第5話 工業立国デーニス

 ―― この世界の物理法則は緩い!

 恐らくこの世界では先入観を取っ払えば物理法則はある程度曲げられる。例えば、最初に遭遇した怪鳥を真っ二つにできたのも、このカバドラゴンの背中がいつの間にかソファのように柔らかくなったのも物質が不安定なせいだ。というより『どうにでもなる』と言っていい。硬いと思えば岩のように硬くなるし、柔らかいと思えばソファの触感に変わる。つまり強く思い込む事によって物質の性質を大きく変化させられるのだ。

 ということは背中の剣で切れない物は無いはずだ。

(てことは……最強じゃん!)

 例えどんな強力な敵でも『こいつは柔らかい!』と念じれば簡単にぶった切れるからだ。これは大きなアドバンテージといえる。おまけに魔法も使えるとくれば、まさに怖いもの無し! 負ける気がしない!

(よっしゃ! この世界で一丁、暴れてやっか!)

 徐々にテンションが上がってきた。

 と、その時、カバドラゴンがスピードを落として高度を下げ始めた。目的地まではまだ距離があるはずだけど……。

 カバドラゴンが着陸しようとしたのは何も無い丘の上だった。

「おい! 何でこんな所に降りるんだ?」

「ミュ? だってカバちゃんを休ませないと。デーニスはまだまだ遠いミョ」

 漫画のクセに何疲れてやがるんだ。

「休ませるって気合が足んないんじゃね?」

 ミーユは目をウルウルさせて抗議する。

「ひどいミュ! カバちゃんが可哀想だミョ!」

 その顔は相変わらずフィギュアみたいだ。だいぶん慣れてきたはずなのに、しげしげと眺めてみると、やっぱり人間とは思えない。たまにアニメやゲームの美少女キャラに恋愛感情を抱くというのを聞くけど自分にとっては、ちょっと微妙だ。 

 結局、今夜はカバドラゴンを休ませる為に地上でキャンプをする羽目になってしまった。

(夜……だよな?)

 時計があるわけではないし時間の感覚もいい加減なのでイマイチ確証はない。が、雰囲気的には夜のはず。ただ、やけに闇が薄い。明かりがあるわけでもないのに視界がクリアだ。ミーユの姿も草木の輪郭も普通に見える。空を見上げると一応、黒いし星のようなものも見える。

(まあ、漫画だから真っ黒に塗りつぶすわけにもいかないんだろう。せいぜいスクリーントーンで背景を暗く見せる程度かな)

 そもそも漫画の世界なんだ。物理法則なんて関係ないのだろう。腹が減るわけでもなく眠いわけでもない。ただ、特にやることもなく暇だ。

(ここも適当にやり過ごそう。ぼんやりしてれば時間の経過が早まるはず)

 それはどういう事かというと、この世界では感覚的な時間の経過と実際の時間の流れにズレがあるのだ。例えば『5分ぐらい経ったかな』と感じても実際にはもっと長い時間が経過していたりする。カバドラゴンの背中でぼんやりしてたのは一瞬なのに、それが一山超えていたりするのだ。なので、時間が早送りみたく進んでくれれば直ぐに朝になるだろう。

 草むらに寝転がり夜空を眺める。

(安っぽい星だなあ)

 それはまるで黒い紙に針を刺して出来た無数の穴を明かりにかざした工作のように見えた。

「フギー!」

 ミーユの叫び声で飛び起きる。

(うるせえな。何を騒いでいやがる?)

 しばらく放置しておこうと思った。するともう一度「フギー! ダンー!」という悲鳴が耳をつく。

(やれやれ……)

 仕方が無いので声のする方へ向かう。

 カバドラゴンの寝転がっている所に戻ったがミーユの姿は無い。

「およ? どこ行ったんだ? あいつ」

 カバドラゴンは目をクリクリさせながら微かに顔を上げる。

(おかしいな。確かにこっちの方から聞こえてきたんだけどな……)

 ちょっと先の方にやたら草丈の高い箇所が目に留まった。そして目を凝らす。

「フギー!」

 突然、草むらを掻き分けてミーユが目の前に飛び出してきた!

「ちょっ! な、何だ!?」

 面食らって後ずさりする。すると『ガサガサッ』という音と共に何やら大きなシルエットが草むらから出現した。

(ロ、ロボット!?) 

 ミーユの後を追うように現れた物体は一見するとロボットのようだった。それはペットボトルに手足が生えたような形状で、まるで子供の工作みたいに見える。ぶっちゃけ作者の手抜き感は否めない。

(何だこりゃ? これってモンスターの一種?)

 シチュエーション的には敵に違いない。さて、どうしたものか? 

(やっぱり戦えってことか……)

 ところが身体に変化は無い。てっきり、また身体が勝手に動き出すとばかり思っていた。

「ありゃ? 動くぞ」

 手の平を握ったり開いたりしながらその感触を確かめる。やはり思い通りに身体を動かせるようだ。

(てことは自力で何とかしろ、と?)

 この世界に来た直後のことを思い出した。あの時は怪鳥を相手に自分の意思で身体を動かして戦った。今回も同じようにやれということなのだろう。だったら、ちょうど良い機会だ。

(よし。女神さまがやってたみたいに水の刃でぶった斬ってやる!)

 おもむろに背中の剣を抜き、ギラリとそれをかざす。半身に構えて敵を牽制して満を持しての呪文を唱える!

「つ・マジカス!」

 ところが何の変化も無い。 

(あれ? 何も起きない……おかしいな。間違えたか?)

「ツーマジカス! トゥーマジカス!」 

 言い方を変えて繰り返すが、やっぱり何も変化は無い。

(水の刃どころか自分の唾しか飛んでねえ……)

 発音が悪いのかと思って口をすぼめてみた。

「ツーマジカス!」

 これでも駄目。

(てことは英語の発音みたいに舌を巻くのかな?)

 舌先を丸め喉の奥から空気を送り出すイメージで再度挑戦。

「トゥッ・マジカス!」

 しかし何も起こらない。

(どうして何も起こらない? 何が悪いんだろ?)

 段々焦ってきた。 

「マジかよ……」

 思わずそんな言葉が口をついた。と、その途端に『バッシャン』と頭から水を被る。

(なんでこれだけは出来るんだよ!)

 ロボットみたいな敵は徐々に距離を詰めてくる。その動きはスローだけど、そろそろヤバい。

(仕方ねえな……)

 止む無く方針転換。魔法が駄目なら斬るしかない!

 剣を両手で持ち直す。敵との間合いを測り、斬りつけるイメージを作る。

「せいっ!」

 5、6歩ほどダッシュして軽くジャンプ。飛び上がりながら両肘を頭上に掲げ、敵に向かって一気に振り下ろす。手応えと同時に『ガッキーン!』という厭な音。そして手が激しく痺れる。

(あれ? 切れてない!)

 ロボットの頭はペットボトルのキャップみたいに小さい。刃先はピンポイントでそこに当たっているんだが、それ以上押し込めない。

「クソッ!」

 諦めて一旦、下がろうとした。するとロボットが腕を振り上げた。

(マズいっ!)

 そう思ったと同時に左肩に『ズン!』と重みを受けた。

「痛っ!」

 強烈な痛み! そしてそのまま地面に叩きつけられる。

(畜生! 何てパワーだ……)

 雑魚だと思って油断した訳ではない。なのに、こんなペットボトルに手足が生えたようなショボい奴を相手に苦戦とは……。女神さまとの戦闘を思えばこのキャラのスペックはこんなもんじゃないはずだ。

(まだ使いこなせていないという事か……)

 そこでふとさっき考えていた事を思い出した。

(そうだ。物理法則!)

 敵の見た目に騙されてはならない。『ロボット=硬い』という固定概念に囚われていないか? 思い込め。思い込め。あいつは豆腐だ。豆腐みたいに超軟弱なんだ。

 もう一度、イメージを作り直す。

(豆腐にスパッと包丁を入れるように斬る!)

 バックステップで距離を取る。剣を右に引く。力を貯める。

「うりゃー!」

 思い切って突進。けど、思わずその瞬間に目をつぶってしまった!

『ズパッ!』

(おほっ! いい音!)

 目を開けると剣がロボットの図体を真っ二つにしているのが分かった。

「よっしゅあ!」

 興奮して噛んだ。『よっしゃ』と言うつもりが『よっしゅ』になってしまった。ちょっと恥ずかしい。けど、結果は出してやった!

 やっぱり大事なのはそう思い込む事。しばらくは魔法に頼るよりも力技で押した方が良さそうだ。

「ふう。手間をかけやがる」

 剣を背中に仕舞いながらロボットの残骸を眺める。

「フギー。酷い目にあったミュ~」

 振り返るとミーユが冷や汗を拭っている。その姿は一瞬、二頭身キャラのように見えた。

(あれ?)

 不思議に思って目を瞬かせる。

(これって……コミカルな表現?)

 漫画やアニメでキャラの造形がコミカルになる表現方法がある。今のはまさにそれだ。しかし目の前でそれをやられると正直びっくりする。

「ミュー。この辺りは『ボトル』が生息してるみたいだミョ」

「ボトルってさっきの敵か。まんまだな」 

「ミュ? マンマ? ひょっとしてダンはママが恋しいミョ?」 

「違えよ! バカ!」

 そう言ってミーユのおでこを小突くと彼女は「ミュ~」と妙な声を出して口を尖らせた。

(う……ちょっと可愛いじゃねえか……)

 不覚にもその仕草に萌えてしまった。照れ隠しにわざとそっけなく言う。

「疲れたから寝る。明日は早々に出るぞ!」

 なぜだか分からないけれど少しずつこの世界に馴染んでいる自分が不安になった。


   *  *  *


 国境を越え、ようやくデーニスの首都に近付いてきた。

 上空からの景色はサイデリアと大して変わらない。緑豊かな森ときれいな河川や湖。たまに見かける街はどれもこぢんまりとしていて実にのどかだ。そういった光景を見ているとこの漫画の舞台は中世ヨーロッパをイメージして描かれているんじゃないかと思えてきた。

「もうすぐだミョ。デーニスの首都『モコモコ』は」

「モコモコって変な名前だな」

 聞いて呆れる。デーニスは工業立国じゃなかったのか?

「あ! あれだミョ!」

 見ると緑の大地の真ん中に不自然な山が鎮座している。いや、山というよりは誕生日のケーキみたいな地形だ。

「あれがデーニスの首都か……」

 カバドラゴンの飛ぶスピードは相変わらずだが徐々にモコモコの全貌が明らかになってきた。まず、ケーキのように見えた山は緑を纏っていて、そのてっぺんの平坦部分には大きな湖を載せている。そして良く見ると手前の部分は岩を露出している。ちょうど誕生日ケーキの4分の1ぐらいを切り取ったような具合だ。岩の部分は垂直に切り立っていてそこに幾筋の滝が出来ている。その様子は、なぜか何人もの人間がよってたかって口に含んだ水を水溜りに向かって垂らしているところを連想させた。晴れているので今はこの程度のようだが雨が降ったらきっと凄いことになるのだろう。

(変わった地形だなあ……面白いけど)

 滝の落ちる低地は扇形の湖になっていて、その周りには建物がびっしり立ち並んで町を形成している。その町中に散りばめられた大小様々な煙突から煙が上がっているところを見ると、この町全体が工場のようになっているのかもしれない。

 再び視線を滝の方に移してみて驚いた。崖の所に幾つもの穴が開いている。

(自然に出来た穴じゃないよな?)

 穴はどれもトンネルの入口のような形になっていて同じような大きさに整えられている。しかもそれらはまるでサッカー中継の映像で真上から捕らえられた選手達のようにフォーメーションを形成している。

「あれは……エレベーターか!」

 よく見ると蔦のような筋が垂直な崖を伝っている。それが崖下の低地と高い位置にある穴とを繋いでいて高層ビルの窓拭きに使うようなゴンドラが上下している。

(あの穴は何に使ってるんだろ?)

 ひとつひとつの穴からは2本の蔦が平行に垂れ下がっていてそれぞれゴンドラを擁している。そんな装置を付けているからには崖の途中にある穴は何らかの目的に使われているに違いない。それは貯蔵庫か住居なのだろうか?

(まさかあの山全体がマンションってことはないだろうな?)

 だが、ケーキ山は一周すると数キロはありそうだ。流石にそれは無いか。

 カバドラゴンが岩壁までぐっと近付いた。とその時、突然、背筋がシャンとして例の感覚に身体が支配された。

〔げ! またきたか!〕

 身体の自由が奪われてしまったのを理解した。それは(来た!)と、思った瞬間に手を動かしてみれば直ぐ分かる。まるで重要な回路が寸断されてしまったように身体は脳の命令を無視する。自分の意思が見事に空回りするのが嫌というほどよく分かる。

『ミーユ。左から8番目の穴だ。そう。この方向だ』

「ミュ。分かったミョ!」

 ミーユは簡単に了解するがどの穴のことを指しているのかさっぱり分からなかった。どれも似たような形をしていて特徴らしい特徴が無い。けど、この二人の間では会話が成立しているらしい。その証拠にミーユはカバドラゴンを器用に操って迷うことなく目的の穴に突っ込んでいった。


   *  *  *


 岩壁の穴は近くで見ると意外に大きかった。横幅は羽を広げたドラゴン2頭分程度。高さは3メートルか4メートルぐらいか。穴の深さは分からない。入口付近からでは奥の様子は伺い知れないが結構、奥行きがあるらしい。

(凄いなあ。これなら人が住めそうだ)

 カバドラゴンから降りて改めて穴の内部を観察する。

「一応、明かりはあるんだな」

 真っ暗な洞窟を連想していたが、所々に『タイマツ』が掲げられていてオレンジの輪を広げている。

 ミーユがキョロキョロしながら首をかしげる。

「ミョ? 誰も居ないミョ?」

 正面には古臭い木の板で組まれたカウンターがあった。その横には何やら読めない文字を羅列した看板がある。

(これはメニュー表なのかな?)

 そう思いながらカウンターの向こうを覗き込むと床で焚き火をしているのが目に入った。よく見るとそれは焚き火ではなく熱せられた金属のようだった。まるでオレンジの水溜りを器具や道具が取り囲んでいるように見える。どうやらここは何かの工房のようだ。

『カイトはいるか?』

 そう声を掛けると奥の小部屋から禿げたおっさんが「あいよ」と、顔を出した。

『加工を頼みたい。新しい輝石が手に入った』

「ああ。ダンか。久しぶりだな」

『こいつを頼む』

 そこで身体が『女神の涙』をカウンターの上に放り投げる。

〔おいおい。苦労して手に入れたのにそんな扱いでいいのかよ?〕

 石を見てカイトが驚く。

「これは!? 女神の涙か? どうやって手に入れた?」

『ちょっと、な』

「信じられん! あの女神から奪ったっていうのか……」

『そういうことだ』

〔嘘つけ! 貰っただけじゃないか。しかもスペアを!〕

 別にクールに振舞うのは構わない。まあ、ルックス的にもそういうキャラクターなんだろうから。

〔でも、嘘はいかんだろう。嘘は!〕

 カイトのおっさんはしげしげと石を眺め回して呻く。

「しかしこいつをセットするのは大変だぜ。六日はかかる」

『そんなに待てるか。その半分でやれ』

 その言葉と同時に身体は左腕につけていた腕輪をカウンターの上に置く。

「無茶言うな。それに8万モグルはかかるな」

『随分と「ぼったくる」な。お前ら職人の月給何人分だ?』

「当然だろ。と言いたいところだが……ひとつ頼みがある。それを引き受けてくれりゃ半額でいいぜ」

『相変わらずいい加減な価格設定だな。どうせ、ロクでもない依頼なんだろう』

「そう言うなって。実はボディガードを頼みたいんだ」

『……ボディガードだと?』

「何、ドラゴン・フライが終わるまでの間だけさ」

『ドラゴン・フライ……もうそんな時期か』

「ああ。今週末だ」

『で、用心棒が必要だってのはどこのどいつだ?』

「ロイ・カルス。俺の幼なじみでね。国宝杯の一番人気に騎乗する予定だ」

『……なるほど。そういうことなら引き受けよう』

「そいつは助かる! それじゃ早速、ウルド養竜場に行ってくれ」

 何だか会話が弾んでいるというかトントン拍子で話が進んでいくようだが『ドラゴン・フライ』って何なんだ? 一番人気がどうたらと言っていたようだけど?

〔後でミーユに聞いてみよう〕

 しかし、身体の自由が利かない中でこんな風に話が展開しているということは、この場面も漫画に掲載されるのかもしれない。

〔だとしたら、しばらくは身体の自由が利かないかもしれないな〕

 女神さまに貰った石でパワーアップするというのは分かる。だけど、何だか余計なことに巻き込まれてしまうような予感がするのは……考えすぎなのか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る