第16話 反攻

 刹那。ディモの触手が伸びる。

 わたしを拘束したことで脅威がなくなったと誤認していた彼女の不意を突くことに成功する。ディモの触手は彼女の身体の中心に突き刺さり、さらに無数に枝分かれして内部から引き裂いた。

 そう、ディモはニャルラリリエルを攻撃した。


「……ッ!? ニャル!?」


 動揺。拘束していた立方体のうちの一部が消え、どうにか抜け出せるようになった。身を捩り、拘束から抜け出す。まさかうまくいくなんて思わなかった。きっとせりちゃん自身が攻撃されていたのならここまで動揺することはなかったと思う。せりちゃんは自分に対する攻撃には無意識で警戒していたんだと思う。だからこそ、ニャルラリリエルへの攻撃に、この場でおよそ攻撃する必要のない存在への攻撃に驚き、動揺した。まったく、ディモはどこまでも合理的だ。

 ディモの触手が引き抜かれ、力なく落下していくニャルラリリエルのもとにせりちゃんは走りだす。それをその傷でどこから発声しているのか、ニャルラリリエルが制止する。


「ニャルは大丈夫なの! それよりも早く変身を解くの!」


 その言葉を聞いてわたしも察する。今の揺らぎでせりちゃんの父親の拘束も緩んだのだと。姿を見られては殺してしまう。


「ッ! 願うデザイア……」


願うデザイア……」


 わたしとせりちゃんはほぼ同時に呪文を唱え、変身を解除しようとする。しかし、そこに割って入った存在に気づいて止まる。


「どうしました? 続けて、どうぞ」


 ナイトメア・アクター。彼が父親の両眼を塞ぎ、人質に取っていた。


「……何の真似かしら?」


「いえ、少々分が悪くなりましたので保険ですね。黒のプリンセスは真実に気づいてしまったようですし」


 わたしが察したことを察されていたようだ。変身を解かせてわたしたちを殺す? いいや、そうだとしたら人質として弱い。だから逃げるつもりだと思う。


「さあ、変身を解いてください。この男の命が惜しいならですが」


 わたしは言われるがままに変身を解く。だけど、せりちゃんはそんな素振りを見せない。


「その男が人質になると思ってるの? できれば苦しませてから殺したいだけよ」


「だめだよ、せりちゃん。あの人も、被害者なんだから」


「あなたが口を挟まないで」


 一蹴される。当然だ。わたしは部外者なのだから。けれど、わたしの言葉を聞いてナイトメア・アクターは続ける。


「ええ、その通りです。この男は被害者。あなたと同じ、あなたの母親に苦しませられ続けてきたのですよ」


「は……? どういう意味?」


「言葉のままの意味です。母親に化けて潜り込だときに知りました。この男はずっとあなたの身を案じていた。どうにかして母親から救い出そうと考えていた」


「しかし、実行する力はなかった。刻示財閥に婿養子として迎えられた彼には、まだ幼いあなたの弟を守らないといけない彼には。財閥の実質的な支配者である妻に逆らうことなんてできなかったのですよ」


 迷いが生まれる。その事実を知ったせりちゃんは父親に同情をしてしまう。なぜならその苦しみはせりちゃんもよく知っているからだ。


「……嘘よ」


「真実です。そのことにあなたは気づいているはずですよ」


 ナイトメア・アクターが嗤う。せりちゃんはハッとした顔になって何かに気づく。


「……薺」


「ええ! そうです! あなたの弟です! あなたの母親は今まで一度もその名前を口にしたことはなかった」


「愛していたのであればあなたと比較して名前が出ることでしょう。しかしそれはなかった。彼女は自分の息子は死んだと思っていたのですから」


「そして、彼を匿っていたのがあなたの父親です。そうですよね?」


「ああ、そうだ、だが……」


 父親は答える。それが事実であったとしても、せりちゃんに負い目を感じているのかはっきりと主張はしなかった。


「……それでも、この男も同罪よ!」


「ええ、そうですねぇ。その通りだと彼自身も思っていることでしょう」


「……ッ!」


 そこでせりちゃんの父親に対する殺意はなくなった。張りつめていた殺気が収まり、握りしめていたこぶしの力を抜く。


「……願う、封印をデザイア・シイル


 変身を解く。その表情はもう、父親を殺そうとする復讐者のそれではなかった。ただ、父親の身を案じる娘だった。


「その人を、父さんを解放して」


「ええ、いいでしょう。私としては台本が台無しになってしまい残念なのですが」


 ナイトメア・アクターは本体らしき人型だけせりちゃんの父親から離れる。


「私が安全な場所まで離れた後にこの靄は消えます。では、ごきげんよう」


 ナイトメア・アクターは宙へ浮かび、窓から外へ飛び立つ。薄気味悪い笑い声を上げながら、ゆっくりと離れていく。魔法少女の身体能力で飛んだとしても、僅かに届かないであろう位置まで移動したところで、せりちゃんの父親の拘束が解ける。


「父さん、目を閉じていて」


「あ、ああ……」


 言われるがままに父親は目を閉じる。それを確認するや否やせりちゃんは変身の呪文を唱える。


願う、祝福をデザイア・ブレス!」


願う、祝福をデザイア・ブレス


 それに続いてわたしも呪文を唱え、魔法少女に変身する。


白の拒絶ホワイト・リジェクト


 ナイトメア・アクターに狙いを定め、あの黒い立方体を作り出す。しかし、出現するまでがあまりにも遅い。ナイトメア・アクターは簡単にすり抜けて拘束から逃れる。


「この距離じゃ駄目ね……」


 歯噛みするせりちゃん。わたしは今の魔法を見て届かせる方法に気づく。


「わたしが行く。だから」


「分かったわ。足場は任せなさい」


 こうしている間にもナイトメア・アクターは遠くへ逃げてしまう。その焦りから言葉足らずになってしまったが、せりちゃんに意図は伝わったみたいだ。


「ボクも行こう」


 そう言ってわたしの肩に捕まるディモ。


「じゃあ、行ってくる!」


 そう言って窓から飛び立つ。魔法少女になることによって上昇した身体能力を十全に振り絞って飛ぶ。だけど、届かない。もうとっくにナイトメア・アクターは一度の跳躍では届かない場所にいる。だから。


「残念でしたね。黒のプリンセス。せめて地に叩きつけられるのを待つ恐怖を味わう前に、私が殺して差し上げましょう! 影の雨シャドウ・スコール


 黒い靄が集まり、結晶のようになる。それはまるで鏃のようで雨のように降り注ぎ、わたしの命を貫こうと襲い掛かる。


「任せて」


 ディモの触手がナイトメア・アクターの攻撃を弾く。触手がその反動で引きちぎれる。


「やはり魔物とは相性が悪いね」


「あなたは所詮は導き手コンダクター。出過ぎた真似をしすぎではないですかね?」


 続けてナイトメア・アクターの追撃が来る。対抗するディモの触手は明らかに先ほどより減っている。せりちゃんはまだ!? そう思った瞬間に黒い立方体がナイトメア・アクターを阻む。


「ごめんなさい、あの距離だとやはり無理だったわ」


 すぐ背後にせりちゃんがいた。黒い立方体を足場にして、ここまで走ってきたようだ。すぐさまわたしの足場も作ってくれる。


「さあ、行って」


「うん! ありがとう」


 足場を蹴ってもう一度跳躍する。今度は届く。


「く……、これはまずいですね。影の雨シャドウ・スコール


 再び鏃のような雨が降り注ぐ。それをせりちゃんの魔法が防ぐと同時に、新たな足場が作られ、それを使って方向転換する。


「これで、終わり!」


 間合いに入る。刃が届く距離。刀を振るう。影でできた魔物であるナイトメア・アクターが斬れるのか、僅かばかりの疑問があったけれどこの魔法は何でも斬れる魔法だ。だから、わたしが斬ろうと思えば斬れるはずだ。


黒の切断ブラック・セイヴァー!」


 刀を振る直前。絶体絶命であるナイトメア・アクター表情は険しいものであった。けれど、次の瞬間。わたしの刀が触れた瞬間に嗤った。

 確かな手ごたえ。もちろん抵抗自体はないのだけど、何かを斬ったという感覚。7回制限の魔法のうちの1回を使ったという感覚。斬れたんだと確信する。


「ふふ、ふふふふふふふふふ……」


 ナイトメア・アクターは嗤った。斬った場所から影が晴れていく。そして、その理由に気づいた。


「う、そ……? 有希……?」


 ナイトメア・アクターの中にいたのはわたしのよく知る人物。有希だった。


「どうして!? なんでそこに有希がいるの!?」


 分からない。有希がなぜナイトメア・アクターの中にいたのか。どうして? いったいいつから? いや、そんなことはどうだっていい。わたしは有希のことを斬ってしまった。


「……ごめんな、小詠。あたし、お前の足、引っ張っちまったみたいだ……」


 そう言って、有希は事切れた。嘘、嘘でしょ。嘘だと言ってよ。そうだ、これはナイトメア・アクターの作った偽物だ。そうに違いない。


「本物だね。なるほど、ナイトメア・アクター、キミの本当の目的はこれか」


 ディモの言葉でその可能性はなくなってしまった。


「ええ、私の台本シナリオです。お楽しみいただけましたか?」


「そういう魔物か。彼の趣向がよく出てるよ」


「いいえ、私は私です。誰のものでもございません」


「脚本家を自称する役者アクターというわけか」


「どうでもいいよ!」


 そんなことはどうでもいい。今わたしの中で最も大きいのは有希の死だ。


「なんで有希を巻き込んだの!? なんで!? 関係ないでしょ!?」


「……その顔ですよ。その顔が見たかったのです」


 わたしの顔を見てナイトメア・アクターが嗤う。それで理解する。これは、この魔物は人を苦しめて弄ぶ。それがこの魔物の本質だと。


「私は人が絶望した表情が大好物でして。白のプリンセスも面白かったのですが、あなたの方が確実でしたからね。こうして台本を変えたというわけです」


 そして満足したという様子で背を向ける。


「では、さようなら。またいずれお会いしましょう」


 そう言って夜の闇に悪夢は溶けていった。

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