第5話
妙な緊張のせいであまり落ち着いて食事を摂れなかったのもあって、どうにも小腹が空いて仕方ない。
昨夜の失敗をふまえ、勧められる馬乳酒はほどほどにしておいたのもあるだろう。窓の隙間から吹く風の薄ら寒さに首をすくめがら、俺は村の皆がそれぞれの家に帰っていった後の食堂で、ニューランとマーリカとナジ、そしてアリーも加えて、アーダムからラバーブを譲り受けた経緯を掻い摘んで話した。
彼がこの楽器を壊して燃やそうとしたことについては、とりあえず伏せておいたが、話さずとも何となく伝わったような気配がしていた。
「そうだったんですか……」
竃の残り火が小さく爆ぜる音を聞きながら、マーリカが呟く。
ナジはずっと母親にしがみついたままだった。赤い目元で口を強く引き締め、懸命に涙をこぼすまいと堪えている。
「……ったく、どこまで勝手なんだあいつは」
「アリー」
マーリカの声に、アリーは口を噤む。アーダムに対しては日頃から言いたいことが沢山溜まっていたようだが、姉と、そしてナジの手前、彼は大人しく引き下がる方を選んだ。
代わりに、マーリカが口を開く。
「そのラバーブはアーダムのものだけど、その前は彼の兄、ケマルのものだったの」
「え? ってことは、つまり?」
いまいち事情が飲み込めていないニューランが、テーブル上に置かれたラバーブとマーリカとを交互に見比べる。
「ええ。私の夫で、この子の父親よ」
ナジの背中をやさしく撫でながら、マーリカはぽつぽつと話しはじめる。
そもそもこのラバーブを作ったのはケマルだった。まだ若かった頃、アーダムの誕生日に祝いの品として作り、贈った品だという。
ケマルとアーダムの兄弟は、幼い頃に両親に先立たれ、村の一番の唄い手であるカリムに引き取られた。
兄のケマルは昔から手先がとても器用だった。村にある道具という道具を、一度は必ず分解し、仕組みを理解しないと気がすまない性質だったという。
隊商からもらたらされる幾つかの珍しい品も、手に入れたそばから分解しては組み立て直し、そうしているうちにいつしか結晶の特性も覚えていったらしい。
一方、弟のアーダムの方は、兄ほど手先が器用ではなく、また飽きっぽい性格も災いし、何をやっても上手くいかなかった。
機械に興味を持つどころか、羊の世話すら満足にできないほどだったのだが、そんな彼でも唯一夢中になったものがあった。楽器を奏でることだ。
幼いうちから、アーダムの演奏は人を魅了した。言葉にはできないが、なぜか強く弾き付けられるものがあったらしい。楽器に選ばれたとでもいうのか、とかくアーダムの手はラバーブによく馴染んだのだった。
やがて兄弟は成長し、ケマルは村を担う働き手として外に出るようになり、アーダムは村に残って演奏の腕を磨いていった。
ケマルは外の世界で、決してして多くはないが、沢山の刺激を受け、それを冬に村へと戻った際に、弟や村の仲間達によく話した。
それが仇となったのかはわからないが、アーダムは徐々に外の世界に興味を抱くことになる。
村には変化がなかった。定期便の隊商や、稀に訪れる旅人以外の刺激はなく、年を通して代わり映えのない景色と、そのうちの三分の一は雪と氷に閉ざされる退屈な毎日。そして何よりも、アーダムは若すぎた。
浮つく心はすぐに弦に反映される。それを咎める師匠と口論をする日々が続き、ある日とうとう我慢できなくなったアーダムは、一人でこっそり村を抜け出した。ちょうど、ケマル達出稼ぎ組が、山の麓から帰ってきた夜のことだ。
アーダムが向かったのは、山とは正反対の位置にある、草原端の街だった。隊商がいつもつかう道筋を辿って行こうと考えたらしい。
弟が村を抜け出したことに気付いたケマルは、すぐに後を追った。しかし二人にとって不運だったのは、その年に限っていつもよりも早く雪が降ったということだった。
気候の変わり目に天候が荒れるのはいつものことだが、その日の雪は、やけに激しく吹雪いた。
村でやきもきしながら待っていたアリー達は、翌朝、雪が止むとすぐに馬を駆って二人を探しに出た。だが、彼らが見つけたのは、半ば雪に埋もれるようにして重なって倒れている兄弟の姿だった。
ケマルはすでにこときれていた。その下にいたアーダムは命こそ落とさなかったものの、代わりに凍傷で左手の指を失った。
その後アーダムは村に戻ったが、以来ずっとあの小屋に閉じこもっている。
師匠であるカリムは、多少なりとも責任を感じてしまったのだろう。もともと高齢というのもあったが、この一件以来すっかり弱ってしまい、とうとう先日息を引き取ったのだった。
「カリムさんが生きていたときは、数日置きに、様子見と食料を届けるためにナジを行かせていたんですけど……」
先週カリムが亡くなったその日の朝、アーダムにもう来るなと追い返されてしまったのだ。
「私たちは別に、アーダムを責めるつもりはないの。どんな形であれ、人はいつか死ぬものだから……でも、彼は、それをずっと気に病んでいる」
「姉さん。あいつがこれを手放したってことは」
アリーの言葉に、マーリカが頷く。
「ええ、そうね。この村から、唄い手がいなくなってしまうわね」
寂しげに呟くマーリカに、アリーも表情を曇らせる。
「ニューランさん、ジウさん、ごめんなさいね。折角遠くから楽しみに来てくださったのに」
「いえ、そんな……」
言いかけて、俺は横目でちらっとニューランの方を見てみた。
ニューランは珍しく真顔になり、ラバーブを見つめていた。すっかり落胆している――という様子ではないものの、目当てにしていたウタが聞けなくなったとわかった今、どうするつもりなのだろう思っていると、マーリカがぽつりと呟いた。
「このまま、何もかも、消えてしまうのかしらね」
アリーも項垂れ、溜息をつく。だが、
「そんなことない!」
突然声をあげたのは、ナジだった。
驚く大人たちを尻目に、少年は必死に訴える。
「ぼくが――、ぼくが弾く!」
我が子の唐突な主張に言葉を失うマーリカの代わりに、アリーが答える。
「お前、そんなこと言ったって、その手じゃ無理だ。こいつは、太鼓を叩くのとはわけが違うんだぞ?」
言って、目の前のラバーブを差す。
ナジには左腕の肘から先がない。本体を支えて弓をあてることはできても、弦を抑える指がなければ演奏はできないのだ。そのことは本人もよくわかっているはずなのに、ナジは引き下がらなかった。
「できるよ!」
「どうやって!?」
わがままを言うなとばかりに声を荒げるアリーに、しかしナジは一歩も引かなかった。
「父ちゃんの手があればできる!!」
少年の叫びに、マーリカとアリーははっと顔を見合わせた。その目が、今度は何故か俺に向けられる。
「……はい?」
そして数分後。俺は事情がよく飲み込めないまま、何故か彼らの頼みを聞くことになっていた。
宿の奥、マーリカたちが使っている居住スペースに案内された俺とニューランは、所在無さげにあちこちに視線をやりながら、アリーが納戸から戻ってくるのを待っていた。
開け放した扉の向こうからは、さっきからアリーがしきりに何かを探す音がしていた。ここは、ケマル氏が生前に使っていた部屋だという。
やがて、
「あった、これだ」
薄暗い部屋から、アリーが目当ての品を持って出てきた。小さな義手だった。
「ケマルが死ぬ前に、ナジの為にと作ったんだ」
手渡されたそれは随分と軽かった。しかし、それ以上に俺の興味を興味を引いたのは、表面を覆う皮の所々に埋め込まれた天星石だった。
「本当は、あいつの成長に合わせて、その都度作り直していくつもりでいたらしいんだけど……」
アリーの言葉尻が陰る。
ナジはまだ子供だから、成人する間に体はどんどん大きくなるだろうし、当然のことながら腕のサイズも変わってゆく。幾ら精巧な義手といっても、小さなままでは後々困ることになる。かといって、最初から大きなサイズを与えておけばいいというものでもない。 ケマル氏は、もちろんその辺りを見越していたのだろうが、いかんせん自身の身に起こりうる事柄までは予測できなかった。
「指板を押さえることが出来るようになれば、基本的な弾き方は僕が教えるよ」
ニューランはそう言って、母の側から離れない少年に目を向ける。
「あとは、この子の記憶力次第だね」
ナジは返事の代わりにきつく唇を結ぶと、ニューランと俺に向かって頷いてみせた。
「お願いします。この部屋にある道具は、ジウさんの好きに使ってくれて構いませんから」
「足りないものがあったら言ってくれ。出来る限りのことはする」
「わかった」
マーリカとアリー、そして言葉はないものの、母にしがみついてこちらをじっと見つめ続ける少年に、俺はぎこちない笑顔を返す。
彼らが立ち去るのを待って扉を閉めた途端、溜息が出た。
「どう? 出来そう?」
「……ま、やるだけやってみるさ」
俺の顔を覗き込んでくるニューランに向かってそう返答したものの、正直なところ、自信は全く無かった。
日中、村を回ってケマル氏の遺したものをいろいろと見てきたからわかるのだ。彼の指先の器用さと繊細さに、俺は
しかし、ナジのあの目を見たら、無碍に断れるはずもない。
マーリカが定期的に掃除をするのだろう、元はケマル氏が使っていたという納戸は、客室ほどではないにしろ清潔に保たれていた。おおよそ俺が必要とする道具も、きちんと整理された状態で机上に並んでいる。
俺は手近なところにあった椅子を引いて腰掛けると、まずはアリーから渡された義手の構造を調べることにした。
幼い子供が装着しても不便のないようにと、知恵を絞りに絞ったのだろう。軽く、丈夫で、それだけに留まらず、ちゃんと五本の指を自在に、しかも一部の狂いも生じさせず滑らかに動かせるようになっている。
外装は、植物の蔦にも似た装飾が丁寧に描きこまれていた。それを見ただけで、つい先ほど口にしたばかりの自分の言葉を撤回したくなる。
大変なことを引き受けてしまったと改めて慄きながら、
植物の蔓に似ていなくもないが、どちらかというと一定の強弱がついた波を描いたもののようにも見えなくはない。
「……波長?」
弦の振動に呼応して、結晶の中で明滅する仄かな光――ついさきほどの光景が蘇る。
目を上げると、ニューランのそれとぶつかる。
ニューランも気付いたらしく、俺に向かって頷いた。
俺は目の前にある道具の中から、小さくて刃の薄いナイフを選んで手に取った。そして、義手の手首と肘との関節を一直線に結ぶ継目に刃を差し入れる。
折角の装飾を断ち切ってしまうのは忍びなかったが、しかし、これを剥がさなければ何も始まらないのだ。会ったこともないケマル氏に内心で詫びながら、俺はナイフを持つ手に力を篭めた。
小さな軋みをあげながら隙間が徐々に広がってゆくのを、ニューランもまた、俺の背後で息を詰めて見守る。
やがて、パキンと乾いた音を立てて、外装が外れた。
露になった義手の内部構造に、俺達は二人同時に息を呑んだ。
まず最初に目に飛び込んだのは、手の甲側に組み込まれた小さな回路だった。中央には、外装に使われたものよりも大きめの結晶が嵌め込まれている。おそらく、これが義手を動かすためのメイン動力なのだろう。
電力を伝えるための銅線や、関節を繋ぎ留めるために幾つかの機械部品はあったが、骨格の中心となる芯はすべて動物の骨を加工したものだった。そして、指や関節を動かすための腱にも、ケーブルとは違う半透明のワイヤー状のものが使われていた。
それを見て、ニューランが感嘆まじりに呟く。
「ラバーブの弦と同だ」
ニューランによると、どうやらこれは楽器の弦を利用したもので、羊の腸の加工品らしい。単体では切れ易いのだが、丁寧に処理をすれば驚くほどしなやかで強靭な弦となるのだそうだ。
なるほど、確かにこれなら、人の腱のような柔軟さが得られるかもしれない。もし切れてしまったとしても、この村でならすぐに調達できる。
それにしても、いくら手先が器用だったとはいえ、一体どこでこんな知識と技術を手に入れたのか。ケマル氏には本当に驚かされてばかりだ。
一口に技師といっても、その内容や種類は多岐に渡る。街で建築に携わる者もいれば、自走車等の乗物を作る者もいるし、こうした辺境で雑用的にあらゆるものを製作修理するケマル氏のような者もいる。
ニューランの故郷のように新たな技術を開発して、変化し、発展してゆく都市もあれど、すべての都市がそのようにうまくいっているわけではない。実際、俺の故郷がそうだった。
枯渇した燃料は代用品でやりくりし、磨耗し、消耗してゆくパーツは別の残骸からかき集め、作り直す。そういう再生業者の下で、俺は前時代のあらゆる機械を解体しては作り直しを繰り返していた。かつて地を覆いつくしていた便利なシステムが軒並み使えなくなったとはいえ、人の手には出来ぬことをやるためには、機械は必要なものだからだ。
そういった品々からすでに絶えた技術を学び、残された資源と新しく手に入れたものをどうにか工夫して融合させ、細々と暮らす人々のためにその腕を振るう者を、人々は総じて技師と呼んでいる。
俺自身、呼び名に関しては頓着していないし、とくに有難がられるほどの腕を持っているわけではない。だから、最初にアリーに技師かと尋ねられたとき、曖昧な返事を返したわけなのだが、しかしこういった辺境においては、ケマル氏のような人材はとても貴重だった。
そういった品の供給がない上、そもそも技術や知識に触れる機会がないからだ。
そんな外世界の小さな村において、彼の死は共同体にどれほどの損失を生じさせたのか。そしてそれが、自身の過失によって身内を失ったという事実に加えて、アーダムにことさら重く圧し掛かっているのだろう。
「どう?」
精巧な義手を前にして、再びニューランの不安そうな目が俺のそれと交錯する。
だが。
「なんとかなる……いや、するしかないだろ」
不安が残るのは変わらない。けれど、内部を目にしたことで、技師としての矜持を刺激されたのもある。
はじめのうちに抱いた恐れ多さは、いつしか上回っていた興味にとって変わられていた。
それから俺とニューランは、手分けしてケマル氏の部屋を隅々まで漁った。
これだけ精巧な品を、何も考えずに作り出すなんて、よほどの天才しかありえない。万が一ケマル氏がそうだったとしても、元となる設計図や試作品が必ずあるはずだ。
予想に違わず、戸棚に並ぶ本の中にそれはあった。羊皮紙に書きとめられた幾つものスケッチは、昼に俺が村中を巡って見てきた機械に関するものに間違いなかった。そして、もうひとつ。
「うわ、これはすごい!」
ページを捲ったニューランが、ひときわ目を輝かせる。
それは、ナジのための義手に関するアイデアを書きとめた部分だった。中核を成す設計図の周囲を、幾つもの奇妙な記号が取り巻いている。
数本の線と単純な記号の組み合わせは、俺にはさっぱり意味がわからなかったが、
「音階だよ」
そう呟くニューランの声は、興奮気味に震えていた。
「音階? 何でそんなものが、こんなところに」
「ジウ、何言ってるのさ。ほら、よく見なよ。これだよ、これ!」
ニューランは机の上に転がる義手を引っ掴んで、俺の前に突きつけた。指差す部分は、甲に埋め込まれたアスタリウムの結晶だ。
「結晶は、同じ波長に共鳴して、それを増幅させるだろ? 音の振動エネルギーはそのままじゃ消えちゃうけど、でもこの結晶を通せば」
「……エネルギーを失わずに、振動し続ける」
俺の中で、今まで見てきた要素が音を立てて組み上がりはじめる。
義手は、それ単体では動かすのは不可能だ。残っている腕の筋肉を利用するなど、どうにかして動かすための力を伝えてやらねば、指先まで使えず、ものを掴むことすらできない。義手を滑らかに動かすためには、何らかの補助装置が必要だ。
俺は額に手を当てて天井を仰いだ。
指を動かすために使った結晶のエネルギーは、ラバーブの弦を弾き、そこから発生した音は振動となって結晶に還元される。つまり、ケマル氏は、初めからナジにラバーブを弾かせるためにこの義手を作ったのだ。
「まいったな。これは責任重大だぞ」
再び怖気づいてしまった俺の肩を、ニューランが叩く。
「大丈夫、僕の
例え俺を奮い立たせるためのお世辞だったとしても、向けられる翡翠の眼差しは暖かい。
俺はしばし目を閉じ、想像してみる。
ナジが奏でる旋律に呼応して、ラバーブと義手に埋め込まれたアスタリウムの結晶が明滅する――
古き時代から受け継がれてきたその音と、光景とを、俺は知りたいと思った。
この耳で聞いて、この目で見て、肌で感じてみたいと思った。
「そうこなくちゃ!」
口に出さずとも、ニューランが俺の表情を見て嬉しそうに笑う。
「機械のことは僕にはわからないけど、音についてだったら僕に任せてよ」
「もちろん、そのつもりだとも」
もとより、こいつ以上に心強い仲間はいない。
俺は姿勢を戻すと、更に詳しく義手の構造を調べるために道具を取った。
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