第12話 神を狩るもの

「まだだ! 私は未だ何も目にしていないぞ!」


 教団施設の屋上で宮坂が叫ぶ声が響く。


「いあ・いあ! あきしゅ=いろう! 私に、私だけにこの先を見せてくれ! お願いだ!」


 慟哭にも似た祈りを込めて、哀願する白衣の男。ポケットから取り出した翠色の小瓶を飲み干し、神に手を伸ばす。


 ああ。この人は智ってしまった神が怖くて怖くて。

 神そのものになりたかったんだな。


 ただ真っ直ぐに狂った宮坂の願いが通じたのか。緑の月アキシュ=イロウは、その偽足を白衣の科学者に差し伸べた。


 歓喜に震え、神の手に縋り付く宮坂。だが、その表情は筆で刷いたかのように掻き消され、翠に輝く偽足は男をゆっくり取り込んだ。


「選ばれてもいない人間が、神に触れてタダで済むわけ無いだろ」


 哀れむような魔女の声。


「……宮坂さんは?」

「アキシュ=イロウに意識を吸収され、溶けて拡散したんだろ」


 アスキスは、セブンライブスに縋り泣き続けるソーマと緑の月を見比べて、何か思案している。しばらく動きの無かった緑の月は、その姿をゆるゆると変え始める。薄く広く。無名都市の上空に、翠に輝く海が出現した。ハスターが旋回しながら風で落下を押し留めているようだが、合間を縫って偽足を伸ばし、倒れた信徒達を拾い上げて行く。


「めんどくせえな」

 舌打ちする魔女。


「どうなってるの!?」

「あのおっさんの願いが少しは叶ったて事だろ……だとすると少々面倒だな」


 ぽつりぽつりとだが、アムリタの雫が落ち始める。迂闊にも触れてしまった僕は叫び声を上げた。緑色の触手に頭の中を掻き回され、隅々まで蹂躙される感覚。さっきのアムリタに取り込まれた時は、人間であるソーマが仲介したからあの程度で済んだのか。


 痛い。冷たい。おぞましい。


 今夜二度目でなかったら、そのまま狂気に囚われていたかもしれない。たった一滴でこれ程の影響を受けるのに、今や街全体を覆い包むほど広がったあの翠の海が、豪雨と化して落ちてきたら――


「緑の月の神の実験は、巫女を失った時点で失敗とみなして良いよな?」

 

 頭を抱え蹲る僕に、アスキスが問い掛ける。


 何の話だ? 何で僕に訊く?


(……………………)


「よし、それじゃあこれは後始末だ!」


 困惑する僕を尻目に、一人で納得したゴスロリの悪魔は邪悪な笑みを浮かべ、その左手でがしりと僕のこめかみを掴む。


「痛い! 痛いってば!」


 僕の上げる抗議の声をまるで聞かず、アスキスはどこか愉しげに叫ぶ。


「そんじゃあ派手に行くぞ!」 


 僕の脳内にアスキスの意識が潜り込み、凌辱を開始する。


 

 黒い沼。

 深海都市。

 髑髏の壁。

 凍て付く山。

 赤錆た廃都。

 砂漠を歩む葬列。

 吊るされた無数の遺体。

 紅い月に吼える、三つ脚の黒い獣。



 僕の脳裏を走る、様々な滅びのイメージ。

 知らない世界の終末の姿のはずなのに、何故だかその総てが懐かしく、愛おしかった。


 アスキスが緑の海に右腕を振りかざすと、神だった存在はあっけなく砕け散り、そのほとんどは地上に辿り付く前に黒く腐り落ちた。


「アスキス! ……腕が」

「うん? ああ」


 差し伸べた右腕も肩口から腐り落ちているが、さして気にした様子も無い生返事が返ってくる。


「さすがのあたしでも、神は滅ぼせない。砕いただけだ」


 振り返り、不敵な顔で笑ってみせる。


「右腕一本でそれが叶うなんて安いもんだろ。なあ、奏氏」


 白く輝く月の下、異形の残骸が舞いながら破片を捕食している。その翼からは、輝きを増した純白の羽根が撒き散らされる。


 舞い降る羽根の中、月影に浮かぶ異形の少女を眺めながら。

 僕はどうしようもなく、この小さな魔女に心奪われている事を自覚した。

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