第45話 心の声

 圧倒的な数の水ドラゴンに囲まれてリーベンが歯軋りする。

「グヌヌ……」

 リーベンが創り出した砂鉄の恐竜は4体。それに対して我が水ドラゴンの総数は1000を下らない。ドラゴンの軍勢は、まるでお盆の時の流れるプールの人口密度みたいに視界を埋め尽くす。

 思わぬ劣勢にリーベンがヤケ気味に怒鳴る。

「ええい! それがどうした! 蹴散らしてくれるわ!」

 その言葉で4体の恐竜達が同時に雄叫びをあげた。が、そこに向かってドラゴン達が一斉に飛び掛る。1体の恐竜に水ドラゴンがワサワサと群がり、ボコボコにする。恐竜達も抵抗を試みるが、なにせ数が圧倒的に違う。ティラノサウルス型の恐竜が苦し紛れに尻尾を振り回すが水ドラゴンは怯むことなく喰らいついていく。ドラゴン達の引っ掻き、噛み付き、尻尾打ちつけの乱舞が恐竜達を襲う。文字通りの袋叩きだ! 中には恐竜にやられて水に戻ってしまうドラゴンもあったが、大勢に影響は無い。こちらの優位性は揺るがない。

(凄ぇ! 凄すぐる~!) 

 もう、シッチャカメッチャカだ。これは戦いというよりカオスだ!

 5分、いや10分ぐらいそんな状態が続いただろうか。いつの間にか砂鉄の恐竜達は見せ場も無く削られ、小さな塊に成り下がっていた。そしてついには元の腕だけが残った。

 その様子を見せつけられてリーベンは忌々しそうに言う。

「おのれ……このままでは終わらんぞ」

 そう宣言して奴は力を貯めるような姿勢を取った。そして「ぬぉぉっ!」と、真っ赤なオーラを纏うと鬼の形相で叫んだ。

「ぬっ殺す!」

 そこで奴を中心に『ブワッ!』と風圧だか衝撃波だかが生じた。それに胸を圧迫されて「ぐえっ!」と、思わず吐きそうになる。

 恐ろしい威力だ。さらに、今の衝撃で残った水ドラゴンがすべて水に戻ってしまった。

(ちょっ……そんな……)

 せっかくの優位が一瞬でイーブンに戻されてしまった。しかしそこは我慢するしかない。このまま水ドラゴンの『フルボッコ』だけでリーベンを倒せるとは思えないからだ。

 リーベンは大きくジャンプして近くの岩に降り立つ。

「まさか、ここまで手こずらせるとはな……いいだろう」

 その表情はさっきとは比べ物にならないぐらい険しい。

(ヤベ……マジで怒らせちまったか?)

 再び肉弾戦になってしまうと著しく不利だ。

「全力だ。今度こそ本気で貴様を地獄に落としてやる!」

 奴の全力宣言は何度目か忘れた。が、流石にそろそろネタ枯れだろう。もうすぐラスボスが出てくるというのに前座のキャラをいつまでも引っ張るわけにもいくまい。そう思って奴の様子を見る。するとリーベンはすっと片足を上げ、両手を頭上に掲げ「キエエエ!」と妙に甲高い奇声を発した。『鶴の舞』だか『ハゲタカの舞』だか知らないが拳法を披露するつもりらしい。それを見て(だっさ……)と、思った瞬間、背中に『ゴッ!』と衝撃を受けた。

(な!? う、後ろから!?)

 まったくその動きが見えなかった。

(というより、今そこに居たはず!?)

 不思議に思って後ろを確認する。すると奴が居た。まるで膝蹴りを放った直後のような姿勢で。が、その姿を目で捕らえた瞬間、今度は前から『ズボッ!』と、腹部を抉られる。反射的に前を向くとボディブローを放つ奴の姿が目に入った。

(ちょっ、今度は前から!? こいつ!)

 だが、奴の姿を目視した途端、又しても『ガゴッ!』と、背中に激痛が走る!

「ぐあっ!」

 あまりの痛みに息が詰まる。

(今の今まで目の前に居たのに、また後ろからだと!?)

 背後からの攻撃に対処しようと180度ターンした。前につんのめりながら半回転する際に奴の姿が視界に入った。

(やっぱり後ろに移動していやがった!)

 即座に防御の姿勢を取る。が、ピンボケだった奴の姿を捕らえた瞬間、後頭部に『ガッ!』と鈍痛が発生した。目の前がスパークして真っ白になる。

(何でまた後ろから!?)

 堪らず遠くに回避することにした。強く砂を蹴ってその場を離れる。が、進行方向に突如、奴が現れた。

(しまった! 先回り!?)

 勢いがつきすぎてぶつかってしまう! 思わず目を閉じそうになった。が、それより先に奴と正面衝突……。

(え!? スカされた!?)

 ところが、またまた後ろから『ドゴッ!』と背中を突かれてしまった!

「ぐあっ!」

 何回これを繰り返すのか! 腰が砕けたんじゃないかと思った。それでも何とかストップして体勢を整える。そしてリーベンの姿を捜す。

 居た! 奴は岩の上に腕組みして突っ立っている。

(ヤバい。息があがってる……)

 こっちは肩で息をしながら激痛に耐えているというのに、奴はまるで遅刻した友人を待っているみたいな顔をしている。

 そこで奴が口を開く。

残像拳ざんぞうけん。貴様が見ているのは残像だ」

 一瞬、何を言っているのか理解できなかった。

(マジかよ? そんなの有りえねえ。漫画じゃあるまいし! て、これ漫画か!)

 リーベンは口角を上げながら説明を続ける。

「貴様が見た時、既にそこには居ない。これぞ究極のスピードだ。勿論、これはコターレの能力ではないぞ!」

 確かに視界から消えると同時に後ろから攻撃してくるなんて芸当が出来るのは瞬間移動か空間チェンジ能力ぐらいのものだ。

(こういう時、目で追えないなら耳で捕らえるとかあるよな……)

 漫画などで良くある対処法を実践してみた。ところが目を閉じてみたものの状況は何も変わらなかった。むしろ恐怖が増してしまっただけだ。近くで『シュッ!』という音はすれども、それについていけるはずが無い。例えるならバッティングセンターで目隠ししてストライクゾーンに顔を突っ込むようなものだ。

 その後も何度も何度も後ろから小突かれた。その気になれば簡単に致命傷を負わせることが出来るはずなのに、奴は明らかにこの状況を楽しんでいる。というより、わざとそうすることで自らの優位性を誇示しようとしているのだ。それをやられている側にしてみれば、これほどストレスがかかることは無い。本気で頭に来る。そのうち、焦りや苛立ちが増して、やがて心が折れる。せめてもの抵抗に正面を向いたままで後ろに向かってグラマジカスを放ってみたが、カスリもしないことだけは分かった。

(畜生! 後ろから来るのが分かってても当たんねえとか無理ゲーすぎるだろ!)

 いい加減、終わってくれと諦めそうになった時、再び呪文が思い浮かんだ。藁にも縋る思いで素直にそれを口に出す。

『クルトゥマジカ!』

 これは濃紺の球? 高密度の貫通弾……何でその技なのか疑問に思った。だが、ちょっと勝手が違う。いつもなら濃紺の球は敵に向かって飛んでいく間に何度も分裂する。しかし、今回のそれは敵に向かっていくのではなく、その場に留まって分裂を繰り返し、自分の周りを衛星のように周回し始めたのだ。それが何十、何百となって、ついには自分を中心に半径3メートルの範囲に幾つもの貫通弾が様々な軌道を描きながらひしめくような形になってしまった。まるで自分が原子核になってその周りを無数の電子が公転しているような気分になる。

(そうか! これは防御か!)

 意図は理解した。どの方向を向いてもリーベンは背後から突っ込んでくる。であれば自らの周りにバリアを張れば良いのだ。これなら奴も近づけまい。この分裂した貫通弾は一発あたりがパチンコ玉ぐらいの大きさだが結構なスピードで絶えず周囲を飛び回っている。ここに奴が高速で飛び込んできたら確実に貫通弾に触れてしまうはずだ!

 だが、その罠にリーベンは引っ掛からなかった。奴は攻撃を一旦止めて言う。

「なるほど。考えたな。だが、肝心なことを忘れていないか?」

「は? 何のことだ?」と、まったく心当たりが無いので思わずそう返答してしまった。

 すると奴は呆れたような口調で答える。

「このヨロイは史上最硬のものだということを。そんな障害物など無きに等しい!」

(あ! そうだった……)

 リーベンはゆっくりと歩いてくると『ブン!』と腕を振り、数発の貫通弾を破壊した。この貫通弾は触れただけで岩や鋼鉄に穴を開ける威力があるはずだ。それなのにリーベンの一振りで粉々に砕けてしまった。まるでガラス球が高いところから落下したみたいに。それどころかむしろ貫通弾の方が奴のヨロイに次々と突っ込んで自爆しているようにすら見える。こちらの領域に侵入する際に奴の顔がシュッとマスクで覆われた。ちょうど自動扉のように左右からマスクの半分が出てきて真ん中でくっつく仕組みのようだ。これで奴の防御は完璧だ。

(ダメじゃん……どうすりゃいいんだ?)

 リーベンはジリジリと歩み寄ってくる。それに合わせて後ずさりするが、そのプレッシャーは相当なものだ。

『デメル・ド・マジカ!』

 ダメ元で水を圧縮する魔法をかけてみた。手の平から『ズンッ!』と出した衝撃波でリーベンの周りに水が集まってくる。黒い霧のようなものが奴を取り囲み、やがてそれが無数の黒い球体となって奴の体に付着する。しかし、奴の歩みは止まらない。

「ふぉーっ!」

 突然、リーベンが妙なポーズを取った。が、その勢いでせっかく固まりかけていた水の球体が弾けてしまった。

(くそっ! 捕まえられねえ!)

 まるで奴の体から黒いオーラが発せられているみたいに黒い霧がリーベンに付きまとう。

 無意識に口が動く。

『ヴァドグマジカ!』

 これは聞いた事が無い呪文だ! どんな効果があるかは分からない。が、それを確かめる間もなくリーベンの右パンチが飛んでくる。『ズゴッ!』と、重い音が腹部で生じる。が、思ったほどの痛みは無い。続けてリーベンは左足からのハイキックと右肘の突き出しをほぼ同時に放ってきた。『ズガッ! バキッ!』と、顔の左右に衝撃が加わったが、そのどちらもモーションしか見えなかった。が、これも痛みが軽減されている。

 それを見てリーベンが吐き捨てる。

「フン。水のヨロイか? 無駄なあがきを」

 そうか。さっきの呪文は水で全身を防御する為のものだったのだ。

(だったら最初からやっといてくれよ!)

 水のヨロイがこんなに効果があるなら最初からずっとこれを身に纏っていたかった。

 リーベンは手を突き出してドンとこちらの胸を突いてきた。痛みは皆無だが、見た目よりも大きく吹っ飛ばされてしまう。ちょっと慌てたが、何となくバック転のイメージをするだけで着地には成功した。

 リーベンはマスクを引っ込めると不機嫌そうな声で言う。

「くだらん。幾ら水を濃縮しようともこのヒヒイロカネの足元にも及ばん!」

 奴は首をコキコキ鳴らしながら続ける。

「同じヨロイでも性能の差は明らかだ。それに貴様には、もはや攻撃の術が無い。これ以上の戦いは時間の無駄だ。諦めろ」

 やれやれ。酷い言われようだがその通りだ。

(圧勝するどころかこの状況は『詰み』じゃねえか……終わりか)

 と、その時、〔まだ終わりじゃない〕という心の声が聞こえた。

(そう言われても、もう手はないぜ?)と、内心で反論する。

〔しばらく任せろ……〕

 その言葉と共に久々のアレが背筋を駆け抜けた。『ビクン!』と、背中に強烈な電撃!

(キ、キター!)

 と、喜び勇んだのも束の間。左手でガッツポーズを作っている自分に気付く。

(あれ? まだ動くぞ?)

 だが口元がムズムズする。勝手に言葉を発しようとしているみたいだ。

『……ひとつ気になったのだが聞いてもいいか?』

 口から出たのはそんな台詞だった。

 リーベンが呆れたように言う。

「何だ? 冥土の土産が欲しくなったか?」

『そのマスク。前はそんなものは無かったはずだ。息苦しくないか?』

「ハッハッハ! 何を言うかと思えば! ちゃんと空気穴がついているに決まっているだろう。いくら頑丈な作りでも呼吸できないでどうする?」

『そうか。それを聞いて安心した』 

「ん!? 妙なことを……」

 そう言ってからリーベンは怪訝そうにこちらの様子を伺っている。すると心の声の指示で、というより無意識に右手が動いた。まるで素手でハエを掴もうとするような仕草を取らされる。そして手の平をすっと開いてみせる。

『これが何か分かるか?』

 手の平には砂鉄のような細かい黒い物質が付着している。塩を一振りした位のほんの少量だが……。

 リーベンが苛立ったように言う。

「くだらん! それが何だというのだ?」

 奴の問いには答えずに心の声は『バルフ!』という呪文を口にした。すると、『パンッ!』という破裂音と共に、突然、右の手の平から水がゴボゴボ溢れてきた。出るわ、出るわと水が湧き出てくる。溢れ出た水は地面を濡らし、足元に水溜りを作った。下は砂漠だというのに。ところが余りにも水が止まらないので焦ってしまった。まるで急いでいる時に限って予想以上にションベンが長引いてしまう時のように。

 その様子をぽかんと眺めていたリーベンが疑問を口にする。

「そ、その水は何なんだ? その魔法に何の意味がある?」

『さっきの粒。あれは圧縮した水だ。あの量だけでもこれだけの水が封じ込められている』

 リーベンはしばらく考えてから狼狽する。

「ま、ま、まさか貴様!?」

『やっと気付いたか。黒い霧。アレは防御などではない。ハナからお前にこの超濃縮水を吸い込ませる為のものだ』

「く、くそっ!」

 リーベンは慌てて『ゲホッ! ゲホッ!』と無理に咳を出そうとする。

『無駄だ。本気で吐き出せるとでも? もうお前の体内に大量に取り込まれている。それと前回も忠告したはずだ。いくら硬いヨロイを纏おうとも生身の体はそうはいかないとな』

「ぐぬう! ふざけるな! こんなことでこの俺が……」

 リーベンは苦悶の表情を浮かべながら尚も攻撃を繰り出そうとする。が、心の声は無情な台詞を自分に吐かせようとする。

『お前は既に死んでいる。何度も言わせるな』

 かの有名な台詞。前回に戦った時もそれを使った。これでリーベンに対しては2度目の死亡宣告をしたことになる。

 リーベンの顔は有り得ないぐらい血管が浮き出て真っ赤になっていく。

「ひ、ひでぶ!」

 奴の言葉にならない悲鳴と同時に『バン!』という爆発音がして、続いてヨロイのあちこちから『ブシュー!』と液体が噴出した。まるでヤカンから噴出す水蒸気みたいに勢い良く……。

(破裂した!?)

 想像して気分が悪くなった。あの盛んに噴き出ている液体には恐らく奴の血肉が含まれているはずだ。ヨロイが硬すぎるが故に爆発的に体積を増した水が奴の肉体を瞬時に潰したと考えられる。例えるなら鋼鉄製の棺桶に閉じ込められた状態で体内に仕込まれた爆弾が爆発したようなものだ。『主』を失ったヨロイは人型を保ったまま『べちゃっ』と地面に崩れ落ちた。それでも尚、液体は流れ続ける。中身が空っぽになってしまったヨロイはどうするのだろう? 生きた金属であるヒヒイロカネはまた次の宿主を探すのだろうか。

(グロいなぁ。まあ、これしか方法は無かったのかもしれないけど……)

 体内に仕込んだ水爆弾という極悪な方法ではあるが、何とかリーベンを文字通り粉砕してやった。これは完勝と言って良い。

(よっしゃ! これで次もいけるぞ!)

 思ったよりダメージも少ない。一人一殺では『相討ち』がデフォだが、この状況なら上々だ。これで勝ち抜け……。

『ザクザクザクッ!』

 凄く近い所で嫌な音がした。

(え? なんか……痛ぇぞ?)

 ふと、痛みの生じた箇所を確認する。

(左胸と右の脇腹……背中、それから首もか?)

 左胸の辺りを見て絶句した。

(これはリーベンの金属鞭! なんでこれが?)

 ヨロイの方に目を向けるがそこには中身を失ったヨロイが横たわっているだけ。奴は確かに死んだはずだ。まさか変わり身の術とか分身だったってことは無いと思うが……待てよ!

(しまった! リーベンの野郎!)

 奴が自らもぎ取った腕の存在を完全に忘れていた。4本の腕には本体から分離したヒヒイロカネが宿っていたのだ。それが今更のように攻撃してきたのだろう。

(そ、そりゃ……無え……だろ? マジ……で……)

 相当深く刺さっているのを実感した。で、急速に体が重く感じられるようになった。油断すると目の前が暗転してしまう。かといって意識をシャンとさせようとすると痛みが増す。

「ダーン!」と、ディノの声が近付いてくる。しかし、それに応える気力は無い。

「ダンさん! 回復の魔法を!」

 その声はフィオナか。ありがたい。早くこの痛みから解放してくれ。そう伝えるつもりだった。だが、口から出たのは正反対の言葉。

『俺に構うな……先に行け』

 信じられない。今のは心の声の仕業だ。

(ちょ、この期に及んでそれは酷すぎるだろ……)

 そして目の前が完全にシャットダウンした……。


   *   *   *


 喉の違和感に気付いた。そして『ごっくん』とそれを飲み込んだところで意識のスイッチが入った。目を開ける。眩しい。そしてやたらと暑い。

(ここは……例の砂漠か?)

 上体を起こして周りを見る。頭が重い。視界がクリアになるには数秒を要した。

「やっと目が覚めたミョ!」

 その声を聞いて意識がくっきりした。

「ミーユ!? ミーユか?」

 場面は先ほどの砂漠に違いなかった。が、そこにミーユの姿があった。

「良かったミョ~」

 ミーユは屈託の無い笑顔でこちらを見守っている。相変わらず大人になったミーユには慣れない。幼女の頃の印象が強すぎて美女に成長したミーユにはどうしても違和感があるからだ。それにしてもポスト王国で別れたきり行方不明になっていたミーユがなぜここに?

「なんでお前がこんなところにいるんだ?」

「もちろんダンを助けるためだミョ」

「どうやってここまで来た?」

「ミョ? カバちゃんに乗って普通にきたミョ」

 ピンチの時に思わぬ援軍登場というのは良くあるシチュエーションだ。最もその援軍がどうやってそこまで辿り着いたのかが問題にされることは余り無い。なのでそこは深く考えないでおこう。

「けどまあ、助かったよ。痛みも無くなったみたいだし」

「よかったミョ。これのおかげだミョ」 

 そう言ってミーユは蓋の空いたボトルを示した。

「それは何? 回復の薬?」

「うん。女神様の『よだれ』だミョ」

「な、な……『よだれ』? てかマジで『よだれ』なのか?」

 変な鳥が『オエーー!』とやるネットの絵を思い起こした。女神様は美人だけど流石に『よだれ』はちょっと……。

「すごく効いたミョ? これが無かったら死んでたミュ」

「ちょー! 汚いだろ。よだれとかキモいよ」

「そんなことないミュ! お師匠様はこれを作る為に30日間眠り続けてくれたんだミョ! ダン達の為ならってことで一生懸命作ってくれたんだミョ!」

「……寝てただけじゃん」

「違うミュ! これのおかげでミディアさんもクーリン君さんも元気になったミョ!」

 ミーユが『君』と『さん』を重ねるものだから「クーリン臭い」と聞こえてしまった。とまあ、それは良いとしてあの2人も同じように『よだれ』で回復していたのか! 

 しかし2人の姿がどこにも無い。

「で、その2人はどこに?」

 そう尋ねるとミーユは平べったい岩の上にある魔法陣を指差して答える。

「あそこから先に行ったミョ」

「な、何! どんぐらい前だ!?」

「結構、前だったミョ。ダンが気を失っている間に行っちゃったミュ」

「ちょ~! 置いていかれちゃったじゃないか! 何で直ぐ起こしてくれなかったんだよ!」

 そこでミーユが『ポッ』と頬を赤らめた。

「……ダンの顔をずっと見てたからミョ」

「お前なぁ……ことの重大性が……」

「だってダンのことが好きなんだミョ!」

 そしてミーユは激しく抱きついてきた。むぎゅっと顔に押し付けられた胸……柔らかいけど苦しい。

「わ、分かったから離してくれ! 早く行かなきゃ手遅れになる!」

「行っちゃダメだミョ!」

「それは無理だろ」

「ダンが死んだら、死んじゃったら、お腹の子はどうするミョ~!」

「おな……おなか? 子? は?」

 意味が分からない。お前は何を言っているんだ?

 ぽかんとしているとミーユが信じられない台詞を口にした。

「ダンの子供だミョ!」

「はああああ!?」

 思い当たる節は……ある。ポスト王国に到着した時だ。あの夜にミーユが布団に裸で潜り込んできた。あるとしたらそれしか可能性は無い。

(ちょちょちょ~ アレは無しだろ!! だって全然記憶にねぇし!)

 あの時にエッチした記憶は全く無い。気を失うというか眠りに落ちたというか、その自覚が全くないのだ。気がついたら朝になっていただけの話。それで子供が出来たとか言われても……冗談じゃない!

 ミーユは愛おしそうに自分のお腹を撫でる。

「この子にはダンの格好いいところ一杯見せてあげたいんだミョ」

(おいおいおい! なんだよ! この展開は!)

 ここは一刻を争う。下手したらコターレはおろか既に闇帝との戦いが始まっているかもしれない。こんな理不尽なことで悩んでいる場合ではないのだ! 

 取りあえずミーユを落ち着かせなくてはならない。

「分かった! 分かったから! 死なない。いや絶対に死なないから」

「本当だミョ? 約束だミョ?」

 泣き顔のミーユはちょっと萌える。だが、先を急がなければならない。どれだけ時間をロスしたのかは不明だが、ディノ達だけで闇帝に敵うはずがないのだ。

「いいか! お前はここで待ってろ! この先は危険すぎる」

「分かったミョ」

 意外とすんなりミーユが言う事を聞く。

「それとその薬……いや『よだれ』を貸してくれ」

「ミョ。でもあと2回分しかないミョ」

「それで構わない。この先、必要になるだろうからな」

 ただ、積極的に飲みたいとは思わないが。

「気をつけて行くミョ。絶対に帰ってくるミョ」

「分かった。じゃ、行ってくるノシ」

 名残惜しそうなミーユを残して早速、岩の魔法陣へ移動する。

(確かここに乗っただけでは術が発動しないはず……)

 しかしそこは何とか呪文を思い出して転送に成功した。


 移動した先は夕暮れの海岸だった。

(こんなロマンチックな場所でコターレと戦ったのか?)

 一瞬そう思ったのだが、良く見ると砂浜のあちこちにクレーターが出来ていて辺りが焦げ臭い。それに大きめの岩の破片やら先の尖った木材やらが不自然に散乱している。台風上陸と爆撃の両方を受けたような荒れっぷりだ。そんな中、オレンジ色の波が淡々と砂浜に押し寄せ、まるで戦いの痕跡を洗い流そうとしているみたいだ。

(誰も居ない……やっぱ遅かったか)

 急いで魔法陣を探す。

(あった!)

 はじめに転送されてきた場所からそう遠くない砂浜の一角にそれはあった。そこに向かって走る。そして走りながら考えた。

(次はいよいよ闇帝のところなんだよな……)

 そう思うと身震いした。そして急に足が止まってしまった。色んなことが頭を過ぎる。闇帝とはどんな奴なのか? 自分は生き残れるのか? 戦いが終わったらどうなるのか?

 しかし、こういう時は悩んでも仕方が無い。勢いが大事だ。

「えぇい! 行くしかねぇ!」

 自らを奮い立たせて最後の戦場に足を踏み入れる決心をした。

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