第5話 拝月教①

 無名都市の東の外れ。僕達が命懸けの戦いをした開発予定地区とは、駅を挟んでちょうど反対側に、拝月教の施設は存在する。


 関わり合いになるなって言ったのは、あの魔女じゃなかったっけ?


 ともかく、魔弾に撒き散らされた手持ちの服の中から無事な物を見繕い、アスキスに言われるまま教団に見学を申し込んだ僕は、退屈なセミナーを受けている。


 20人程度収容できる会議室に、折りたたみ式の机とパイプ椅子が整然と並べられている。夕方の遅い時間に施設を訪れ、そのまま見学を許可されたのは良いが、ほかの見学者もいない中、一人で教団のPRビデオを見せられている状況。なんとも居心地が悪い。翠月祭やらという儀式の準備に忙しいらしく、案内してくれた女性信者は僕を残して退室している。ドアの外からは絶えず人の行き来する足音が聞こえてくる。


 月詠と名乗る代表の語る話は、月に係わる古今東西の神話を継ぎ接ぎしたような陳腐な内容で、間違っても感銘を受ける類の物ではなかった。月の満ち欠けと人体のバイオリズムの関係など、似非科学に基づく生活習慣の提案や、月の光を利用した自己実現のレクチャーに至っては、そういった知識に乏しい僕からしても、手垢の付いたオカルトレベルにしか思えない。


 気になったのは、巫女と呼ばれる少女、ソーマの言葉だった。


「あなたは緑の月を見たことがありますか?」


 褐色の肌の、アーリア系の特徴を示す顔立ち。ゆるくウェーブする豊かな黒髪に、額には緑色の装飾――ティラカという物らしい。10歳になるかならないかの少女の語る神話は、張り付いた笑顔の中年男性の語る説話よりも、よほど引き込まれる物を感じた。


 本物の月と重なって存在する緑の月。満月の夜にだけ現れるそれから零れる雫は、不死の霊薬アムリタ。口にすれば緑の月の神と一つになり、悩みからも苦しみからも解放されると説く。その手には淡く翠に光る液体の入った小瓶。


 そういえば、儀式の開催を告知するポスターがびっしり貼られた施設ロビーの片隅で、薄紅色の液体の入ったボトルが販売されていた。「アムリタ」と記されたラベルが張られたそれは、色が違うが同じような効果がある物だろうか? ビデオ視聴時にお茶代わりに出されたが、気味が悪いので隙を見て窓から捨てた。


 アスキスは「緑の月を見た者は狂気に囚われる」と言った。世界各地で起こった、関連性の無いはずの衝動殺人で、全く同じ証言が残されていると。そして、数年前から同様の事件がここ無名都市で数件起きているとも。加害者はどれも責任能力を問えないレベルの精神障害者だが、そのほとんどに通院歴が無く、事件は決まって満月の夜に起きているという。


 本当だろうか? 巫女が語っていた内容と符合しすぎて、事実を確認できないままでは、拝月教を揶揄する都市伝説めいた物にも感じてしまう。アスキスの指示は「行って見て来い」という漠然とした物だった。何を見つければ良いのだろう?


 ビデオを見終わり、会議室を後にする。施設内は明日の夜に備えて慌しい状態だ。このまま勝手に歩き回っても怪しまれないかと考えていたら、


「Freeze! 頭を吹っ飛ばされたくなけりゃ、動くんじゃないさ!」


 背中に硬いものを突きつけられ、文字通り身動きを封じられる。

 頭? 心臓じゃなくて?


 場違いに食欲をそそる香辛料の香りが漂う。

 どこまでが本気か計りかね、ゆっくり両手を上げながら、恐る恐る背後を伺ってみた。

 

 ガンマン……いや、ガンウーマン……か?


 長い髪をポニーテールにした若い女がそこにいた。西部劇で見るような、皮のベストにウェスタンブーツ、ご丁寧にレザーチャップスまで穿き込んでいる。腰にはガンベルト。そして何より、右手にはごつい6連弾層の銃。左手に抱えた紙袋からは、芳しい香りを放つカレーパンが覗いている。

 思わず脱力したが、間違いない。こいつが僕らを襲った魔弾の射手だ。


「……僕をどうするつもりですか」

「うん? あー……どうすっかな……」


 嬲るような焦らし方ではない。本当に先の事を考えずに銃を突き付けたのか? 軽く眩暈がしてきたが、対応次第では無事に切り抜けられる可能性があるという事か。文字通り、トリガーを引くような――引かせるような――行為をしなければ。


「お帰り、お姉ちゃん」


 馬鹿みたく立ち尽くす僕達を救ってくれたのは、廊下の奥から駆けて来た一人の少女だった。


 まだ7つか8つといったところか。褐色の肌の、アーリア系の特徴を示す顔立ち。ゆるくウェーブする豊かな黒髪に、額には緑色の染料で描かれた装飾。身を包むシンプルなデザインの白のワンピースが、健康的な肌の色を際立たせている。


 顔中に浮かべていた笑顔が、僕の姿を認めると、微かな戸惑いを経て、探るようなはにかみに変わる。


「誰なの?」

「奏氏。無有奏氏」


 少女のくるくる変わる表情に引き込まれて、僕は素直に応えていた。


「はじめまして、私はソーマ。お姉ちゃん、興味のない人無理矢理つれて来ちゃダメだって、いつも言ってるじゃない」


 あー、とかうー、とか不明瞭な唸り声を上げて、少女に対する言い訳を考えていたらしい女は、慌てたように紙袋を差し出す。


「そんな事よりソーマ、チャダの店でカレーパン買って来たぞ!」


 そんな事よりって……。この人は頻繁に他人に銃を向けているのか? 僕の扱いは、何やらうやむやになりつつある。


 少女は歓声を上げて、受け取った紙袋を覗き込んでいる。周囲に広がる香辛料の香り。カレー専門店の物なのだろうか。午後3時を過ぎた頃だというのに、朝から何も口にしていない事を思い出す。


「お姉ちゃん、買いすぎ! またあるだけ買い込んできたの!?」


 呆れたようなソーマの声。袋の口からサクサクの生地が覗いているから、恐らく20個ほど詰まっているのだろう。


「わたしは一つでお腹いっぱいなのに」

「ソーマは細っこいから、もっと食べなきゃ駄目さ。それに、売り切れ御免の人気商品なんだから、ある時に買わないと損ってもんさね。どうせ月詠の財布だし」


 気楽に言い切る銃使いに、少女のお小言が始まる。お姉ちゃんはどうしてそんなに経済観念がないの、お財布にあるだけ使っちゃうクセ直さないといつかたいへんな目にあうよ、教祖さまのこと呼び捨てにするのはダメだよと、言われっぱなしのガンウーマンは見る見るしょげ返る。……どっちが年上なんだか。


 このまま逃げ出せないかと、そろりそろりと後ずさりで出口に近付いていた僕の腹の虫が、派手に鳴る。銃使いに小言を並べていたソーマの目が僕に移った。大きく見開かれた丸い目に、なぜか赤面。


「おやつにしようか」


 満面の笑みでの提案に、僕は逃げる機会を失った。


            §


「それじゃあ、魔女の仲間って訳じゃあないんだな?」


 薄紅色の水の中、白い水着に身を包んだソーマが浮かんでいる。


 マンゴー入りのスウィート・ラッシーとカレーパンを振舞われた後、ソーマの日課だという瞑想に付き合っている。地下に作られたプール――といえば聞こえは良いが、奇妙な事に側面はガラス張りで、四辺それぞれ15m程、水深5mのそれは、水槽というのが本当の所だろう。今は僕達の他に人はいないが、こんな所で観察されながら泳ぐソーマは、一体どういった存在なのだろう。


「……目の前で人が殺されかけているのを、無視出来なかっただけです」


 ガラス面の横に設置された、作り付けのはしごを登った先。狭いプールサイドに据えられた、テーブルを挟んでの銃使いの念押しに、正直な気持ちを応える。


 お人好しだねぇと、呆れたようにため息を吐くと、銃使いはビーチベッドに身を沈めた。


 武内海南江たけうちかなえというのが彼女の名前らしい。本人は銃を構えて「あたいの事はセブンライブスと呼びな!」と決めていたが、ソーマにむやみに銃を振り回しちゃ危ないでしょ、とたしなめられてすぐにホルスターに仕舞った。


 ……本当に、どっちがお姉ちゃんなんだか。

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