第2話

 アリーは男達のリーダー格のようだった。その彼に認められたおかげもあってか、俺とニューランは、当座の宿をすんなりと確保することができた。

 定期便を運営している隊商が利用するのもあってか、意外にも宿の規模は大きく、設えも整っていた。

 部屋の案内をしてくれたのは、マーリカという名の女性で、アリーの姉だった。ナジという幼い息子を育てながら一人で宿を切り盛りしているのだと、宿に入る前にアリーがそっと教えてくれた。

「何か不便があったら言ってくださいね。すぐに手配しますから」

 言い置いて、マーリカはすぐに階下へと引っ込んだ。宿の一階には食堂があり、日頃から村の住人たちが食事をしに集まるという。

 俺達が村に着いたのは、太陽が中天を過ぎて傾きはじめた頃だった。日の長い夏とはいえ、ぼやぼやしていたらすぐに暗くなってしまう。気の早い者などはすでに集まり始めているから、その相手をしながら夕食の支度をするのだろう。

「じゃあ、僕、先に行ってるよ」

「ああ」

 ニューランも、バックパックをベッドに放り投げるや否や、すぐに部屋を出て行った。

 街を出る際に用意した食料は、全て保存の利く合成蛋白質の塊だったから、きっと普通の食事が恋しいのだ。

 俺はベッド脇に荷物を置くと、部屋の奥へと進み、窓を開けた。

 途端、乾いた外気が、近づく夜の気配と共に室内へと滑り込んでくる。

 村で一番規模の大きい建物がこの宿だということもあって、遮られることのない視界はどこまでも続く平原を写す。

 数日の間にすっかり見飽きた光景ではあったものの、俺はベッドに腰を下ろし、次第に暮れて行く外をじっくり眺めた。

 季節が季節だけに凍死の心配はなかったが、地べたに薄いシートだけを敷き、バックパックを枕にして眠るには、やはり少々無理があった。深夜や明け方、冷え込む気温に何度も目を覚ますことになり、ニューランの意見に安易に同意した自分に何度も腹をたてたものだ――もっとも、うつらうつらと半分まどろみながら、夜空を鮮やかに彩る極彩色のヴェールを眺めるのは楽しかったけれども。

 人心地をついた安堵感と、それまでの疲労とがまとめて襲いかかってきて、このまま横になって、ひと眠りしたくなる。

 けれど、階下から漂ってくる匂いと下で徐々に大きくなってゆく騒ぎが、今にも閉じんとしていた俺の瞼を辛うじて支え上げた。

 そうして、ふと、窓際に置かれているものへと目を向け、気付いた。

 それは、小さなランタンだった。

 ただし、ただのランタンではない。手に取って確認するまでもなかった。これも、最新式の結晶電池を利用した、手作り品だ。

 かつての発電技術が軒並み使えなくなってから約半世紀、天星石による照明は街では日常に使われるようになってはきたが、まだ外の世界では利用されることは稀だった。

 理由は簡単、天星石自体の量が少なく、安定した電源として使うための変換装置がなかなか作れないこともあって、とても高価な品だからだ。

 だが、小さな屑石でも、知識と工夫できる技術さえあれば、こういった灯りを点すくらいのものは作れた。問題は、誰がこれを作ったかだ。

 思いもかけない品を前に、俺の眠気は一気に吹き飛ぶ。

 この様子だと、さっきの受信機と対になるビーコンの方も、同じ石を使っているはずだ。今すぐにでも実物を見せてもらって確認してみたくなったのだが、いかんせん自己主張をはじめる胃袋の声の方が強かった。

「……ま、いいか。そのうちわかるだろ」

 俺はそれ以上の推測を打ち切ると、とりあえずは内臓の欲求を満たすべく立ち上がった。


 階下の食堂は広く、いつの間にどこから集まったのかと結構な人数で埋め尽くされていた。

 ニューランは、アリーをはじめとした、村に入ってすぐ出合った男達と共にすっかり打ち解けた様子で酒らしきものを酌み交わしていた。

「ジウ! こっち、こっち!」

 手をあげて俺を呼ぶニューランのせいで、全員の目が俺へと一斉に集中する。あれは間違いなく、完全に酔っ払っている。

「ど、どうも」

 俺はぎこちない会釈をしながら、人の間を抜けてニューラン達のテーブルに向かう。

 席につくなり、目の前にどっかと大きめの椀が置かれ、並々と酒が注がれた。馬の乳から作ったものらしい。独特の甘くすえたような香りは、はじめは少し抵抗感があったが、口に入れて飲み下してしまえばすぐに気にならなくなった。

「お、これはうまい」

 思わず感想を漏らすと、アリーがばんばんと俺の肩を叩きながら呵呵と笑った。

「そうだろ、そうだろ。ほら、遠慮せずに飲め飲め」

 アリーもすでに酔っ払っているようで、至極ご機嫌の様子だった。

「すまんな、アリーの奴、久しぶりに良い事があってはしゃいでるんだ」

向かいの席に座る壮年の男が、俺に向かって申し訳なさそうに言う。ワリードといって、さっきアリーと一緒にケーブルを持ってきた男だ。

 そう言う彼も、心なしか目元が緩んでいた。というよりも、この場にいる村人が皆そんな雰囲気だった。

 楽しげに食事をする合間にチラチラと投げかけてくる視線は、見慣れない人物に対する好奇心の表れだろう。こと、俺の隣でアリーと一緒になってはしゃいでいるニューランは特に目立つ。

 当のニューランはといえば、今やすっかり出来上がった状態で耳まで赤くして、アリーの話にうんうんと相槌を返したり時々うひゃうひゃと妙な笑い声をあげたりしていた。自分が注目の的になっている事には全く意に介していない。

「アリー、客人にあまり無理させんなよ」

 空になった俺の椀に酒を注ぎ足そうとするアリーの腕を、ワリードが止める。

「いいじゃねぇか、これくらい。こんなもの、水みたいなもんだし、俺はこの人達に礼をしたいんだよ」

 よく日に焼けた頬を更に赤く染め、アリーが抗議する。が、

「そうよ、アリー。この方たちには、まずは食事をしっかり摂ってもらわないと」

 頭上からの涼しい声に、俺たちは一斉に目を上げた。

 マーリカだ。彼女は一人で幾つもの大皿を器用に持っていた。その隣には、焼いたパンの入った籠を右手に下げた少年が立っている。

 見たところ、まだ十歳にもなっていないようだ。マーリカによく似て、整った目鼻立ちをしている。籠を下げていない方の手は、長い袖に隠れていた。

「いくら水代わりっていっても、すきっ腹に沢山飲ませたら、潰れてしまうでしょ?」

 釘をさされたアリーが、もごもごと口を蠢かせながら引っ込む。体が大きく、立派な口髭も生やしている彼だが、どうやら姉には頭が上がらないらしい。

 その隙に、マーリカは串に刺して焼いた肉を盛り付けた皿や、カラフルな豆や穀物を煮たものをよそった器を、てきぱきと手際よく並べていった。

 さすがに隊商が定期的に利用する宿だけあってか、食材は意外に豊富だ。

「どうぞ」

 横合いからの小さな声に振り向くと、いつのまにか側に来ていた少年が、パンの入った籠を差し出していた。

「ありがとう」

 平たくて丸いパンを受け取って礼を述べると、少年ははにかんだ笑みを浮かべて足早に去ってゆく。相変わらず片方の袖だけがやけに長く思えて、俺はよく見ようと目を凝したが、彼はあっという間に人影に隠れてしまった。

「ごめんなさいね、あの子、恥ずかしがり屋なの」

 困ったように眉を下げ、マーリカが苦笑する。どうやら彼が、息子のナジらしい。

「ところで、受信装置を直してくださったんですってね。私からもお礼を言わせてもらうわ。本当にありがとう」

「いや、俺は別に、そんな大層なことをしたわけじゃ」

「謙遜するなよ。あれでも俺たちにとっちゃ、大事な道具なんだから」

 横からアリーが口を挟む。一旦マーリカにたしなめられたのもあってか、幾分か落ち着きを取り戻した様子だった。

 そうして、椀を片手にぽつぽつと村のことを話はじめる。

 今でこそ昔ながらの遊牧生活はやめたが、村は今でも羊などの牧畜で生計をたてていた。

 羊は群れで行動する動物だ。普段はリーダー格やそれに次ぐ雄羊にに従い、固まって暮らしている。だが、稀に独立心が強く、群を抜け出して遠出したまま帰ってこない若い個体が出ることがあった。

 過ごしやすい夏の間は放っておいてもいいのだが、しかし冬になるとそうはいかない。

 一年を通して山からの風が吹き付けるこの地は、普段は快適で過ごしやすいのだが、冬が訪れると、一変して荒涼とした凍てつく大地となるのだ。

 村にとって、羊は大切な家畜であり、貴重な資源だ。それらを探すため、テレメトリと受信機は必要不可欠な道具であり、そして俺たちが村に到着したのは、まさにその作業の真っ最中だったのだ。

「はぐれた羊は見つかったのかい?」

 俺がたずねると、ワリードが空になった椀に乳酒を足しながら答えた。

「ああ、おかげさまでな。受信機があのままだったらと思うと、本当にぞっとするよ。以前なら、ケマルが直してくれてたんだがな」

 そこまで言ってから、彼ははっとしたように口を噤んだ。

 椀を口につけようとしていたアリーの腕も、残りの皿を並べていたマーリカの手も、一瞬止まる。が、すぐに何事もなかったかのように動き出し、全てを並べ終えた。

「冷める前にどうぞ。たくさん召し上がれ」

 ふわりと微笑みながら、マーリカは一旦厨房へと下がっていった。

 そしてすぐに再び皿を持ってあらわれ、他の卓で待っている客への給仕をはじめた。

 俺は暫くの間、そんな彼女の動きを目で追っていたが、彼女は村人の応対に忙しそうで、こちらへ戻ってくる気配はなかった。

 食堂に集まっている村人は二十人ほどだった。皆それぞれ似通った顔をしているから、ほとんどが身内なのだろう。彼らはめいめいに食事前の祈りを捧げ、皿の料理を分け合い、水代わりの乳酒を酌み交わし、他愛もない話に興じている。

 日々の労働を終えた後の、穏やかな、いつもの夕餉の光景――だが、俺はそこに、何かしらの違和感を感じた。

 具体的に何がどうというのはわからない。しかし、確かに何かが足りないという気がしたのだ。

 天井を見上げると、ここにもあのランタンと同じものが幾つもぶら下がっていた。

 昔ながらの燃料を燃やして使うランプよりも強い光を発するが、いかんせん、部屋の広さに対して数が少なかった。

 この、なんとなく感じる薄暗さが諸々の違和感の原因かとも思ったが、どうもそういう感じではない。

 ニューランの方をそっと盗み見てみるが、奴は数日振りに口にする肉の味に夢中になっていて、それどころではないようだった。ワリードがケマルという名を出してから、なんとなく少し気まずい空気がテーブルを覆っているのにもお構いなしだ。

 ケマルという人物はどこにいるのだろうか。ランタンの製作といい、受信機の改造といい、できたら会って話がしてみたかったが、推測するに、どううやら何かしらの事情があるようだった。

 とはいえ、さすがに今この場でその話題を振るような図太さは、生憎と俺は持ち合わせていない。

 俺は薄い乳酒の入った椀を置いて、話題を変えることにした。

「これは何の肉?」

「あ? ああ、雉だ。草地に巣を作っているから、捕まえ易いんだ」

 アリーが答える。

「羊は食べないのかい?」

「もちろん食べるさ。でも、あれは年に何度かの、祝い事や祭りのときのご馳走だからな」

 綺麗に羽を毟ってぶつ切りにしたそれは、香辛料をたっぷり摺りこませたあと、じっくり火で焼かれたものだ。ランタンの灯りを反射し、てらてらと光っているそこへと、ワリードがおもむろに乳白色のソースをかける。

 羊の乳を発酵させたものに塩や刻んだ香草をまぜたソースは、街でもよく見かけたし、何度か口にもしていたが、そのとき食べたものよりもずっと濃い味がした。

 勧められた串を手にとりながら、俺はもうひとつ、ふと浮んだ疑問を口にした。

「そういえば、羊を追うのは村の皆総出でやるのかい?」

「いや、俺達だけだ」

「えっ?」

 驚く俺に、ワリードが茹でた豆を取り分け、皿へと盛りながら答えてくれた。

「皆、北の山の麓へ行ってる。男は鉱山、女は織物を売りに」

 そこでやっと俺は、先ほどから感じていた違和感の原因を理解した。

 改めて周囲を見回してみれば、この食堂に集まっている村人のほとんどが、老いた者と小さな子供ばかり。厨房にいる女性達も、マーリカ以外は皆年配の者ばかりで、アリー達のような年齢層の若い男がいなかった。

「俺達は留守を預かってるんだよ」

 眠たげな目をしょぼつかせながら言葉を続けたのは、ワリードの従弟ハムザだった。

「皆が稼いで戻ってくるまで、村と羊とを護るのが俺達の役目なんだ」

「なるほど、それは大変だねぇ」

 不意に、横合いからひょいと伸びた白い手が、串を一本取り上げる。

 ニューランは、場を覆うしんみりとした空気など全くお構いなしに、それにかぶりついた。

「うん、おいしい! やっぱり、ソイよりこっちの方がいいねぇ」

 唐突な腰折りに一同ぎょっとはしたものの、ニューランの悪気のないマイペースさにあてられ、誰ともなく苦笑を浮かべてやり過ごす。

「ほら、あんたも冷める前に食べな」

「ありがとう、いただくよ」

 香辛料と香草によって味付けされた鳥の肉は、ソイと呼ばれる合成肉とは比べ物にならないほどうまかった。

 街を出る前、道中の食事をどうするかとニューランと二人で考えて、高蛋白質の合成代用肉にするか、乾燥していても風味を味わえる干し肉にするかを悩んでいたのだが、結局、手間と価格との兼ね合いで前者を選んだのだった。しかし、もし後者を選んでいたとして、この串焼きには劣っていただろう。

 気付けば、会話するのも忘れて夢中になっていた。

 暫くの間、アリー達は串までしゃぶりつくす勢いでむさぼっている俺とニューランを面白そうに見物していた。が、ふと何かを思い出したのか、アリーが話しかけてきた。

「……なあ、ジウ、ニューラン。あんたたちは、何でわざわざここに来たんだ?」

 そういえばそうだった。

 結晶電池や肉のことですっかり忘れていたが、俺はともかくとして、ニューランにはれっきとした目的があったのだ。

「ニューランも技師なのかい?」

「いや、あいつは違う。あいつは……って、おい、ニュー」

 少ない情報を集め、乗り損ねた定期便を待つことさえ我慢できず、遠路をわざわざ歩いてまでこの村に行きたい言っていた当人は、口いっぱいに頬張った肉と格闘していた。

「お前、知りたいことがあってここに来たんだろ?」

 両手が塞がっていたので、机の下から脛を軽く蹴ってやると、

「んぁ、 ほうらそうだほうらったそうだった

 当人も忘れていたらしい。

 ニューランは慌てて肉を飲み込むと、手と口周りについた脂をぬぐった。

 そして、腰のベルトから下げているポーチから、小さな箱状のものを取り出すと、皆に見えるようテーブルの真ん中に置いた。

「何だこれ?」

 アリー達が興味津々といった様子で覗き込む。

 この小さな箱にしか見えないモノこそが、俺とニューランを引き合わせたテレプシコーラだ。

 握り拳サイズの小さな白い箱は、一般的に出回っているレコーダーとはまた一味違う、かなり特殊な品だ。

 核となるのはもちろん天星石の結晶を使った回路なのだが、テレプシコーラは通常の録音再生だけでなく、この装置にしか出来ない特別な機能があり、そしてそれはニューランのような特殊な才能を持つ者にしか使いこなせないというものだった。

「僕は技師じゃなくて、伝承蒐集家フォルクロールレイカー。大昔からその地に伝わっているもの集めているんだ」

 聞きなれぬ言葉に、全員が首をかしげる。

 当然だ。そう名乗っているのは、俺が知っている限り、ニューランただ一人なのだだから。

「伝わっているもの?」

「宝探しか何かか?」

「そんな大層なモンはここには……」

「違う違う、そういう即物的なものじゃなくてね」

 口々に疑問を投げかけるアリー達に、ニューランは立てた指を左右に振ってみせる。

 だが、普段から直感で生きているような奴のこと、酒が入っているせいもあって、皆に説明しようにもうまいこと言葉が出てこない。

「えーっとね、古くからその地や民族固有に伝わっている伝承みたいなものだけど、昔話とも違っていてね。何ていえばいいのかな、うーん、ほら、そう、アレ。アレだよアレ」

 要領を得ない説明に、周囲の混乱は増すばかりだ。

「……要するに、学者さんみたいなものか?」

「まぁ、そんなようなモノだな」

 厳密にはまた少し違うのだが、不明瞭な言葉の端から推測し、なんとか答えを出したハムザを、俺は肯定してやった。

 ニューランもニューランで、普通に言えばいいものを勿体ぶるから、余計にややこしいことになるのだ。

「ウタだ」

 とうとう見かねて、俺が解答を言ってやる。

「そう、それ! 実は僕、この村に古唄いにしえうたの唄い手がいるって聞いてね」

 だが、その一言が、場の空気を完全に凍りつかせた。

「それで、どうしても会いたくてここに来たんだけど……って、あれ?」

 アリー達どころか、離れたテーブルで聞き耳を立てていたであろう他の村人達までが凍りついたのを見て、ニューランは首を傾げる。

「僕、何かマズイことでも言ったかな?」

 酔いで鈍っていても、さすがにこの異変には気付いたようだ。

 しかし、俺に聞かれてもわかるわけがない。ニューランと互いに顔を見合わせて肩をすくめていると、隣のテーブルについていた一人の老人が口を開いた。

古唄いにしえうたは、確かにここの村に伝わっておるが……」

「本当!? 誰? その人どこにいるの? どこで聞ける!?」

 ニューランはテレプシコーラを引っつかむと、矢のような速さで老人のテーブルに向かって突撃した。その勢いと形相に、老人はもとより彼と同じ卓につく者達全員が目を白黒させていたが、やがて、老人がもごもごと歯の抜けた口を蠢かせ、言った。

「……先週、死んでしもうたよ」

「えぇぇーーーーーーー!?」

 素頓狂な声が、食堂にいる全員の耳に突き刺さる。

「そんなぁ、やっと見つけたと思ったのに……」

 空気が抜けて萎んでゆく風船のように、ニューランがその場にへたり込む。

「折角遠いところを来てもらったのに、すまんのぅ」

 言って、老人が申し訳なさそうに目を伏せた。

 だだっ広い草原をひたすら歩く道中、ニューランがいかにお目当ての人物との邂逅を楽しみにしているのかをずっと聞かされ続けていた。どれほどショックを受けているのか、俺には痛いほどわかる。

 先週亡くなったということは、街にはまだ最新の情報が伝わっていなかったのだろう。

 各都市が閉鎖し遠距離間の通信網が途絶えた今、昔ながらの通信手段は使えない。隊商による定期便が唯一の情報伝達である今の世界では、起こるべくして起こったタイムラグによる行き違いだ。

 しかし、折角遠路はるばる足を運んだのだ。何か少しでも手がかりになるものがあればと思い、 俺はすっかり萎れてしまったニューランの代わりに老人にたずねた。

「他に知っている人はいないのかい? 家族とかさ?」

 老人はもとより、誰もが気まずそうに目を配らせ、口を蠢かせるだけだったが、

「アーダムがいるよ」

「ほんとっ!?」

 小さな子供の声に、ニューランがものすごい勢いで顔を上げた。同時に、周囲の大人たちも一斉に子供を振り返る。

 ナジだ。

 少年は皆の反応に驚き、目を何度も瞬かせた。

「ああ、確かに、アーダムはそうだが……」

「じゃが、あやつは……」

 大人たちが渋っているのを横目に、ナジは持っていた籠を近くのテーブルへと置くと、ニューランの方へと駆け寄った。

「案内してあげる」

 言って、ニューランの袖を掴む。

 ニューランは俺の顔を一度だけみたが、すぐに立ち上がり、子供に引っ張られるまま店を出ていってしまった。

「あ、おい! ――すまん、ちょっと行ってくる」

 俺はあっけに取られているアリーたちに侘びて、慌てて二人の後を追った。


 この数日の間、さんざん草地を歩いて慣れたはずなのに、やはりこの場で暮らしている者の足には適わない。

 ナジはニューランの手を引きながら、草原をつき進む。さっきの照れた態度とはうってかわって、大胆に草を踏みしだき、ぐいぐいとニューランを目的地へと引っ張ってゆく。うかうかしていると、置いていかれそうな勢いだ。

 とっぷりと暮れた外は、ナジが手にするランタンの他に明かりがなかった。

 光源と、それを反射してほんやりと浮かび上がるニューランの白さも相まって、どこかこの世のものではないものを見ているような、そんな感覚に襲われる。

「アーダムはラバーブ弾きなんだ。ぼくの父ちゃんも上手だったけど、アーダムは村の誰よりも、ずっと上手だったんだよ」

 ナジはそう言って、俺たちに説明しはじめた。

「父ちゃんとアーダムは兄弟で、二人ともカリム爺ちゃんの弟子になったんだ。でも、父ちゃんは弟子をやめて、そのかわり街へ出て、いっぱい勉強して技師になったんだ」

「さっきワリードが言ってた、ケマルって人の事かい?」

 俺の質問に、ナジが振り返る。

「そうだよ」

「その人は、今どこに?」

「去年死んじゃった」

 あっさりとした返答に、却って俺の方がうろたえてしまう。

 だが、ナジはあまり気にした様子もなく、再び前を向いて草地を進んでゆく。

「ねえ、ナジ。カリム爺さんはどんな人だった?」

 ニューランに聞かれ、ナジはうーんと少し考えるような素振りをした。

「すごく年をとっていてね、それで、とってもやさしい人だったよ。でも、ウタのことになるととっても厳しくて、それで一度アーダムと喧嘩して、アーダムは怒って村を飛び出しちゃったんだ」

「へぇ、そうなんだ……って、その人、今は、もちろん、村に居るんだよね?」

 おそるおそるたずねるニューランに、ナジが笑う。

「そうだよ、この先に居るよ」

 ちょっと遠いけど、と言い足して、ナジは空いている方の左腕で前を差した。不自然に長い袖が夜風に煽られ、ひらひらと翻っている。

 ナジの返答に、ニューランがほっとしたように胸を撫で下ろす。そんなニューランとナジとを後ろから交互に見ていた俺は、はたと気付いた。ナジの左手が隠れていた理由に。

 袖先が薄っぺらく翻るのは、本来あるはずのものが、そこに収まっていないからだった。おそらく、ナジの左腕は肘から先が欠けているのだろう。もっとも、彼自身は特に不便を感じてはいないようだ。もう長いことその状態でいて、慣れているのだ。

 山からの風に煽られ、ざわざわと音をたてる草はまるで潮騒のようだった。その中を、ナジが手する結晶の輝きだけが揺れている。

 俺はふと足を止め、後ろを振り返った。

 目立つような灯りがないせいか、村は随分と遠くにあるように感じられた。

 家々はすっかり闇の中に溶け込んで、窓から漏れる小さな灯りが、夜空の星のように瞬いている。

 そんな中、一際目立つのがマーリカの宿だった。風にかき消されて音を捉えることはできないが、アリー達はまだ食堂にいるのだろう。

 折角のもてなしを中座してしまったのは申し訳なかったが、あのままあの場に居続けても却って気まずさを倍増させるだけだ。とりあえず、戻ったらまた改めてアリー達に謝ろうと、俺は思った。

 視線を移して上を仰げば、藍色に染った空の中、地上と同じようにちらちらと輝く星々に混じって、うっすらと光を纏う細い月があった。

 雲は一つもなく、よく晴れている。今夜は一段と冷え込みそうだ。そしてまた今夜も、緑や赤のオーロラが派手に靡くのだろう。

「ジウ!」

 ニューランの声に呼び戻され、我に帰る。

 気付けば、先を行く彼らの姿は随分と小さくなっていた。が、どうやら目的地に着いたらしい。暗がりに目を凝らすと、黒々とした影があるのに気付いた。

 樹だ。

 村への道中、潅木はよく見掛けたが、樹と呼ぶにふさわしい大きさのものはあまりみかけなかったので、俺は驚いた。そして、わさわさと葉擦れの音をたてるその影に、寄り添うように一軒の小屋が建っているのがわかった。

 厚手のカーテンでも閉めているのだろうか、窓からは灯りらしい灯りが見えない。人の気配もあまり感じられす、その様子はまるで、息を殺して村から隠れているような具合だ。

「あっ」

 突然、ニューランが小さな声をあげた。ナジがそれまで繋いでいた手を離し、小屋に向かって駆け出したからだ。

「アーダム、起きてる? お客さん連れてきたよ!」

 ナジは扉に駆け寄ると、どんどんと叩き、中に居るであろう人物を呼んだ。

 俺もニューランも驚いていたが、一番驚いたのは当のアーダムだろう。中から慌てたような足音がした思ったら、すぐに扉が開かれた。

 その頃には俺たちもナジの側に追付いていた。扉から漏れる灯の眩しさに顔をしかめながらも、逆光の中に立つ人物を見る。

「ナジ!? お前、何でここに?」

 二十代を迎えたくらいだろうか、まだどこか幼さを残す風貌をした青年だった。

 古唄などというものを継ぐのだから、きっとニューランのような変わった特徴でもあるのだろうと密かに思っていのだが、アーダムは別段どうということのない、普通の青年だった。けれど、その顔にはとうてい一筋縄では行きそうにないものが浮んでいた。

「何やってるんだ、お前! ここにはもう来るなって言っただろう!」

 アーダムの剣幕に、ナジの勢いが萎む。

「でも、アーダムのウタを聞きたいって言う人が……」

「何だって!?」

 アーダムはナジの口にしたウタという言葉に激しい反応を見せた。

 彼は小さなナジの顔と、その後ろで二人のやりとりについていけずに突っ立っているニューランと俺とを、険しい表情で見比べる。

 そして、その顔のまま、言った。

「お引き取りください」

 堅い声だった。

 拳を握り締めているのだろう、指先が隠れるほどのゆったりとした長袖の先が小刻みに震えている。

「でも、アーダム。アーダムじゃないと、ウタは――」

「ナジ!」

 大声で怒鳴られ、ナジの小さな身体は飛び上がった。

「すみません、急に怒鳴ったりして」

 呆気にとられるばかりの俺たちに、アーダムは頭を下げた。

「でも、今申し上げたとおり、御希望に添うことはできません。遠いところをお越し下さったことは存じておりますが、お引き取りください」

 怒りを押し殺したような、それでいてどこか苦し気に呻くような声を絞り出し、アーダムは扉を閉める。

 その時、俺は見たのだった。

 長めの袖先からちらりと覗く、把手を掴む左手――その指が、何本か足りなかったのを。

 取り残されて呆然と立ち尽くす俺たちの耳に、内側から閂が降ろされる音が届く。

 アーダムに怒鳴られたナジは、俯いて洟をすすり上げるばかりだった。

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