その85 佐嘉田さん
泥のように眠っていた私は、ノックの音で目を覚ましました。
「おーい! ”グリグリメガネ”ー! いるかぁー?」
佐嘉田さんの声に呼ばれて、のっそりと立ち上がります。
「ほえーぃ……」
言いながらドアを開くと、
「う……え……」
佐嘉田さんの、凍りついたような表情。
「う、うわ! す、すいません! 部屋間違えました!」
慌てて、彼はドアを閉めようとしました。
それを遮って、
「え? 佐嘉田さん?」
言って、自分の声の異変に気づきます。
なんていうか。高いっていうか。
男声じゃなくなっているっていうか。
恐る恐る、自分の身体を見ます。
おっぱい。おっぱい。
そして、佐嘉田さんの引きつった表情。
「う、ぎィェァあああああああああああああああああああああッ!」
お色気シーンにおいて、あまり女の子キャラが出さないような濁った悲鳴を発して、私は叩きつけるようにドアを閉めました。
外からは、
「あれ? でも、確かにこの部屋だって……あれ、あれ?」
という声。
私は素早く“バケネコのつえ”を握って、「男になれ!」と念じます。
そして、身体が変化したことを確認してから、ボロボロの上着をゴミ箱へ。
「おっす!」
笑顔で、再度顔を出します。
佐嘉田さんは額を抑えて、
「……お前、魔法で姿を変えられるってマジだったのか」
微妙な表情を作ります。
「あ、誰かから聞いたんですか?」
「織田さんから。”見た目に騙されるな”って」
「あー……」
茶髪の彼は、頭をがしがしと掻きむしり、
「くっそ。なんか調子狂うな」
「何かご用で?」
「あー、いや。ええと……そうだ。これ」
押し付けられたのは、成人男性用のシャツ。
「必要だと思ってな」
「あ、ありがとうございます」
実際助かりました。男の姿とはいえ、半裸で歩きまわる羽目になるところでしたから。
「それと……あー……その。昼飯、な? 一緒に行かんか、と思って」
言いながら、耳まで真っ赤になる佐嘉田さん。
時計を見ると、十一時すぎ。
ぜんぜん気づきませんでしたけど、いつの間にかこんな時間になっていたんですねー。
「べ、別にその、嫌だってんなら構わんけど……」
昨日までの、強引で快活だった佐嘉田さんはどこへ。
やはり、正体がバレてしまったのがまずかったんでしょうか。
「ええ、喜んで」
「そ、そうか? ……あ、いや、無理はするなよ? ほんとに」
明らかに意識していることは間違いなく。
せっかくお友達になれそうでしたのに、ちょっと残念ですね。
シャツを着替えて、部屋を後にします。
肩を並べて歩いていると、ようやく調子を取り戻したらしく、
「あ、そういや俺、ここでの仕事、決まったわ。みんなの服とか、そういうのを世話することになった」
「服?」
「一応俺、元クリーニング屋だからな。……今となっちゃ、あんま人の役に立たない技術だけど」
「そんなことありません。立派な仕事じゃありませんか」
「そうか?」
「服は洗濯したてに限ります。一時期、しばらく着替えずに過ごした時期がありますが、あの時は常に身体を掻きむしっていた気がします」
「だよな?」
百点満点の笑顔を浮かべて、佐嘉田さんは笑いました。
「今更になって俺、あの仕事が結構好きだったんだって気付かされたよ」
「それは何より」
「ところで……お前、メガネはどうした?」
「失くしました」
「じゃあ、もう”グリグリメガネ”って呼べねーな。……なんて呼べばいい?」
「どうぞ、お好きに」
「そういや俺、お前の名前知らないぞ。本当はなんて名前なんだ?」
私は、少し視線を逸らして、
「……権兵衛です」
「嘘つけ。お前、本当は男じゃないって……」
「まあ、そんなの、どうだっていいじゃないですか」
「なんでだよー。教えてくれよー」
うーむ。
私、自分の名前あんまり好きじゃないんですよねー。
「これまで通り、”グリグリメガネ”とお呼びください」
ので、誤魔化します。
「……ま、それならそれでいいけどさー」
唇を尖らせつつ、佐嘉田さんがため息を吐きます。
「そーいや、この後お前、どーすんの?」
「少し航空公園に顔出しして、……その後、帰ります」
「帰るって、どこへ?」
「自宅? 的なところ?」
頭に浮かんでいたのは、もちろん”雅ヶ丘高校”でした。
「そっかー……」
佐嘉田さんは、少し残念そうに言います。
「ケータイも通じなくなっちまったからな。そーなると、しばらく連絡取れなくなるなー」
「まあ、また来ますよ」
やりっぱなしでここを放っておくのも無責任な話ですし。
「お、そっか? じゃ、その時は必ず声かけてくれよな!」
「ええ……」
今後は、ここと航空公園、それに彩葉ちゃんが助けた人たちとの間でも、物資・人員のやり取りができるようになるでしょう。
みんなで協力すれば、”ゾンビ”どもに対する反攻作戦も立てられる気がします。
内に閉じこもってばっかりじゃ、いずれジリ貧になることが目に見えていますからねー。
そろそろ、反撃に出てもいい頃合いかと。
うん、うん。
この調子で頑張れば、夢のゲーム三昧ライフも、そう遠くないですな。
そんなことを考えていると、佐嘉田さんが小声で、何事か呟きました。
「……ん? 今、何か?」
「は? いや? 何も言ってねーし?」
なら、いいんですけど。
……今、「改めて見ると、こいつけっこー可愛いな(ゴクリ」とか。
そういう、不審な言葉を聞いた気がしますが。
気のせいですよね、うん。
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