第6話 ウルド養竜場

 工房を出たところで身体の自由が戻ったのでミーユにドラゴン・フライの事を聞いてみた。だけどミーユも良く分からないと言う。なので、止む無く町の食堂で食事をした時にその話題に夢中になっている連中に声を掛けてみた。

「そのドラゴン・フライってのは何なのさ?」

 すると昼間から酒を食らっていた肉体労働者っぽい3人組が一斉に「は?」といった風にぽかんと口を開いた。そして、まるで珍しいものでも見るような目つきでこっちを見る。

 正直に事情を説明する。

「ドラゴン・フライがあるって聞いたんだけど、はじめてこの町に来たからよく知らないんだ」

 それを聞いて3人組が「なるほど」と、いった風に頷く。そして、いかにも親方といった風情のチョビ髭の男が「ああ、そういうことか。ならしょうがねえ」と、大きく頷いて説明をしてくれた。

「いいか。よく聞け。ドラゴン・フライっていうのはな。筋書きの無いドラマだ! ロマンなんだ!」

 チョビ髭の親方はよっぽどドラゴン・フライが好きらしく、話はしょっぱなから脱線した。それでも仲間のフォローで何となく概要がみえてきた。

 彼等の話によるとドラゴン・フライとはこの国で盛んなドラゴンのレースのことだった。元はといえば半年に一度の祭の中で行われていたものを国家が主催するようになってから急速に発展したものだという。その名残でレースは半年毎に祭のある月に集中して行われ、国内各地の『養竜場』で育成されているドラゴンが参加する。それらのドラゴンは人の手で計画的に交配されたエリートで、より速く飛ぶ為だけに生産・育成されるのだという。レースは町の中央に位置する例のケーキ山の周りをドラゴンにまたがった騎手がグルグル回って飛ぶ早さを競う。上位入賞者には高額な賞金が与えられ、また人々はその着順を予想して賭けることが出来る。なんのことはない。つまりは『競馬』と同じなのだ。最初から馬が竜に代わっただけと言ってくれれば理解できたのに……。

 親方のテンションは上がりっぱなしだ。

「明後日はな! この国で最大のレースが行われる! 俺はな。このレースを当てるためだけに生きてるんだよ!」

 どうやらそれは国王杯のことを指しているらしい。何でもこれらのレースには格があってその中でも特に格式が高いのが7歳以下のメスのチャンピオンを決める『オークス』、7歳以下のオスで争われる『ダービー』、ケーキ山を半周する短距離戦の『スプリント』、そして最も優秀なドラゴンを選ぶ最高峰のレースが今週末に行われる『デーニス国王杯』なんだそうだ。

 チョビ髭の親方が熱弁をふるう。

「国王杯を勝つのは人生最高の栄誉なんだ! 賞金だけじゃねえ。ドラゴン乗りや調教師は名誉の為に日々戦っているんだ!」

 このレースには外国のドラゴンも参戦が可能で世界各国からスピードとパワー自慢の強力なドラゴンが集まってくるという。予選だけでもまる一日かかるそうだ。

「今年こそ国王杯はデーニスの竜が勝つ! それでもって竜券も当てる!」

 興奮した親方がそう宣言してテーブルをぶった叩いたので酒がひっくり返った。

『竜券』というのは国が発行する馬券のようなものでドラゴンの着順を予想して的中すると人気に応じた配当が得られるらしい。要はギャンブルなわけだが、この世界では他に大した娯楽もなさそうだからドラゴン・フライは国民にとって最大の楽しみなのだろう。

(何か良く分からないけどドラゴンの運動会みたいなもんか)

 基本的な知識を吸収したところでカイトのおっさんに指定された『ウルド養竜場』に向かうことにした。


   *  *  *


 目的の場所は予想とは大きく違っていた。

 普通、牧場といえば太陽の下で牛や馬がのんびりと牧草を頬張っている姿を連想する。しかし、ここはそれとは対照的に光の届かない深い谷底だ。薄暗くてジメジメしてて、あっちこっちから水が滴り落ちている。苔に支配された緑色の背景は薄気味悪く、岩にへばりついた蔦だか根っこだかはどれも腐りかけているように見える。これは意地悪な魔女が住んでいると言われても信じてしまうレベルだ。

 谷底は縦長になっていてそれに沿って所々に横穴が開いている。良く見ると穴は檻のようになっていて刑務所を連想させる。

「酷い所だな。ドラゴンってこういう場所が好きなんかな?」

 試しに檻のひとつを覗き込んでみたがドラゴンは見当たらない。一応、何か生き物のような形は判別できる。それも凝視して初めて分かるといったレベル。まるで視力トレーニングの隠し絵みたいだ。

(どこが頭でどこが羽なのかさっぱり分からん)

 薄暗いせいもあるがあまり良い印象ではない。なんだか親に内緒で捨て犬を育てているような後ろめたさがある。

「こんな所で用心棒をやれと言われてもなぁ」

 うんざりしながら檻を眺めていた時だった。急に背筋がシャンとして身体のコントロールを失ってしまった。

〔やれやれ。またかよ……〕

 こうなってしまうと諦めるより他は無い。というかもう慣れてきた。

 こちらの意思とは無関係に身体は行動する。ツカツカと谷底を進み、少し開けた場所に出る。するとそこには一頭のドラゴンとそれを世話する男が居た。

『あんたがロイ・カルスか?』

 声を掛けると男が振り返った。

「……そうだけど」

 そう言う男は右腕に包帯を巻いていた。そしてもう一方の手にはトイレでゴシゴシとやるようなブラシを持っている。

『その腕はどうした?』

「たいしたことはないさ。ところでアンタは?」

『頼まれて来た。あんたのボディガードをしてくれとな』

「協会の人間? まさかね」

『加工屋の依頼だ』

「ああ……カイトの奴だな。そんな心配しなくてもいいのに」

 そう呟いてロイ・カルスはうつむいた。その仕草は何か悩み事を抱えている人間特有のもののように思えた。

 身体の視線はロイが世話をしているドラゴンに移った。

『そいつが一番人気か?』

「え? ああ、そうだよ。こいつがディア・シデンだ」

 ロイが得意げな顔を見せるように確かにスマートなドラゴンだなと思った。首は短めだが頭が小さく、肩から羽に至る筋肉の張りが素晴らしい。その体型はいかにも飛行タイプといったドラゴンだ。色も特徴的でピンクにも似た淡い紫と濃い紫のコントラストが鮮やかだ。多分、こいつをトレーディングカードにしたら間違いなくウルトラレアに分類される器だ。

 そこで身体が『ほう……』と、手を伸ばしてドラゴンに触れようとした。

「お、おい! 止めろ。危ないぞ!」と、ロイが驚く。

 ロイの制止を無視して身体はドラゴンに手を差し出した。するとどうしたことかドラゴンはすっと頭を下げ、まるで高貴な人物に対してうやうやしくお辞儀するかのような態度をとったのだ。

 ロイが驚愕する。

「信じられん……こいつが知らない人間に噛み付かないなんて!」

〔噛むどころか完全にリスペクトしちゃってるよ……〕

 ドラゴンの眼は澄んだグリーンだった。その眼を見ながら頭を撫でる。するとなぜか急に胸がキーンと痛んだ。

〔あれ? 何だ? この感覚……〕

 胸が痛む。それも何だか切ないような悲しいような不思議な痛みだ。

『……』

 身体は相変わらず無言でドラゴンの頭を触っている。こっちはこっちで妙な感覚に戸惑っていた。

〔どうしてこんな気持ちになるんだろう?〕

 訳が分からず少し悩んだ。と、その時、背後に人の気配を感じて身体が反応した。

『何者だ?』

 身体がそう呟いて振り返ると海賊帽をかぶったチンケなオッサンが手下を従えてこちらに向かってくる。

「よお、ローイ・カールス!」というダミ声が耳につく。

 その風貌。見た瞬間に終わってると思った。

「ローイ・カールス! ケガの具合はどうだー?」

 その喋り方。極めて耳障りだ。

 ロイはいまいましそうに振り返りオッサンを睨む。

「何の用だ? 話は済んだはずだが?」

 ロイのそんな対応にオッサンが激高する。

「ローイ・カールス! なぁに言っちゃってんのー? 約束を忘れたーのかよ! ぶーち殺すぞ!」

〔汚ぇなぁ。唾、飛んでるし〕

 下品を絵に描いたような海賊帽のオッサンはいかにも悪役のようだ。しかも、あっさりぶっ殺されそうなザコキャラの雰囲気。

 オッサンはやれやれといった具合に首を振る。その仕草がいちいちムカつく。

「ローイ・カールス! お前はもっーと利口な騎手だと思っていたよ。なーぜ理解できないかねぇー」

「ふざけるな! アンタらの脅しには屈しないぞ」

「ローイ・カールス。今度はその程度のケガじゃ済まーんぞ? いーいのか?」

 オッサンが凄む。にしてもなぜコイツはいちいちフルネームで人の名を呼ぶのだろう? しかも変なところで語尾を伸ばすのは何なんだ?

「ローイ・カールス。ところでそいつは何者だ? まーさか用心棒でも雇ったのかぁー?」

 オッサンの興味がこっちに移ったようだ。その目。スカートの短い子の脚を眺め回すようなネットリした視線だ。

 すると急に身体が背中の剣をスラリと抜いた。そして、おもむろに『ツゥマジカス!』と、口走った。と同時にオッサン達の足元を水の刃が襲った。

『ズパッ!』という音と共にさっきまで無かった『線』が地面に現れる。

「な、何じゃい?」

 面食らったオッサン一味が後ずさりした部分にスタートラインのような溝が出来ている。その幅は数メートルにも及ぶ。

 それを眺めつつ身体が言葉を発する。

『それが挨拶代わりだ。何者かと問われたから答えたまで』

〔……またそうやって敵を挑発する〕 

 その返しにオッサンが目を白黒させる。が、去勢を張って大きな声を出す。

「やいやい! お前にゃー用はねーんだよ! すっこんでろ!」

『こちらもお前など眼中に無い。だがこの男に危害を加えるというのなら話は別だ』

〔はあ……こいつ絶対、長生きしねえタイプだわ〕

 オッサンは目をギョロつかせると「お、覚えていやがれぇー!」と、テンプレ的な捨て台詞を残してそそくさと退散した。

 それを見送ってからロイが礼を言う。

「すまない。つまらないことに巻き込んでしまったな。あれはヤクザ者のドラゴ一家だ」

『格好を見れば分かる。明らかに場違いな連中だ』

「それなんだが実は……」

『皆まで言うな。俺がここに派遣されたのは、つまりそういうことなんだろう?』

〔は? 何だよ。自分だけ分かってるってか?〕

 クールを決め込むのは結構だが人の話は最後まで聞くもんだ。しかしこれまでの話を総合すると、どうやらロイはさっきのオッサンに脅迫されているらしい。ロイが一番人気のドラゴンに騎乗することを考えると恐らく八百長を持ちかけられているんだと思う。

 微妙に重苦しい空気が流れた。

 そこへふいに「あのう……」という声が割り込んだ。

 今度は誰だと思っていると見覚えのある少年とその連れの少女がこちらに向かってきた。

〔あ! こいつは!〕  

 見覚えがあるも何もこいつはこの漫画の主人公だ。

「あのう。取り込み中、申し訳ありません。ちょっとお尋ねしたいことが……」

『ディノ・パルロ』と、身体が呟く。

〔ディノ……そうだ。確かそんな名前だったような気がする〕

 あまり熱心に読んでいなかった作品なので当然、主人公の印象も薄い。名前が出てこなかったのはそのせいだ。

 主人公ディノが尋ねる。

「額に三日月の傷があるホワイト・ドラゴンを見ませんでしたか? 二日ぐらい前にこの町に立ち寄ったはずなんですけど」 

 その質問にロイが首を竦める。

「いいや。ホワイト・ドラゴンなんてここ最近見ていないな」

 それを聞いてディノはガックリとうな垂れる。

「そうですか……」

「すまんな。役に立てなくて。けど、白竜ってまさか王立軍のじゃなかろうな?」

 その問いにディノが小さく頷く。それを見てロイが目を丸くした。

「驚いたな! サイデリアの白竜部隊がこの辺に来てるってことか!」

「いえ。多分、一頭だけだと思います」

「脱走兵か!」

 そこで身体が口を挟む。

『脱走兵は死罪……』

 それを聞いてディノと連れの少女の顔色が変わる。一瞬で場は凍りついた。

〔こいつ空気読めねえのかよ。この場面で腕組みしながら冷静に言う台詞じゃないだろ〕

 しばらくしてディノが口を開いた。

「きっと理由があるはずなんです! だから、だから僕は……」

 ロイが気の毒そうに言う。

「知り合いなのか? だからそいつを追っているわけだな」

「……はい。親友です」

「そうか。だったら明後日まで待ってみな。ドラゴン・フライで養竜場の関係者が大勢集まるからな。そこで聞いて回れば一軒一軒あたるより効率的だろう。なんなら関係者しか入れねえ施設に案内するぜ」

「それは助かります!」

〔……そういうことか〕

 そこまでのやりとりを聞いて了解した。つまりこういうことらしい。この漫画の主人公ディノはあの四天王との戦いの後にいったんサイデリアに戻ったのだろう。そこで王立軍に所属する親友が失踪したことを知って追いかけて来たと。そして恐らくこの町でストーリー上のイベントが何かあるのだ。だから物語の進行に合わせて自分はこんな所に居候することになったのだと考えられる。

〔てことは、しばらく身体の自由が利かない時間ができるってことだな〕

 物語に強制参加。それがこの世界の絶対ルールだ。しかしこれはチャンスかもしれない。なぜならディノと行動を共にするということは主人公を見守るあの女剣士と接触する機会も増えるはずだからだ。

〔探す手間が省けたってことだな……よし!〕

 ところがことはそう簡単ではなかった。 

 ロイがケガをした腕を擦りながら呻く。

「問題は自分がレースに出られるかどうか……」

 それを聞いてディノが顔を曇らせる。

「その腕……どうかしたんですか?」

「いや、ちょっとな。本当は万全の状態で臨みたかったんだが」

 そう言ってロイは後ろのドラゴンをチラ見する。

 ディノがドラゴンを見て目を細める。

「速そうなドラゴンですね」

 しかしロイは半ば諦め顔で呟く。

「こいつの実力は本物だ。だがこの腕じゃあな……出来ることなら国王杯を取らせてやりたいんだが」

 またしてもどんよりとした空気に支配される。

〔幾らドラゴンが速くても騎手がケガだと勝てないもんなのかな……〕

 その時うつむいていたロイがふいに顔を上げた。

「そうだ! 少年。俺の代わりにレースに出てくれないか?」

 そう言われてディノが戸惑う。

「え、いや、その、無理です」

「……そうか。じゃあアンタは?」

 そう言ってロイはこっちに熱い視線を送ってくる。

 いきなり話を振られて身体が反応する。

『な!? 俺が?』

「そうだ。そうだよ! だってさっきアンタ、こいつに気に入られてたじゃないか!」

『バカを言え。誰がそんなレースなんぞに……』

 そこでいつの間にか輪に加わっていたミーユが発言する。

「それがいいミュ! ダンも血が騒ぐミョ?」

『ミーユ! 余計な事を!』

 同感だ。珍しく身体の思惑とこちらの意思が一致した。

〔こいつ、今まで空気だったくせに……〕

 が、時既に遅し。期待に膨らむ眼、眼、眼……。

〔やめようよ! 面倒くさそうだし〕

 ところが一心同体となったのはほんの一瞬だけ。

『今回限りだぞ』

 こともあろうに身体はロイの申し出を受けてしまった。

〔おいおいおい。ホントにドラゴンなんかに乗れんのか? しかもレースとか無茶振りだろ!〕

 妙な流れになってきた。なんだか非常に厭な予感がしてならない。「金を払って怖い思いをする奴の気が知れない」と、うそぶいて絶叫マシーンに乗るのを拒否っていた自分がドラゴンに乗ってレースに参加するなんて……絶対に吐くと思う。

 どうやらストーリーには抗えないらしいが、こればっかりはマジで勘弁して欲しい……。

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