第11話 パーティの夜
ディノは今すぐにでもジョイルスに向かおうと主張したが、さすがに今日は疲れているし準備も必要という事で今夜はデーニスに留まることになった。
その旨をロイに告げると彼は手放しで喜んだ。
「そいつはいい! 是非そうしてくれ。今夜は祝勝会だ!」
その言葉通りにロイはその夜、街中の大きなレストランを貸切にして祝勝パーティを開いてくれた。
パーティに参加するのはウルド養竜場の関係者だけかと思っていたらドラゴン・フライに出場した他国の調教師や騎手を中心に続々と人が集まってきて、会場はあっという間に満員になってしまった。そこに酒が入ると、さながら場内はレースの延長戦みたいに盛り上がる。あちこちで乾杯の声が上がり笑い声が絶えない。壇上では町長が「国王も大変お喜びだ! デーニス万歳!」と、絶叫している。そんな中、自分はといえば料理を楽しむヒマもなくデーニスに久しぶりの優勝杯をもたらした功績者として、あっちこっちで『もみくちゃ』にされてしまった。ロイに手を引かれるままテーブルを次から次へと渡り歩き、見知らぬオッサン達の熱烈な歓迎を受ける。
(おい! ハグは止めろ! チューはもっとダメだ!)
酔っ払いも集団となると実にたちが悪い。彼等の相手をするのは結構、疲れる。おまけにテーブルを離れようとすると必ず誰かに引き止められる。これでは自由時間を得た意味が無い。本当はフィオナと話をしたかったのに……。
(なんか全然楽しくねえ!)
いい加減うんざりしてきた。なので、しつこく話しかけてくるジイサンを「ちょっとウンコ!」と振り切って会場から抜け出した。そして、テラスに出て行こうとするフィオナの後姿を発見した。
「あ! 居た!」
ついにチャンスがやってきた。高鳴る鼓動を抑えつつ彼女の後を追う。
レストラン3階のテラスからはケーキ山が一望できる。見上げると壁面の無数の穴からはオレンジの明かりが漏れ出ている。一方、崖下に集められた紺色の水は静かに夜の底を這い、その表面に映える灯を揺らせていた。時折、頬を撫でる風が遠慮がちにせせらぎを耳元まで運んでくる。
フィオナは手すりに上半身を預けるような格好でそんな夜景を眺めていた。
彼女を驚かせないようにわざと足音をたてて背後に近付く。そして彼女が振り向いたところで尋ねた。
「ひとりかい? ディノは?」
「子守よ。ロイさんのお嬢さんにすっかり気に入られたみたい」
「なるほど」
「いいの? パーティ抜けてきちゃっても?」
「いいさ。実はあんまり好きじゃないんだ。そういうの」
「でも主役じゃない。みんなあなたを待ってるわ」
「ガラじゃないよ」
「あら、そのケガ……動かないで。すぐ治療するから」
「いいよ。全然痛くないし」
「ダメよ」
そう言って彼女がそっと手を伸ばした。言われるまで気にしていなかったが確かに左手の甲から縦に結構な裂傷が出来ている。たぶんソヤローとの戦いで怪我をしていたのだろう。
(痛みなんか無いから治療するまでもないんだけどな……)
フィオナは手を翳しながら呪文を唱える。
「じっとしててね。セ・ラルゴ!」
それは回復の魔法なんだろう。手は触れ合っていないのにフィオナの手から温かさが流れ出てくる。何だかその温もりには質量があって、それが傷口に溜まっていくのがはっきりと感じられる。
(気持ちいい……)
フィオナの温もりをかみ締めながら彼女の表情を盗み見る。
(可愛い。近くで見るとなおさら……)
はじめは美少女フィギュアぐらいにしか思っていなかった彼女が今は普通の女の子に見える。それはこの世界の質感に慣れてきたせいもある。だが、ミーユに対しては決して湧いてくることのないこの感情は、間違いなく異性に対するそれだ。
(クソ……マジで触りてぇ)
無意識に手を伸ばす。
(このまま抱き寄せたらどんな反応をするんだろ?)
必要なのは、ほんのちょっとの勇気。残り数センチの距離を越えようとした時だった。治療に専念していたフィオナがふいに顔を上げた。
「ん? どうしたの?」
「え? い、いや……」
彼女の肩に伸ばしかけた手が行き場を失って宙を彷徨う。その指先に宿った戸惑いが彼女に伝わるはずもなく、ここは誤魔化すしかなかった。
「そ、そういえば……昼間の件。な、何で四天王のこと知ってたんだ? ジグソーだっけ?」
唐突な質問にフィオナが怪訝そうな顔をする。
「ジグソーじゃなくてチグソーよ……」
「あ、ああそうだ。チグソ。チグソーだったな」
この話題を出した途端、彼女の様子が一変した。
(やべ……地雷踏んじまったかな?)
そういえばあの時、彼女はかなり怯えていた。もしかしたら家族を殺されたとか酷い目にあわされたとかトラウマがあるのかもしれない。
ここは素直に詫びる。
「ごめん。変なこと思い出させちゃったかな?」
「いいの。ちょっと厭な記憶があって……」
そう言ってうつむいた彼女の睫毛がやけに長いことに気付く。
「そっか。よかったら話を聞くよ。無理にとは言わないけど」
「ううん。いいの。今はまだそんな気分になれないから……」
まずい。この話題には触れるべきではなった。せっかくの雰囲気がぶち壊しだ。
(クソ! なんでこうなる?)
一度変わってしまった流れはそうそう引き戻せない。
気まずい空気が流れるままフィオナの治療は終わってしまった。
「はい。これで大丈夫よ」
「あ、ありがと……」
礼を言うとフィオナは無理に笑顔を見せてから再び手すりにもたれかかった。そしてぼんやりとケーキ山を眺める。その姿は悲しみを湛えているようで、とても気軽に話しかけられるものではない。止む無く自分も並んでケーキ山を見上げる。
室内からは陽気な歌声や笑いが漏れ聞こえてくる。それとは対照的に月明かりに包まれたこのテラスは、まるで賑やかさとはあえて距離を置き、ひとりで孤独に耐えているようにも感じられた。
「好きなんじゃないか? ディノのこと」
それは一か八かの賭けだった。
ワンテンポ置いてフィオナが反応する。
「……なっ!?」
「見てれば分かるさ」
「そ、そんな、うそ、あたしは……」
顔を赤らめるフィオナもそれはそれで可愛い。
「奴は君のことどう思ってる?」
そう追い討ちをかけると彼女はさらに動揺する。
「そ、そんなこと、そんなこと今まで……」
「確かめないのか?」
「ち、違うの! そうじゃなくって……」
彼女は怒っているわけではない。恥ずかしさで混乱しているのだろう。一生懸命に言葉を探しながら平静を保とうとしているようにも見える。が、かえってそれが愛おしさを刺激した。
「ディノには好きな人がいるの! だから私なんか……」
なんとかそう言うとフィオナは寂しそうに視線を泳がせた。
「他に好きな人がいるってこと?」
「そう……マルシアっていう女の子。サイデリアの第二王女よ」
(王女って……そりゃまた随分と大物だなぁ)
ディノの奴、ああ見えても結構、上流階級に接点があるようだ。まあ、奴はこの漫画の主人公だから特に驚くようなことではないけど。
「マルシアはね。私たちの幼なじみなんだけど、小さいころからディノのこと好きっていつも言ってた。ディノもまんざらではなさそうだったし」
「ふぅん。君らは幼なじみなんだ」
「うん。ディノにとって私は妹みたいな存在」
「君は? ディノを兄貴みたいに思ってるのか?」
「……分からない。でも、それに近い感覚かもしれない」
よっしゃ! それはいいことを聞いた! フィオナには悪いけど、これは自分にも芽が出てきたぞ!
そんな邪悪な心が鎌首をもたげてきた。彼女の心の隙間に入り込めればチャンスはある。ここで何か気の利いた台詞をひとつ、それでもってぎゅっと抱き寄せることができれば!
(う……でもこんな時に何と言えば?)
やるべきことはイメージ出来てる。なのに肝心の言葉がとっさに出てこない。
(無理だ。これ以上は……)
なんという自己嫌悪。自分のヘタレっぷりに泣きたくなる。架空の世界なんだからもっと気楽にやれると思っていたのに……。
ひとりで悶々としていると落ち着きを取り戻したフィオナが尋ねてきた。
「ところでジョイルスには一緒に来てくれるの?」
「ああ。そのつもりだけど」
「良かった! あなたが居てくれると安心だわ」
「はは、まあ……」
「ありがとう。でも……どうして私たちの為にそこまでしてくれるの?」
「どうしてって……それは」
その後の言葉がどうしてもひねり出せず、また口ごもってしまった。
(なぜここで『君がいるから』と言えない!)
我ながら情けない。絶好のパスじゃないか。あとは無人のゴールにボールを蹴り込むだけなのに……。なのにそこで出てきたのは最悪の台詞だった。
「いや、ただ何となく」
またしても強烈な自己嫌悪。
(お、俺はバカか!)
もはや実力行使しかない。そう決心して、両腕で強引にフィオナの肩を掴んで引き寄せる。
「え?」と、戸惑うフィオナが転がり込むように自分の胸にぶつかった。
ここで好きだと抱きしめれば何かが変わる!
と、その時、邪魔が入った。
「ダン! 何してるミョ?」
その言葉に条件反射で動きが止まってしまう。
(ミーユの奴……いいところなのに!)
うらめしく思いながら振り返るとミーユがきょとんとした表情で立っている。
ミーユはのん気に言う。
「お師匠さまから伝言がきたミョ」
「お師匠様? ああ、女神さまか」
「ジョイルスに行くなら必ずサムソン山に寄れってミョ!」
「下らねぇ……そんなことを伝えるために邪魔しにきたのかよ?」
半ば不機嫌になってそう尋ねる。
「ミョミョ! 大事なことだミョ!」
フィオナが俺達の会話を聞いて表情を曇らせる。
「じゃあ、別行動になっちゃうの?」
その表情にまたしても激しく萌える。
「い、いや。そういう訳じゃない。その何とか山なんか後でちょこっと寄ればいいだけだから。なんなら行かなくてもいいや。別に義務じゃないし」
「ダメだミョ。お師匠様の命令は絶対だミョー!」
「お前は黙ってろって!」
フィオナはすっと離れると悲しそうな顔をした。そして「ごめんね」と、言い残すとその場を走り去ってしまった。
(ああ行っちゃった……ダメだ)
中々思った通りにはいかないものだ。「あの時こう言えば良かった」とか「こうすれば良かったのに」とか終わってから気がついても意味が無い。女の子と会話をする時に話術で自分のもって行きたい方向に誘導できるなんて都市伝説に違いない。
(エロ漫画はいいよな。何の苦労も無くそういう展開になるから……)
つくづく残念に思う。どうせなら可愛い女の子がワッサワッサ出てきて、手におっぱいを晒したり股間を顔面に押し付けてきたりするような漫画の世界に入り込みたかったな……。
まったく状況が飲み込めないミーユは首を傾げる。
「フィオナって変な子だミョ」
「お前が言うな!」
せっかくのムードを台無しにしたミーユを本気で殴ってやろうかと思った。
* * *
翌日、ジョイルスに向かう為にデーニスを立つことになった。
ロイが心配そうに言う。
「気をつけろよ。昨日、ジョイルスの調教師に聞いたんだが、あっちは政権交代で国内が混乱してるらしい」
ロイの説明によると野党のナントカ党というのが前政権の外交政策に不満を持っていた軍の支持を取り付けて選挙に勝ったのはいいが、約束を反故にしたとかで内輪もめが続いているのだという。そしてその結果、下手をするとまた内戦が勃発してしまうかもしれないとも。
「怖いミュー。正直、あんまり行きたくないでミュ」
ミーユがそう言って顔をしかめるので一言。
「だったらついてこなくていいぞ」
「酷いでミュ! ダンは冷たいミョ。だいたいカバちゃんがいないとどうやってジョイルスまで行くつもりミョ?」
本音を言えばフィオナのドラゴンに相乗りして一緒にジョイルスに向かうのが望ましい。なので「心配するな。俺は……」と言いかけたところで、また例の『背筋ピーン!』がやってきた。
〔やべ。タイミング悪っ……〕
自分の意思に反して身体が口を開く。
『悪いがここで分かれよう。我々は先に行くところがある』
それを聞いてフィオナが「え?」と、悲しそうな顔をする。そりゃそうだ。昨夜の約束を裏切られることになるんだから。
〔おいおい! このクソ身体、勝手に決めんじゃねぇよ! 俺が嘘ついたみたいじぇねぇか!〕
そう悪態をついても所詮、今は自分のターンではない。
ミーユが申し訳無さそうに頭を下げる。
「ごめんミョ。ダンはサムソン山に行かないといけないんだミョ」
それを聞いてフィオナが唇を噛んでうつむいた。
ディノも肩を落とす。
「そうか……それは仕方ないね。じゃあここでお別れだ」
先を急ぐディノ達は北東に直進して海を突っ切るという。一方、サムソン山に最短で行くには内陸を南東に向かわなければならない。なので、どのみちここで二手に分かれなくてはならない。
〔なんとか山なんか行きたくねぇ!〕
そもそもなぜ今ここで別行動? ストーリー的にはディノ達に同行するのがスジだろう? どうにも納得がいかない。
ディノが自分のドラゴンに乗ってフィオナを急かす。
「とにかく一刻も早く出発しよう! 行くよ、フィオナ!」
ディノは、はやる気持ちを抑えきれないらしい。フィオナは何か言いたげにこちらを見つめる。
〔クソ! 最悪だこの身体。今度こっちのターンになったらわざとウンコ漏らしてやるからな!〕
本気でそう思った。すると身体がフィオナに向かってポンと何かを放り投げた。
それを受け止めたフィオナが驚く。
「これは!?」
身体が彼女に投げて寄越したのは小さな水筒のようなものだった。
『信号弾だ。助けが必要な時はそれを使え』
それを聞いてフィオナの目が潤んだ。
「ダン……ありがと」
フィオナのその言葉、表情、仕草。そのすべてに強く引き付けられる。
〔ヤバい……超可愛い〕
今更ながら彼女に恋をしている自分に気付いた。もう二次元だかなんだかは関係ない。今ならゲームキャラと結婚式を挙げる人の気持ちが分かる気がした。
「ダン。色々とありがとう。それじゃボク達は行くよ」
そう笑顔で言い残してディノは勢い良く飛び立った。フィオナは名残惜しそうな顔をみせながらディノに続く。
〔なんて切ない目をするんだよ……〕
フィオナの表情に胸が締め付けられる。
そしてディノとフィオナのドラゴンが飛び去っていくのを見送ったところで身体のコントロールが戻った。
(やべ……胸が痛い)
自分のターンになった途端、痛みが増したように感じられた。小さくなっていく2頭のドラゴンを見ていると切なさがこみ上げてくる。追いかけたい気持ちがメラメラと身体の奥で疼く。今追えば追いつけるような距離だ。が、恐らくそれをしようとしても無駄だろう。先に女神さまの『言いつけ』を守らなければならない。それがこの漫画のストーリーだから……。
諦めて気持ちを切り替える。
「しゃあない。俺達も出発するか」
「了解だミョ! よーし! サムソン山に向かうミョ~!」
こっちの気も知らないで浮かれているミーユを見ると腹が立った。
「張り切りすぎだバカ! こっちはそんな気分じゃねぇよ」
「フギー! 誰がバカだミョ!」
そうやってミーユは直ぐに反応する。そういう思考も体型も実にガキっぽい。
(やれやれ。全然、本意じゃないけど行くしかないか。たぶんフィオナにはまた会えるだろ……)
カバドラゴンにまたがり我々もロイに別れを告げる。
「んじゃ、まあ、行ってきます」
ロイが何度も頷く。
「ああ。必ずまた寄ってくれよ。あんたはこの国の英雄なんだからな」
「分かった。機会があればそうするよ」
「それじゃ行くミュ!」
ミーユの手綱でカバドラゴンが、のそっと浮き上がった。
(遅……てか、こいつやっぱ鈍いな)
ディア・シデンと比べるのは可哀相にしてもやっぱりこのカバドラゴンはスペックが劣る。
ロイが手を振りながら声を張り上げる。
「それじゃ気をつけてな!」
軽く手を挙げてそれに応えながら我々はサムソン山に向かう。徐々に高度を上げ、ウルド養竜場を上空から見下ろす。そして方角を南東に向けて飛び始めた。
(なんだかんだいっても面白かったな……)
あの激闘を繰り広げたケーキ山を背にデーニス上空を進む。ドラゴン・フライのことやフィオナとの会話なんかを思い出しながらしばらく飛んでいると前方を横切るように黒い物体が飛ぶのが目に入った。
「ミョ? あのドラゴン、見覚えがあるミョ」
(あの黒いのはドラゴンか……え? あれってもしかして!)
慌ててミーユに指示する。
「おい! あれを追え!」
「ミョ? いいけどどうしたミョ?」
「全力で行け! 追いつけなかったらこのカバを丸焼きにするぞ!」
黒いドラゴンは右から左に向かっている。速度を上げれば接近できるはずだ。
(間違いない。あれはあの女剣士!)
これはまたとないチャンスだ! 聞きたいことは山ほどあるんだ……。
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