第7話
模様に意味があると知ったニューランは、タペストリーに織り込まれた柄の一つ一つを指し、これにはどんな意味があるのか、いつ頃から伝わっているものなのか、色の組み合わせはどうか、昔から決まっているパターンは他にもあるのか等々、思いつく限りを夢中でラナー聞きまくった。
テレプシコーラを宿に置いたままだということすら忘れているようだったので、後で恨み言を言われそうだとは思ったものの、俺の耳も答えを欲していた。黙って二人の会話に集中する。
ラナーも、話すのが楽しいのか、ハンドルを繰る手を止めることなく、ニューランの問いかけに答えてゆく。もっとも、彼女が知っている事柄は限られていたけれども。
四本目の撚りを終わらせたラナーは、さすがに疲れたのか、肩を叩いて大きく息をついた。
「さぁ、これで今日の分はお終い。こんなに沢山おしゃべりをしたのは随分と久しぶりね。ありがとう、楽しかったわ。明後日には仕上げをするから、また来てちょうだい」
ラナーに礼を述べ、彼女の家を出る頃には、すっかり日は高くなっていた。
そのときになってようやくテレプシコーラの存在を思い出したニューランは、たった今聞いたことを忘れないうちに留めなきゃと叫んで、一人で走って行った。眩しい太陽の下、日除けのフードも持っていなかったのに、だ。
その背を見送った俺は、ゆっくり歩きながら、ラナーに聞いた話を反芻する。
義手に使われていたラバーブの弦と、表面に描かれた文様――ケマルの意図と意志が、俺の内で、徐々にはっきりとした形をとりはじめる。
そうして考えながら宿へと戻る道の途中、緩やかな丘の頂上に差し掛かったところで、俺はふと足を止めた。
幾つかの建物が身を寄せ合う集落の中を、山から野を渡る風が抜けてゆく。
その光景を見ているうちに、なんだか妙に馴染みがある光景に思えてきて、俺は内心驚いた。
俺の生まれ育った場所とはまるで違うはずなのに、どうしてそんなふうに感じるのだろう。
この村に入って三日目。少し見慣れてきたせいもあるが、本当にそれだけなのだろうか。
青空の下、遠くを見やれば、村への道中に目標にしていた山の頂が見える。峰々は、今日も変わらず陽光を反射して、白く煌めいていた。
あの麓には、村から出稼ぎに行った大人たちが暮らす街がある。そこは、どんな空気と音に満ちているのだろう。
俺の街は、始終何かが溢れていた。狭い場所で古い機械が轟音を轟かせていて、決して多くはないけれど密集した建物の中、人々は常に寄り集まって息苦しそうに
今にして思えば、彼らはきっと、外の世界が怖かったのだろう。
特に、大崩壊時代をいまだ記憶に留めている世代にとっては、わざわざ外界へ出るなんて行為は狂気の沙汰でしかない。
俺自身、外に出た初日の夜に感じたことをよく覚えている。
はじめて体感した、耳が痛くなるほどの静寂――荒野と化しただだっぴろい場所で、自分という存在がとても小さくひ弱であることを、否が応でも認めさせられ、外に出たことを後悔もした。
だが、翻るオーロラの下、集落の明かりを遠目に確認したときの安堵感と、少々面倒くさい奴だが、道中の連れ合いがいるという安心感に随分と助けられた。
一体いつから俺達は、静寂を、暗闇を、孤独を恐れてきたのだろう。どうやってそれらを克服してきたのだろう。
この村だけでなく、世界の端々に残る光景は、そういった大昔から繋がる細い糸や息吹を思い起こさせる。きっと、それが古い記録として刻まれた脳を刺激して、妙な郷愁を抱かせるのだ。
そしてニューランは、そういった痕跡をひとつひとつ拾い集め、なんらかのカタチにしたいと考えている――ラナーが織ったタペストリーのように。
ニューランの説明によると、それらは今現在俺達が使っているような言語ではなく、もっと古い時代の言葉、声そのもので語られたものだという。
楽器に乗せて語るというよりも、自身も楽器となり、一体となって音を響かせ、紡ぐのだ。
アーダムのものだというラバーブは、はじめて聞く俺に、たった一音だけでも強烈な感触を残した。アスタリウム結晶による増幅効果のせいだとしても、全てを通して演奏したなら、どれほどの威力を発するのか。
とても想像がつかないし、できたとしても最上級の刺激であることしかわからないが、ともかく俺は、なんとしてもケマル氏考案の義手を完成させて、ウタを聞けるようにしなくてはならない。皆のためにも、俺自身のためにも。
村へと視線を戻すと、宿の側、村人が共同で使っている井戸に、ナジがいるのを見つけた。
マーリカの手伝いなのか、古い小さなポンプを懸命に動かし、水を汲んでいる。
再び歩を進め、宿へと向かう。
近づく俺に気付き、ナジが顔をあげた。その額には、うっすらと汗が浮かんでいる。
「やあ、ナジ」
声をかけると、ナジはまたはにかんだような笑みを浮べ、小さな声で「こんにちは」と返した。
足元の木桶には、半分ほどの水が溜まっていた。ポンプが小さいせいなのか、それとも井戸の水位が低いせいなのか、あまり汲み上げ効率はよくないようだ。子供の力では、ましてや片手しか使えないナジでは少々骨の折れる作業だろう。
「代わろうか?」
俺の申し出に、ナジは首を振った。
「ううん、大丈夫。一人でできるよ」
「そうか」
俺が井戸から少し離れた地面に腰を下ろすと、ナジは水汲みを再開した。
金属の軋む音と、地下から汲み上げられが水が桶で立てる水音と、少年の息遣い。周辺に飛び散った水で湿った土の匂い。時折、風に乗ってやってくるのは、離れた野で草を食んでいる羊の鳴声と、それを追っているアリー達の口笛だ。
「ナジ。聞いてもいいかな」
「なに?」
「
俺の質問に、ナジは首を傾げた。
「ウタはウタだよ?」
「いや、そういうことじゃなくて」
俺は頭をかいて唸った。
そんな俺を見て、ナジが一層不思議そうな顔をする。
どう言ったものかと考えていると、ナジは水を汲む手を止めた。
俺の隣へとやってきて、同じように腰を下ろす。
「ねぇ」
「ん?」
「ジウが手を作ってくれたら、僕もラバーブ弾けるようになるんだよね? アリーみたいに、馬にも乗れるかな?」
そわそわと、少し心配そうな目をして、少年は俺を見上げる。
「あのね。小さい頃なんだけどね、僕、夜がとても怖かった時期があってね。そんなとき、アーダムがラバーブを弾いてくれたんだ」
もじもじと恥ずかしそうに、小さな声だったが、ナジの言葉は止まらない。
「指で弦を弾きながらなんだけどね、音にあわせて唄ってくれたんだよ。まだ本当に小さい頃だったから、どんなことを唄っているのかはわからなかったけど、でも、それを聞いていたら、なんだかとっても胸があったかくなって、安心して眠れたんだ」
そうして、にかっと笑う。
「とってもいい曲だから、ニューランに教えて、弾いてもらうんだ。ジウもきっと好きになると思うよ」
「それは楽しみだな」
俺がそう言うと、ナジはもう一度笑った。
「なぁ、ナジ。ウタは好きかい?」
「うん」
少年は頷く。
「アーダムのことは好きかい?」
「うん!」
俺の問いかけに、ナジは大きく頷いた。
「そうか」
俺がナジの頭をくしゃくしゃとかき回すと、ナジはきゃっきゃと声を立てて笑い転げる。それがあまりに楽しそうだったから、俺もつられて一緒に笑った。
そして、二人で水を汲み終わった桶を持って、マーリカの待つ厨房へと向かった。
マーリカの手伝いをナジを共にし、結局まとめてとることになった朝食と昼食とを済ませる。
ニューランは部屋に篭ったきりで、顔を見せなかった。大方、テレプシコーラに向かってブツブツ呟いているのだろう。
「大丈夫かしら?」
その姿を見たのか、マーリカが不安そうに、奴のいる部屋を天井越しに見遣る。
「いつものことだから、心配要りませんよ。何だったら、後で俺が部屋まで運んでおきますから。それより、ナジ」
「なに?」
「ちょっとこの椅子に座って、左の腕を見せてくれるかな。新しい義手を作る前に、君の腕のサイズを知りたいんだ」
「わかった」
ナジは素直に頷き、俺の示す椅子に腰かけると、躊躇することなく袖を捲くった。
ほどよく日に焼けた右腕と違い、長い袖に隠れていた左腕は少し細く頼りなく見えた。下腕の中間あたりから先は無く、その先端は綺麗に閉じている。先天的な欠損のようだ。
腕周りと肩口から肘までの長さ、腕のどの位置で義手を固定するかを考えながら採寸をする。ナジは時々くすぐったそうにしていたが、俺の作業を終えるまで大人しく椅子に座ったままじっとしていた。
「お父さんが作ってくれた手、使ったことある?」
「うん。何回か、試しで作ってくれたやつを着けて、動かしたことあるよ」
「そうか。じゃあ、多分大丈夫だ。基本は同じにするつもりだからね。でも、慣れるまでは少し時間がかかると思うんだ。沢山練習が必要になるかもしれない……大丈夫かい?」
義手を装着しても、すぐにラバーブが弾けるとは限らないのだと、遠まわしに伝える。が、ナジは少しも落胆した様子は見せなかった。それどころか、却ってやる気を刺激されたらしい。
「平気!」
頬を上気させて力強く返事をするナジに、傍らで見守っていたマーリカが目を細めた。
採寸を終えた俺は、作業に入るからと言って食堂を後にした。もちろん、ニューランに食事を運ぶのも忘れていない。
マーリカが用意してくれた煮込み料理とパンを乗せたトレイを片手に、部屋の扉をノック――はせずに、そっと開いて室内の様子を窺う。
案の定、ニューランはベッドに座った格好のまま、小さなテレプシコーラを抱えてブツブツと呟いていた。周辺には、途中でとったメモとおぼしき紙片と、記録媒体である結晶を封じたカートリッジが散乱している。
こういうときに迂闊に声をかけて、彼の作業を中断させてはいけない。俺は、邪魔しないように静かに部屋へと入ると、ニューランが振り返れば目に留まるであろう場所にトレイを置いた。そして、同じように静かに部屋を出た。
狭く長い廊下を進み、作業部屋として与えられた納戸へと戻る。
机の上では、ケマル氏の義手が昨夜分解したままの姿で俺を待っていた。
外装を外されて一層軽くなったそれを手に取り、眺める。
要所要所に埋め込まれた小さな結晶が、窓からの明かりに反射して、澄んだ空にも似た色を煌かせている。
「……よし、はじめるか」
誰に言うとなしに呟いて、俺は作業台に向かった。
採寸した寸法をもとに、新しい義手の設計図を書き起こす。
何しろ、これは繊細な細工と趣向を凝らした逸品なのだ。大体の構造は理解したとはいえ、おいそれと簡単に復元できる代物ではない。
それに、骨格の寸法が変われば、動かすための力加減も変わってくる。腱一本、歯車ひとつ、絶妙な張力とバランスとを保たなければ、それらは機能してくれない。
俺は昨晩部屋中を漁るついでに掻き集めておいた素材を目の前に並べ、手にとっては重さとサイズを確認し、図面に何度も線を引いては直しをくり返した。
そうやって夢中で図面と格闘をすること数時間。徹夜疲れも重なって、遅れてやってきた眠気が俺の頭を侵食しはじめようとしていた、そのときだった。
扉をノックする音に、俺の意識は呼び戻された。
「ジウ、俺だ。入ってもいいか?」
アリーだ。羊の世話を終えて、戻ってきたのだ。
気付けば、窓から射し込んでいた陽は完全に移動し、室内はずいぶんと暗くなっていた。
「いいとも。入ってくれ」
俺は返事をしながら、机の隅に置きっぱなしだった結晶ランプを灯した。
扉を開けて室内へと足を踏み入れたアリーだったが、一瞬驚いたように目を見張った。
「やあ、アリー。おかえり……どうした?」
アリーの困惑するように動く目線を追って、俺はようやくその理由に気付いた。
ニューランと二人がかり、一晩中室内を漁ったのだ。マーリカが丁寧に掃除を続けて保管してきたであろう部屋は、すっかり見る影もなくし、あらゆるものがそこら中に散乱しているという有様だった。
「悪い、後で片付けとくよ」
「いや、それは別に構わない。ただ……」
「ただ?」
アリーの言い淀んだ部分が気になるので促すと、彼は照れくさそうに苦笑した。
「……ケマルが戻ってきたみたいだって、そう思っただけなんだ」
そう言って、頭をかく。が、すぐに俺に向き直ると、
「それより、姉さんから聞いた。俺に頼みたいことがあるって?」
「ああ、そうだ。そうだった」
俺はあらかじめ用意していた小さな紙片と、幾らかの金を詰めた小袋をアリーに手渡した。
「実は、街まで行って、ここに書いたものを買ってきて欲しいんだ」
受け取ったものと俺の顔を交互に見ながら、アリーが怪訝そうな表情をする。
「買い物なら、もうじき
「わかってる。でも、必要なものが欲しいだけ買えるとは限らないし、注文したとしても、仕入れまでに時間がかかるろう? だったら、直接街へ行った方が手っ取り早い」
「それもそうだ」
アリーは頷き、紙面に目を通した。
「塩と石綿に、小型の炉とその燃料か。それと……天星石の屑石?」
リストを読み上げるアリーの肩眉が跳ね上がる。「そう。ただし、最低でもこのくらいのサイズが欲しい」
言いながら、俺は右手の親指と人差し指を丸くして、大きさを示してみせる。普段、村の皆が使っているランタンに使用しているものに比べると、倍以上の大きさだ。
「それを、買えるだけ買ってきてくれ。代金は、今渡した分で足りるはずだ」
「使える結晶じゃなくていいのか?」
「それだと、一個買っただけで金が無くなっちまうよ」
「ジウ。もし足りなければ俺たちが――」
「いや、それには及ばない」
俺は慌ててアリーの言葉を遮る。
不服そうな視線を寄越すアリーに、俺は付け足して言った。
「屑石を使って、試したいことがあるんだ。成功するかどうかは、やってみないとわからないんだけど」
顎で示す先には、ケマル氏が遺してくれたアイデア帳が乗っていた。
実は昨晩、隅々までを読んでいて見つけたページに、とても興味深いことが書いてあったのだ。これが本当なら是非試してみたいし、成功すれば義手の制作だけでなく、村の生活にもきっと役立つはずだ。
そう考える俺の横で、アリーは暫くの間、亡き義兄の遺したアイデア帳を見つめていた。が、やがて口を開くと、ぽつりと呟いた。
「ケマルがいつも何を考えていたのか、俺にはさっぱり理解できなかった……」
アリーは一旦口を噤む。が、やがて意を決したように息を継ぎ、俺に向き直った。無骨な浅黒い顔の中から、意志の強そうな一対の瞳が俺を見つめる。
「……けど、あんたの言うことなら、間違いはないと思える。わかった、明日の朝一番にでも行ってこよう」
「ありがとう、アリー。頼んだよ」
「ああ、任せてくれ」
アリーが立ち去ってまた一人になった途端、大きな欠伸が漏れた。忘れていた眠気が、ここに来て一気に襲い掛かってきたのだ。
図面の方はほとんど出来上がったし、今日はもう店じまいをしてもいいだろう。
借りている部屋に戻って一眠りしようかとも考えたが、まだニューランが頑張っているかもしれないと思うと戻り辛い。
あの様子では、俺の運んだ食事にも手をつけないかもしれない。夕食の時間になったら無理にでも引っ張って行くか、それともいっそ、気の済むまで方っておいた方がいいのかと、ぼんやり考える。
夢中になるものを目の前にすると、文字通り寝食を忘れてしまうのがニューランだ。もっとも、俺もそれに近い部分はあるのだが。
性格はまったく違うはずなのに、そういう所は似た者同士。じわっと滲み出る苦笑をこらえながら、俺は机上のランタンを消した。
曇った窓ガラスから差し込む夕暮れ時の光が、納戸に眠っている品々の輪郭を浮かび上がらせる。
俺は、足元に転がる物をうっかり踏んだり蹴躓いたりしないように注意しながら、窓辺へと寄った。
暮れゆく空は、大きなキャンバスのようだった。赤と藍の絵の具を両端から流して、混ざり合う境界では虹にも似た膜がうっすらとかかっている。
夜の領域には、ちかちかと瞬く星が姿をみせはじめ、遠い山向こうに見える雲は陰となって、そこだけ黒い染みのような具合になっていた。
記憶が正しければ、窓が向いている方角は、アーダムの家の方向のはずだった。
俺は闇色に染まりつつある世界に目を凝らし、アーダムの家を探す。だが、徐々に弱まる陽の光では、到底見つけられそうになかった。
しかしその一方で、向こうからはこちらがよく見えているはずだった。でなければ、わざわざ厚いカーテンで窓を塞いだりはしない。
階下からは、また村人が食堂に集いはじめた気配が上ってきた。
あたたかな火を囲み、気心知れた仲間と食事をして、酒を飲み交わしては日々の労働を労う――それは、何日も、何年も、何世代も続いてきた営みだ。そして、これからもきっと、変わらず続いていくはずだ。
ほとんど見えなくなってきた夜の向こう、ひとりぼっちのアーダムは、あの小屋の中で何をしているのだろう?
何を想っているのだろう?
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