第6話

 それから俺達は二人で義手の構造と製作の助けになるものを調べ続け、概ね理解した頃には日が昇りきっていた。

 マーリカが朝食の支度が出来たと呼びに来たとき、ニューランはケマル氏のアイデア帳を抱えたまま壁にもたれて寝こけていた。日中、ナジに村中をあちこち引っ張りまわされた疲労のせいもあるだろう。

 俺も疲れてはいたが、しかし頭の方は興奮で冴えていた。ケマル氏の遺してくれたもののおかげで、義手自体はどうにか作れそうな感触を得ていたからだ。

 しかし、まだ大きな問題が幾つかあった。

 そのひとつは、調律だ。

 どの石がどの音階と呼応するのか、アイデア帳と描かれた図と実物を前にしても、音楽に明るくない俺にはさっぱりわからないのだ。

 もっとも、その点については自称音に詳しいニューランに任せるしかない。俺がやるべきことは、まずはとにかく新しい義手を拵えることだ。細かい部分は、そのときにまた考えればいい。

 下の階では、また村人が集まって食事をしている気配があった。アリー達はすでに済ませ、羊の番をしに出かけたらしい。

 頼みたいことがあるから、戻ってきたら顔を出してほしいとの伝言するついでに、俺はマーリカにたずねた。

「ラバーブ用の弦なんですけど、どこかに予備はあります?」

「弦? そうねぇ……」

 マーリカが顎に手をあてて、考える素振りをみせる。

 俺はケマル氏の部屋を探すだけ探してみたが、制作に使用したと思われる革などは残っていても、弦の予備だけが見当たらなかったのだ。

「多分、アーダムの家にならあると思うんだけど……」

 彼女の眉が、困った形に下がる。しかし、あの偏屈な青年の様子では、恵んでくれと言って訪問しても、追い返されるのがオチだろう。

 かといって、手元にある楽器から弦を外して使うわけにもいかない。守備良く義手が出来上がったとしても、肝心の楽器が弾ける状態になければ、作った意味がなくなってしまう。第一、長さが足りないから論外だ。

 どうしたものかと思案しかける俺に、しかしマーリカは続けて言った。

「ラナーおばさんに頼めば、新しい弦を作ってくださるかもしないわ」

 ラナーおばさんというのは、マーリカの大叔母にあたる人物で、アーダムの師匠・カリムの妹であり、俺が昨日直してやった糸巻き機を所有する老婆のことだった。

「ラナーおばさんですね? わかりました」

 俺はマーリカに礼を言うと、まだ半分寝ぼけているニューランを抱えて納戸を飛び出した。

「ふぇっ!? 何? 何なのジウ!?」

「あのっ! ジウさん!? 食事は――?」

俺の勢いに驚いたマーリカとニューランが、目を白黒させながら声をあげるが、

「帰ってからいただきます、部屋に運んでおいてください! ほら、ニュー、起きろ! 自分で歩け! 行くぞ! 」

「え? どこに??」

 寝起きでまだ事態がよく飲み込めていないニューランに、俺は言ってやった。

「お前も楽しめるところだ!」


 ――そんな次第で、勢いのまま、糸紡ぎが得意なラナーおばさんのお宅に朝早くから突撃をしてしまったのだが、彼女は嫌な顔もせずに俺達を迎え入れてくれた。

 それどころか、「朝は寒いでしょう」と言って、朝食用の粥と熱い茶も用意してくれた。

 恐縮する俺の隣で朝食をがっつくニューランを前に、しかしラナーはどこか楽しそうだった。

「それで、一体何の御用かしら?」

「ええ、実は、それなんですけど」

 俺がラバーブの弦が必要だという事を伝えると、ラナーは少し驚いたように目を見張った。

「あら、まぁ。まぁまぁ」

 俺の背丈の半分にも満たない小柄な彼女は、独り言を繰り返しながら、首を傾げた。

「でも、どうしてそんなものが必要なの?」

 一体どこからどこまで説明してもいいのかと迷ったのだが、ここでもったいぶっていても仕方がない。俺は手短に、しかし包み隠さず打ち明けることにした。

 途中でニューランも口を挟んだが、ラナーは湯気をたてる茶の入った器を両手で包み込みながら、俺達の話にじっと耳を傾けてくれていた。

「まぁ、そうだったの」

 一通りの説明を終えて一息つく俺とニューランを前に、ラナーは一旦視線を手元に落とした。だが、すぐに顔をあげると、

「だったら、任せてちょうだい。あの子たちの為なら、お安い御用だわ」

 ほっとする俺達が顔を見合わせていると、ラナーが付け足した。

「でも、今すぐというのは無理ね。ちょっとお時間をいただけるかしら?」

「それは構いませんけど……」

 思わず不安そうな声を出してしまった俺に、ラナーはころころと笑った。

「そんな顔をしないで。ほんの数日、待ってもらうだけよ。でもあなた達、運が良かったわね。羊の腸の塩漬け、今日の午後には使っちゃおうと思ってたところだったのよ」

 言って、にっこりと笑う。

「羊の腸、ですか?」

「そうよ。ガットの作り方、ご存知ない?」

 首を振る俺の隣で、ニューランが手を挙げた。

「はいはいはいはい! 僕知ってる! 細ーく割いてから、撚るんですよね! こうやって!」

 両腕を広げ、片方で糸の端を持つような仕草をしてから、残る一方をくるくると回す仕草をする。

 子供のように身振りを交えて説明するニューランに、ラナーが「そうそう、そうよ。物知りさんねぇ」と相槌をうつ。

 だが、ニューランは、はたとその動きを止めて、ラナーに向き直った。

「でも、実際に見たことはないんだ。良かったら、作るところを見せてもらえません?」

「いいわよ。是非、見ていってちょうだい」

 そういえばこいつは学者のはしくれだったと俺が思い出す頃には、とんとん拍子に話が進んでいた。もっとも、それを見越して連れて来たのだから、何も問題は無い。

「じゃぁ、早速、支度しましょうかね」

 席を立つラナーに案内されて、俺達は彼女の家の厨房へと入った。

 ラナーはそのまま奥へと進み、テーブル上に置いてあるボウルを俺達に示した。水を張ったそれを覗き込むと、底には白い毛糸の塊のようなものが沈んでいた。俺達が来なければ、このまま挽肉を詰められて調理されていたであろう、塩漬けにした羊の腸だ。

 一体どうやったら、これが楽器の弦に変わるのだろう。

「これはもう洗ってあるんだけど、念のため、もう一度しっかり洗いましょうね。ここで手を抜くと、後で音に響いちゃうから」

 俺達が興味津々で見ている前で、ラナーは手際よく弦作りの準備を進めてゆく。

 うっかり破いてしまわないように、丁寧に伸ばし、広げ、しごく。こうやって、残っている脂肪や不純物を取り除くのだ。

 根気の要る作業を続けながら、ラナーが呟いた。

「懐かしいわねぇ。昔はよくこうやって、カリムと一緒にラバーブを作ったものだわ」

「カリムさんも楽器を作ってたんですか?」

 俺の質問に、ラナーは目を細めて頷いた。

「そうよぉ。皆、昔は自分で作った楽器を一つは持っていたものよ。それを持って集まって、皆で唄うの」

「どんなことを唄うんです?」

 ニューランが身を乗り出す。

「いろんなことよ。今日の出来事、明日のお天気、それから、沢山の思い出――」

 晴れた日も雨の日も、良い出来事も悪い出来事も、嬉しいときはもちろん、悲しいときも辛いときも、村の人々は唄った。

 心のままに、思いの丈を詩に込めて、楽に乗せ、空と大地の間で声枯れるまで歌い、弦が切れるまで掻き鳴らした。

 時代毎に言葉は変容しても、心を託し、奏で歌い上げる旋律は変わらない。そうして代々受け継がれてきたものが、この村ではラバーブを使ったウタなのだろう。

「さ、これでよし」

 入念に洗われた腸は、摘まんで伸ばしている指が透けてみえるほどの薄さだった。

「ジウさん、ジウさん。全部ラバーブの弦にすればいいの? 義手用のは、細いものもあった方がいいかしら?」

「ええと……」

 俺は少し考えてから、答えた。

「じゃぁ、細いのも一緒にください」

「わかったわ」

 ラナーはそう言うと、ボウルの隣に置いてあった小さな道具を手に取った。腸詰に使うための口金だ。

 洗ったばかりの腸を、これまた破れないように均等に広げながら挿してゆく。ゆうに十メートルの長さがあったものは、あれよという間に拳大の短い筒に収まってしまった。

 そこからどうするのだろうと考えながら見守っていると、ラナーが俺に向き直った。

「ちょっと手を貸していただけるかしら? 私では足りないのよね」

「何が足りないんです?」

「丈よ」

「丈?」

「はい、ちょっとここ抑えててね。そうそう、そうやってて」

 何が何だかわからないまま、ラナーの指示通りに先端に指を添えて待機する。

 と、彼女が十字に交差した不思議な形の刃物を当てた。 

「これね、何だかわかる? みじん切りするときに使う包丁なのよ。ケマルが作ってくれたの」

 いたずらっぽく笑いながら、ラナーが刃先の位置を調節する。

「僕も手伝おっか?」

 さっきから手を出したくてうずうずしていた様子のニューランが、俺の横から顔を覗かせた。

「ええ、そうしてくれると助かるわ。ここ、しっかり抑えててくださるかしら」

「喜んで!」

 ニューランがラナーの示した位置で刃物を固定すると、ラナーは筒に通した先端を少し戻し、刃先にあてた。慎重に数センチほどを引っ張り、一本の筒だったものに四本分の切れ目を入れて、裂く。

「ジウさん、今度はこっち持って」

 綺麗に分かれた先端を託されて、ここでようやく俺は彼女の意図を理解した。

「さあ、一気にいくわよ。合図したら真っ直ぐ引っ張ってちょうだい。いいわね? せぇの――!」

 合図と共に引くと、羊の腸はキュルキュルと小気味良い音を立てながら裂けてゆく。

「そうそう、上手ねぇ。いいわよ、その調子」

 ラナーが手を添えながらズレを直してくれたおかげで、途中で切れてしまうこともなく、最後まで無事にカットすることができた。 

「さ、次よ、次。乾く前にやっちゃいましょう」

 ラナーは四本の紐となったそれを持って、彼女がいつも糸を紡いでいる作業部屋へと移動した。

 俺は昨日、糸紡ぎ機の修理をするために一度訪れているが、はじめて目の当たりにするニューランは、感激のあまり声を失って戸口で固まってしまった。

 色とりどりの糸を使って丁寧に模様を織り込ん織物が、さほど広くない部屋の一面を覆っている。ニューランに言った「楽しめる所」というのは、この部屋のことだった。

 大きな目を一層見開いて織物を凝視していたニューランが、溜息混じりに呟いた。

「心臓止まりそう」

 目にも鮮やかな赤や青、黄色や緑、あらゆる色に染められた糸がふんだんに使われ、宝石箱をひっくり返したかのようなきらびやかなものもあれば、落ち着いた黄土の下地の上に、抽象的な意匠に象られた動植物が織り込まれているものもある。

 この村で見慣れた羊や馬など、家畜だとわかるものもあるが、中には変わった形の角や派手な模様をした翼をした鳥などもいる。本当にこんな動物がいるのだろうかと首を傾げたくもなるのだが、ニューランにとってはまさに宝の一枚だった。

「方舟だ」

 ニューランの感嘆混じりの呟きで、悟る。

 外の世界ではもう二度と見ることの叶わなくなった動植物が織り込まれたそれは、旧き時代からの物語に描かれた世界そのものを描いているのだった。

 そして、それらを取り囲むように綴られているのが、特徴のある唐草模様だった。

 波のように繰り返される蔦と、所々に芽吹く草花のパターンは、マーリカ達村の住人が着ている衣服や、宿の装飾、そしてケマルが作ったラバーブにも義手にも使われているものだ。

「こ……これ、もっと近くで見てもいい?」

 感激に震えているニューランに、ラナーは笑顔で頷いた。

「ええ、どうぞ」

 若い頃に織ったものだから所々拙くて恥ずかしいんだけど、と言いながらも、本人も気に入っているのは俺の目にも明らかだった。

 ラナーは、いつも彼女が糸を紡いでいる作業台へと着いた。

「ねぇ、ジウさん。これから作る弦だけど、どのくらいの長さがいいのかしら?」

「うーん、そうですね。あまり長くなくてもいいんですけど……」

 俺は少し考えて、両腕を広げた。

「とりあえず、このくらいのを幾つかお願いします」

 ラナーは目分量で長さを測ると、その倍ほどの長さの位置で切り分けた腸に鋏を入れた。

 次に、数本を束ね、先端を作業台端にある小さな突起に引っ掛ける。もう片方の先端は、反対側にあるこれまた同じような突起に埋め込まれたフックへと結わえ付けた。その根元には、クランク状の回しハンドルが付いている。

 これは、細い糸を束ねて丈夫な紐を作るときに使う道具らしい。

「一度にやっちゃだめよ。慌てると途中で瘤ができちゃうから。均等に撚りがかかるように、ゆっくり、ゆっくりね」

 ラナーは俺達にも言い聞かせるように、慎重にハンドルを回す。

 フックを通して伝わる力によって、バラバラだった糸が合わさって捩れ、徐々に一本の紐となってゆく。

「これもケマルが作った道具なんですか?」

「あら、違うわよぉ。これは、ずっと昔から使ってるものよ」

 俺の質問に、ラナーがころころと笑う。

「あたしたちはねぇ、昔、そうね、もっと昔は、ここからずっと西の方から、北のお山の麓まで移動をしながら暮らしていたの。毎日馬を駆って羊を追い、毛を紡いでは機を織ってね」

 草原の西の果てにある大きな湖を基点に、彼女たちは移動を続けてきたという。

 一体いつ頃からそうして暮らしてきたのか、誰も覚えていない。けれど、彼女たちはこれからも、この営みを続けていくのだろう。

 ラナーは、まどろむような眼差しで呟きながら、ハンドルを回し続ける。

「誰の手にも、ひとつやふたつは馴染むものがあるわ。カリムとアーダムの手はラバーブを弾くこと。私の手は、楽器よりは糸を撚って織物をすること」

 実際、半分は眠っていたのかもしれない。彼女の内にある、過ぎ去った時の記憶に浸りながら、謡うように続ける。

「マーリカは刺繍の針、アリーは馬の手綱、ハムザは狩をする弓、ケマルは――」

 そこで、不意にハンドルを回す手が止まった。

「……きっと、ケマルの手は、沢山のものを持ちすぎちゃったのね」

 それはそれで、とても素晴らしいことなのだろうけど、と、老婆は続けると、小さく溜息をついた。

 気付けば、手元のそれは、きりきりと小さな音を立てていて、これ以上回せば切れてしまうのではないかというほどに張り詰めていた。

 強い撚りのかかった紐の表面には、搾り出された水分が幾つもの珠となって連なり、テーブル上に雫をこぼしている。

「仕上げはまだだけど、とりあえず一本できたわよ」

 ラナーは結わえていたフックを動かないように固定させ、台座ごと取り外した。このままの状態で、一昼夜乾燥させるのだそうだ。

 続けてラナーは、新たな台座を取り出し、同じ作業をはじめた。

「そういえば、他の楽器はどうしたのかな?」

 タペストリーに夢中だったはずのニューランが、こちらに戻ってきた。最初の興奮は幾分か収まったようで、学者としての本分が顔を出していた。

「この村のウタは、楽器と共に受け継がれてきたと聞いていたんだけど」

「もちろん、他の楽器も幾つかあったわ。でも、ちゃんと残っているのは、ラバーブくらいね」

「どうして?」

 畳み掛けるように問うニューランに、しかしラナーは首を振った。

「さあ? それは私にはわからないわ。沢山の楽器の中で、一番馴染んだのがラバーブだったんじゃないかしらねぇ?」

「むぅ」

 ニューランは、はっきりしない回答に不服そうに唸った。

 けれど、俺にはなんとなくわかった気がした。

 彼女たちそれぞれと馴染んだ手仕事のように、ウタとラバーブは相性が良かったのだろう。きっと、本当にそれだけの理由なのだ。

「ごめんなさいねぇ。ウタについては、私はよくわからないのよ。カリムが生きていたらもっとお話できたんだろうけど……」

 本当に済まなさそうに目を伏せる。だが、彼女は続けて言った。

「でも、私にも、ひとつだけ教えられることはあるわよ。ほら、あれを見て」

 小さな皴だらけの指が、ニューランが箱舟だと言った一枚を差す。

「縁をぐるっと囲んでいる模様があるでしょう? あれはね、本当は楽譜なんだって、祖父が言っていたわ」

「楽譜!?」

 思いもよらなかった発言に、俺とニューランは揃って声を上げた。

 最初に義手を見たときに、描かれた模様に一定のパターンがあるのはわかっていたが、まさかそんな意味が込められていたとは。

 呆気に取られる俺とニューランを他所に、ラナーはハンドルを繰る手を緩めず、続ける。

「カリムと私は、私達のお祖父さんから教わったの。お祖父さんも、そのまたお祖父さんから教わったと言っていたわ。蔦の長さは音の長さ、太さと波の具合は音の強さや高さ、枝葉や花は拍子なんですって。でも、カリムと違って、私にはさっぱり読めなかった」

 肩を落とすラナーの手元では、出来上がった二本目の弦がきりきりと小さな音をたてていた。

「でも、いいの。私は、はたを織る方が楽しかったし、こうして残すことができたのだから」

 そう言いながら、ラナーは再び台座を取り外し、三本目の作業に取り掛かる。

「今じゃ、ちゃんと読めるのはアーダムだけだと思うわ。ケマルも読めたんでしょうけど、こればっかりはどうしようもないわねぇ」

 俺とニューランは、互いに顔を見合わせるしかない。 

 作業場の窓から差し込む午前の日差しの中、ラナーのハンドルを回す音だけが響いていた。

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