第29話 不尽の劫火

 時は、少し遡る。


「燃えない。なに、あの冷気」


 鳶崎日陰は青き龍、青龍と呼ぶべき敵と戦っていた。日陰の魔法は炎。体表に冷気を纏う青龍とは相性が悪いのは一目瞭然だ。意思を持っているかのように縦横無尽に青龍を追い詰める炎は、その身を焼き焦がす直前に冷気によって相殺されていた。


「埒が明かない……」


 日陰は苛立っていた。日陰の魔法は文字通り全てを焼き尽くす劫火。小詠と同じく、大体の魔物との戦いは一撃で終わらせてきた。それに、今はみなとがそばにいない。その事実が日陰にとって大きなハンデとなっていた。


「みなとがいればこんな冷気、関係ないのに」


 炎を一度収める。一呼吸おいて再び炎を出す。その火力は先ほどと比べて僅かに弱弱しい。


「消耗してる。このままだと負ける」


 自分の状況を認識するために口に出す。淡々としてはいるものの状況自体には焦りを感じていた。日陰の魔法はせりやみなとのように無限ではない。小詠と同じように、使えば使っただけ消耗していく。もちろん小詠に比べれば遥かに高い持久力を持ち合わせているが、こうも相性の悪い相手であると弱点として露になってくる。

 吐き出される凍気を炎で相殺する。せめてもの幸いは相手にとっても自身の魔法が有効であったことか。だが、限界が見えているのは日陰の方だ。何か打開の手がなければ日陰が負けるのが必然だ。


――引くべきか?


 そうするのが最も今の状況を打開できる可能性が高い。もしこの空間にみなとがいるならば、合流さえできればどうにかできる。或いは刻時 せり、比奈瀬 小詠のどちらかでもいい。


「でも、それは日陰じゃない」


 日陰は逃げることを許さない。それを許してしまえば、日陰は己自身を見失ってしまうことを知っているからだ。自分を自分たらしめる確かな何か。それが、魔法少女にとって大切なことで魔法少女になるための資格だと知っている。だから、日陰には逃げる選択肢は存在していない。たとえ、この場で散ることになったとしても、最後まで足掻き、抗い、まっすぐに戦い続ける。それが鳶崎 日陰という人間だから。


「燃え盛れ、赤の紅炎レッド・ブレイズ


 炎が燃え上がる。その勢いはやはり最初の頃とは比べものにならないほど弱い。けれどその足は一歩たりとも後ろに下がることはない。ただ立ち向かう。その結果、燃え尽きたとしても日陰は構わない。

 地を蹴り飛ばして、青龍に飛びかかる。それを阻もうと襲いくる冷気を炎を纏った剣で振り払う。冷気に相殺されて炎の勢いがさらに弱まる。


「まだ……!」


 僅かに炎の勢いが吹き返す。続く第二波、辛うじて振り払うものの炎の勢いはさっきよりもさらに弱まる。すかさずに襲い来る第三波。今度は弱まった炎を再び灯す余裕はない。冷気自体は相殺しきったものの、それを運ぶ空気の勢いまでは殺せずに叩きつけられて吹き飛ばされる。


「ッ……!」


 届かない。恐らく今のが最後の機会だった。もう、日陰にはまともに炎を出すだけの魔力は残っていない。けれど、それでも日陰は折れない。魔力不足でふらつくのを堪え、剣を地に突き刺して立ち上がる。


「はぁ……、はぁ……」


 息が上がる。吹き飛ばされた先で木の幹に叩きつけられたことで肋骨を折ってしまった。ズキズキとした痛みが響く。炎はもう風前の灯火だった。それでも、日陰の瞳は青龍を見据え続けていて、戦う意志がまだ煌々と灯っていた。そうして再び青龍に立ち向かおうとしたそのときに日陰はそれに気づいた。戦闘音。何かが戦いながらこちらに近づいてきている。それは好機か。この状況を打開するには賭けるしか日陰にはなかった。近づいてくるものの正体が両者とも日陰の敵であればより状況は悪くなる。合流した際の混乱に乗じて逃げるための準備をしておくのが最も安全な選択だ。だが、やはり日陰には逃げる選択肢はない。状況はもとより最悪。そもそも賭けるつもりすらない。敵が増えようと、その全てを打ち倒すことしか考えていなかった。


「もっと燃えて」


 炎が燃え上がる。既に尽きていたはずのそれは最初の頃の業火、否、それ以上に燃え上がっている。その力に何の代償がないわけがなく、その炎は日陰の左腕ごと焼き尽くそうと狂ったように荒れ狂う。


「ッ……! ぐぅううぅ……!」


 腕を焼かれる痛み。それを噛み殺すために歯を食いしばって対抗する。痛みは依然感じるが、多少なりともマシになる。決死の覚悟で出した最大火力以上の炎を青龍にぶつけようとしたその時に、背後から迫っていた存在の姿が見える。


「鳶崎、日陰……、小詠じゃなかったのね」


「刻時 せり……」


 せりと日陰の目が合う。せりが日陰に自分の後ろへ向かうように視線で促す。それで日陰は自分のすべきことを理解した。青龍に向かおうとしたのを翻す。日陰はせりの来た方向。森林に潜むそれに向けて炎を放つ。それと同時にせりは白の拒絶ホワイト・リジェクトを展開し、青龍を閉じ込める。放つ冷気が厄介であった青龍はスピードにはやや欠けていた。せりの魔法ならとらえるのは難しくない。そしてせりを追いかけていた白虎はその速度故に日陰が放った炎によって燃え上がった森林の中で迂闊に動けなくなった。僅かでも燃え移ればその身全てを焼き焦がす。日陰の炎はそういうものだ。


「刻時、拘束を少しだけ開けて」


「ええ」


 白虎が止まったことを確認して、日陰は青龍の方へ戻る。白の拒絶を僅かに開けてもらうと吹雪のように冷気が吐き出される。


「終わり。閉じて」


 日陰は、その穴に向けて炎を放つ。その勢いは開けられた穴一点に凝縮されているはずの青龍の冷気を凌ぎ、白の拒絶内部に入り込み、青龍に燃え移る。白の拒絶が閉じられ、青龍は逃げ場のない内部で焼き尽くされる。確認する必要はない。もう消えないし、消せないのだから。


「ッ……! ぐぁあああぁぁぁ……!」


 気が抜けたのか日陰は倒れこむ。それと同時に苦しみだす。左腕に燃え移った炎はまだ消えない。いいや、消すすべを日陰は持ち合わせていない。


「何やってるの!? 早く炎を消しなさい!」


「消せない。日陰の魔法は炎を出すだけの魔法とそれを制御する魔法。制御の方に多くの魔力を使う。もう、これを消すだけの魔力は、ない」


「な……!?」


 日陰の魔法。それは炎を操る魔法では決してなかった。全てを焼き付くす劫火とそれを操る魔法、それぞれが独立していて、使う魔力は操る魔法に大きく傾いている。炎を出すだけであれば日陰は殆ど魔力を使わない。だが、制御する方は違った。こちらは大きく魔力を消費する。出した炎の大きさに比例して、操作するのにも、消去するのにも消費する。


「あなたの魔法で、日陰の左腕、潰して」


 日陰の左腕の炎は二の腕辺りまで来ており、あと僅かで肩まで届こうかというところだ。今処置すれば片腕を失うだけで済む。


「本当にいいのね」


「みなとが治せる。だから早く」


「分かったわ」


 日陰の左腕にせりが手を翳す。肩の辺りを囲むように黒い立方体が現れる。せりがその手を握ると、立方体は囲んでいた空間を埋めるように広がっていく。


「あぁぁああぁぁあぁあぁッ!!!」


 絶叫。白の拒絶は無。故に阻むことはできない。元から何か物質がある空間には出現できないが、出現した後に形を変えるのであれば物質を押し除けることができる。圧迫され、肉が弾け、骨が軋む。輪のように開いた中心の空間がなくなったその時、日陰の左腕は切断される。


「ッ! あッ!」


 腕が千切れる。成功だ。炎は全て左腕に残したまま分離することができた。だが切断された左腕から流れ落ちる血液。これを止めなければ今度は失血死してしまう。今の魔力でも制御できる僅かな炎。それを傷口に灯して焼く。


「剣から炎を出すってのも嘘だったのね」


「日陰の剣はコスチュームの一部だから」


 せりはみなとに対する警戒を強める。もし日陰と戦うとして、炎が剣から出ると思い込んでいたら致命的だった。一度燃え移れば全てを焼き尽くす炎。たった一度でも喰らえば終わる攻撃のたった一度を生み出す隙になる。やはりみなとは小詠とせりと戦うつもりがある。


「今のうちにあなたを殺しておくべきね」


「日陰を殺したらあなたの願いは叶わなくなる」


「……どうして」


 せりは目を丸くした。それと同時に身の毛がよだつ。見透かされている。観察眼、或いは勘か。やはり殺しておくべき。だが、日陰の言う通り、せりには日陰を殺せない。


「その理由を言葉にしてほしいの?」


「……いいえ」


 せりは振り返り、歩き出す。本当は置いて行きたかったが、またあの白虎と出会すとせり一人では追われる身に逆戻りだ。剣や左腕の有無が関係なく魔法が使えるのであれば魔力さえ回復すれば日陰は問題なく魔法を使える。小詠を見つけるまでは一緒に行動してた方がいい。幸いにも日陰には敵意は無い。嘘をついたのもみなとだ。何か企んでるのもきっとみなとの方なのだとせりは考える。


「行きましょう。二人を探すわ」


「分かった」

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