第4話 もう泣く資格なんてない

 愉快な音楽。今のわたしの気分とは正反対で鬱陶しい。耳を塞いでも鼓膜に響いてくる。

 あの後、どうなったんだったっけ。

 わたしはその場に座り込んで、いつの間にか意識を失っていた。そして今、自宅のベッドで先ほどまで眠っていたようだ。いったいどうやって家に帰ってきたのだろうか。思い出そうとするがあの後の記憶が全くない。

 音楽はまだ鳴り止んでいない。


「煩い……」


 本当はまだ布団に包まっていたい気分だったが、あまりの煩さに耐えきれず音楽の発生源であるスマートフォンに手を伸ばす。


「有希……」


 切ってしまおうと思っていた着信であったが、画面に表示されていた名前を見て改め、電話に出る。


「小詠!? 小詠か!? 大丈夫か!?」


 電話に出ると同時に有希のスピーカーにしなくても周りに聞こえてしまいそうな大声が聞こえた。その剣幕に少し怯んでしまう。


「う、うん。わたしは大丈夫だよ」


「そうか、なら良かった。体育館の倒壊事故が起きてからどこにも見当たらないし、連絡もつかなくて、すげぇ心配したんだぞ!」


 おかしい。そんなはずはない。体育館で倒壊事故? 確かにミノタウロスが暴れたことで体育館には多少の破損はあっただろう。でも、倒壊するほどじゃなかった。それ以前に、あの場所で起きたことは倒壊なんかで片付けられることじゃない。13人の生徒が死んだ。魔物のせいで。わたしのせいで。死なせてしまったんだ。


「まあ、運がよかったみたいで誰も巻き込まれなかったんだけどな。小詠だけ連絡つかなかったからほんと心配したんだからな!」 


「え……?」


 耳を疑った。誰も巻き込まれなかった? そんなはずはない。ミノタウロスに殺され、ディモに殺されていくところをこの目で確かに見たのだから。


「有希、それ本当なの?」


「ああ、本当だぜ。不幸中の幸いってやつだな」


 確認したものの、聞き間違いではなかった。誰も巻き込まれていない。誰も死んでいない。そんな馬鹿な。なら、わたしの見たものは。魔物は。魔法少女は。その全てが夢だったとでも言うのだろうか。その可能性を疑ったのもほんの束の間。ベッドの上で丸くなる黒い犬、ディモを目にして夢である可能性はなくなった。


「ところで小詠はあの時どうしてたんだ? なんか急いでたみたいだけど」


 心臓がドクリと跳ねあがった。そうだった。有希にはあの時、急いで体育館に走るわたしを見られていたんだった。


「えっと、そう、早退するために保健室に……」


 焦って苦しい言い訳をしてしまった。有希のことだからこんな嘘、簡単に見破ってしまう。有希に悟られてはダメなのに。嫌だ。有希を死なせたくない。


「それにしては元気に走っていたような……」


「えっとそれは……」


 言葉に詰まる。こういう時の機転が利かない。何か言おうにも、それが裏目にてしまうような気がして何も言い出せない。そのまま少しの間、何も言い出せないでいると。


「まあ、いいか。そういうことにしておいてやるよ。明日はちゃんと学校来るんだぞ」


 サボりとでも思ってくれたのだろうか。何も言わなかったことが幸と出たらしい。けれど、今までの有希の勘の良さに不安を覚える。これも本当は気づいていて、気づいてないふりをしているのではないだろうか。流石に考えすぎだろうか。


「うん。ありがとう。また明日、ね」


「ああ、……また明日な」


 電話を切ると通話中のわたしに気を使っていてくれていたのか、静かに丸まっていたディモがゆっくりと体を起こす。


「やあ、おはようコヨミ。気分はどうだい?」


 最悪、と返す代わりに無言で睨みつけて返事をする。


「なんだいその目は。怖いじゃないか」


 精一杯の嫌悪を、まるでなんともないどころか全く意に介さず受け流される。その態度で幾ばくかの怒りが収まった。そうだ、これはそういう存在だった。わたしが感情的になってもこれには響かない。少しでも冷静でいようと、心がける。


「なんで……、殺したの?」


「なんで、とは? 言わなかったかな。魔法少女の目撃者は殺すって」


 それが当たり前で、何でもないような口ぶり。事実、ディモにとっては何でもないようなことなのだろう。


「そう……だけど……! 殺す必要なんてどこにもないじゃない!」


「必要性の問題じゃないんだよ。そういうルールで、そうするように決められているんだ」


 だからって納得できない。死ななくても良かった人が殺されるなんて受け入れられない。わたしのせいで死なせてしまったなんて耐えられない。


「それに、あの触手は何!? あんな力があるならあなた自身で戦えばいいじゃない!」


「それはできないんだ。導き手コンダクターの力は魔物には通じない」


「そんなの、都合がよすぎるよ……」


「全くだね。けれど事実だ」


 あんな力があるというのに魔物との戦いでは役に立たない。人間を殺すためだけにあるようなものなんて。そんな力なら、ない方がずっといいのに。


「まあ、そんなことはどうでもいいじゃないか」


「な……!?」


 さらにわたしの神経を逆撫でしていくディモ。何を言っても通じない。悔しい。ディモの考えを改めさせる方法はないのかと言葉に詰まる。


「それに、キミは今まで一度も魔法少女をやめたいとは口にしてないじゃないか。心の底では、誰かを犠牲にしてでも願いを叶えたいんじゃないのかい?」


「……ッ! そんなこと……!」


 ないとは言い切れなかった。言われて初めて気づく。こんなことになってしまってもわたしは、ほんの一度も魔法少女をやめたいなんて思わなかったことを。

 その通りだった。わたしは、何と取り繕うと結局心の奥底では他人よりも両親の方が大切なのだ。


「それでも、誰かに犠牲になってなって欲しくないよ」


「そうかい。それがまあ、人間らしいってことなんだろうね」


矛盾している。そんなこと分かってる。わたしにとって一番大切なのはやっぱり両親なのだ。それでも、他の誰かに犠牲になって欲しくはない。


「ちょうどいいから教えておくと、キミの両親が死んだ事故の原因は魔物によるものだよ」


「え……?」


「キミのことを事前に調査していた時に気づいたんだ。ヨウスケにはキミの意志を決定してしまうだろうと口止めされていたんだけど、魔法少女になった今となっては知っていたほうが都合がいい」


 だから、どうしたって言うんだ。そのことを今伝えて、何がちょうどいいんだ。そんなことを知ったところで、魔物に対する憎しみが生まれたところで関係なくて、どのみち倒さなくてはならないのだから。

 いいや、違った。そうじゃない。ディモが言わんとしていることはそうではないということに気づく。動機ではなく結果が変わる。そう、そうであるのならわたしの願いが変わる。変えられてしまうのだ。


「魔物の存在を、なかったことにすれば」


「その通りだよ」


 魔物を最初からいなかったことにすれば。そうすれば誰も犠牲にならない。犠牲になったという過去が全てなかったことになる。そして両親も。違う。そうじゃない。それでいいわけがない。


「でも、最後に元通りになるとしても、今、大切な人を失って悲しむ人がいるじゃない。そんなの、見たくないよ」


「ああ、そのことか。それはもうキミも気づいているんじゃないのかい?」


「気づく? 何に?」


「さっきの電話。キミには違和感があったはずだよ。まあ、そのことは彼女自身に聞いた方が早いんじゃないかな」


 ピンポーン。

 玄関のベルが鳴る音がする。誰だろう。電話とディモに気を取られていたから確認しそびれていたけど時刻は夜の8時過ぎ。昼間の魔物討伐からまだ一日経っていなかった。こんな時間に、それに誰か訪ねてくる予定なんてあったっけ。


「小詠いるかー? ってあれ、鍵開いてんじゃん。入るぞー」


「え、有希!?」


 さっきの電話でまた明日って言ってたのになんで。ベッドから起き上がり服装を確認すると制服のままで、若干の髪の乱れがあったものの、有希の前であれば問題ないかと思い迎えに出る。

 と、その前に確認しておかないといけないことがあった。


「ディモが有希に見られた場合は問題ないんだよね?」


「もちろん問題ないよ」


「じゃあただの犬のふりしてて」


「別にボクが話しているところを見られても問題ないけれど?」


「いいから言うこと聞いて」


 有希に知られて興味を持たれるのはまずい。だから喋る犬なんて言うものを見せてはいけない。寧ろ、ありのままの全てを話した方がいいんじゃないだろうかって思うけど、それで信じてもらえず、証拠を見せろと言われるほうが大変だ。だって、見せられる証拠なんてないんだから。そして信じてもらえたとしても有希がそれで大人しくしているとは思えない。もし有希が死んでしまったとしても、願いを叶えれば生き返るとしても、わたしは有希を失いたくない。死なせたくない。


「分かったよ。わふわふ」


 ディモが納得するのを確認して、部屋から出る。階段を下りると丁度階段を上ろうとする有希と鉢合わせた。


「よ、小詠」


「また明日って言ってなかったっけ? 有希」


「行くって言ったら絶対拒否しただろ?」


「それはまあ、うん」


 そりゃいきなり来ると言われればとりあえず断るのがわたしだ。今日は特にあんなことがあった後だし。でもまあ、電話で来ると言われてたとしても最終的には有希の強引さに押されて渋々許可していたと思うけど。


「夕飯はもう食ったか?」


「いや、まだだけど」


 答えると有希はにかっと笑顔になり、体の後ろに隠していた買い物袋を見せ。


「じゃあ一緒に食おうぜ。今夜は鍋にしよう」


***


「それで、作るのはわたしなのね……」


「そりゃあたしは料理とかできねーからな」


 鍋くらいで料理とか言わないでほしいんだけど。こんなの汁に順番に具材を入れて煮込むだけなんだけど……。


「それにこの量。もしわたしが夕食を済ませてたらどうするつもりだったの?」


「その時はまあ、今夜のあたしの分は作ってもらうとして、残ったのは小詠の明日の飯にでも」


「どちらにしろわたしは有希にご飯を作らないといけないんだね……」


「おう!」


 調子のいいやつめ。でも、夕食を自分のためだけに作って一人で食べるのも味気ないし、今日のところは許してやろう。食材を持ってきてくれるなら別に毎日来てもいいんだけどね。


「ところでこの犬どうしたんだ? 前来たときはいなかったけど」


「わふわふ」


 ディモは言いつけ通りただの犬のふりをしてくれているようだ。有希も、わたしの心配は杞憂であったように、ディモから何かを察することもなく、じゃれあっている。そう思っていた矢先に有希が呟く。


「なんか、悪魔みたいだな」


「なん……」


 何で知ってるの。と言いかけて口を塞ぐ。違う。わざわざ墓穴を掘るところだった。今のはディモを見て感じた印象。ディモの本質を突いた言葉じゃない。


「いや、色がさ。真っ黒じゃん、こいつ」


「え、ああ、うん。確かに、そうかも」


 全く持って有希の勘は恐ろしい。たまたま偶然だとしても、ディモのことを悪魔と言い表すなんて。まさしくその通りだ。ディモは悪魔だ。そう言い現わすに相応しい存在だ。そうだ、わたしは悪魔と契約してしまった。


「はい、できたよ」


「お、待ってました」


 煮込んだ鍋をカセットコンロの上に置き、つまみを捻って火をつける。ぐつぐつと再び沸き立つ。

 

「おぉー! 美味そうだな!」


「ほんとに。なんで牡蠣とか蟹とか高いもの買ってきてるの……」


「ああ、あれは東北の叔母さんからだ。よく送られてくるんだが飽きたから持ってきた」


「なんて贅沢な悩み……」


 蟹なんて滅多に食べられないし、牡蠣もこんなに大ぶりなのはかなりの値段がする。こんなものを出されては少しは遠慮しようと思っていたけれど、飽きたというのなら遠慮せずにいただこう。


「じゃ、いただきまーす」


「いただきます」


 言い終えると同時に有希が鍋を突っつき始めたので、それに続いてわたしも箸を伸ばす。


「お、さっそく蟹いくか?」


「飽きたって言うんなら遠慮する必要ないからね」


 とりあえず蟹と牡蠣、それと白菜と豆腐、葱、椎茸、豚肉をバランスよく取り皿に入れる。


「有希……、その取り方はどうかと思うよ」


 いざ食べようと意図呼吸置いた時に有希の皿が目に入る。その中身は肉、肉、肉、牡蠣、肉、蟹、肉。野菜が一片も存在しない。


「ゔぇ、だめか?」


「だめだよ、ほら、ちゃんと野菜もバランスよく食べないと」


 そう言いながら有希の取り皿に無理やり野菜を盛り付けていく。どんどん有希の表情が濁っていくのが視線だけで分かるけれどお構いなしだ。


「はい、召し上がれ」


「うぇぇ……」


 渋々と皿を受け取る有希。早速わたしの盛り付けた野菜を退かし、最初に取ったから下の方に行ってしまった肉を掘り出す。


「ちゃんと空にしないとおかわりはさせないよ?」


「な、なんのことかなー?」


「ふ、ふふふ……」


 分かりやすい誤魔化し方をする有希の姿に気が緩んで笑い声が漏れた。あんなことがあって気が参ってしまっていたのが、今ので嘘みたいになくなっていた。そうだ。いつまで悔やんでいても仕方ない。前を向かなくちゃ。死んでしまった人たちを生き返らせるために、魔物を100体倒さなくちゃ。そして、こんな平凡な日常を守るために。ささやかな幸せを失わないために。そして、取り戻すために。……よし。


「なんか、小詠の顔、楽になったな」


 両親が死んでから、有希には随分と心配をかけてしまっていただろう。外では取り繕っているつもりだったけれど、なんだかんだ有希には見抜かれていた。けれど、今はもうそんな顔はしていないはずだ。性格には両親の死を乗り越えたわけじゃなくて、寧ろその反対なのだけど。もう大丈夫だよ、心配かけてごめんね。それを口に出すのはなんだか恥ずかしかったから。


「うん、今の有希を見て、なんか元気出た」


「そっか! なら……」


 けれど、それとこれは別問題。


「でも、お残しは許さないよ?」


「げっ」

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