第3話

 翌日。

「そういえば、耐性のない人はダメらしいね」

「もっと早く言え」

 前日飲んだ乳酒のせいで腹を壊した俺は、その日の午前中、借りた部屋でずっと寝込んでいた。

 それなのにひっきりなしに訪れる客の相手をしなければならず、少しも休むことができなかった。俺が技師だということを知った村人が、壊れたものを直してくれと次々に頼みに来たからだ。

「はいはい、大丈夫ですよ。このひとの腕は確かですからね、安心してお任せください」

 俺と違ってぴんぴんしているニューランは、押し寄せる村人達の頼みを勝手に引き受けて、何食わぬ顔でリストにまとめると、俺の枕元に投げて寄越した。

「それじゃ、後よろしく。僕はナジに呼ばれてるからさ」

 そう言い残し、ひらひらと手を振りながら部屋を出て行く。 

 ゆうべの出来事でひどく落ち込んでいたナジをつきっきりで慰めていたニューランは、その甲斐もあって少年の信頼を勝ち得たらしい。

 あんなに人見知りする子なのに、珍しいこともあったものねと、暖かい粥を俺のもとに運んできてくれたマーリカは笑っていた。聞けば、珍しくべったりとくっついて離れないのだそうだ。

 同じ年頃の子供が少ないというのもあるのかもしれないが、一番の理由はやはり、ニューランが古唄を聞きたいと真剣に願っていることだろう。

 普段の言動と態度のせいで、人によってはとっつき難く思われがちだが、あれでも根は真面目なのだ。こと、古唄にかける情熱はおそろしいほどの行動力を発揮する。でなければ、こんな辺鄙な場所まで文字通り足を運んだりしない。

 それはともかく、ゆうべの食堂での雰囲気を見る限り、どうもあのアーダムという青年のせいで、この村では古唄についての話題は忌避されているのは間違いなかった。

 一方、ナジの方はというと、ゆうべの話しぶりから考えてみても、あまりそういった感情は持ち合わせていないように思える。

 一体いつ頃からそれが生まれたのか。いつどのようにして世界中に散ったのか。どのような過程を経て、今の世まで受け継がれてきたのか。

 古唄というものが何なのかについては諸説あるし、俺もそれほど詳しいわけではない。

 文献を辿るにも、それを遺している所が一体どのくらいあるのか、あったとしても見られるかどうかもわからない代物だ。

 閉鎖した都市を巡る手段も、それを辿る術も失われた今、俺達が持てるのは至極限られたものだけ。

 それでも、知りたいと思う者がいる。

 とうに途絶えてしまったであろう細い糸を繋ぎ、伝え遺そうとされたあらゆるものを探り出したいと考える者がいる。

 俺は、ニューランのように真剣に研究をしている者がこの世界にどのくらい残っているのかも把握していない。

 そんな俺でも、彼らの求めるものに触れることはできるのだろうか。その域に到達したとき、何か違ったものが見えるのだろうか――とりとめもないことを考えながら、俺はベッドの中でニューランの書いたメモをじっと眺めていた。


 マーリカが部屋に運んでくれた薬茶のおかげで、腹具合は昼を過ぎた頃には大分落ち着いた。

 階下へと降りてゆくと、厨房ではマーリカがひとりで昼飯の支度をしていた。ナジはニューランを引っ張って、どこかへ出かけたらしい。

 アリーも、朝早くから羊の放牧をするために出ているようだった。

 ゆうべの気まずい中座のあと、宿に戻った俺達をみても、誰も何も言わなかった。

 ただひとり、アリーだけは落ち込んだ様子のナジの頭をそっと撫でてやっていた。

「あら、もう大丈夫なんです?」

 俺に気付いたマーリカが、前掛けで手をぬぐいながらたずねてくる。

「ええ、おかげさまでなんとか」

 彼女が支度していてくれた暖かい粥を少しいただいて、俺は外に出た。

 ニューランのメモを頼りに、依頼をしてきた村の住人を順にたずねて歩く。勝手に引き受けたのはニューランだが、かといって無下に断るのも忍びなかったからだ。それに、ケマルという人物がどの程度の技術を持っていたのか知りたいという気持ちもあった。

 石英の結晶に微量な電流を通すと、一定の振動を発するようになる。かつてはその振動コイルを利用したものをベースとして、あらゆるものが作られ、発展した。後に、もっと大掛かりな装置にとって代わられるのだが、それはさておき。

 ほとんどのものがより高度で複雑な機械で満ち、生活のすべてがそれに委ねられるようになった時、突然の変異が世界中を襲った。

 太陽フレアによる強力な太陽電波バースト現象と、電離圏と地磁気の変動――通常短期間で収まるはずのそれは、その時に限ってはそうならなかった。そのすぐ後に突如として現れた隕石群が、地表に幾つもの大穴を開けたのだ。

 当時の被害と混乱がどの程度のものだったのか、残念ながらその詳細は残っていない。しかし、大きく書き換えられた地図に、いまだ埋まらない空白地帯があることと、夜毎現れる大きなオーロラによって、残された各都市の中枢機能が混乱をきたすことから考えれば、うすうす想像がつく。

 後に大崩壊時代と呼ばれる時期をなんとか生き残った国家は、掻き集めた力で各都市の門戸ゲート天蓋ドームとを閉じ、外の世界を遮断した――それが、ほんの一世紀半前の出来事だ。

 その間に、従来のシステムは軒並み使えなくなっていった。資源もすでに取り尽くし、枯渇気味だったのも要因のひとつとされている。

 そうして人はもとより、光どころか音すら外に漏らさない暮らしを世界の大半が選んだ結果、文明はあっという間に衰退した。

 ちなみに、ニューランの故郷は真っ先に閉鎖を決めた最北の都市だ。そこにはまだ旧時代の技術と資源が活用できる環境が残っており、この天星石を発見し、結晶システムの開発をしたのもその都市の技師だといわれている。

 ただし残念なことに、技術があってもそれを安定して製造し、供給し、そして流通させる手段が絶えてしまっていた。結果、折角の素晴らしい技術はあまり世に広がらず、また大きな発展もなく、ごく一部の限られた都市の中で利用されるに留まっている。

 一方、様々な理由で都市に収容されなかった者、それを拒んだ者、あるいは閉鎖した都市での暮らしに膿み、外を目指し飛び出していった者等は、滅ぶどころか、意外にも変動の激しい外世界に順応し、適応していった。

 開拓は常に成功とは限らなかったが、彼らは古くからの知恵を思い出し、駆使し、規模は小さいながらも、各地に新たな人の営みとなる拠点を築いた。そうした者達の代表が、この村に住む住人だろう。

 彼らを、今まさに生きんとして活動をはじめる若者に例えるなら、都市に住む者は静かに臨終を待つ老人のようなものだ。机上で過去をなぞるばかりで、衰退する一方だと嘆くだけの空気に嫌気がさした俺は、ある日、思い立って街を飛び出した。

 行き交う足も絶えた辺境では、今何が起こっているのか。それは自分の目で見て、耳で聞いて、肌で感じるしかないと思ったからだ。

 もっとも、それとは逆に、外から都市へと向かおうとする者も少なからずあった――その内の一人が、ケマル氏だと思われる。

 今時そう簡単に中へ入れてくれるような都市はないが、彼は運良くそれが叶ったらしい。彼は都市の文化や技術を存分に吸収したのみならず、それを村へと持ち帰り、役立てることができた。

 そして、今。

 俺は、彼が遺した幾つもの品を前に、彼の腕と頭の良さに舌を巻いていた。

 結晶は、分子構造の方向によって性質が正反対になる。つまり、発電と蓄電だ。それに加えて、幾つかの面白い特性があった。ケマル氏はそのどれもを実にうまく利用し、いろんなものに役立てていた。

 ただ、村にとって不幸なのは、そういった知識を持ち、扱える者が彼しか居なかったということだ。

 俺が見て回った内でも、特性を理解せず適当に交換しようとした結果、使用不能にしてしまったものが幾つかあった。幸い、結晶の出力はとても弱く、回路自体もとても単純な構造だったため、修理は簡単だった。結晶のストックも、住人達はそれぞれ幾つか確保していたから、俺はそれらを受け取り、順に直してやった。

 そして、そろそろ日も傾く頃合いに、ようやく最後の依頼者であるハサンという名の老人の家に着いた。

「どうじゃ? 直りそうか?」

 やぐらの上で唸っている俺を、ハサンが下から心配そうに見つめる。

 俺は大丈夫だと手を振ると、太陽光パネルの裏に設置されていた結晶蓄電器を交換する。

 パネルは旧時代に使われていたもので、ハサンがまだ子供の頃、遊牧をしていた頃に大人達が隊商を通じて入手したものらしい。劣化により稼動効率は低下しているものの、まだ十分使える品だ。

 とはいっても、そこから先で利用できるものなど大してないのだけれども。

 ある老婆は、ケマル氏に作ってもらったという羊毛を紡ぐための道具を動かすのに利用していた。

「本当は、全部自分の手でやりたいんだけどねぇ」

 細くった毛がくるくると回り続ける独楽こま状の棒に絡め取られ、徐々に糸玉が出来てゆくのを見つめながら、彼女は節くれだった手をさすっていた。冷え込む夜には体の節々が痛んでうまく動かないから、これが使えなくなると困るのだと言った。

 他の住人達に至っては、せいぜい照明や、食料保存のための蓄冷機に使う程度だ。実際、それ以外に使い道がないのだから仕方ない――のだが、驚いたことに、ハサンは昔の電映機テレビと、これまた古い電信機ラジオを大切に持っていた。

 今となっては砂嵐しか映さないし、これまた酷いノイズしか出さない、無用のものだ。しかし、年に数回は大気層が安定するのか、どこかの街から漏れた信号を拾うこともあるらしい。そうして昔を懐かしむが、ハサンの楽しみだった。

「冬になると、空が荒れるでなぁ。春まで楽しみはお預けになるが、ま、そんでもとりあえずは、部屋が明るくなるから助かるわい」

 抜けた歯からフェフェと空気を漏らしがら、ハサンが笑う。

 俺は交換した古い結晶を掲げて、ハサンに聞いた。

「これ、もらってもいいですか?」

「ああ、構わんよ」

 ハサンはそう答えながらも、そんなものを一体どうするのかと首を傾げている。

 無理もない。使用済みの結晶は、一層壊れやすくなっている。わずかな衝撃で塵同然となってしまうものなど、何の価値もないのだから。

 元素の結合形状からアスタリウムと名づけられた鉱物は、基本的には珪素とミネラルとが結びついた天然の化合物でしかないのだが、通常では維持できなかったはずの構造を保ち、極めて特異な性質を持っており、そしてあらゆる汎用性と可能性を秘めていた。

 今でこそ少数ながらこうして活用の道もあるのだが、しかしこの結晶はとても扱いが難しいのが難だった。一応鉱石の部類には入るのだが、その目に反して構造は繊細で、脆いのだ。

 だが、そんなものをやすやすと扱うことのできたケマル氏とは、一体どんな人物なのだろう。いたく興味をそそられる。

 それはともかくとして、俺は老人に礼を述べると、交換した結晶を慎重に服のポケットへと仕舞った。

「それより、そろそろ降りて来んかね。茶でも飲んで、休みなされ」

 ハサンの声に下を見ると、やぐらから少し離れた場所に敷物が敷かれていた。傍らには火にかけた小さな薬缶から湯気があがっている。俺が作業をしている間に、支度していてくれたらしい。

「今行きます」

 返事をして降りようとしたとき、ふと、離れたところに立つ一本の木が視界の端に入った。何となしに目をやって、そして、その影に寄り添うように建つ小さな小屋に気付く。アーダムの家だ。

 小屋の裏手からは、細い煙があがっている。しばらくじっと目を凝らしてみたが、アーダムが何をしているのかは、ここからでは確認のしようがなかった。

 俺はそれ以上様子を窺うのを諦めて、下に降りた。

「そういや、あんたの連れはどうしたね? 今日は姿を見ておらんが」

「ニューの奴なら、ナジと一緒ですよ」

「そうか。いい遊び相手が出来たようでよかった」

 目を細めるハサンに勧められるまま、俺は複雑な模様を織り込んだ敷物に腰を下ろした。そして、彼が煎れてくれた甘い茶を啜る。

 隊商が通る道筋というのもあってか、村の食糧事情は意外に充実していた。街では高価で入手困難なフレッシュミートはもちろん、香辛料や香草、こういった茶葉でも、数は少ないながらも新鮮なものが手に入るからだろう。

 遠くを見やれば、かなり離れた丘に、白く点々と散らばるものがみえた。

 羊だ。

 大半は雲のような塊の群れをつくっていたが、中にはそこから外れて単独行動をしようとしているものもいる。アリーたちは巧みに馬を操り、そいつを群へと戻してゆく。

 ふと、その光景が陰る。上空を流れる雲がつくる影だった。

 羊達が食べつくした部分は黒い土が見えていたが、そうでない所はやはり草が生い茂っている。

 丘の陽が当たる面は緑ではなく黄色がかっていて、それが風に吹かれて揺れるたびに波をうっていた。

 かつて俺が外に出ると言い出したとき、誰もがとんでもないことだと驚き、馬鹿にしたものだった。

 わざわざそんな場所へ行ってどうするのだ、何もないではないか、と。

 だが、どうだ。

 ここには村がある。人の営みがある。

 湯気をたてる茶の香りと、器から指へと伝う熱。降り注ぐ陽の眩しさと、山からの風の冷たさ。草のざわめきと、そこに潜んでいる小さな生き物達の気配――こうして俺が実感しているものを、天蓋ドームの下で暮らしている彼らは決して知ることはないだろうし、理解することもないだろう。

「おっと、失礼。時間だ」

 ハサンが不意に、懐に手を入れて小さなものを取り出す。真鍮製の懐中時計で、相当年季が入っている品だ。

「曾爺さんの頃から使っとるが、まだまだ現役じゃよ」

 言って、ハサンは笑う。毎朝ねじを巻いておけば、一日しっかり動いて時を報せてくれるのだという。

 お構いなくと俺が言うと、ハサンは俺に背を向けて敷物の上に座りなおした。彼が口中でなにやらを唱えながら、彼らの神に祈りを捧げている間、俺は黙ってそれを聞いていた。

 やがて、祈り終えたハサンが顔を上げ、俺に向き直った。眠りから覚めたばかりのような顔をしていたが、すぐにその表情が焦点を結ぶ。

「あんた、ゆうべ、アーダムには会えたか?」

 垂れ下がった皴だらけの瞼の奥から、小さな黒い目がじっとこちらを窺っている。

「ええ、会えましたよ。すぐ追い返されちゃいましたけどね」

 苦笑しながら肩をすくめると、ハサンはそうかと呟き、

「あれもな、よくよく運のない兄弟じゃて」

 ぐるりと顔をめぐらせて、遠くを見遣る。アーダムの家がある方角だ。

「あれがまだ何ともないときは、兄弟揃ってのウタが聴けたもんじゃ。祝い事やらなんやら、師匠も揃って、皆で火を囲んでな」

 午後のまどろみのような空気の中に、ハサンのほとんど独り言のような呟きが消えてゆく。

「師匠の喪明けは、どうするつもりなんじゃろうなぁ……」

 湯気を立てていたはずの茶は、いつの間にかすっかり冷めていた。

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