだったし」
「……噂は本当だった、と?」
「火のないところに煙は立たぬと言うしな」
「ふむ」
興一は、仲間たちに向き直り、
「みなさんは、どう思います?」
すると、於保多さんは肩をすくめて、
「任せる。ただ、二人とも悪い若者には見えんかったな」
子供たちも、それぞれ考えこんだ後、
「たぶんだけど、犬咬にーちゃんがいるところが、いちばん安全だと思う」
と、応えた。
「光栄だね」
言いながら、俺は結論を出そうとする。
「じゃ、決まりだな。あの二人に着いて行く方向で……」
「ちょっと待った。犬咬どの」
「ん?」
「もう一人、話を聞いていない相手がいますぞ」
「……いたっけ、そんなの」
すると興一は、ため息混じりに”勇者”のヘルメットをコツコツと叩いた。
「ああ~」
光音か。
「もちろん、忘れてたわけじゃないぜ」
と、言い訳混じりに呟く。
いまいち、彼女の状況認識能力を疑ってかかっていたのかもしれない。
何せ、生きて、歩いている人間と違って、彼女は死者なのだ。
(それでも一応、意見を聞いておくべきか)
そう思って”勇者”のヘルメットを被る。
と、
――おwwwwwwwまwwwwwwwwwえwwwwwwwww
という、草を生やしまくっているとしか思えない声が聴こえてきた。
「ん? どうかした?」
――いいかげんにwwwwしろよwwwwwなんであたしのwwwww意見をwwwww真っ先にwwwww聞かないwwwww
「ああ、すまなかった。うまいタイミングが見つからなくってな」
――トイレいくふりして、こっそりヘルメット被るとかできたでしょ!
「……その手があったか」
――あほーっ!
二人と接触した後は、あれこれ情報を聞き出すことに集中していたのである。
とても、光音の話を聞くところまで考えが回らなかった。
「で、なんかまずいことでもあるのか?」
――説明の前に、いまさっき取得した二人のステータス出すよ。
「え?」
なまえ:きみの あすか
ジョブ:どれい
ぶき:かいぞうスコップ
あたま:なし
からだ:ジャージ
うで:なし
あし:うんどうぐつ
そうしょく:ゆりのかみかざり
ステータス
レベル:5
HP:19
MP:12
こうげき:21
ぼうぎょ:11
まりょく:10
すばやさ:19
こううん:22
なまえ:こんの りんたろう
ジョブ:どれい
ぶき:ナイフ
あたま:きいろいバンダナ
からだ:がくせいふく
うで:なし
あし:うんどうぐつ
そうしょく:ぎんのネックレス
ステータス
レベル:5
HP:21
MP:10
こうげき:20
ぼうぎょ:12
まりょく:11
すばやさ:23
こううん:18
「……え? んん?」
首を傾げる。
よくわからん……が。
二人とも、常人に比べてかなり強い気がする。
……いや、それより。
「なんだこの、”どれい”ってのは」
――ええっとね。この世の中には、いろんなジョブがあってね。“勇者”とか“戦士”とか。……その他に、”奴隷使い”ってジョブが存在するのよ。
「どれい……?」
その、反社会的な響きに息を呑む。
――あの子達、その”奴隷使い”ってジョブの”プレイヤー”に《隷属》スキルを使われてる。
「そんな……!」
俺は、思わずベッドの隅に座り込んだ。
「あの二人が?」
――うん。……正直こっちは、キミがよくわかんない芝居を始めたあたりからずっと、戦々恐々してたんだよ。
”よくわかんない芝居”というのはつまり、彼らの実力を測るため、”ゾンビ”を引きつけた一件のことを言っているのだろう。
だが言い訳させてほしい。
距離が離れていると”勇者”の力は使えなかったし、ヘルメットを装着した状態で二人に接近するのは、あまりにもリスクが高かったのだ。
あの状況では、ああするのが最も効率的に思えたのである。
「しかし……」
――おーっと、ここで新情報ゲット!
「は?」
――ドアの外にいる二人の会話を盗聴したわ。……これから流すわよ。
「盗聴……? お前、そんな器用な真似もできたのか」
――いいから聞いて。
光音がそう告げた、次の瞬間だった。
ヘルメットから聴こえてくる音が、何倍にも拡張されて、……指向性のマイクが音を拾うように、二人の話し声が聴こえてくる。
▼
『……まり、あの犬咬ってヤツは怪しいってことか?』
『ええ』
『でも、なんで?』
『勘』
『か、勘って……』
『一応、根拠はあるよ。普通の人間なら、ここまで生きてきただけで、ギリギリの状況なはず』
『かもな』
『でも、彼らは
『まあそーいや、珍しいっちゃ珍しいな』
『あれは、まだ心に余裕のある人たちだと思う。そして、この世界で生きていくのに余裕がある普通人はいない。……もし、いるとすれば……』
『……”プレイヤー”ってことか』
『そう』
『グームムムム。しょーじきオレっちには、あいつが悪いやつには見えんのだが』
『それでも、警戒するに越したことはない。そうでしょう?』
『まあ、そうだな』
『紀夫さんとは連絡がついた?』
『ああ。おやっさんは、いまこっちに向かってるところだ』
『じゃ、それまで話を引き伸ばして……』
▼
(なるほど。そうなるのか)
俺は頭を抱えて、自分の愚かさを憎んだ。
(良かれと思ってしたことが、裏目に出る、か)
思えば我が人生、そのようなことの繰り返しな気がする。
「……むむ? どうかされたので?」
ふと気づけば、興一(というか、その場にいた全員が)不安そうな表情を向けていた。
「すまん」
俺はみんなに頭を下げる。
結局、どの時点で判断を誤ったのか、見当もつかなかったが。
ただ、これだけは確かだった。
「交渉決裂だ。……ここを脱出する」
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