第2章 白の魔法少女は何も見ない
第6話 いつかあなたのために
「珍しいですね。あなたが自ら魔物討伐に出るなんて」
暗く、月明かりだけが差し込む部屋でも一際黒く、くっきりと形が分かるそれはこの暗闇の中で蹲る少女に言った。
「何か心境の変化でも? まもなく貴方様からの依頼は完遂するので余計なことはしないでいただきたいのですが」
「うるさい」
そう一言だけ言って、白髪の少女はそれを黙らせる。
少女にとって心休まるのは夜だけだ。日差しは彼女には眩しく、騒々しい。少女は何もない部屋でただ蹲って時を過ごす。そうしている時間が、少女にとって最も安堵できる時間だ。
「ですが、まもなくなのですよ。貴方様の願いが叶うのは。それとも、魔法少女として願いを叶えますか?」
「せりはうるさいと言っているの。分からないの? 薄汚い魔物が」
白い少女の隣に佇む白猫が嫌悪を露にして言い放つ。そう言われるとそれは一歩身を引き。
「これはこれは、失礼いたしました白のプリンセス。これ以上は何も言いません。では、約束の日まで、どうぞご自愛くださいますよう」
そう言ってそれは闇の中に紛れ、どこかへ消え去る。そうして静寂が訪れる。だが、少女は眠らない。眠れない。少女にとって眠りとは心休まるものではないからだ。
「……どうしてあんなことをしたのかしらね」
ふと瞳を開け、空に吐く。誰に問うでもなく、ただ漠然と独り言として呟いた。少女の願いを叶えるためであれば、先のそれが言ったように魔物を狩る必要はない。けれどなぜかあの時は一時の気の迷いか、それをしてしまっていた。たまたま近くで現れたからといって、放っておけばよかったものを。他の魔法少女が通りかかったから良かったものの、もし一匹でも魔物を倒しでもしてしまえば、それで全てが始まってしまう。
「そう言えばあの時の魔法少女」
あの子は、とても綺麗な目をしていた。ただ、盲目的に、世界に救いがあると信じている目。それでもどこか翳ったものがあったのだから、もう魔法少女の目撃者が殺されることは知っているのだろう。だからこそより強くもあった。けれど、まだ、もう一つは知らない。それを知ってしまえばあんなにまっすぐな目はできない。そう、この世界はシンプルなほどに残酷で、夢のように都合のいいことなんて一つもなくて、余すところなく悪意に包まれている。
「あの子がそれを知ったとき、いったいどうなるのかしらね」
少しだけ、興味を持った。初めての感情だった。誰かの行く末を見てみたいと思うなんて。
「気になるの?」
白猫が少女に問う。
「どうでもいいわ」
そう。それは一時の気の迷いに過ぎない。どうせ、時が経てば忘れることだ。少女は他人と関わらない。興味を持たない。期待しない。そうやって生きてきた。だからこれから先もそうやって生きていくはずだ。
少女は再び瞳を閉じて蹲り、ただ時が過ぎていくのを待った。
***
次の日、学校に着いてまずいの一番に真中さんの机を確認した。結論から言えば、真中さんの机はそっくりそのまま残っていた。机の中には詰め込まれた教科書やプリントがあったし、ロッカーには置き勉の教科書と体操服がしまわれていた。
それだというのにクラスのみんなは誰一人として真中さんのことを気にしない。最初からそうであったかのように、そうであることが正しいかのように気にも留めない。その状態があまりに歪で気持ち悪かった。
授業中でもそうだ。教師が生徒に問題を解かせるために指名するとき。
「じゃあ次は保土ヶ谷と瑞樹、前に出て問題を解いてくれ」
保土ヶ谷君と瑞樹さんの間。先生は真中さんを迷いなく飛ばした。保土ヶ谷君と瑞樹さんの席の間には確かな空白があるというにもだ。その言葉には一切のためらいがなく、明らかにそこに隙間があるというのに、そこに誰かがいたはずだというのに、ただ、彼女がこのクラスにとってはもういない存在で、限りなく薄くされてしまっているということを突き付けられる。
「どうして、誰もおかしいと思わないの……」
誰にも聞こえないように溜息のように小声で呟く。一目見れば、真中さんがつい最近までこのクラスにいたという痕跡があるにも関わらず、誰も気に留めない。その痕跡を目にしても何も気づかない。
「よ、小詠。どうしたよ、浮かない顔して」
「ひゃっ! つめたっ! もう、有希……」
首筋に冷たい感覚を覚え、驚いて声を上げる。振り返ると、わたしの首筋に缶ジュースを押し当てる有希が、少し訝し気な表情で覗き込んでいた。
「ほい」
「あ、ありがと」
ジュースを受け取ると、有希も自分の分のジュースのタブを開け、わたしの机に座る。
「で、どうしたよ。今日の小詠、なんか変だぞ」
そう言って有希は切り出す。探るような瞳。不審に思われるのも当然だろう。有希にとって今日のわたしは、誰も使っていないはずの場所を気にし、いないはずの人間のことを気にしていたのだから。
「……そんなことないよ」
とりあえずはぐらかしてみる。これが有希に通用したためしはないけど。
「小詠が嘘つくときは必ず斜め上を向くって、前にも言わなかったか?」
指摘されて、その通りの行動をしていたことに気づき、顔を俯ける。
「そうかな、……そうかも」
ずっと言われてきた嘘を吐くときの癖すら誤魔化すことを忘れているなんて。自分が思っている以上にわたしはどうかしている。真中さんのことで頭がいっぱいになっているみたいだ。
「やっぱり変だぞ。どうした? なんか悩みがあるなら……」
「……有希にはわかんないよ」
言葉にしてすぐに後悔する。わたしはなんてことを言ってしまったのだろう。確かに有希に分かるわけがないけれど、それは有希を責める意味じゃなくて、仕方のないことだというのに。
「小詠……。ごめんな、話したくないことだってあるよな」
「ううん、違うの! 有希は悪くなくて……」
慌てて弁解するものの、言った言葉を覆す言葉がない。それは魔法少女のこと。それに関わって死んだ人についての記憶が改変されることを話さなくてはいけないから。それだけはできない。
「いいから、いいから。この話はおしまい。昼飯にしようぜ」
「うん……」
明らかに気を使われている。すごく居心地が悪い。全部話せてしまえればどれだけ楽だろう。けれど話せない。どこまで話していいのか分からない。鞄の中の悪魔はいつでも有希を殺す準備ができている。迂闊なことはできない。有希を危険に近づけるわけにはいかない。失うわけにはいかない。もっと、うまくやらないと。
「ん、どうした? あたしの顔に何かついてるのか?」
無意識のうちに有希のことを見つめていたらしく、慌てて視線を反らす。
「あ、いや、なんでもないよ!」
「ん、そっか」
有希はそれ以上何も聞かない。いつもなら躊躇うことなく踏み込んでくるのに。そういう風にさせたのはわたしだけれど、そんないつもと違う静寂が堪らなく息苦しい。
有希は弁当を広げて食べ始めたので、わたしも合わせるようにそうする。口に運んだ梅干しからは、何の味もしない。それどころか、胃から液体が込み上げてくる感覚に襲われる。だめだ、気持ち悪い。
「ごめん有希、トイレ行ってくる……!」
「お、おい!? 小詠!? 大丈夫か!?」
「大丈夫……だから。戻ってこなかったら保健室に行ったって、先生に伝えておいて……」
立ち上がったと同時にふらりと倒れ込みそうになるところを有希に支えられて
踏みとどまる。
「小詠!? ほんとに大丈夫か!? 真っ青だぞ! 顔!」
「うん……気にしないで」
「気にしないわけにはいかないだろ! ほら、保健室行くぞ」
そうして有希は手を差し伸べる。けれど違うんだ。今はただ、一人になりたい。
「いいから、お願い……。一人にさせて」
たとえ有希でも、今一緒にいるのは辛い。今の有希を見ているのが辛い。この歪な現実を作ってしまったのが自分だということを突き付けられて、頭の中がかき混ぜられてるみたいでわけが分からなくなる。
「……分かったよ。でも、本当にやばくなったらすぐ呼べよ!」
「うん、ありがと、有希」
***
教室を出てトイレに向かおうとする途中で、さっきまでの吐き気と眩暈が嘘みたいになくなった。
その事実が後ろめたく感じる。なんでこんなことになっちゃったんだろう。このまま、魔物を100体倒して、全部もと通りにするまでこのままだとしたら。ううん、悪い方に考えるのはよそう。きっとそのうちよくなるはずだ。けれど、流石に今日のうちにとはいかないし、このまま教室に戻ってもさっきの二の舞になるだろう。
「少し風に当たって休もう……」
これはただの現実逃避だろう。そんなことは分かっている。それでも、今の少しだけは目をそらしていたい。きっといつか、必ず向き合って乗り越えよう。それがいつできるようになるか、胸に不安が過った。
***
校内に居心地の悪さを感じていたわたしが逃げ場に選んだのは屋上だった。本当は昼休み以外に屋上を使ってはいけない事になっているけど、校庭は体育をしているし、誰にも見つからない逃げ場はここしか思いつかなかった。それに、授業中に屋上に出ることに少しばかりの背徳感と高揚感があったから仕方ないということにする。
「んっ、んんー!」
息苦しい校内から出た解放感で、ついつい伸びをしてしまう。別段、外と変わりがあるわけではないが、屋上はなんとなく、解き放たれている感じする。けれど、柵に背中を預けて腰を落とすと、途端に気分が沈んできた。
「はあ、これからどうしよう……」
忘れられた真中さんのこと。そして、これからも同じようなことが起きてしまうかもしれないこと。わたしのせいで誰かが死んでしまう。そして忘れ去られてしまう。
「嫌だ……、嫌だよ……」
絞り出すような声で呟く。膝を抱えて蹲る。どうすればいいの。どうすれば誰も犠牲にならなくて済むの。どうか、うまくやる方法はないのだろうか。頭の中がぐるぐるしてくる。分からない。どうしようもない。魔法少女を目撃した者は殺される。このルールが鬼門だ。魔物を倒すだけならそう難しくはない。何せ、わたしの魔法はなんでも斬る刀、
「あなた、何をしているの?」
誰もいないはずなのに急に声をかけられ、びくりと全身が跳ねる。
「あわわ!? ご、ごめんなさい!」
「いえ、謝られても困るのだけど」
その声に聞き覚えがあって、ハッとして顔を上げる。その人物はやはり思った通りの人物だった。
「もしかして、昨日の魔法少女?」
その姿は昨日見たままの魔法少女。変身していないのに白い髪で驚いたけれど、そのおかげで確信が持てた。
「昨日会ったよね? ほら、あの工場で。サラマンダーを倒してくれた人だよね?」
そう言っても、目の前の少女は興味がなさそうな目をしている。まるで、わたしを見ていないかのように、こちらを向いてはいるものの、その目は冷たい。
少しして、少女は諦めたように口を開く。
「……ええ、そうね」
「やっぱり! えっと、昨日はどうもありがとう。わたし、お礼が言いたくって」
「礼なんて言われることをした覚えはないけど。それよりそこ、私の場所だから、退いてくれる?」
手を払いのける仕草で退くことを促される。慌ててその場所から離れると、少女はさっきまでわたしがいた場所へ腰をかけ、鞄からサンドイッチを取り出した。
「なんで今食べてるの……?」
「朝は弱くて食べられないからよ。ちょうどこの時間になにか食べたくなる」
「えっと……、授業は?」
「どうでもいいわ。それにあなたに言われることじゃないと思うけど」
その通りだった。わたしも今は授業をさぼっている身。そんなことをたちbな聞ける立場じゃなかった。彼女はサンドイッチの最後の一片を口に投げ入れると、早々にこの場から去ろうと立ち上がる。
「ちょっと待って! ねぇ、あなたも魔法少女なんだよね……?」
「そうよ」
小さく返された返答はとても冷たく、突き放される。
すぐさま踵を返して彼女は歩き出す。呼び止めようとした。けれど、どんな理由を挙げたとしても彼女は止まらない。そう思えてしまったから言葉が出てこなくなった。けれどたった一つ、どうしても聞いておきたい、おかなければならないことがあったから声を振り絞る。
「名前! あなたの名前を教えて!」
「……
そう答えてくれたものの、こちらを振り返ることはなく、彼女の歩みは止まらなかった。
「わたしは比奈瀬 小詠だよ!」
「そう、どうでもいいわ」
そのままわたしは一人屋上に取り残された。他の魔法少女。突っぱねられてしまったけれど、名前を知れたし、同じ学校に通っているならまた出会う機会はあるはずだ。またいつか、ゆっくり話せるときに話をしたい。そうすればきっと、犠牲を出さないために協力することもできるはず。
「コヨミ、彼女に魔物の香りが纏わりついている」
いつの間にか隣にディモがいた。そういえば今日は家に置いてきたはず。なら勝手についてきたのだろうか。魔法少女は導き手が近くにいないと変身できない。こういうところだけは気が利くのが、何とも律儀というか、機械的だ。
「魔法少女なら魔物と戦うんだから、魔物のにおいが付いててもおかしくないんじゃない?」
「いいや、討伐したのであれば魔物は塵と化して消える。臭いの粒子も魔物の一部だからも残らない。だからあれは違う。それも一度なんかじゃない。何度もの濃い臭いだ」
つまり、せりちゃんは何度も繰り返し魔物と接触している。
「彼女は願いがないと言っていたね」
昨晩、確かにそう聞いた。願いがない。なら、なぜ魔法少女になったのか。そして、そうなら魔物に近づく必要がない。偶然出会った魔物だとしても、すぐに他の魔法少女が倒してしまうのだから臭いは残らないはずだ。
「魔物を匿っている?」
「その可能性もあるね。でも、ボクの結論は別だ」
普段は何も感じないディモの口調から微かな怒りを感じた。
「彼女は魔物と結託している」
「どうしてそう思うの?」
わたしにとって魔物とは獣だ。意思の疎通など不可能な災害だ。どうしてディモはそんなものと結託しているだなんて思うのだろう。
「その魔物は
そうか。魔法少女に倒されていないのは出現が察知されていないからか。或いは、何らかの方法で撒いたのだろう。獣のような魔物に、そんな芸当できるはずがない。
「何を企んでいるのか知らないけど、注意しておいた方がいいね」
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