第3話 願う、祝福を

 階段を駆け下りる。急がないと。魔物がどんなものかまだ見たことがないから知らないけれど良くないものであるのは間違いない。少なくとも人類の敵で魔法少女が退治しないといけないものなんだから。


 幸いにも今は昼休み。授業中でないから人はいないはずだ。けれど、昼休みは体育館が解放される。昼食を終え、体育館で体を動かそうとする人は少なくない。魔物が危険なものなら急がないと犠牲者が出てしまう。


 廊下を走る。教室の横。不思議とあまり人が居ず、スムーズに通り抜けられた。

 自分の教室、1-2を抜け昇降口へ抜かう階段に差し掛かるとき腕を掴まれた。


「小詠? どこ行く気だ? 校内放送、聞いてないのか?」


 息を切らして走るわたしを不審そうに見る有希。


「えっと、あの、ごめん!」


 何も言えない。有希の手を振り払って走り出す。いまは立ち止まってる暇なんてない。説明しようにも魔法少女のことは話せない。わたしに何が起こるのか分からないから。


「ちょっと、小詠!」


 呼び止めようとする有希に振り返らず、体育館へ向かって再び走り出した。


***


 体育館は既に半壊していた。

 壁はぼこぼこに穴が開き、天井は今にも崩れそうな程にひびが入り、床には……。


「血……、間に合わな、かった」


 既に昼食を終えていたか、或いは昼食すら取らずに遊びに来ていたか。それはもはやどうでもいい。

 咽かえるような生々しい血の香りが鼻腔を突き刺す。床にはべったりとおびただしい量の血液が張り付いていた。

 その周囲には数人の死体が無残に転がっていた。体の一部が破損していたり潰れていたりと、一目で死んでしまっていることが分かってしまう。


「う……、うえ……」


 吐き気が込み上がってくる。それを無理やり飲み下し、目を背けたくなる惨状から何とか目を背けずに持ち直す。

 血だまりの中心には一匹の化け物がいた。牛のような特徴的な頭と巨大な体、右の手にはべったりと血で赤く染まった棍棒を握っている。確認するまでもない。この化け物こそが倒すべき魔物、人類の敵であると。


「ミノタウロスだね。気分は大丈夫かい?」

「うん、なんとか」


 悲しむのも後悔するのもあとにしよう。ミノタウロスよりも先で、蹲って固まっている人たちがいるのが見える。まだ、生存者は何人かいる。彼らを救えるのは魔法少女であるわたしだけなのだから。


「ディモ、魔法少女になるにはどうしたらいい?」


 覚悟を決める。わたしは戦う。あの化け物と。そしてみんなを助けるんだ。


「こう唱えるんだ。願う、祝福をデザイア・ブレスと」


 軽く息を吸い込み、わたしは叫ぶ。


願う、祝福をデザイア・ブレス!」


 言い終えた瞬間、体が熱くなり視界が光に包まれる。作り替わっていく、わたしがわたしじゃなくなる。光が体の中に入ってくる。ふと視界に見たことのない光景が映り込む。知らない。それでいてどこか懐かしいような。

 目を開くとわたしは自分の服装の変化に気付く。先ほどまでは普通の制服だったはずなのにいつの間にか魔法少女らしい服装に変わっていた。黒を基調とした学生服にフリルがあしらわれた衣装。胸の中心には黒い宝石のブローチが飾られている。いつのまにか包帯が解け露わになった紋章は赤々と光り輝き、その右手には柄から刀身まで真っ黒な刀が握られていた。


「これが……、魔法少女」


「コヨミ! いつまで立ち尽くしている気だい!?」


「ブモオォォォォォォォオ!!!」


 感動に浸っている暇もなく、ディモの大声で自分の変化にばかり取られていた意識が外へ向く。顔を上げるとすぐ目の前にミノタウロスが今にもその棍棒を振り下ろさんとしていた。

 不思議と焦りはない。ほんの次の一瞬にでも棍棒の一撃で潰されかねないというのに。魔法少女になったからだろうか、その動きは止まって見える。

 足に力を入れ、後ろに飛ぶ。体が軽い、きっと身体能力が上がっているんだろう。次の瞬間にミノタウロスの一撃が振り下ろされ床に大きな穴が開く。食らえば一たまりもないどころか確実に死ぬ。そんな一撃を見たところで全く動じない。魔法少女となった体が伝えてくる。今のわたしは強い。あの程度の攻撃では殺されないし掠りすらしない。

 地面に着地すると軽く飛んだつもりが結構な距離を飛んでしまったためバランスを崩し少しよろけた。いきなりこんなに身体能力が上がってしまったから体の感覚が全く違くて少しがすごくになってしまう。


「でも、これくらいでちょうどいい」


 相手は化け物だ。化け物の相手をするのだから魔法少女も化け物並みであるのは道理だ。でもちょっとばかり化け物を凌駕しちゃってる気がするけど。


「ディモ! 魔法少女って言うからには魔法とか使えるんだよね? 試してみたいんだけど!」


「キミの魔法はその刀のステッキだ。キミの魔法、黒の切断ブラック・セイヴァ―はなんでも斬ることができる」


 ディモの言葉に少し驚く。その名前も魔法もあまりに魔法少女らしくなかったからだ。魔法少女と言えばもっと可愛らしくてキラキラしたような、そんなイメージを抱いていた。それにこの刀も魔法少女のステッキというにはあまりに無骨すぎる。何の装飾もされていない、ただ黒いだけの刀だ。


「なんだか随分と物騒な魔法だね……」


 自然とそんな感想が漏れた。


「結局のところ魔法少女は魔物狩りだからね。キミはもっと平和的な魔法が良かったかな。それこそ料理が美味しくなる魔法とか」

「それはそれで憧れるけど。料理を美味しくする魔法は愛情だから誰でも使えるから」


 確証はないけど。多分愛情を込めて作った料理は美味しくなる。少なくともわたしはそう信じたいし、いつかまたそんな料理を作ってあげられる人ができたらいいな、と思うし、そんな料理を振舞ってもらいたいな、とも思う。


「じゃあ愛などという感情のないボクの料理が泣くほど美味しかったのはいったいどういう理屈なんだろうね」


「何事にも例外ってあるんだね。すごく理不尽」


 釈然としない嫌な気分にされたところでミノタウロスは床に埋まっていた棍棒を抜き取り、わたしを見据えて大きく雄たけびを上げた。


「コヨミ、分かってるとは思うけど今のキミは強い。少なくともあのミノタウロスよりはね。でも油断してはいけないよ」


「分かってるよ。願いを叶えるために戦うんだもん。油断して死んじゃうとかありえないから!」


 強く地面を踏みこみミノタウロスへ接近する。やはり体が軽い。そこそこの距離があったはずが僅か三歩でミノタウロスの懐へ潜り込めた。


「ブモォ!?」


 ミノタウロスは慌てて棍棒を振り下ろす。誘われた、そうミノタウロスが気付くころにはもう手遅れ。その棍棒を横に断つように刀を薙ぐ。刀なんて扱ったことがあるはずもないのに不思議と手に馴染む。刀は何の抵抗もなく容易く棍棒を斬った。棍棒の先が付け根から離れ宙を舞いわたしの後方の壁に突き刺さる。


「あ、あっぶない……。後ろに誰かいたらまで考えてなかった……」


 壁に突き刺さった棍棒を見て絶句する。もし誰かが居たら体が吹き飛んでいたことは間違いない。そんな光景を見ることにならなくて本当に良かった。


「ブモォウアァァァァァァア!!!」


 武器を失ったミノタウロスは激高する。吠え、呻き、暴れ出す。もしかしてあの棍棒は大事なものだったのかもしれない。それは悪いことをしてしまった。


「でも、もっと悪いことをしたんだから仕方ないよね」


 キッと瞳に力を入れてミノタウロスを睨みつけ、刀を向ける。


「いい忘れていたけどコヨミ、その魔法が発動するのは七回目までだ。八回目はない。魔法少女の変身も解け一分間、キミはただの人間に戻る」


 ちょっと待って。それかなり重要なことじゃないの!?


「もしさっきわたしがミノタウロスにとどめを刺さずに七回斬ってたら」


「キミは魔法が使えない一般人に戻って、ミノタウロスは満身創痍だろうけど殺されていたことは間違いないね」


「先に言ってよ! そういう大事なこと!」


 もしも、ミノタウロスを倒しきる前に七回を使い切ってしまっていたらと思うとぞっとする。でも、それを聞いた以上間違えることはない。ミノタウロスに向き直り、奴を屠る覚悟を決める。


「よし、次で終わりにするよ」


「ブモアァァァァァア!!!」


 激高するミノタウロス。その怒りはお気に入りの武器を奪ったわたしに向けられている。そして、その怒りの勢いに体を任せ突進する。わたしはその中心に合わせ、刀を振り上げる。タイミングを見極め、一歩踏み出す。


「さようなら」


 小さく呟くと同時に刀を振り下ろす。手ごたえはない。何の抵抗もなかったからだ。刀はあっさりとミノタウロスの体を縦に両断し赤い鮮血が飛び散った。生暖かくて気持ち悪い。

 ドサリ、とミノタウロスの巨体が地面に伏し、一瞬、燃えるような痛みが右手に走る。右手の紋章を見ると数字が0から1に変わっていた。


「終わったね。お疲れさま」

「うん、うん。これで一つ、近づいたんだ」


 右手に光る1の数字を見て心が浮き立つ。たったの1。されど1。あと残り99もあるけれど0から1への躍進は大きな一歩のように感じられた。


「それじゃあ、後片付けをして帰ろうか」


「うん、そだね。あんな大きな化け物、見つかったら大騒ぎになっちゃう」


「それは考えていなかったよ」


 小さな風切り音。その刹那、生存者だったはずの一人の女の子の頭が体から転がり落ち、犠牲者へと変わった。


「死んだ魔物は少し経つと塵のようになって消えるんだ。だからその死骸の後片付けは必要ないよ」


 その言葉通りにミノタウロスの死骸は端の方から少しずつ塵のようなものに変わっていっていた。それを他所に一つ、また一つと生存者が犠牲者へと変わる。眼を逸らしたくなる光景だけれど体が硬直して瞬きすらできない。どういうこと? 開かれた視界の中で何か高速で動く触手のようなものが見えた。それはディモから延びているようで、ディモはその触手で生存者の頭を落としていく。現状に理解が及んだ瞬間体の硬直が緩まり、思考が帰ってくる。


「な、なにしてるの!?」


「なにって、片付けと言わなかったかい?」


「片付けって、なんでこんな。せっかく生き残った人たちを何で殺すの!?」


「ああ、そのことか。キミはボクの言葉を覚えているかい?」


 そう言われ気付いてしまった。そしてなぜそうなのか、願いが叶うことばかりに気を取られて聞かなかった己の愚かさを呪いたい。

 ディモが言った魔法少女のルール。魔法少女の姿を目撃されてはいけないということ。そのルールを破った罰をわたしはわたしが魔法少女ではいられなくなる類のものであると勝手に解釈していた。


「そんな……、罰はわたしが受けるんじゃないの!?」


「そんなこと、一度でも言ったかい? 第一に魔法少女になれる資格を持つ人間は貴重なんだ。そんなキミをボクが害するわけがないじゃないか」


 そう言いながら片手間のように目撃者が屠られていく。もうやめて。


「そういえばあの時キミは、何か聞こうとしていたね。その質問の答えがこれかな? 魔法少女を見た人間はボクに殺されるんだ」


 また一人、ディモによって殺された。


「そんな……、なんでそんなことを!」


「さあ、そういう風にできてるからね。本能のような遺伝子のような。まあボクに遺伝子なんてものはないんだけれど」


 また、殺された。


「答えになってない!」


「ボクも答えるつもりはないからね。いやこの場合、答えられないというべきかな」


 そして最後の一人が殺された。


「なんで……なんでなの! 殺す必要なんてないじゃない! わたしはまた、全部失った! 誰も、助けられなかった!」


 両親が死んでから心に決めていたこと。わたしの手が届く人にもしものことがあって欲しくない。体育館に着いた時点で既に何人かは犠牲になってしまっていたけれど何人かは助けられた。生きててもらえた。なのにディモはそれを摘み取った。


「必要があるかどうかじゃない。そうしなければならない、そういうものなんだよ。キミを悲しませたなら謝るよ」


 あまりに噛み合わない会話。見当違いな謝罪。やっぱりディモは人間じゃないんだと再認識した。導き手コンダクターとか言ったっけ。その導く先は地獄なのではないだろうか。願いが叶うなんて希望をちらつかせて、もっと大きな絶望を味わわせたいだけなんじゃないだろうか。


 ガタン、と地面に突き刺さっていた体育館の破片が倒れる。その影から人が現れる。あれは、同じクラスの真中さんだ。


「あれで最後の一人だね」


 真中さんに狙いを定め、ディモは触手を伸ばそうとする。


「い、いや……、助けて……」


 震えて声にならない声が胸に突き刺さる。嫌だ。助けられないなんて嫌だ。ディモはわたしを害するわけがないと言っていたことを思い出す。そうだ、どうして動かないでいたんだ。あまりに突然のことだったから何もできなかったけれど、今のわたしには魔法少女の力があるじゃないか。この力があれば、ディモを止められるかもしれない。いいや、止めて見せる。

 一気に踏み込んでディモの前に割って入る。魔法の残数は5。使い切る前にせめてディモの前からあの人を逃がさないと。

 まずは触手を切り落とすために刀を振る。手ごたえは無い。けれどそれはミノタウロスの時とは事情が違った。何でも斬れるから斬っても手ごたえがないのではなく、単に躱されたから手ごたえがなかったのだ。

 そのことに気づいた時にはもう遅い。触手はわたしの周りを避けるようにして後ろにいる人物だけを刺し貫いた。


「甘いね。ボクがあげた力でボクに勝てると思ったのかい?」


「嘘……」


 誰も、助けられなかった。

 ミノタウロスに遭遇してしまった人は一人残らず。

 魔物から人々を守るのが魔法少女じゃないの?

 魔法少女が人を殺すのなら魔物と何も変わらないじゃないか。

 わたしは、わたしは……。


「ああ、変身を解く言葉は願う、封印をデザイア・シイルだよ。今日はもう疲れただろう、さあ、早く帰ろう」


 その言葉は普段のわたしであったのなら神経を逆撫でされて頭に血が上っていただろうが、今はそんな気力すら起きない。耐えがたい無力感で全身が脱力しきっている。


「……願う、封印をデザイア・シイル


 力なく呟き、わたしは、そのままぐったりとしてその場にへたり込んだ。

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