第5話「閑話休題.1」

僕、柳一成はごくごく平凡な家庭に生まれた。

母はスーパーで働いて、父は銀行員だった。

母は仕事を辞めるつもりは無く、育児休暇を取って僕を育ててくれた。

父は仕事一辺倒な人であまり積極的に育児に参加してはくれなかった。

だからだろうか。

母と父の間には日に日に深い溝が出来ていった。


夜泣きをする僕をあやしてくれる母に「さっさと泣き止ませろ」と枕を投げる父。

休日、母が買い物に出かけている時に僕が泣くと父は耳栓をして自分の部屋に篭もってしまう。

食卓に並ぶ時、僕が上手に食べられずに口周りに食べかすを付けているのを見て「汚い」と一言吐き捨てた父。

しかし、そのどれも、僕は知らない父だった。

僕が物心付く前、確か一歳になった時ぐらいだった。

両親が離婚を成立させた。

親権は母が貰ったらしい。

僕は父の顔を覚えていない。

写真でもあれば思い出せるかもしれないが、生憎母が全て捨ててしまった。

残っているのは少しだけ。

少ない写真だけでも僕は大事にしたいと思った。

だって僕と、僕を育ててくれた母との、大切な思い出の欠片なのだから。



離婚してから、母は僕を育てる為にその身を削った。

仕事を重ねて、家に帰っては幼い僕の面倒を見て、仮眠を取って、仕事に行く。

この生活を何年繰り返したんだろうか。

幼い僕は寂しがり屋で、母が家に居ないと寂しくて泣いていた。

それでもある時を境に僕は泣かなくなった。

確か、小学二年生ぐらいの時だ。

その日、僕は学校で算数のテストの答案を返してもらった。

今まで、五十点取っていたら良い方だったのが、今回は八十点だった。

嬉しさのあまり僕はその日の帰り道、スキップをしていた。

家に帰って食器を洗って、洗濯物を取り込んで、宿題をこなしていた。

鼻歌を歌いながら、僕は母が帰って来るのを今か今かと待ち侘びていた。

「……おそいよ」

しかし、八時を過ぎても母は帰って来なかった。

いつもなら七時頃には帰って来ていた。

僕は心配になりながらも、家からは出られず、只母の身を案じていた。

お腹が空くのも我慢して僕は椅子に座って母の帰りを待った。

しかし幼い僕は時々船を漕いでは目を擦る、と言う作業を繰り返していた。

九時になっても母は帰って来なかった。

僕は遂に食卓に突っ伏して眠ってしまっていた。

母は帰って来なかった。



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