第27話 今だけでいい、もう一度

願う、祝福をデザイア・ブレス願う、祝福をデザイア・ブレス願う、祝福をデザイア・ブレス願う、祝福をデザイア・ブレス……」


 焦りが募る。薄っすらと汗が滲み、心臓の鼓動はこれでもかというほどに早く、痛みすら感じる。何度呪文を唱えても変身の兆しは一向にない。心臓の鼓動がさらに早く、大きくなる。みなとさんはトレントを抑えてくれている。しかし、その戦い方はあまりに痛ましく、見ていられない。心臓、脳といった即死する箇所への攻撃だけは防ぎ、その他の部位の怪我は気にも留めない。時には腕が引きちぎれ、腹に穴が開き、足が吹き飛んだ。それを魔法ですぐに治している。もし、即死してしまったら治すことはできないのだろう。わたしにできるのはそうならないように祈ることと、一刻も早く変身することだ。


願う、祝福をデザイア・ブレス願う、祝福をデザイア・ブレス……、っ……!」


 頭痛が激しくなる。呪文を唱えるごとに痛みを増していくそれはまさに警鐘のようだ。痛みが響く。正直なところ、もうまともに意識を保っていられないほどに痛い。それでも、やめるわけにはいかない。少しでも早く変身しないと。みなとさんが死んでしまう。


願う、祝福をデザイア・ブレス願う、祝福をデザイア・ブレス! っ……、はぁ、はぁ。なんでッ!」


 なんで変身できないのだろう。どうしてわたしだけ7回なんて制限があるのだろう。せりちゃんも、みなとさんもでたらめな魔法を持っているというのにどうしてわたしだけ。こんなこと思っても仕方ないけれど、今は7回という制限がたまらなく恨めしい。こんな制限がなければ最初からみなとさんに嘘をつくこともなかったのに。


「コヨミ、もうやめよう」


 呪文を唱えることに必死でいつのまにか傍らにディモがいることに気づかなかった。


「やめるって!? やめたらみなとさんは……! それに朱雀の方はどうしたの!?」


「ボクは触手を使い切ってしまった。今はゼブルベルルが抑えてるけど時間の問題だ」


 引きちぎれて小さくなった触手を見せながらディモは言った。朱雀の方を見やるとゼブルベルルが硬質化した羽を飛ばして抑えているが、最初の頃のような勢いはなくなっていた。


「だからと言ってやめるわけには」


「逃げよう。今なら逃げられるかもしれない」


 酷く合理的な選択。確かに今なら逃げ切れる可能性がわずかながらある。


「そんなこと、できないよ!」


「このままじゃ共倒れだ。だったらボクはボクたちだけでも生き残れる可能性がある方の選択をするべきだと思うね」


「わたしはそう思わない!」


 みなとさんを見捨てて、それで生き延びたところでわたしは一生後悔する。そんな後悔を背負って生き延びるなんて嫌だ。だったらわたしはわたしが変身できるようになって、みなとさんと一緒に生き延びられる可能性を選ぶ。


「ならはっきり言おう。キミの魔法が回復するのに変身の維持に必要なだけで約1時間、黒の切断ブラック・セイヴァー1回につき約1時間かかる」


「そんな……、じゃあ、最低でもあと2時間も……」


 ディモが告げた事実はまさに絶望だった。抱いていた希望を刈り取るには十分すぎる事実。


「可能性なんてないんだよ。仮にミナトが2時間凌げたとしよう。彼女は即死しない限りはトレントを抑え続けられるかもしれない。でも、朱雀を抑えてるゼブルベルルはどうかな。彼にはボクと同じく明確な限界がある。ボクの見通しではあと10分が限界だ」


 二人とも共倒れする。その事実は変えようがないことを理解してしまった。ディモの言う通り、みなとさんは耐えられたとしても、ゼブルベルルは違う。ゼブルベルルが倒れれば、みなとさんは一人で朱雀とトレントを相手どらなくてはならなくなる。トレント一体でも即死だけはしないように立ち回るのがギリギリだ。朱雀が加われば簡単に即死してしまうだろう。


「どうにもならないの?」


「残念だけど、どうにもならない。この場を切り抜けるには彼女を置いて逃げるしかない」


 そんなこと、したくない。でも、わたしが逃げた方がみなとさんも救える可能性がある。それは今じゃないけど、わたしが願いを叶えたとき魔物の存在が最初からなかったことになってみなとさんは生き返る。


「……分かった、逃げよう」


 だから今は置いて逃げます。本当にごめんなさい。


「なら急ごう。静かについてくるんだ」


 ディモの先導に従って動き出す。静かに素早く。みなとさんたちを囮にするのだから、朱雀かトレントのどちらかでもこちらに気づいて追ってきては本末転倒だ。


「ごめんなさい、ごめんなさい……!」


「振り返るんじゃない! 前に進むんだ」


「でもっ!」


 置いていくと決めた。だから振り返ってはいけない。でも、耐えきれなくて振り返ってしまった。目に入った光景はゼブルベルルが限界を迎え、朱雀を抑えられなくなる瞬間だった。朱雀はみなとさんを目掛けて突撃する。それに合わせてトレントがみなとさんの退路を塞ぐ。避けられない。朱雀の突進を食らえば、みなとさんは即死しかねない。戻ってはいけない。振り返ってはいけない。今は逃げないといけない。頭では分かっている。でも、身体は、わたしの口は勝手に、その言葉を叫んでいた。


願う、祝福をデザイア・ブレスッッ!!!」


 視界が、反転する。時間が止まったような。目の前の地面にわたしの刀、黒の切断ブラック・セイヴァーが突き刺さっていた。普段とは明らかに違う。きっとこれは最後の警告。決して手を伸ばしてはいけない。――わたしは躊躇いなく、その力を手に取った。


「――コヨミ、まさか……?」


「っ、ああああぁああぁあぁ!!!」


 全身が軋む。まるで、骨という骨の全てが砕けているかのようだ。衣装も普段とは違う。袖は破れ、胸に一文字の傷跡、スカートの裾は解れてぐちゃぐちゃだ。でも、そんなものはどうでもいい。今必要なのは黒の切断ブラック・セイヴァーだけだ。これさえあればいい。この魔法さえあれば、みなとさんを助けられる。

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