魔法少女は振り返らない
うみつき
第1章 黒の魔法少女は振り返れない
第1話 始まり
「お母さん、大丈夫?」
道が悪いのか頻繁に揺れるバスの中。苦しげな表情のお母さんを心配しながらわたし、
「ええ、大丈夫よ」
お母さんはわたしを安心させるために笑って見せるがバスの車内も混んできて空気も淀んでくる。至って健康体であるわたしでさえ多少の息苦しさを感じ始める。それに加えてこの揺れだ。きっとお母さんはもっと苦しいだろう。
「もうすぐだ。次のバス停で降りるぞ」
降車ボタンをお父さんが押した。
「もうすぐだよ! お母さん、あとちょっとだよ!」
「はいはい」
バスは海沿いの道へ出て、長いカーブに差し掛かる。
遠心力がかかり、カーブの外側に引かれる。お母さんもお腹を押さえながらカーブの遠心力に耐える。
長かったカーブを抜け、直線に差し掛かり気を抜こうとした瞬間。体が感じていたはずの重力が消えた。
バスが空中に浮き上がり、反転し、視界が逆さまになる。
状況を頭で理解する前に体が理解した。事故が起きた。だから両親と離れないように自然と手が伸びた。
「お母さん――! お父さん――!」
「小詠――! 小詠――!」
離れていく両親に手を伸ばす。指先を掠めたものの、届かない。満員に近かった車内の人々がかき混ぜられ、自分がどこにいるのか分からなくなる。四方から圧迫され苦しい。息が、できない。
ザブン、と大きな音。今度は沈んでいく感覚。割れた窓から海水がしみ込んでくる。
自分の人生が終わってしまうんだな、と諦めを感じる。短い人生だった。でも、幸せだった。満たされていた。優しいお母さんと頼れるお父さん。なんでもないちっぽけなものだったけれど、そんな日々が幸せだったんだと今さら気付く。あーあ、悔しいな……。
海水が体を浸してゆく。冷たい。体温が奪われていく。ゆっくりと、意識が遠く、途絶えた。
***
重い瞼にゆっくりと感覚が蘇り視界が開ける。白い天井。浮き上がるように意識が呼び起こされる。ここはどこだろう。わたしは……。何があったんだっけ。
「あら……? 起きました? 起きましたよ! 比奈瀬小詠さん!」
歓喜の声を上げる看護師。わたしは眠っていたのだろうか。
暫くして医者らしき男の人が入ってきた。
「おはようございます、比奈瀬さん。気分はどうですか?」
熊みたいな医者は人当たりがよさそうな笑顔を浮かべる。
「気分はいいです。あの、わたしに何が起きたんですか?」
まだ記憶に靄がかかったようでうまく思い出せない。引っかかっているような感覚。何かきっかけがあれば全部を思い出せそうなのだけど。
「落ち着いて聞いてください。君はバスの転覆事故に巻き込まれました」
医者は深刻な顔つきで告げる。脳にズキリとした痛みが走る。
「バス? 転覆……あ」
靄が晴れたように記憶が蘇る。そうだ、あの日は家族で出かけるために。それで、突然バスが海に落ちて、それで……。
「そうだ……! お母さんとお父さんは!?」
医者は何も言わずに首を振る。
「そんな……。嘘、ですよね? 嘘って言ってください。お願いします、嘘だって!」
「本当にすいません。最善は尽くそうとしました。ですが、君の両親はここに運ばれた時には既に……」
医者は歯を食いしばり、手に爪を食い込ませながら言う。嘘をついていないことは分かる。それでも、信じたくない。
「嘘、嘘、嘘……」
ベッドから跳ね起きようとするが、筋肉が強張っていて体に力が入らない。それを気力だけで無理やり動かし立ち上がる。足元が覚束ない、視界もぐにゃりと歪む。
「だめですよ! まだ動いちゃ」
わたしをを止めようとする看護師を振り払って病室を出る。確かめなくちゃ、その一心だけで両親を探す。
自分の病室を出てすぐ横の病室、比奈瀬の文字。縋るようにそのドアノブに手をかけた。
「お母さん……、お父さん……?」
晴れやかな風が吹き、柔らかな日差しが差し込む病室。
ベッドは二つ。そこには顔を白い布で伏せられた両親が眠っていた。
「ねえ、お母さん? 目を開けてよ……。お父さん? わたし起きたよ? だから……」
目を覚まして。どうして起きてくれないの? いつもみたいにおはようって、今までみたいに普通の、なんでなんでなんで。
涙が止めどなく零れる。どうしてこんな目に合わなきゃいけないの? なんでこんなことに? 嫌だ、認めたくない。信じたくない。
「そうだ、きっとまだわたしも起きてないんだ。これは夢で、それで、起きたら全部。そうだよ、そうに決まってる……」
目が覚めれば、いつもと変わらない。どこにでもある普通の日常が帰ってくるに決まってる。
「助けられなくて、本当に、すいません」
噛みしめるような医者の言葉が脳に反響する。現実を叩きつけられたようで思考が停止する。
そのあとのことはよく覚えていない。泣きじゃくって、喚いて、疲れ果てて気を失った。
***
――そして少しの時間が流れた
「本当に大丈夫なの? 小詠ちゃん」
「はい、もう少し両親といたこの町に居たいんです」
「わかったわ。私達はいくらでもあなたの手助けを惜しまないから。困ったらいつでも連絡してちょうだい」
「はい、ありがとうございます」
深くお辞儀をして感謝を示す。叔母さんの申し出は本当にありがたい。きっといずれ、お世話になるだろう。
両親の葬式が終わり、集まった人達も叔母さんで最後で辺りは静寂に包まれた。両親はもう帰ってこない。まだ気持ちの整理はつかないけれど受け入れるしかない現実だ。
「とりあえず、高校卒業まではこっちにいるとして……。大学は奨学金貰って……、うん、頑張ろう」
先のことなんてどうなるか分からないけど、一つ区切りをつけるためにも決意を固める。
両親がいなくたってわたしは一人じゃないんだ。叔母さんもああ言ってくれてるし、いざとなれば頼れる親友だっている。頑張れる。ちゃんと生きていける。
「あれ、なんでわたしまた、泣いて……」
涙が頬を伝って地面に落ちた。
止めどなく、何度も、何度も、大粒の涙が地面を濡らす。
「おかしい、な。もう、分かってるのに……」
「分かっていても辛いことは辛いんだよ。お嬢ちゃん」
ポン、と肩に手を置かれる。涙をぬぐって視界を開くと禿げ頭のお坊さんが慈愛に満ちた微笑みを浮かべていた。
「えっと、お坊さん、ですよね? 今日はありがとう、ございました……」
「感謝なんていらないよ。それが僕の仕事だからね」
「あ……、はい……」
なんだろう。この人と話していると不思議な感覚がする。違和感のような。でも、それの正体は分からない。
「……あの、あなたは帰らないんですか?」
居心地の悪さを感じてそう言ってしまった。この人はわたしを心配してここに留まってくれているのかもしれないのに。
「ああ、僕はね、君に会わせたい人がいるんだ」
どうやらわたしに用があったみたいだ。
「えっと、あの、今日はもう遅いですし、日を改めてってことでいいですか」
時刻は夕暮れ。太陽は殆ど沈み、僅かに漏れる茜色の光が微かに辺りを照らしているだけだ。家で待っている家族はもういないけれど、もう帰らないといけない。そう感じていた。それに、もう今日は疲れた。両親との別れだったのだ。もう何もしたくない。早く家に帰って少しでも気を休ませたい。まだ、気持ちの整理もついていないし。
「もし、両親を生き返らせることができるとしたら。それでも君は日を改めるかい?」
目を見開いた。聞き間違いだろうか。両親が、生き返る? そんなことできるはずがない。お母さんも、お父さんも、この目で死んでいるところを確かに見たのだから。死んだ人間は生き返らない。それでも、わたしはその言葉に期待を抱いてしまった。
「……本当に生き返るんですか? ならわたしはなんだってします! 教えてください! その人のことを!」
「その言葉に嘘はないね? なら、ついてきてくれ、彼に合わせるよ。そのあとのことは君が決めるといい」
そう言ってお坊さんはまた先ほどのような優しいの頬笑みを浮かべた。そして、わたしをその『彼』がいる場所へ案内する為、歩き出す。
「それと僕の名前は
また何とも言えない違和感を感じる。この違和感の正体は相変わらず分からないが、そんなことよりも今は目の前に投げ出された希望の方が大きくて気にもならない。わたしは然山寺さんを追いかける。
両親が生き返るのなら、あの幸せだった日々が戻ってくるのなら。その希望を胸にわたしは一歩、踏み出した。
***
然山寺さん、その名字にある通り案内されたのは然山寺。この
その寺の裏にある一室に招かれる。
「おかえり、ヨウスケ。その子がボクの契約者かい?」
和室に入ろうとするとテーブルの上に座る黒い犬が目に入る。あれ、今声が聞こえたような。もしかして犬が喋った?
目をぱちくりさせるわたし、それを見て然山寺さんは苦笑いしながら。
「立ち話もなんだから中へ行こうか。お茶でも入れよう」
そう言われたので一先ず中へ入る。
「お寺の裏って、こんな風になってるんですね」
中は畳が敷かれた和室。素朴な作りで明かりも少なく薄暗くてちょっと不気味だ。
「僕もずっと仕事をしているわけじゃないからね。普段はここで休んでいるんだ。はい、粗茶だけどどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
お茶を受け取り、口へ運ぶ。あまり熱くない、かといってぬるいわけでもなく程よい温度。きっと火傷しないように冷ましてくれたのだろう。
「美味しいです」
「そうかい、それは淹れた甲斐があるってもんだね」
「やはりヨウスケが淹れるお茶は絶品だよ。僧侶なんて辞めて茶屋でも始めたらどうだい?」
そう言いながらさっきの犬はその小さな手で茶碗を抱えてお茶を飲む。その仕草は大変可愛らしいものだけれども、それを吹き飛ばすほどの不気味さを纏っている。聞き間違いではなかった。
……喋ってるんだもん、これ。
「そんなことをしたらご先祖様に合わせる顔がなくなってしまうよ。僕個人としてはそうしたいものだけど。さて、与太話もこの辺りにして本題に入ろうか」
「本題……」
息を飲み込む。両親が生き返るならなんだって、その覚悟を再確認する。大丈夫、今のわたしなら何が対価だとしても頷ける。両親以上のものなんてないのだから。例えわたしの命だったとしても。
「それじゃ、ディーモンデリラリェイエス。頼んだよ」
「でぃーもんでりあ、えいえす……?」
聞きなれない単語で困惑してしまった。もしかして今のがこの黒い犬みたいなのの名前だろうか。
「うん、ボクはディーモンデリラリェイエス。呼びにくいようならディモ、と呼んでくれ」
ディモ、そう心の中で復唱する。これなら呼びやすい。
月の光が差し込み、ゆっくりとテーブルの上に佇むディモの姿が照らされる。小型犬ほどの大きさ、犬種は分からないけれど全身真っ黒でやはり犬だ。何度見ても犬だ。それが喋っている。
「どこかにスピーカーとか……。然山寺さん、これ、いったいどうなっているんですか?」
ディモを腕で抱え弄り始める。仄かに暖かく、毛並みはふわふわで心地いい。自然と顔が綻び、癒されていく感覚。これが俗に言うアニマルセラピーというやつだろう。
「気持ちいい……」
「くすぐったいじゃないか」
むず痒そうにもがくディモ。温もりも感じるし、生きた犬らしい反応もする。少なくともディモ自体がロボットだなんてことはないと思うけれど、だとしたらいったいどういう仕掛けでディモが撫で回されていることを知り、それに合わせた反応をしているのだろうか。スピーカーだけじゃなくカメラもついているのか、それともどこかから見ているのだろうか。
「ほんと不思議。まるで犬が喋ってるみたい」
「そりゃあボクが喋ってるからね」
「スピーカーとカメラだけじゃなくマイクもついてるのかな。いったいどこに……」
「小詠ちゃん、小詠ちゃん。いい加減受け止めてあげてくれ。ディーモンデリラリェイエスが喋ってるんだ」
「え、然山寺さんまでそんな……」
小突くように返すが対する然山寺さんは引き攣った苦笑いを返す。その反応でわたしはディモがぬいぐるみでも、遠隔操作されてるわけでもないことを悟った。
「え、え……? もしかして本当に……」
「そうだよ。最初からこのボクがキミに話しかけているんだ」
短い犬の手を折り曲げ、自分を指さすようにしてディモは言う。その仕草がどう考えても普通の犬が自然にできることじゃないことは錯乱気味のわたしにも分かる。
「じゃ、じゃあディモは何なんですか!? こんなの普通の犬じゃない。賢いとかそういう次元じゃないですよね!?」
「僕は一度もディーモンデリラリェイエスが犬だなんて言ってないよ」
確かに言ってないけれど、だったら目の前にいるこれは何? これほど犬らしい外見をしているというのに犬じゃないなんて。まず、喋る動物なんて聞いたこともないしいるわけもない。ディモはいったい何者?
「彼は、そうだね。分かりやすく言えば精霊のようなものだよ」
「ヨウスケ、それは心外だな。そんな不確かなものと一緒にされては困るよ。ボクは導き手、コンダクターだ」
「こん、だくたー?」
またしても聞きなれない単語。先ほどよりかは短かったので途切れ途切れだけれど復唱することができた。
「そう、キミのような願いを持つ少女の導き手だよ」
「願いを……、ならあなたは、ディモはわたしの願いを叶えてくれるの……?」
恐る恐る口にする。いままで半信半疑でからかわれているのだと思っていたから口にできなかった言葉。両親を生き返らせてくれる。その真偽を問うため意を決する。
「いいや、ボクにできるのは道を示すことだけだよ」
「だったら、わたしは何をすればいいの!? お母さんとお父さんを生き返らせるためなら、わたしは……!」
声を上げすぎて息が上がる。少し過呼吸気味になってしまったので胸を押さえながら呼吸を整える。
「ボクが導ける道は一つ。ボクと契約して魔法少女になって欲しいんだ」
「……魔法少女?」
予想外の言葉に耳を疑い聞き返してしまった。代わりに命を差し出せとかそういうものだと思っていたから。
「そしてこれから攻めてくる100体の魔物をキミが倒すんだ。そうすればキミの望みを一つだけ、叶えてあげるよ」
魔法少女に魔物。まるで漫画の中の話のようだ。なんて現実感のない話。それでも。いいや、そうだからこそわたしは惹かれた。人を生き返らせるなんて無茶苦茶なことを現実にするなら、これくらい現実感のない方が納得できたからだ。
だから、すぐに決断できた。
「うん。いいよ。わたし、魔法少女になる」
「話が早くて助かるよ」
「本当にいいのかい? 紹介した僕が言うのもなんだけどこの話、突拍子もないことだよ。本来なら信じる価値のないものだ」
心配そうに言う然山寺さん。でも、決意は揺らがなかった。あの幸せだった日々に帰れるなら。可能性があるのなら。わたしはそれに縋りたい。
「賭けてみようと思うんです。少しでも可能性があるなら」
「君は少し、自暴自棄になってるんじゃないかい?」
「あはは、そうかもしれません。でも、せっかく見つけた希望なんです。やらないで後悔するよりやって後悔した方がわたし、楽ですから」
「そうかい、だったらもう僕から言うことは何もないよ」
ぴょんと跳ねてディモはわたしの膝からテーブルの上に戻る。
「もう一度だけ聞くよ? ボクと契約して魔法少女になってくれるかい?」
「うん、なる。だから代わりにわたしを導いて、
決意の固さを表すように力強く言葉を発した。絶対に揺るがないと心に誓う。
「契約成立、だね。コヨミ、右手を出してくれ」
ディモに言われるがまま右手を前に出す。その右手にディモの肉球が触れる。
「少し痛いよ」
グッと肉球が押し込まれると熱く焼けるような痛みが右手の甲に広がった。その痛みの広がりをなぞるように右手の甲に赤く血のような色で刻まれた紋章が浮かび上がる。円形の模様で中央に縦長の丸。
「それが魔法少女の証。中央の数字は今まで倒した魔物の数だよ」
この縦長の丸は0という意味だったようだ。刻まれた紋章。それがわたしに可能性を告げる。本来届かないものへと手を伸ばす権利をくれる。
「これが100になったとき、キミは願いを叶える権利を手にするんだ」
「うん、頑張る。これからよろしくね、ディモ」
「こちらこそだ、コヨミ」
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