第4話 魔弾の射手②

 激しく回転する魔弾は風を、僕の掌を抉り撃ち抜く。当たり前だ。弾丸を手掴みに出来るはずが無い! 避けようも無い位置に弾丸を目視し、頭髪が逆立つのを自覚する。背後のアスキスがありったけの力を注ぎ込んだ風で逸らさなければ、そのまま頭を撃ち抜かれていただろう。


 上方に逸らされた魔弾は、青い光の弧を描き軌道を変える。恐怖と激痛に蹲りそうになるも、踏み止まる。魔女が盛大に血を吐くのを目にしては、耐えてみせるしかないじゃないか。


「ごめん……しくじった」

「……もういい……さっさと逃げやがれ」

「今更無理だって」


 耳障りな金属の叫びがユニゾンになる。2発目だ。魔女を仕留め切れない事に業を煮やしたか、あるいは僕を殺すための弾丸か。どちらにせよ傷付いたアスキスが、速度の違う2発の魔弾から逃げるのは不可能だ。


「もう一回!!」


 叫んで構え直す僕を、アスキスがどんな表情で見ていたのかは解らない。呆れた目なのか、馬鹿を見る目か。感動の類でない事だけは確かだろう。それでも、黒衣の魔女は僕に賭ける事に決めたらしい。再び風がまとわり付くのを感じる。加えて、魔弾に対する向かい風。もはや風で壁を構成するレベルの、魔術的な指向選択が叶わないほど集中力が落ちているのか。


 2発の魔弾は僕の胸部――正確には、僕の背後のアスキスの心臓――を狙って襲い掛かる。まだツキは残っている。頭部を狙われたら対処の仕様が無かった。


 風のおかげで、ギリギリ反応できる程度に速度を落とした魔弾に、両腕を突き出す。辛うじて捕らえた弾丸を、勢いに逆らわぬままに誘導。


 風の圧力と僕の腕、胸。


 魔弾が魔女の心臓を撃ち抜くために、破らなければならない障壁。


「ルールー!!」


 そのわずかなタイムラグで充分だったらしい。アスキスの叫びに応え、僕の眼前に現れたモノが2本の触腕を差し伸ばす。虹色のシャボン玉のようなものを弾けさせて現れたそれは、一見ぬいぐるみのライオンの頭のように見えた。つぶらな黒い瞳を持ち、柔らかそうな繊毛からイカに似た長い2本の触腕を生やしている。見ようによっては、どこか可愛らしく見えなくもない。


 風の壁と掌から二の腕までをたやすく貫き、現在進行形で僕の胸を抉っていた魔弾に、それの触腕が絡み付く。当然のように僕の胸の中に、遠慮無く腕を突っ込んでいる形になるのだが、こいつは一応僕を助けようとしているんだ。文句を言う場面じゃない。痛みを感じるのか、くるるる? と可愛らしく鳴き声を上げるルールーに、僕は肺から溢れる血を零しながら笑いかけてやった。


 背後からはアスキスの低い呟きが聞こえてくる。僕の知らない言葉だ。


 肺臓を磨り潰していた2発の魔弾が、触腕を絡めたまま背中を突き破るのを感じる。


 魔弾の死のユニゾンと、魔女の詠唱が終わるのは同時だった。


「……ルールー……喰っちまえ」


 アスキスの言葉に触腕を引き抜くルールー。まるで僕への気遣いが感じられない。支えを無くして前のめりに突っ伏す僕を尻目に、使い魔は細かい牙の並ぶ口の中に、光を失った鉛玉を放り込んだ。


 痛さを通り越して熱しか感じない。乏しい医療知識を総動員して、肺を潰されても生きていられたか否か、思い出そうと努力する。……思い出さないほうが良いのかもしれないが。弱々しく呼吸するたびに口から血が溢れる。息苦しくて仕方ない。


「……根性あるじゃないか」


 蒼白を通り越して、土気色の顔をしたアスキスが覗き込む。手や足じゃなく、肺も再生出来るの? 口の動きで必死に伝えようとするも、聞き取ろうとしている様子も無い。癪なので、その位置に立つと下着が丸見えだとは、教えてやらない事にする。


 3発目の魔弾が襲って来ませんように。そう祈りながら、僕は意識を失った。


            §


(楽しんでいるな)


 そうでもない。痛い目ばかりだよ。


(名付けざられしものは、砕かれても尚可能性を有している)


 あの娘の可能性じゃないかな。


(いずれアキシュ=イロウの試みと交わる事となる)


 選択されるって事だね。


 巫女でもないのに、なぜ戦うのだろう――混沌の中、フルートの音色に合わせ、舞い踊りながら遠ざかる道化を見送りながら、ふと思いを馳せる。


 

 球状に雲が押しのけられた蒼穹。舞い降りて来る白い羽根に手を伸ばし、折れた指で必死に握り締める。


 繰り返される凌辱。痛い痛い痛い怖い痛い怖い怖い怖い痛い。尼僧服の女が笑っている。


 青いスニーカーのほうが良かったのに。欲しい物はいつも手に入らない。


 初めての敗北。肉に食い込む鋼の感触。それなのに奴は、嬉しそうな素振りも見せずに淡々と。


 ママ、ごめんなさい。ごめんなさい。


 無限に続く回廊。無数に存在する扉。選択を間違えれば、死よりもおぞましい運命が待ち受ける。


 枯れ木のような老婆。埃臭い本の山。必ず見返してやる。人の顔を持つ鼠がせせら笑う。


 右腕から絶え間なく異形を産み出し続ける牧師。彼の苦悩と後悔を知っていようが、引き下がる理由にはならない。


 か細いフルートの音が響く。滅びかけている迷い仔。お前に名前を付けてやろう。決めた。今からお前は――


 どこかで見た顔。人間になりたがっていた、あの子に似ている。


 黒い本を携えた男。肋骨を思わせる不気味な意匠の服。肩に張り付く浅黒い肌の老人。内臓を引き摺る、上半身だけの。目には怯えと深い狂気。


 差し伸べられる白い手。優しい笑顔。闇の中の銀の月。大切な。とても大切な。


            §


 薄暗い中目が覚めた。鉄の臭いがする。夢の内容が急速に拡散し、直前まで自分が置かれていた状況を思い出し跳ね起きる。

 どうやら建築途中の建物の中らしい。まだドアの付いていない入り口から、夕日が差し込んでいる。


 掌を見ると、派手に開いていた穴が見当たらない。胸も同様。残念ながら服はズタボロのままだったが。思い出すと吐き気が込み上げてくるが、体調は悪くない。さすがに魔女。大きな口を叩くだけの事はある。


 ふと気付くと、すぐ隣でアスキスが眠っていた。寝息がかかるほどの距離に狼狽し、呼吸を忘れる。微かに開いた柔らかそうな唇。けぶるようなまつ毛。悪い夢でも見ているのか、柳眉はひそめられている。


「もう嫌だ…………痛いの怖いよ……」


 うなされる少女の子供っぽい呟きに、急速に頭が冷える。当たり前だ。どんなに気丈に振舞っていようが、撃たれれば血も出るし死にもする。怖くないはずないじゃないか。僕と同じく、ドレスの破れ目から覗く脇腹の傷は塞がっている。土気色だった顔色も、蒼白程度には回復している。


「……助けてよ……銀貨……」


 汗で張り付いた前髪を整えてやろうと伸ばした手を止める。僕より先に白く透き通る細い指が、アスキスの金の髪に伸ばされるのに気付いたからだ。


 天使が存在するならこんな姿なんだろうか。顔を上げると、白い羽根が舞い落ちる中、銀髪の少女がそこにいた。

 目覚める前に見ていた夢の欠片が浮かびそうになり――像を結ぶ事無く弾けて消えた。


 うなされるアスキスの傍らに座り、その細い髪を丹念に梳く。愛おしげに。悲しげに。

 白い羽根は舞い降り続ける。文字通りの意味で透き通るようだった彼女の口元が、羽根と共に霞み消え行く寸前、微かに動くのが見て取れた。


 儚く消える少女に手を伸ばそうと無意識に身を乗り出した瞬間、喉笛を握り潰さんばかりの強さで掴まれる。


「何だ、欲情したのか?」


 獣の瞳をしたアスキスと目が合った。


「レディの寝顔をじろじろ見るのは失礼だって教わらなかったか? まさか寝込みを襲うつもりだったんじゃないだろうな?」


 深く静かに激怒している。確かに、気付くとアスキスに圧し掛かる体勢になっている!?


 息が詰まる。弁明するにも、これじゃあ声を出せる訳がないじゃないか。窒息する以前に喉仏を潰されたら、せっかく拾った命もここまでだ。


「働きに免じて今回だけは見逃してやる」


 僕の目顔での弁解が伝わったのかどうなのか、鼻を鳴らして喉に絡めた指を解くアスキス。起き上がり手早く身を整える。


「代わりにもう一働きして貰うか……」


 咳き込みつつも、今目にした光景を話すべきなのかを迷っているうちに、黒衣の少女は話を進める。


「そうだな……あたしは面が割れてる。お前ちょっと行ってこい」


 何処にですか!?


 腰に手を当て、夕日に向かい顎をしゃくる。

 頬に残る涙の跡を除けば、アスキスの表情は再び魔女の物に戻っていた。

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