第17話 兄と弟

 村を救った英雄としてニーコミ村では熱烈な歓迎を受けた。

 上半身は前後左右からオバサンに抱きつかれ、下半身は子供達にしがみつかれて身動きが出来ない。オバサンたちはドサクサに紛れてキスをしてくる。これがマジでウザい。身体のコントロールは自分のターンに戻っていたので振り払おうとも考えた。が、どちらの腕も太いオバサンが絡まっていて自由が利かない。しかも腕に押し付けられる感触は胸だか脂肪だか判別不能。

(こ、これがオッパイとか信じたくねえ……)

 四方から手が伸びて揉みくちゃにされ、まるでえらくご利益のある石像みたいに触られまくった。

 そんな具合で一通りの歓待を受けてから少し村を散策してみることにした。

「普通の村だな。こりゃ」

 何のことは無い。ゲームに出てくる古い町並みをそのまま再現したような光景だ。石を積み上げて作った家々が通りに面して整列している。何の変哲も無い建造物は中世の欧州を連想させる。道行く人々もRPGゲームに出てくる町の人たちといった具合で何か意図があって行動している風ではない。唯一、違和感があったのは背景が無いことだ。というよりも、家が連なっている後ろ、つまり崖に面している側の背景にぽっかり空いた空間が存在するのだ。この村は滝を臨むような形で崖の縁にある。それも相当高い滝なので崖の向こう側に見える大地はちょうど高い山から見下ろす光景のようにずっと先の方で霞んでいる。

(何だかのんびりしてるなぁ。ついさっきまで侵略の危機にさらされてたとは思えないや)

 時は緩やかに流れる。ふとそんな事に気付いた。村人達の表情や動きを眺めていると、この世界こそ現実のもので以前に自分が居た世界の方が仮想なのではないかという気にさえなってくる。今目の前にある生活感。そんな淡々とした日常になぜか現実世界に帰りたいという気持ちが重なった。

(あれ? 何でだろ?)

 理由は分からない。確かに何度か寝る前に考えたことはある。次に目覚めた時には戻れるかもしれないという漠然とした思い。それほど強い願望ではないが、それが全く無いとはいいきれない。

 古井戸に腰掛けてそんな風に考え事をしていると村人達の会話が耳に入ってきた。

「おい。軍が到着したらしいぞ」

「今更かよ! まったく役立たずだぜ」

「しっ! 声がでかいよ!」  

 それを聞いて(ああ……そうなんだ)と思った。軍の到着が遅れたことは村人にも知れ渡っているのだ。

 程なく警備兵の一人が呼びに来た。

「ダンクロフォード様! こんなところにおられましたか。隊長がお呼びです!」

 やれやれと思って腰を上げる。

(どうせ行かなくちゃ話が進まないんだろうな……)


   *  *  *


 警備兵に案内された部屋に入ろうとする直前に背筋がピーンときた。

 ドアを開けて室内に入ると大きなテーブルを挟んで右手にヒゲの隊長以下バーグ警備隊の面々、左手には軍服姿の見慣れぬ連中が陣取っていた。

 ヒゲの隊長が訴える。

「で、ですが! このままビフライの連中が黙って引き下がるとは思えません! どうか、どうかお願いです! 軍の派遣をお願いします!」

 軍服組の中央に悠然と座る銀髪の男、見たところかなり若いが地位は高いのだろう。その男が静かに口を開く。

「気持ちはわかる。だが、焦って彼等を追い詰める方がリスクが高いというのが本国の判断だ」

 それを眺めながら身体が呟く。

『兄上……』

 それが聞こえたのかどうかは分からないが銀髪の男がこちらに目を向ける。

「お前は……ダンクロフォード! 久しぶりだな!」

 そう言って男は立ち上がると手招きをした。

 会議の途中に割り込んだ形になるがバーグ警備隊も銀髪の男も快く迎え入れてくれた。

 銀髪の男が親しげに声を掛けてくる。

「聞いたぞ。一人で敵を撃退したらしいな。まずは軍を代表して礼を言うぞ。流石だな!」

『いや、そんなつもりは……』

 なぜか身体のテンションが低い。

〔ひょっとしたらこの兄弟、何か因縁があるのかも?〕

 銀髪の男は目を細める。

「さぞかし立派な水使いになったことだろう。やはりスプリングフィールド家の血か……」

『兄上……いえ、エスピーニ将軍こそ立派な軍人になられて』

 身体の発した言葉に銀髪の男の表情が曇った。

「本当にそう思うか?」

『……』 

「まあいい。後でゆっくり話そう」

 銀髪の男はそう言うと身体との会話を打ち切って話題を会議の内容に戻した。そこで軍人の一人がすっと寄ってきて退席を促してきた。

「ここからは関係者のみの会議となります。恐れ入りますがご退出願います」

 身体が黙って言う通りにする。

〔意外とまともそうな兄貴じゃん。けど、前に兄とやりあうかもとか言ってなかったか?〕

 部屋の外に出ながらそんなことを思い出した。さっきの会話では敵対している感じはなかった。空気としては微妙だけど……。


   *  *  *


 夕刻、ニーコミ村からバーグ警備隊の砦に移動した後で銀髪の男と話をする機会に恵まれた。夕食でも一緒にということになり、サシで食事をする。その間、引き続き身体のコントロールは効かなかったが、この場合は好都合だ。いきなり登場した『兄貴』と会話しろといっても無理がありすぎる。自分にとっては初対面だ。

〔さて、ここは静観だな〕

 暖炉のある部屋に通され、丸テーブルで銀髪の男と向かい合う。食事はといえばスープにパンに分厚い肉だ。相変わらずこの世界の肉が何の動物なのかは不明だ。

 銀髪の男が近況を説明する。

「知っての通りバーグ州とビフライ州は昔から一触即発の状態にある。もし、あのまま彼等がニーコミ村を占領していれば戦いは避けられなかっただろう。だが、幸いにもお前が居たおかげでこちらの被害はゼロだ」

『成り行きですがね』

「通常ならここで一気にビフライを攻めるところだが、深追いはしないということになった。これは本国の決定だ」

『しかしビフライの軍隊……あれは明らかに違法なのでは?』

「確かに。だが、それを立証して罰するのは本国の役目だ。我々に権限は無い」

『兄上は今どのようなポジションなので? 将軍と聞いていたので、てっきり……』

「所詮、将軍といっても州軍での地位に過ぎん。例え国立軍に戻れたとしても少佐か中佐止まりだろうな」

『兄上ほどの水使いがなぜ? その気になれば……』

「皆まで言うな。それでは意味が無いのだ」

『意味、ですか?』

「国立軍で出世するなら水使いであることを最大限に利用すれば良い。だがな、そうまでして偉くなることに意味があるとは思わん」

『例え、左遷されてもですか』

「ああ。そうだ。お前に分かるか? この国は病んでいる。それもたちの悪い病だ。例え国が貧しくとも一人ひとりの精神が健全な方がまだマシだ」

『平和であること。それに越したことはないと思いますがね』

「それは否定しない。だが、政治家など共和党だとか民和党だとか名前が違うだけで中味は同じだ。彼等に思想などありはしない。向上心を失った国家は緩やかに死にゆくしかないというのに!」

 そこで銀髪の男はグラスをぐいっと傾けた。身体の方も付き合いでグラスを口に運んでいるが、何の飲み物だかさっぱり分からない。まあ、ワインとかシャンパンとか酒の類なんだろうけど味が良く分からない。

『この国の未来を憂えておられるのなら、なおさら兄上が上に立つべきだと……』

「そうはいかんのだ。だからダンクロフォード。お前の力を貸してくれんか?」

『なぜです? 自分の力など兄上の足元にも及びません……』 

 何か雲行きが怪しくなってきた。只でさえ道草を食っているのに、これ以上こんな所に拘束されてはたまったものじゃない!

「ダンクロフォード……いや、弟よ。正直に言おう。自分には出来んのだ」

『兄上……』

「これ以上、同胞を殺めることはしたくない」

『弟である自分なら水使いの技をこの国の人間に使っても良いとお考えで?』

「分かっている……分かっているとも。その考えが都合の良いことなど……」

 そう言って銀髪の男は俯いた。そして顔をあげると真っ直ぐな視線を向けてきた。

『あの事件で自分は水使いであることを捨てる決心をした。そしてその贖罪として一軍人としてこの国の為に命を捧げると誓ったのだ』

 あの事件……南ジョイルスの悲劇!

〔なんだっけ? あれ? 誰に聞いたんだっけな?〕

 それを聞いた時のシチュエーションが思い出せない。ただ、女神さまもカッパ男もそれらしいことを匂わせていた。その度にこの身体は拒否反応を示していた。

『兄上。やはり自分には……』

「そうか。そうだろうな。やはりお前とは進むべき道が違いすぎるのだな」

『……』

「お前がこの国を捨てたのは知っている。心無い人間の噂も耳に入っている。だがな。弟よ。自分は誰よりも長くお前の成長を見てきたから分かる。お前にはお前なりの考えがあって行動しているのだろう?」

『兄上……』

「自分はこの国に留まり、自分に出来ることを精一杯やりとげる。お前は己の信念に基づいて行動してくれ。お前なら出来る。いや。きっとやってくれると信じている。この混沌の源……それを断ち切ることが出来る人間はお前だけだ」

『兄上、あまり買いかぶらないでください。水使いとしての力量は兄上の方がずっと上なはずです……』

「そんなことはあるまい。恐らく、相当の鍛錬を積んでいるのだろう。とっくに超えているんじゃないか?」

 そう言って銀髪の男はこちらの腕輪を見た。

『そんな……まだまだ満足はしていませんよ。ところで兄上は腕輪をどうされているので?』

「まだ持っている。必要あらばお前に譲るが?」

『いえ。貰った石では意味がありませんから』

「そうか。そうだったな。スプリングフィールド家の家宝。今の自分には宝の持ち腐れだがな……」

 身体が少し喉を潤して質問する。

『兄上。今回の事件はグスト連邦の思惑があるように見受けられましたが、本国はどのように対処するのでしょう?』

「うむ。それは本国も把握している。だが、今のところグスト連邦の策略とは決め付けられんのだ」

『なぜですか? 証拠なら幾らでも……』

「問題は黒幕だ。こいつがグスト連邦の人間なら明白な証拠になるのだがな」

『黒幕? それは何者ですか?』

「リーベン。四天王のリーダーだ」

『な!?』 

〔出たよ。ここで四天王! けど、四天王ってグストの所属じゃなかったっけ?〕

 頭の中で整理してみる。デーニスで遭遇した怪しい手品師『チグソー』は、はっきりと口にはしなかったが、もうすぐ大変なことになるみたいなことを言っていた。今思えば国名こそは明かさなかったがジョイルスが危機に陥ることを知っていたのだろう。一方、骨骨兜の『ソヤロー』はサイデリアの国境付近でグストに手を貸して再三ちょっかいを出していた。ということは、四天王はグストの手先として周囲の国に喧嘩を売っているのだと考えられる。

 しばらく沈黙した後で身体が声を絞り出す。

『時間が無いようですね……』

「ああ。闇帝が動きを本格化させているということだ」

『……やはり兄上は知っておられたか』

「腐っても元水使いだ。闇帝こそ諸悪の根源であることは分かる。だが強力な相手だ。だからこそお前に期待をしている反面、心配もしている。死ぬな。それだけが兄としての望みだ」

『兄上……』

 沈黙の中で暖炉の火が弾ける音だけがパチパチと響く。古めかしいランプの明かりに照らし出された室内には光が届かない箇所があちこちに存在する。そしてそれらの闇の部分がひっそりと息を潜めて我々の会話を盗み聞きしているように感じられた。

 銀髪の男エスピーニは、フッと笑みを漏らすと優しい目を向けてきた。

「しかし、偶然とはいえここでお前に会えて良かった。これからどこへ行くつもりなんだ?」

『旅の途中で知り合った少年に会いに行くところです』

「少年? 何者だ?」

『サイデリアの少年です。何でも軍を抜けてジョイルスに向かった親友が行方不明なようで、それを追いかけてこの国に入ってしまったのです』

「サイデリア軍を抜けてだと? この状況でか? そいつは良くない話だな」

 エスピーニは眉を寄せて少し警戒している。

〔ヤバイ! せっかくいい感じだったのに何でバカ正直に言っちゃうかなあ?〕

 しかし身体は話を続ける。

『無謀な連中だと思いますが見捨てるわけにもいかないので。それに助けを求めているということは拘束されてしまったのではないかと……』

 エスピーニは一寸、思考を巡らせるような仕草を見せてから言った。

「なぜこの時期にサイデリアの少年がこの国に入ったのかは分からん。だが、拘束されているとしたらデココ収容所の辺りではないかな」

『ええ』と、頷きながら身体がポケットから水筒のような物を取り出す。

「なるほど水振動を使ったのか。ならば位置は特定できるな。しかし、デココは本国の管理下だぞ。どうするつもりだ?」

『とりあえず行ってから考えます』

「そうか。ならば今のは聞かなかったことにしよう」

『特別のご配慮、感謝します』

 こうして兄弟の会食は終わった。久しぶりに会った兄弟の割にはこの身体がずっと敬語を使うなど、どこか他人行儀な雰囲気ではあったが新たに得た情報もある。そのおかげで今の流れと全体像が段々と分かってきた。

〔なるほど、ラスボスは闇帝とかいう奴なんだな……〕

 闇帝とその配下である四天王がグスト連邦を裏で操ってこの世界に混乱をもたらそうとしている。それをこの漫画の主人公であるディノが阻止するというのが大まかなストーリーで、自分はそれをサポートする役割なのだ。

〔さてと。これでようやくフィオナにも会えるぞ!〕

 期待半分。不安が半分、といったところだ。けど今は正直、フィオナと再会することが楽しみで仕方がなかった。

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