第2話 もう一度、歩き出す

 少し開いたカーテンの隙間から朝の陽ざしが差し込む。もう、朝か。いつものことだけれどやっぱり朝は憂鬱な気分になる。

 時計をちらりと見る。まだ時間はある。もう一眠りしようと布団を被ろうとした瞬間、カーテンが開き、朝の陽ざしが全開でわたしを照らす。


「おはよう、コヨミ。いい朝だね」


「う、ううん……、あと五分寝かせて……」


 薄く目を開き、もう一度時計に目を向ける。まだ余裕はある、もう少しだけなら寝れるはず。そう思い目を閉じようとしたが、黒い犬が前足を器用に使いカーテンを開けている光景を見て飛び起きる。現実離れした異質な光景、それを見て寝ぼけた頭が鮮明になり昨日の記憶がはっきりと蘇った。

 わたしは魔法少女になったんだ。


「うん、おはよう、ディモ」


 遅れたあいさつの返事をする。


「朝食ができているよ、人間には必要だろう?」


 人間には、とまるで自分は人間ではないと言ってるようなディモは人間じゃないことは見た目からも明白だ。でも、見た目通り犬というわけでもない不思議な存在だ。それもディモには食事、それに限らず睡眠、排泄など生理現象全般が必要ないのだ。その証拠に昨日は何も食べてなかったし、多分眠ってもいないのだろう。それに犬にしてはやけに器用だし、喋るし。


「分かった、今起きるね」


 そう言って起き上がると右手に煌く赤い紋章が目に入った。魔法少女の証。これから学校に行くというのにこんなの目立って仕方がない。


「ねえ、ディモ。この紋章って消せないの?」


「……それは魔法少女を辞めるという話かな?」


「い、いや。違うよ。ただ変な目で見られちゃうから一時的に消せないかなあ、って」


 ディモの口調に少しだけ凄味があり気圧され動揺する。

 魔法少女を辞めたいだなんて、わたしがそんなこと思うはずはないけどその類の話はディモにとってタブーらしい。今度から触れないように気を付けよう。


「なるほど。人間ってやつは面倒な生き物だね。包帯でも巻いておいたらどうだい?」


 紋章を消す方法はないようだ。ディモの言う通り包帯でも巻いておこう。

 そう思い、通学用の鞄から包帯を取り出し、右手の紋章がしっかり隠れるように巻いた。


「都合よく包帯なんて持ち歩いてるもんだね」



「うん、もしも、わたしの目の前で誰かが怪我したら助けられるかなって」


 両親が死んだ事故。もしあの時、わたしに何かできたなら。わたしが何かできれば二人が助かる可能性があったかもなんてことをずっと考えてしまう。その結論がこれだ。

 実際のところあの事故では手当できるものがあったところで何もできなかったし、わたしは何かできる状態じゃなかった。だからこれは自己満足に過ぎない。ほんの少しの安心感を得るためのお守りのようなものだ。


「それはすまない。無神経だったね」


「いいよ、気にしてない」


 そもそもディモに神経なんてものがあるのかちょっと疑問ではあったけれど確かめる方法がないしどうでもいいことだったので思考から追いやる。

 包帯をしまい、グーっと伸びをして体の凝りを解し、起き上がる準備をする。


「じゃあ着替えるからちょっと外に出てって」


 そう言ってパジャマを脱ぎ捨て、掛けられた制服に手を伸ばす。

 ワイシャツの袖に腕を通しボタンを留めていく。視線が下を向くと自然とディモが目に入る。ああ言ったはずなのに出ていく気配のないディモ。優雅に足を使って頭を掻いている。まるで犬みたいに。見た目は犬だけど。


「ねえディモ。ディモの性別ってどっちなの?」


「ボクに性別という概念はないよ」


「そういうのじゃなくて精神的、心みたいなものは?」


 ディモの口調はどちらかと言えば男っぽい。男だとしたらこのまま着替えるわけにはいかない。見た目は犬だけど喋ると人間みたいなものだし、意識してしまい恥ずかしいから一刻も早く追い出さなければいけない。


「そうだね、どちらかと言えば紳士だね」


「……はい? 紳士?」


「そう、だからキミのような華奢な少女の着替えなんか見ても何も思わない。だからボクが出ていく必要はないと考えるよ」


 下を向く、いつも通りの開けた視界。障害物は何もない。なんて素晴らしい見晴らしなんだろう。これかなりまな板だよ。


「出てけ」


「だから言っただろう? ボクが出ていく必要がないと」


「いいから出てけぇぇぇぇぇえ!!!」


 思いっきりディモを蹴り、部屋の外へ吹き飛ばす。悪は退散した。めでたしめでたし。


***


「酷いじゃないか、いきなり蹴飛ばすなんて」


「うるさい、紳士を自称するならレディーの扱いの一つでも覚えてからにして!」


「全くつくづく人間ってやつは難しいね」


「そうだよ! 乙女心は複雑なんだよ!」


「幼い子をレディー扱いしなくてはいけないなんて」


「そういうとこだよ! そういうところ!!」


 幼いってわたしはこれでも高校一年生だ。確かに胸はないし、子ども扱いされることもよくあるけど……、でも! 高校一年生ならそれはもう立派なレディーのはずだ。よってディモはギルティ、罪人だ。人じゃないけど。

 なんていつまでも言い争っている時間はない。時計を見ると家を出なくてはいけない時間が近づいている。

 些か不満だが時間がないのでディモの作った朝食を口に運ぶ。普段は両親が忙しかったこともあって我が家の食卓はわたしが預かっていたから、誰かに朝食を作ってもらうなんて久しぶりで新鮮だ。まずは定番の卵焼き。我が家では砂糖たっぷりの卵焼きなのだけどディモはそれを知らない。もしかしたらだし巻き卵かもしれない、そう思い少し身構えながら口に含む。


「……美味しい」


「そうかい、口に合ってなによりだよ」


 わたしの大好きな味。お母さんに教えてもらった砂糖たっぷりで甘く、ふわふわでとろとろ。口に入れた瞬間に蕩けて形がなくなって消える。

 ツウ、と涙が頬に伝った。自分で真似して作るのとはわけが違う。誰かにこの味を食べさせてもらえる日がまた来るなんて思っていなかったから胸の奥から温かいものが沸きあがって流れた。


「どうしたんだい。やっぱり口に合わなかったのかい?」


「ううん、違うの。違うから」


 首を振って否定し、涙を拭く。久しぶりのお母さんの味。それを自分以外に食べさせてもらえた、それだけでも魔法少女になって良かったなんて思ってしまった。こんなこと魔法少女と何の関係のないのに。


「本当にありがとう。美味しいよ、ディモ」


***


 朝食を終え、他の準備も終え、玄関で靴に履き替える。


「顔良し、髪良し、荷物良し。よし、準備完了、じゃあ行ってくるね」


 ディモに留守番を頼むつもりで言ったのだけど。


「そうだね、行こうか」


 と、全く噛み合わない返答。ついてくる気満々のようだ。


「あのねディモ。学校には犬は入れないんだよ」


「ボクは犬じゃないよ」


 確かにこんな犬いてたまるかと言いたくなるけれどそうじゃない。


「そういう問題じゃなくて見た目は犬でしょ?」


「ふむ、そういう問題か」


 納得したように言ったものの、依然としてドアの前から退こうとはせず。


「でも、ボクの近くに居ないとキミは魔法少女に変身できないよ?」


 なんてことだ。魔法少女にそんな制約があったなんて。いやよく考えたらそうでもなければ何でディモがいるんだって話だ。


「ついでに思い出したけど伝えておかなきゃいけない魔法少女のルールがあるんだったよ」


「いまさら!? 先に言ってよ!」


「まあ、伝えていたところでキミの意思は変わらなかったと思うけどね」


「確かにそうかもしれないけど……」


 ルールということは破ってはいけないもののことだろう。多分、余程のことでなければわたしの意志は変わらなかっただろう。むしろ、ルールが厳しい方が願いが叶えられることに現実味を覚えていたかもしれない。


「ルールは3つだ。一つは今言ったようにボクが近くに居ないと変身できない。まあだいたい視認できる範囲なら大丈夫だよ」


 曖昧だけど割と離れていても大丈夫なようだ。でも流石に自宅と学校では遠すぎてダメなようだ。


「二つ目は魔法少女の姿を目撃されてはいけないということ、最後は魔物を見逃してはいけないということだよ」


 あとの二つは破ったら魔法少女じゃいられなくなる類のものだろう。気を付けないと。


「そういえば魔物ってどこから現れるの? それとも何かが魔物になったりするの?」


「どこからともなく現れるよ。でも予兆はボクが察知できるから安心してくれ。そういう理由でも導き手コンダクターと魔法少女はあまり離れないほうがいいんだけど」


 そう言われてしまっては連れて行かないわけにはいかない。

 さてどうしようかな。まさかそのままディモを連れていくわけにはいかないし。何か隠しながら連れていける方法……、これしかない。


「ちょっと待ってくれ、コヨミ、キミは何をする気だい?」


 ディモを抱きかかえリュックを開ける。


「大人しくしててね」


 リュックの中にディモを入れ、チャックを閉めて背負う。犬のようなもの1匹分重量が増えて、やや重たい。


「紳士たるボクになんて横暴な! 出してくれ! コヨミ!」


「ごめんね、こうするしかないし」


 その後、ディモは暫く暴れていたけれど駅に着くくらいにはだいぶ大人しくなり、学校に着いた頃には諦めたように静かになった。


***


 教室に入るとわたしに気付き手を振る一人の女の子がいた。


「おはようー! 小詠ー!」


 朝で少し億劫な気分のわたしはその明るい挨拶に気圧されて引き気味に手を振り返す。


「おはよう、有希。朝から元気だね」


「おう、あたしは四六時中元気だぜ。そう言う小詠も今日はなんだかいつもより元気そうだな、なんかあった?」


 相変わらずの鋭さだった。羽田はねだ有希ゆうき、小学校からの幼馴染でわたしの親友だ。男勝りな性格で中性的なショートカットの美人、かくいうわたしも初めて会った時は男の子だと思っていたくらい。男女構わず誰にでも頼られ好かれる、そんな女性だ。

 そしてこれでもかというくらい勘がいい。今までの人生で彼女に隠せたことは数えるほどもないだろう。わたしの好きな人、毎回言い当ててたもん。


「あ、分かる? 実は……」


 トン、と背中をリュックの中にいるディモに蹴られた。

 背筋を撫でられるような感覚。途端、前身に寒気が走り鳥肌が立つ。これは警告だとすぐに理解できた。うっかりしていた。さっきディモから告げられた魔法少女のルール。それを破ればどうなるのか分からない。少なくともわたしは魔法少女でいられなくなる。そんな気がしていた。


「……ううん、何でもない」


 突然口を噤んだわたしに怪訝そうな眼差しを向ける有希。少しして何か納得したように「あっ」と声を漏らすと。


「そうか。少しは気持ちの整理ができたのか」


「……うん、いつまでも引きずってるわけにはいかないもん」


 都合よく誤解してくれたのでそれに便乗しておく。

 でも、あの有希のことだ。いつか気付かれてしまう気がする。もし魔法少女だと知られたらわたしはどうなってしまうのだろう。そんな小さな不安が芽生えた。


「ん? その手、どうしたんだ?」


 リュックを机に置いたところで、有希はわたしの右手に巻かれた包帯に気づく。あの時は紋章を隠すことに夢中でどちらにしろ目立つことを忘れていた。


「えっと、ちょっと、切っちゃって……」


 咄嗟に理由を作る。ありがちな理由。特に追求されることはないと思うけれど。


「そっか」


 思った通り、有希は特に追求することなく納得して包帯から興味を失った。


「小詠って案外抜けてるからな。包丁で切ったか?」


「そ、そんなこと……あるかも」


 都合のいい勘違いをしてくれたので乗っかることにする。でも、料理したら100%怪我するかゲテモノが出てくる有希に言われたくない。

 今日はこれで誤魔化したからいいとしても、数週間後、怪我が治癒してなければおかしい時期になったらどうしよう。紋章の隠し方、他にも考えておこう。


***


 午前の授業は殆ど頭に入ってこなかった。

 魔法少女であることがバレてしまった場合の罰、一度頭に浮かんでしまってからどうしても離れてくれずそのことばっかり考えていた。


「ふう、やっと外に出れた。全く、紳士たるボクに何たる仕打ちをしてくれるんだい」


 リュックから顔を出すディモ。一日あのままでは余りにも可哀想だったので昼休みに入ってすぐリュックを抱えて屋上に上がってきたというわけだ。魔法少女について聞きたいこともあったし。

 屋上の鍵を閉め、誰も入ってこれないようにする。普段ここを使っている人には悪いけれどディモを見られるわけにはいかないから許してください、と心の中で謝罪する。

 鍵を閉めてディモの方を向くとさっきまでは鞄に閉じ込められたことへの不満で愚痴をこぼしていたはずなのにやけに大人しくなっていた。


「大人しくしちゃってどうしたの?」


「魔物の香りだ。コヨミ、近くに魔物が現れたよ」


「魔物!? 今なの!? えっと、場所はどこ?」


 どうやらまだ魔法少女になった自覚が足りてなかったようだ。心の準備が全くできていなくて取り乱す。深く深呼吸して昂った感情を落ち着かせる。少ししてわたしの呼吸が元に戻るのを確認すると、ディモは魔物が現れた場所を指し示す。


「場所はこの学校の体育館。近場で運がいいね」


 わたしは鞄を抱え体育館へ向かって走り出していた。

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