第3話 師匠は女神さま?

 カバドラゴンの背中に揺られながら考えた。

(こんな状態がいつまで続くんだろ?)

 転生という単語は理解していても、それを受け入れるにはやはり抵抗がある。これは思ったよりも深刻な事態だ。これだけ長く目が覚めないって事は、本体に何か問題があるからだ。普通に考えれば事故に巻き込まれたか致命的な病気を発症したかだろう。

(意識不明の重体ってやつか……)

 それならまだマシかもしれない。もし女剣士の話が事実だとしたら最悪だ。つまりこの世界は自分の脳が作り出したものではなく、自分の意識がどこか別なところに紛れ込んでしまったことになるからだ。

(それって……死んだってことじゃねえか?)

 けどそう考えるのが一番妥当かもしれない。ただそんな実感が一向に湧いてこないのは、今もこうして意識はあるし身体も動かせるからなんだろう。

 気分が滅入ってきたのでミーユに尋ねる。

「ところでいつまで飛ぶんだ?」

「ミュ? たぶん明日のお昼ぐらいには着くと思うミョ」

「明日だって? おいおい。まだ夜にもなっていないだろ……」

 どうやら師匠の所に向かっているらしいが、このドラゴンは飛ぶのが遅すぎる。本当にこんな調子で延々と移動しなきゃならないのか……。

 半ば諦めの言葉が漏れる。

「マジかよ……」

 するとその拍子に『バシャッ!』と、頭から何かを浴びせられた。

(なんだ!? 水か?)

 雨ではないと思う。まとまった水。まるで頭からバケツの水をぶっ掛けられたような具合だ。

 ミーユがいきなり怒り出す。

「フギー! なんで呪文を使うミュ! びしょ濡れになっちゃったミョ!」

 そんな事を言われても……さっぱり理解できない。

「何だ? 俺のせいかよ?」

 びしょ濡れになったミーユが頷く。

「当たり前ミュ。ダンが『集水』の呪文を使うからミョ!」

「シュウスイ? 呪文?」

 一寸、その言葉の意味を考えた。まさか、さっきの『マジかよ』っていうのが呪文?

「嘘だろ。あれが呪文だと? マジかよ!」

 するとワンテンポ置いてまた『ザバッ』と水の塊が落ちてきた。結構な水圧で顔面を撫でられ、視界が塞がった。明らかにさっきより水量が多い。

「フギー! いい加減にするミュ!」

 ミーユの頭からは湯気みたいな物が出ている。よく漫画で怒った時に使われる表現だ。

(そういうことか。『マジかよ』って言葉に反応するんだな)

 試しに手の平を口元に近づけて小声で「マジかよ」と口にしてみる。すると不思議なことに手の平の数センチ上で何も無い空間に霧のような渦が現れた。そして、あっという間に無数の水滴に変わった。そしてそれが『ぱちゃ』と、一斉に手の平に落ちる。まるでキンキンに冷やした缶ジュースの外側に水滴が付着するように一見何も無いところから水が出現した。

(凄え……どんな原理だよ)

 とはいえそこは漫画の世界だ。魔法を使うのに科学的な裏付けは必要ないのだろう。

(多分、今の様子だと声の大きさに比例するんだろうな)

 恐らく魔法の威力は呪文を発した時の声量と連動しているのだろう。そういえば今日戦ったソヤローとかいう奴は「一発屋!」とか「食いっぱぐれ!」とか妙な単語を絶叫してた。思えばその後に火の玉が飛んだり槍が燃えたりしていたから、多分あれが炎系の呪文なんだろう。

(面白れぇ~ よし。後で試してみよう)

 何だか少しワクワクしてきた。


   *  *  *


 いつの間にか眠っていたようだ。

 寝起き特有の気だるさにうんざりしながら首を振る。

(何も……変わってないか)

 不思議と絶望感は無かった。諦め感というよりは、なるようになれという投げやりな気分に近い。どうせしばらくはこのままだろうからジタバタしたって始まらない。

「目が覚めたミョ?」

 ミーユが振り返ってにっこり笑う。

「あとどれぐらいだ?」

「もうすぐミュ。あの山を越えたら見えてくるミョ」

「あれ? さっきは一晩かかるとか言ってなかったか?」

「うん。ダンが寝てる間に朝になったミョ」

(そんなに眠っていたとは……)

 ぐるりと周囲を見渡すが昨日と何が違うのか分からない。果てしなく広がる森は同じようにしか見えない。ところがミーユの言ったとおり山を越えると景色が一変した。

(砂漠だ……)

 なだらかな山肌に沿って下るとその先に白っぽい大地が広がっていた。よく見ると尖った岩が無数に散りばめられている。それらの岩々は一様にその先端を上に向けていて、まるで上空から襲来する敵を牽制しているように見える。かといって殺伐とした光景というわけでもない。所々にオアシスのような形で緑の輪が存在する。それらの中にはもれなく青い湖が鎮座していて、そこを中心に緑地帯が出来ているようだ。

「あ! 見えてきたミュ!」

 そう言ってミーユが身を乗り出す。

 彼女の指差す方向を見る。

「あれか……いかにもって感じだな」

 なるほど、師匠の住む所というだけあって他の箇所とは明らかに違う。点在する緑地帯の中でも小さめだが中心部の水面が一段と碧い。そしてその真ん中あたりには小島が浮かんでいて、さらにその上には真っ白な岩が花びらのように重なっている。ちょうど開花寸前の蕾といった趣だ。

(なんだか蕾みたいだな……岩で出来た蕾か)

 それも思ったより大きい。近付くにつれてそのスケールに圧倒される。

(さてと。どんな師匠が出てくるやら……)

 カバドラゴンは高度を下げながら真っ直ぐに岩の蕾に潜り込んでいく。


   *  *  *


 岩の神殿。それがここの第一印象だった。理由は柱や壁、床から天井に至るまであらゆる部分が岩で出来ていて、それもかなり不揃いだったりするからだ。よく言えば自然体、ありのままに評すれば手抜きといったところか。この様子では師匠もさぞかし大雑把な『おっさん』なんじゃないかと思った。

 ミーユは『ペタペタ』と妙な足音をたてながらずんずん奥に向かう。それに続いて歩いていく。階段を上り、長い渡り廊下を抜けて、やがて大広間のような所に出た。

「師匠様、ただいま戻りましたミュ!」

 広間に入るなりミーユが元気良く敬礼をする。

 それに対して返答があった。

「あら。ご苦労様」

(女? 師匠って女?)

 この漫画をよく読んでいなかったから知らなかった。

「大変だったでしょ」

 そう言って師匠と呼ばれた女は読みかけの本をテーブルに置いて立ち上がった。その服装は右肩を露出した神話に出てくるような一枚布で作られた青いドレスだった。が、身体のラインがはっきり分かる。

(おっぱいデカっ! ウエスト細っ!)

 まさに漫画ならではの極悪バランスだ。リアルでこんな女が居たらドン引きするレベルだ。ご他聞に漏れずとびきりの美人であるのは間違いないが……。

(師匠と言うよりは……女神のコスプレだなこりゃ)

 腰のリングがアクセントになっていて師匠のボディラインを強調している。腕輪、首輪、ティアラはどれも金ピカだ。長い髪は淡い紫色で特にムースで固めた訳ではないのだろうが彼女の背後でふんわりと広がっている。

(水に囲まれた神殿の主だから『水の女神』といったところかな)

 師匠と呼ぶよりはそっちの方がしっくりくるような気がした。

 ミーユがやや強張った表情で報告する。

「師匠様! ラグナージ町までグスト連邦が進軍していたでミュ。四天王のソヤローの部隊でミュ!」

「あらまあ。それは大変ね」

 水の女神はそう言って眉を顰めたがそれほど深刻そうではない。

「でも師匠様。ダンがソヤローを追い払ってくれたミョ!」

「まあ。そうなの。それはご苦労様」

 美人の女神にそう言われて悪い気はしない。(いやあ、それほどでも……)と、言いかけた時、またあの感覚が甦ってきた。背筋がピンと引っ張られ、身体のコントロールが出来なくなる!

『あの程度の敵を圧倒できないとは……不甲斐ない』

 思いとは裏腹に出た言葉はまたしても自分のものではない。

〔やれやれ。なに格好つけてんだか……〕

 ひょっとしたらあの女剣士が言っていたようにこのシーンは漫画のストーリー部分で誌面に載るのかもしれない。

 師匠、改め『水の女神』はにっこり笑って頷く。。

「いい心がけだわ。やっぱり上を目指す子は違うわね」

 まるで語尾にハートマークが付くような言い方だ。

 それに対して自分はというと無愛想に『フン』とそっぽを向いてしまう。

〔おいおい……女神さまが気を悪くしちゃうじゃないか!〕

 なんなのこいつ? 空気読めよ。てか、クールなキャラ設定なのか? 

 しかし、幸いにも女神さまは上機嫌だ。

「とにかく食事にしましょ。お腹すいたでしょ」

 良かった。怒ってなくて。けど、空腹感なんてまるで無いぞ。というよりこの世界にきてから食事どころか水一滴飲んでいない。

〔やっぱりストーリーに関係ないところはどうでもいいのかな?〕

 確かに二次元の世界ではそういう場面でも出てこない限り空腹も渇きも無いだろう。とはいえ、この世界での食事がどんなものなのかという興味はあった。

〔さて、どんな味がするんだろうな〕

 だが、期待は見事に裏切られた。

 身体の自由を取り戻した後、食事の準備が出来たというのでワクワクしながらテーブルに着いたのだがその瞬間に言葉を失った。

(……何の肉だ?)

 目の前では、拳大の頭を持つおたまじゃくしに足が生えたような奴が金網の上で『ジュウジュウ』と炙られている。強いて言うならサンショウウオなんだろうが、色がピンクに緑のシマ模様ときた。

(こんなもん……本当に食えるのか?)

 仕方が無い。原型を留めないぐらい強めに焼いて焼肉のタレで口に放り込もう。得体の知れない肉を食うにはそれしかない。

(勢いだ。勢い!)

 覚悟を決めたところでテーブルを見回す。

「あれ? 焼肉のタレは?」

 その問いに誰も答えてくれない。それどころか、女神さまもミーユもぽかーんとしてる。

「ヤキニクのタレ?」と、女神さまはきょとんとする。

「タレって何ミョ?」

「は? タレつったらアレじゃん。焼肉の時にいつも……」

 あまりの反応の薄さに戸惑う。

(ひょっとして、この世界には焼肉のタレが無いのか?)

 思わず「マジかよ!」と、口走ってしまった。(あ!)と、思ったがもう遅い。

『バッシャン!』と、景気の良い音とともに水の洗礼がテーブル周りを蹂躙した。

女神さまは無言で箸を止めて口元を歪めた。長い髪が採れたてのワカメみたいに顔に張り付いている。ミーユは箸で摘まんだ肉の欠片をプルプルと震わせる。こちらも濡れ髪に邪魔されて表情は読み取れない。が、二人ともかなり怒っていることは容易に想像できた。

 駄目だ。先に謝っておこう。

「はい。スミマセン。俺が悪かったです」

 が、甘かった。あっという間に、女神さまとミーユに足蹴にされ、袋叩きされてしまった。

(ちょっ! 痛い痛い! ってマジで死ぬ!) 

 多分、ヤクザの事務所に悪戯で爆竹を放り込んでもここまでボコボコにはされないだろうというレベルだ……。


   *  *  *


 食事の時にも痛感したのだが、もう少しこの世界のことを知る必要がある。さっきは適当に相槌を打っていたものの流石に学習しないとマズい。

 そう思って自室に戻った時にミーユに聞いてみた。

「おい。ミーユ。地図持ってないか?」

「ミュ? 地図なんかどうするミョ?」

「ちょっとな。情報を整理しておきたい」

「珍しいミョ。ダンがやる気になってるミョ」

「いいから早く見せろ」

 そう催促するとミーユは急いで巻物のような物を取り出してテーブルの上に広げた。

(へえ。これがこの世界の全体図……)

 やっぱり現実世界のものとは別物か。それにいかにも適当に描きましたと言わんばかりの雑な形だ。

(大陸が一個しかないんだな……)

 何だか『うなだれた野良犬』みたいな大陸だ。左手の半島は犬の頭のように見える。丁度2つの島が耳のような位置にきているせいもある。

(国の名前は……綴りが読めねぇな)

 そこで問題の箇所を指差してミーユに尋ねる。

「次はここに行ってみるのも手だな。ミーユはどう思う?」

 するとミーユが顔をしかめる。

「ジョイルスに行くミョ?」

「そう。そのジョイルス」

「止めといた方がいいミュ。あの国は何考えてるか分からないミュ」

(なるほど。これはジョイルスと読むのか。覚えておこう)

 次は犬の胴体部分。首から背中にかけての赤い部分がグストだ。これは読める。続いて胸の部分がちょっと微妙。

(デニーズ。いやデーニスか?)

 残る前足部分は多分サイデリア。そして後ろ足から尻尾にかけてがポスト王国という位置関係になっている。ただ、ここがどの辺に位置するのかが分からない。流石に「ここはどこ?」とも聞けないので推理してみた。

(確か女剣士はポスト王国の人間らしいからポストは隣ということか。となると、ここはサイデリアということか)

 そんな具合でこの世界の勢力図を整理する。

 まず今自分がいるこの国サイデリアは山脈を挟んで隣接する南の軍事国グスト連邦から再三、侵略を受けている。次いでこの地図は上が南になっているので東の隣国がデーニス、西の隣国がポスト王国という位置関係となる。デーニスは小国ながら工業の盛んな技術国で周りの国々からも重宝される中立的な存在。ポスト王国は歴史ある大国でこの世界では長老的な役割を担っているそうだ。そして東のデーニスのさらに先、犬でいう頭の部分がジョイルスだ。この国は民主国家でありながら昔から内乱が絶えず、しょっちゅう政権が交代しては外交政策も極端に振れるのでこの世界ではちょっと異端視されているという。

(何となく力関係が分かってきたな……)

 主人公がこの国にいるということは恐らくここサイデリアがこの漫画の舞台になるんだろう。で、主人公がグスト連邦のソヤローと戦っていたのはそういう背景があってのことなのだ。

(けどこの漫画って戦争ものだったけ?)

 たまにしか目を通していなかったので記憶は定かではない。だが、どう見ても人間では無い敵が登場してたような気がする。

(なんだっけな……確か『闇帝』とかいう魔王がいたよな?)

 剣・魔法・戦争・魔王・成長途中の主人公。まあ、少年漫画の王道といえば王道か。それならあの女剣士が言ってたことも分かる。どうせ主人公は特別な存在で、どっかで覚醒するんだろう。

(じゃあ俺はどういうポジションなんだ?)

 冷静に考えれば主人公と対立するも最終的には仲間になる脇役といったところか。しかもあの女剣士の話が事実だとすれば物語には強制参加となるらしい。

(あの女剣士には他にも色々と聞きたいことがあるんだよな)

 果たしてこの状態がいつまで続くのか。それが分からない今、出来るだけ情報が欲しい。

(早いとこ彼女に会ってこの世界のことを教えて貰わないとな……)

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