二日目

 誰も許さない。誰もここからは出さない。誰もここに立ち入ることは出来ない。誰かがそう絶叫するかのように。海は猛烈に荒れ狂っていた。塔を押し潰そうとでもするように、激しく風が吹き付けている。たった一日。天候が落ち着いた昨日だけ。僕らは食料と宝物を拾い上げることができた。本当に幸運だったな。


 ダグが我慢できなかったこと。誰かが俺の運命をいじっている……確かにそうだ。僕らの運命はもてあそばれている。でも、それに逆らったところで時は流れ、僕らは変化する。僕らの望んだ未来は、島にいてもいなくてもそのまま叶えられることはないんだろう。僕らは運命の波間に浮かんで、その時々の幸運と不運をついばんでいる。さあ、起きようか。


◇ ◇ ◇


「おはよう、リファ」

「クーベ、おはよう。なんか体の節々が痛いわ」

「運動不足だよ。あんなんで筋肉痛起こしてたら、先が思いやられる」

「なによー」


 リファが、ぷっと膨れた。


「おはよー、クーベ、おねえちゃん」


 お、トマスも起きてきたな。


「顔洗ったか?」

「うん、いずみの水がつめたいよう」

「まあ、冬はしょうがないよ。あれでも、海の水よりはずっと暖かいんだから」

「そっかなあ」

「さあ、座って。朝飯を食っちまおう」


 三人で、キッチンとの間をうろうろして朝食の準備を済ませる。ダグと違って、トマスはよく手伝ってくれるからありがたい。


 外の大嵐の轟音で、食事をしていてもなんとなく落ち着かない。会話も弾まない。トマスは椅子から垂らした足をぶらぶらさせて、食事が終わった後もしばらくスプーンをいじり回していた。それから、僕に向かって聞いた。


「ねえ、クーベ。きょうは外に出ちゃだめ?」

「出る気がする?」

「しないけど」

「吹き飛ばされるよ。今日は塔で大人しくしてて」

「そうだよね……」


 がっかりしたように小さな溜息をついたトマスが、皿を台所に片付けに行った。きれいに空いたテーブルの上に肘を乗せて、三人でぼんやりする。部屋の中に響く暴風の音と、窓枠のがたつく音。そして、時々甲高くはぜる薪の音。声が途絶える。嫌な沈黙だ。がたつく窓をじっと見ていたリファが、突然振り返って僕に催促した。


「昨日の夜の話。続きは?」


 トマスも椅子を寄せて、僕の顔を見つめる。そう、昨日はみんな疲れてたから、僕の説明は大きなチャンスを手にしたっていうところで止まってる。それが島を出るっていうことに関係しているのは、二人とも分かっているはず。リファが聞きたいのは、どうやって……のところだろう。

 話をするのは簡単だ。でも、それは僕のことではなく、リファとトマスのことになる。僕がではなく、二人に選択を意識させることになる。だから、本当は僕からは言いたくない。自力で、容赦なく襲い来る事実に気づいてほしいんだ。だけど、それはまだ無理だ。僕がまだ僕であるようにね。


「ねえ。リファは僕がここを出たあと、どうするの?」


 トマスがいきなり泣きそうな顔になった。リファは俯いてじっと考え込む。僕がこの話を振るのは初めてじゃない。ダグが出てトマスが来た時に、話を切り出してある。その後も、僕の方から何度かリファの意向を聞いてる。リファは迷ってる。ダグみたいな強い意志は、まだリファにはないから。


 この島での暮らし方を覚えた。非力だけど、素直でよく手伝ってくれるトマスが来た。もしかしたら、僕がいなくてもなんとかやっていけるかもしれない。まだ結論を出したくない。怖い。うん。気持ちはよーく分かる。これまでの住人は、みんなそうだったから。失った過去以上のものを、未来に見いだす自信がない。だから淡々と今を積み重ねる。僕だって、時間制限がなかったらそうしていたい。今まで、そうやってきたんだし。でもね……。


「ねえ、リファ。現状を維持するって言うだけでも、すごく大変なのは目に見えてる」

「……どうして?」

「不確定な要素があまりにも多すぎるからさ。難破船、島の動植物。どっちにも当たり外れがある。僕がいる間は、何かあってもできるだけやり過ごせるようにって必死に備蓄してきたけど、これからもそれが出来るっていう保証は、どこにもないよね」

「うん……」

「前にやってみせたけど、アザラシやアシカを仕留めるのは、リファには無理だ。あれは大人の男が二人以上ってのが前提なんだよ。そうすると、毛皮や肉、脂が手に入らない」

「うう」


 リファの顔がみるみる青ざめていく。


「食べ盛りのトマスのペースに合わせると、これから食料が足りなくなってくる。僕は、トマスに釣りや篭罠の使い方を教えてきたけど、まだトマスには修理が出来ないし、漁のコツを知らない。海に出られない日が多い冬に、それを教え込むのは無理なんだ」


 しゅんとしちゃうトマス。おまえのせいじゃないよ。リファが下を向いたまま、小声で僕に問いかける。


「じゃあ、わたしはどうすればいいの?」

「それは、リファ自身が考えて」


 リファは、また黙ってしまった。今までも、ずーっとそれの繰り返しなんだ。ふう……。


 僕は目を瞑って、荒れ狂う嵐の音に浸る。それは、リファとトマスの動揺と葛藤の音。決心に、まだ時間がかかるのかなあ。僕に残された時間はどんどんなくなっていくのに。でも、僕が導いたんじゃ意味がないんだ。リファが自分で考えて、自分で決心しないとならない。そして、選択肢は二つしかない。残るか。出るか。それだけだ。

 僕は、リファがどっちを選んでも構わない。さっき僕が言ったこの島に残る困難さよりも、この島を出て、何も予想できない、約束されてない世界へ旅立つ不安の方がずっと大きいんだと思う。


 今までも、そうして時間切れになって、絶望だけを背負ってここを出た住人が多かったのかもしれない。でも僕は、それに口を挟める立場にはない。だから選択への示唆を求められても、それには答えられない。僕には、リファの人生の責任を取れないからね。トマスには、まだ自分の生き方を選ぶ権利がない。リファの選択に、自動的に付いていくことになる。だから、心配しなくていいよ。リファは、そういうところはしっかりしてるから。


「僕は、昨日言ったよね。選択の幅が広がったって」

「うん。でも意味がよく……」

「ダグの時は、船があった。でも、リファとトマスには船がない。島を出るって決めても、その手段がなかったんだよ」

「あっ」


 リファが小さく叫んだ。


「これまでは、みんな一人で島を出てる。ダグでさえそうだ。船が……支障だったのさ。みんなが乗れる船がなかったのが、ね。それがこの島の意地悪いところ」


 トマスが首を傾げて聞いた。


「いじわるなの?」

「そりゃそうでしょ。僕らを取っ捕まえて離さない。そうして、ばらばらにして突然放り出す」

「うー」

「偶然か、島が油断したのか、それとも島が仕組んだのか。そんなのは僕には分かんない。でも、僕らが少し大きな船を作る材料は手元に来た。あとは。リファがどう考えるか、だけさ」

「……」

「まあ、よく考えて。これまでも考えてきたんだと思うけど、僕の残り時間は確実に短くなってる。時間切れになっちゃったら、僕はもう手伝えないから」


 立ち上がって、話を打ち切る。これ以上僕が何か言うと、それがリファを引きずることになるからね。


「地下倉庫を整理してくる。昼ご飯支度する時呼んで」


 そう言って。黙って俯いてるリファと、おろおろしてるトマスを残してダイニングを出た。


◇ ◇ ◇


 倉庫の整理をしていて埃塗れになっちゃったので、泉に降りて体を洗う。


 ごしごし。ごしごし。ごしごし。前にリファと作った石けんが役に立ってる。肌のくすみが取れて、地肌がきちんと見える。僕は、それをじっと見つめる。

 変わってきた。僕は変わってきた。僕は、今までの僕でないものに変わりつつある。見逃さないように、これまでも注意深く見つめてきた変化。今までは、大きな変化はなかった。だから僕は安心できた。でも、今は違う。僕は、毎日変わって行く。その時に向かって、確実に変わっていく。


「あれ?」


 背後でリファの声がした。


「どうしたの?」

「いや、倉庫の整理で埃かぶっちゃったから、体洗いに来たんだけど」

「その割には、うっとりと自分の体を見つめて」


 リファが半ば非難するようにそう言って、服を脱ぎ始めた。


「そんなんじゃないよ。リファこそ、どした?」

「昨日、汗をかいたから体を洗おうと思ってたんだけど、疲れて寝ちゃったから」

「ああ、そうか」

「後で、トマスも洗ってあげないと」

「あいつは、寒いのはやだって逃げそうだな」

「全く、こらえ性がないんだから」


 ぶつくさ言ったリファが、僕の横で桶の水を被った。ざばっ!

 それから、僕と同じように石けんで丁寧に髪と体を洗っていく。


 さて、僕は昼ご飯の準備をしよう。タオルで水を拭き取っていたら、顔を上げたリファに聞かれた。


「あれ? クーベ。なんか少し丸くなったんじゃない?」

「……そうかもね」

「太ったの?」

「いや、そういうんじゃないと思う」

「え?」


 リファはまだ何か聞きたそうだったけど、僕はそれを振り切って階段を上がった。


「先に、ご飯支度してるから」


◇ ◇ ◇


 昼ご飯の前に、リファに捕まったトマスが泉に連行された。まあ、真冬に水浴びしたくない気持ちはよく分かるけど、臭くなっちゃうからね。すっかりご機嫌斜めになったトマスが、暖炉の前に張り付く。


「こんなにさむいのにさ。むりやり水かけることないじゃないかあ」

「寒いのはしょうがないよ。冬だからね」

「でもぉ……」


 トマスは暖炉の前でぶつぶつ言い続ける。


「なんかいやなことばっかだ。外には出られないしぃ、水あびはさせられるしぃ、出てけって言われるしぃ」


 おいおい。僕は手を止めて、注意する。


「トマス。最後のはちょっと違うな。僕は出てけって言ったことはないし、言ってもそれは意味ないよ。僕はここの神様じゃないんだからさ」


「でもぉ、さっきぃ……」

「ああ、あれね。トマスが自分で生き方を決められるなら、残ろうが出ようが構わないよ」

「生きかた?」

「そう。一人でどうやって生きるか決められるならね」

「ううう」

「トマス。まだ時々、リファに添い寝してもらってるだろ?」


 しゅんとなったトマスが、渋々頷く。


「まあ、そりゃあ仕方ないんだよ。まだトマスは子供だからさ」


 きっと顔を上げたトマスが、むきになって反論した。


「ぼくはこどもなんかじゃないっ!」

「子供だよ」


 僕はあえて、目で諭す。トマスが落ち着くのを待って、続きを言った。


「知識も、経験も、意思も。何もかも足りない。そしてそれはトマスだけのことじゃない。トマスの年でおとなって方がおかしいんだよ」

「……うん」


 急に神妙になった。


「なあ、トマス。僕もリファも、トマスくらいの年にはそうだったんだよ。自分はおとなだ、おとななんだと思い込もうとする。それは、おとなになるための大事な階段さ。ちゃんと上がらないとならない。でも、思い込みじゃいけないんだ。足らないところは、思い込んでるだけじゃ埋まらない。ちゃんと自分で埋めないとならない。分かる?」


 ちょっとべそをかいていたトマスが、こくんと頷いた。僕は、台所から鍋を持って出た。それをテーブルの真ん中にどんと置いて、リファに声をかけた。リファは、僕とトマスとのやり取りをじっと聞き続けていた。


「リファ。君もそろそろ階段を上がった方がいい。一番肝心なところ。そこが弱くて、君も子供のままなんだよ」


 僕の言葉に唇を噛み締めるリファ。


「分かるでしょ?」


 皿を持ってダイニングに来たリファが、ゆっくり頷いた。


「意思、でしょ?」

「そう」


 僕は椅子に座る。それから、リファとトマスを見て。


「一つだけ言っておくね。君らは自分の意志で自分の未来を追える。でも、僕にはその選択肢はない」


 うろたえたリファが、慌てて聞き返した。


「ちょ、ちょっとクーベ。それどういうこと?」

「文字通りだよ。僕がどんなに望んでも、僕には定められている以外の未来はない。だから、僕がどんなに強い意志を持っていたところで、それは僕の未来に関わらない」


 リファが気色ばんだ。


「ど、どうしてっ! どうして、クーベはそんなに悲観的なのっ!?」


 悲観的、か。


「そうだね。悲観的かもしれない。でも、僕は一方でそれを待ってたからね」

「え?」

「それは、僕がここを出る時に分かる。それまでは、言いたくない」


 リファもトマスも。僕が顔を伏せて、悲しそうにそう言ったことがショックだったのかもしれない。悲しい。本当に悲しい。でも、それを踏み越えて行くのが僕に課せられた試練なんだろう。そう思うしかない。そう思うしかないんだ。


 僕は、外で荒れ狂う風の音を聞く。そして、それが自分に当たる姿を思い浮かべる。


 びゅううううう。びゅううううううううう。


◇ ◇ ◇


 夕方になって、ようやく嵐が収まった。塔に閉じ込められてうんざりしていたトマスが、ボートを確かめると言って外にすっ飛んで行った。まあ、あの年頃でじっとしてろと言う方が無理だ。戻ってきたトマスの報告によれば、波打ち際にあった破片はほとんど流されちゃったけど、引き上げたボートはちゃんと残っているらしい。僕は、それを聞いてほっとする。


 夕飯の後、リファに聞かれる。


「ねえ、クーベ。あのボートが船って言ったけど、あれは壊れてるんでしょ?」


 ああ、そのことか。


「もちろん。もし無傷だとしても、ボートはひっくり返りやすくて扱いが難しい。リファたちには無理だよ」

「ふうん……」

「あれで使えるのは、マストと帆。特に破れてない帆はすっごく貴重なんだ」

「そうなの?」

「シエロがカヤックを作った時も、推進力は手しかなかった。帆を張りたくても材料がなかったし。それじゃ航路を自由に決められないし、能率が悪すぎる。マストを立てて帆を張れば、かなり遠くまで自力で行けるからね」

「えと。ボートは操作が難しくて、でもポールと帆は使うんでしょ? どんな船?」

「筏だよ。空き樽を浮きにして沈みにくくする。それに舵を付け、帆を立てて操船する。ロープは木を組むのに絶対必要なんだ」

「あっ! それで、興奮してたんだ」

「そうさ。そんなのセットで揃うことなんか、あり得ないと思ってたからね。トマスの持ってる運は、大したもんだよ」

「はあ……そっかあ」


 昼間、ぺしゃんこに潰れていたトマスのプライドは、今の僕の褒め言葉で、またむくむくと膨らんだようだ。そう。その方がいい。全てを前向きに。全ての持てる力を束ねて、揃えて。一人一人の力が中途半端でも、それを補い合って。下を向くな。前を向こう。ダグにはダグのやり方があった。僕らは、僕らなりのやり方で進まないとならない。立ち止まっていても、その時は来てしまうのだから。さて。


「じゃあ、僕は休むね。明日は天気が回復すると思う。薪を拾いに行くから、手伝って」

「はあい!」


 トマスの元気な返事とは裏腹に、リファはまた思案の海深くに潜っていったようだ。いつ。嵐が過ぎるのかな。今は、待つしかないのかな。


 僕はもう一度声をかけた。


「リファ、お休み」


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