第14話 ウェイクアップ

 私の人生を振り返ってみれば、それは地獄だった。

 父親は知らない。会ったことは片手で数えられるほどしかない。そして、母親が最悪だった。

 虐待。私が受けたことを纏めて言い表すのであればそれだ。暴力、暴言、監禁、ネグレクト。毎日のように暴力と暴言を浴びせられ、食事は一日に一回出ればいい方。それも犬の餌のような、いいや、その方がまだマシだったかもしれない。平日は体裁を気にしていたのか学校には行かせてくれたが、休日は家に監禁。一切の自由はなかった。

 最悪だったことは両親が表の社会ではそれなりの地位に位置していることだ。銀行、レストラン、ホテル、デパート、旅行代理店、通信、カラオケ、エトセトラ。多業種に渡る刻示グループのトップ。実の娘に対する虐待なんて簡単にもみ消せた。

 その結果、ストレスと栄養失調で私の身体からは色素が減り、髪は白く、瞳は赤く変わってしまった。


 終わらない地獄のような日々。この日々に終わりが来るのはきっとこのクソ女が死んだそのときだと思っていた。事実、その通りであった。


 ある日、私の前に白猫が現れた。自分を導き手コンダクターと名乗ったその白猫の名前はニャルラリリエルと言うらしい。曰く、自分と契約して魔法少女となり、魔物を100体倒せば願いを叶えてくれるのだとか。私にとってそれはどうでよかった。100体もだなんて遠すぎる。そんなことよりも、魔法少女になれるという方が気になった。私は白猫に尋ねる。


「……魔法少女になれば人くらい殺せる?」


「余裕なのよ。それ以前に魔法少女は人に姿を見られてはいけないの。見られた時点で目撃者をニャルが殺すの」


 最高だった。あの女を殺せる。この地獄みたいな日々から抜け出せる。魔法少女になる理由なんてそれで十分だ。


「なるわ、魔法少女に」


「分かったの。それじゃあ契約をするの」


 白猫は私の胸に手を当てる。厳密には肉球だけど。そこから熱い何かが流れ込んでくる。


「はい、契約完了なの」


 服をずらし、先ほど触れられていた場所を見ると円形の紋章のが刻まれていた。その中心に0の数字。


「その数字はセリの倒した魔物の数を表してるの」


「それが100になった時、あなたの願いは叶うの」


 説明を聞くとすぐに興味が失せた。魔物とやらを100体も倒して願いを叶えるつもりはない。私の願いはもっと簡単に叶うのだから。


「……そう、私には関係ないわ」


 そう答えた瞬間、鍵が回る音がする。あいつが帰ってきた。恐怖で体が竦む。大丈夫だ、大丈夫。もう、怖がる必要も怯える必要はない。私はあいつを殺せる力を手に入れたのだから。頭の中では分かっている。それでも身体が言うことを聞かない。16年間で教え込まされたこれは意志でどうにかできる物じゃない。


「セリ、唱えて。願う、祝福をデザイア・ブレスと」


「え……?」


「そうすれば、セリの姿を見た瞬間に、ニャルが終わらせてあげるの」


 さっきの言葉を思い出す。魔法少女を目撃した者を殺す。そうならば変身するだけでいい。願う、祝福をデザイア・ブレスと唱えるだけでいい。顎が震える。息が上手くできない。けれど、掠れる声で何とか絞り出す。


「デザ……っ、イアっ……、ブレス……っ」


 唱え終わると、全身が光に包まれる。体が軽くなり、力が湧いてくる。服装が変わり、白を基調にして装飾された学生服のような衣装になっていた。


「お母様が帰ってきたというのに出迎えもないのかしら?」


 あいつの声だ。全身が硬直する。けれど、行かなければもっと酷い目にあわされる。それが分かっていたから何とか身体を動かすことができた。


「ごめんなさい。今行きます……」


 震える足を踏みしめて母親の元へ向かう。この姿を見せれば殺せる。見せるだけで終わる。もしそうならなかったとしても全身に溢れる力を感じる。殺せる、殺せるはずだ。あいつを殺せる。私は解放されるんだ。少し歩くといつの間にか硬直は消え、私の心は高揚感で満たされていた。


 姿を晒す。それを見てあいつは眉を顰めて訝し気な表情をする。そして口を開く。けれど言い切る前に。


「あんた、なんなのよその恰好――」


 ニャルラリリエルの凶爪があいつの身体をバターでも切るかのように容易に切り裂いた。


「終わったのよ」


 放心した。こんなにもあっさりと。解放された。この女から私は解放されたんだ。


「ふふっ、ははは、あははははは」


 笑った。笑い続けた。そして泣いた。悲しいからではない。これは嬉し涙だ。笑って、泣いて、叫んで。ひとしきり感情を吐き出した後に残ったものは後悔だった。


 こんなのでは足りない。簡単に死なせてしまったのはもったいない。


 どうしてこんなにも簡単に殺してしまったのだろう。あいつの苦しみは一瞬だった。足りない。足りないだろう。私の16年間の苦しみと比べたら釣り合わない。だから、今度はじっくり殺す。時間をかけて痛めつけて苦しませて。今までのことを、生まれてきたことに後悔させてから殺す。けれどもう母親はいない。死んでしまったのだから今度はない。だから父親だ。私を、母親の蛮行を放置し続けた父親を殺す。復讐だ。


 だが、問題がある。魔法少女のルールが足かせとなる。姿を見られただけでニャルラリリエルが殺してしまうのでは苦しませられない。魔法少女の力なしでは私はただの少女だ。父親の所在は分からないし、立場的に考えてボディーガードなんてものもいるのかもしれない。近づくのは難しいかもしれない。


 そんなことを考える私の前に不気味な影が現れる。それに対しニャルラリリエルは敵意をむき出しにし、威嚇をする。直感で分かった。これが魔物だ。


 影は緩やかに人型を象り、私に向けて頭を下げる。


「こんばんは、白のプリンセス。私は悪魔ナイトメア・アクター。取引をしませんか?」


 差し出される手。


 私は、その手を取った。

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