その112 駅に住む人々

 地下鉄のホームを抜け、少し階段を昇ると、その先に階段を利用したバリケードが設けられてある。


(さすがに、防御は万全ってところか)


 それをハシゴで登った先に、少なくない人たちがいる居住区域があった。


 状況は……見たところ、あまり良くないように見える。

 みんな顔色が悪い。ちゃんとした食事を摂れていないようだ。

 無理もない。都心には今も、多くの”ゾンビ”がうろついているのだ。その上、郊外に逃げようと思っても、それまでの道のりに大量の”ゾンビ”が待ち構えている、ときている。


(こりゃあ、……ここの人を“救う”のは、ちょっと骨が折れそうだぞ、光音)


 内心そう思いつつ、うんともすんとも言わなくなったヘルメットに視線をやる。


「ねえ、あんた」


 道中、派手な服を着た年齢不詳の女に腕を絡め取られて、


「なんか食べるものくれるなら、一発タダでやらせてあげるけど、どう?」


 だそうで。

 二の腕に、ボインが。


 どう答えればいいかわからずにいると、興一が丁重な手つきで彼女を押しのけた。


「申し訳ありませぬ。彼は吾輩の大切な客人ゆえ」

「ちぇ、なんだいっ」


 金切り声を上げて、その女は背を向ける。

 俺は小声で、


「ここ、あんまり環境が良くないのか?」

「まさしく。このへんの物資はもう既にほとんど残っておりませぬ」

「……? でもここ、赤坂見附だろ?」


 この辺は、前に一度だけうろついたことがある。

 駅の近くにはスーパーもあったはずだ。


「地上には、まだ色々と食べ物が残ってそうなイメージがあるが」

「それはそうなのですが、……多くの”ゾンビ”がうろついていましてな」

「なるほど」


 頷きながらも、苦い表情を作る。


(こうして緩やかに死を待つくらいなら、打って出るべきじゃないのか)


 そういう風に思えたからだ。


 だが、この世の中には、”ゾンビ”を目の前にしても戦えない人が多くいることも理解している。

 弱いことは罪なのか、と問われれば、簡単に答えを出せない問題だ。

 俺だって決して”強い”人間じゃないんだから。


「なあなあ、ライダー。知ってるか?」

「――ん?」


 そこで、ずっと着いてきていた三人組の子供の一人が、にやにや笑いながら言う。

 彼の視線の先には、先ほど俺の腕に乳を押し付けてきた女性の姿があった。


「あのおばさん、“さげまん”ってやつなんだぜ。だからみんなに嫌われてるんだ」


 すると、興一が憮然として言った。


「……こら。子供がそのような言葉を使ってはならぬ」

「なんだよ、いいんちょー。みんな言ってんだからいいじゃん」


 興一は眉間にシワを寄せて、肩をすくめた。


「これですぞ、まったく。教育に良くない空間で困る」

「“いいんちょー”ってのは、お前のアダ名か?」

「うむ。一応、ここでは子守を任せられている身にて」

「お前が子守ねぇ?」

「我輩も不服でなりませぬ。……ささ、こちらへ」


 俺たちは、揃って“駅長室”というプレートが掲げられた部屋に入る。

 中には応接間と思しき空間があって、数人の男が沈痛な面持ちで腕を組んでいた。

 そのうちの一人、――バーコード頭で痩せぎすな男が俺たちを見て、


「……む。高谷くんか。どうだ、丸ノ内線の様子は」

「問題ありませぬ」

「ん? 問題ないはずがなかろう。”ゾンビ”の襲撃は?」

「先ほど、吾輩の無二の親友でもあるこの男、犬咬どのがさっそうと現れ、あの歩く亡者どもを華麗に一掃してくれたのですぞ」

「なに? あの数をか? 爆弾でも使ったのか?」


 俺は肩をすくめて、


「ま、そんなとこです」


 と、雑に応える。


「ほーう。……まあいい。とりあえず、そこに座ってくれ」


 フカフカのソファを勧められ、俺達はそこに腰掛けた。

 瞬間、全身が沈み込むような錯覚に襲われる。


(考えてみれば、こういう柔らかいクッションも久しぶりだな)


 許されるならば、ここで一眠りしたい気分だ。


「子供たちは席を外しなさい」


 バーコード頭のおじさんが言う。

 どうやら彼が、このグループのリーダー格らしい。


「ええーっ。ライダーといっしょがいい!」


 子供の一人が愚図るが、


「早く」


 おじさんの表情に怒りが宿ったのを察して、すごすごと去っていく。


「ええと、……俺、犬咬蓮爾いぬがみれんじって言います」


 一応、改めて自己紹介。

 だが、リーダー格のおじさんはそれに応えず、


「食事は? ……といっても、出せるものも少ないが」

「もう済ませました」

「ならいい」


 と、素っ気ない。


(名乗らないなら、内心“バーコードハゲ”って呼ばせてもらうけど、いいかな)


「では、紅茶でも飲むかね?」

「でも、ここ、物資が残り少ないんですよね? 無理してもらわなくても」

「若い者が、遠慮するもんじゃない」


 バーコードハゲは、つまらなそうに言った。


「犬咬くん、と言ったかな。……君は、何しにここへ?」

「通りすがりです」

「ふむ。では、ここで暮らすつもりはない、と」

「今のところは」


 すると興一が驚いて、


「えええーっ! そんなことは言わずに犬咬どの! 一緒にいましょうよお!」

「高谷くん。……君は少し黙れ」


 ぴしゃりとバーコードハゲの言葉が突き刺さる。

 しょぼんとする興一。


「でも、もし何か手伝えることがあるなら、手を貸すつもりですけど」


 一応、提案してみると、バーコードが皮肉げな笑みを浮かべた。


「ふはっ。いや、失礼。……今のところ、人出は足りてる」


 いくら鈍い俺でも、とりあえず歓迎されてないことくらいはわかる。

 このグループを任せられる身としては、これ以上食い扶持が増えられても困る、ってところか。


 ……だが。

 少し、妙に思えた。

 こういう閉鎖的な状況に陥ってしまった場合、若い人手はあればあるほどいい、と、相場が決まっている。

 人手があるということは、それだけ物資を確保するチャンスにも恵まれるということだからだ。

 ”ゾンビ”は恐ろしい。

 だが、しっかり連携の取れた人間の敵ではないことも事実である。


「君、親御さんは?」

「二人とも仕事で海外です。いまはフランスの方に」

「ほう。それは運が良かったじゃないか」

「どうでしょう。案外、向こうだって安全じゃないかもしれない」

「そうかもな。他に親戚などは?」

「放任主義なんで。頼るあてもない一人暮らしです」

「なるほど、なるほど……」


 そこで、暖かい紅茶が目の前に差し出された。

 あろうことか、砂糖まで用意されている。


 ごくり、と、喉が鳴った。

 暖かい飲み物を目の前にするのは、ずいぶんと久しぶりなのだ。


(一度遠慮しといてなんだが、供されたものは飲むのが礼儀だよな)


 心に棚を作りつつ。

 俺は紅茶に砂糖をたっぷり淹れて、口に含んだ。


 …………。

 ………………。

 うおお。

 ちょっと泣けるほどウマい。

 紅茶って、こんなに癒される飲み物だったんだな。


 熱い飲み物を嚥下すると、全身に火が点ったようになる。


「ごちそうさまです。うまかったっす」


 率直に礼を言うと、


「そうかね。礼にはおよばん」


 バーコードハゲは、そっぽを向いた。

 ……このおっさん、何が起こってもつまらなそうな表情になってしまう病気か何かじゃないのか。


「ところで君、武器のようなものは携帯しているか?」

「武器? ……ああ、”ゾンビ”を倒した時に使った?」

「無論だ」


 俺は少し悩んだ。

 ヘルメットの一件、口で説明したところで信じてもらえないだろうな。


「先ほど、私もあの群れを見たが、……簡単に対処できる数じゃなかっただろう? 銃でも持っているのかね? あるいは、手投げ爆弾の類とか」

「ええと、そういうんじゃないです」


 言いながら、俺はヘルメットを手に取る。


(説明するより、見せたほうが早いだろ)


 そう思って、それを頭に被ろうとする……が。


「あっ……」


 俺は間抜けにも指を滑らせ、それをテーブルの上に落としてしまった。

 がしゃん、と、派手な音を立てて、カップがぐしゃぐしゃに割れてしまう。


「うわ、すいません……」


 苦い想いでいっぱいになる。

 ただでさえ歓迎されていないのに、こんなポカをやらかすとは。


 とりあえず立ち上がり、カップの破片を拾おうとする。


「――ぐっ? ……ん?」


 しかし、まるで足腰に力が入らず、その場にがくりと膝をついてしまった。


(……あれ?)


 そして、思考が一気にぼやけていく。


「……なっ、ななななな、犬咬どのォ!?」


 驚いた声を上げたのは、興一だ。


「ま、まま、まさか! 犬咬どのを、――に……」


 いきり立つ友人の姿が見える。

 バーコードハゲは、それに対して何事か言っているように見えたが。


「…………――………――」


 よく、聞こえない。

 全身の筋肉が弛緩しかんする。

 俺は、がくん、と、その場で横になり、


「ばかな! 彼は………――……!」

「――! …………!」

「――、――……」


 そこからの意識はなかった。

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