第38話 無との対話

 サルベージ船の甲板に寝転びながら空を見ていた。

 底抜けに青い空は、呆れるぐらいに能天気で、世界の終わりなどまるで感心が無いように見える。ゆっくりと上下する船からそれを見上げていると、緊張感は微塵も湧いてこなかった。おそらく、この世界がヤバいことになっているのを知る人間なんて、ほんの一握りなのだ。それは闇帝の存在を知る一部の登場人物と読者だけだ。

「闇帝がなんぼのもんじゃい」

 試しにそう口にしてみた。特に意味は無い。ただ、激しい戦闘が終わって急に平和になってしまったことで、このテンションを持て余しているのだ。

 ゆらゆらと船に揺られながら流れる雲を目で追う。小さな雲は行く当ても無く鮮烈な青の中を流されていく。

(結局、ミーユは来なかったな……)

 それにしても不可解なのはミーユの行動だ。昨夜のあれは何だったんだろう? 突然、裸で人の寝床に潜り込んできたかと思えば、朝になったらどこかへ行ってしまった。

(別について来いとは言わないけどさ。何も言わずにサイデリアに帰ったとか……)

 急に恥ずかしくなったのだろうか。それとも他に何か理由があってポストを離れなければならなかったのか?

(女って分かんねぇな。てか、面倒くせ)

 そこで背筋に電流が走った。ここで身体のターンになったということは、もうすぐ目的地に着くのだろう。身体はゆっくり起き上がると大きく深呼吸をした。

 そこに甲板に現れた船長が酒瓶片手に言う。

「旦那、もうすぐですぜ」

『そうか。思ったより早かったな』

「ほれ。あそこでさ。見えますかね? あの真っ黒になってるところが」

 そう言って船長が指差したのは前方の海面だった。その箇所は周りの色に比べて明らかに黒い。ここからでは楕円形のように見えるが、聞くところによると半径100メートルほどの円が海底を抉るようにひたすら深くトンネルのようになっているのだそうだ。

 船長が心配そうに尋ねる。

「ホントに潜水艇は使わないんで?」

『ああ』

「いや、それでは水圧でペシャンコに……」

『では聞くが、その潜水艇はどこまで潜れる?』

「三千ちょいですかねえ。無理すりゃあと200ぐらいは……」

『それだと底には辿り着けない。だったら最初から無い方がマシだ』

「まあ、確かに深さ六千超なんて伝承もありやすが、誰も確かめられねえから本当のところは分かりませんや」

〔ちょっと待て。深海といえばマリアナ海溝ぐらいしか知らないけど、どう考えても潜水艇でないと潜れないだろ?〕

 水圧というのはバカにできない。深く潜れば潜るほど圧力は増していく。いくら水使いだといっても生身で潜るのは無理があるように思えた。しかし、身体はそんなことなどお構いなしにスタスタと甲板の端まで進むと躊躇無く海に飛び込んだ!

〔うわっぷ!〕

 相変わらず無茶しやがる。

 早速、水中特有の圧力が体にまとわりつくのを感じた。

〔で、ここからどうするんだ?〕

 海に飛び込んだだけでは話にならない。目的の場所は遥か下の方にあるのだ。

〔この辺は水質が綺麗だけど……下の方はどうなんだろ?〕

 水深何千メートルというのは恐らく想像を絶する世界なのだろう。TVで見る深海の世界というのは、基本的に潜水艇プラス強力な照明で見るものだ。それが無い状態で見る世界はどういうものだろう?

 そこで身体が両手を下にして口をモゴモゴさせた。水使いなので水中でも呼吸に困ることはないのだが、さすがに口を開いてしまうと海水を飲んでしまう。

〔おろ!? なんか沈みはじめた?〕

 まるで足首を掴まれて下に引き摺り下ろされるような感覚。それも結構なスピードだ。何をやったのかは知らないが普通、人間の身体は何もしなければ浮力で浮き上がってしまう。それがどんどん下に沈んでいくということは、何らかの魔法を使ったのだと思われる。

 澄み切った青は瞬く間にその明るさを失い、ゴボゴボという空気が上に逃げていく。そのうちに辺りは真っ暗になっていく。

〔凄えな……どんだけ潜るんだ……〕

 下へ向かう加速は衰えることなく、体は深く潜行していく。

 やがて光が完全に失われた。いつの間にか体に付着していた空気も無くなってしまった。そして頭と肩に酷い圧迫感があるのに気付いた。油断すると首が胴体にめり込んでしまいそうな圧力だ。これが深海の水圧地獄か……。

 自分の体が全く見えず、只ならぬ水圧に圧迫されて体の輪郭を認識する感覚が鈍る。その状態では自分が個体であることを忘れてしまう。まるでいつの間にか海水に体が溶けて混じりあってしまったような感覚に支配される。

―― 完全なる無の世界。

 色も無く、音も無く、自らの存在感すら怪しいこの世界には何も無かった。まるで意識だけが墜ちていくような感覚だ。身体の意思と自分の意識がボーダレスになる。

 しばらくしてチクリと左腕に痺れが生じた。はじめ何が起こったか分からなかった。しかし思い返してみれば何かが触れたような気もする。

〔深海魚?〕

 こんなところで動くものなんてそれしか思いつかない。すると今度は、はっきりと何かが自分の背中にぶつかるのが認知できた。

〔痛っ! てか、攻撃してきた!?〕

 身体が顔を左右に動かして気配を探るが、まるで手掛かりがない。辺りを支配するのは完全なる闇……。

 身体が何かの気配を感じたのか左前方に視点を定め呪文を唱えようとする。だが、一気に海水が口になだれ込んでくる。慌てて口を閉じ、手の平を前に突き出してそこに力を込める。

〔出るか!?〕

 感覚的には『ツゥマジカス』を放った時に似ている。だが、明らかに出が悪い。まるで水中で小便を捻り出した時のように勢いが無い。何しろこの水圧だ。水の刃を出すにも飛ばそうにも地上と同じようにはいかない。

 すると今度は爪先を掠めて何かが過ぎった。再びツゥマジカスもどきを放つが、これも効果は甚だ怪しい。何かが潜んでいるのは確実だ。そしてそれらがこちらに敵意を持っているのも。しかし見えない敵を相手にどうしろというのか?

 沈んでいく速度は一定だった。だが時折、邪魔が入る。その度に技を繰り出すが命中したのかどうかすら分からない。そうこうしている間に身体がぎゅっと目を閉じた。もともと真っ暗闇の中なので何ら変化はないのだが、なんだか苦しくなってきた。

〔くっ苦しい!!〕

 それが酸素切れなのか水圧に耐えられなくなったのかは分からない。だが、これ以上は限界のようだ。

 そこで身体はモゴモゴと口を動かす。すると今度は一転して猛烈な浮力が生じて体が上へ上へと持ち上げられていく。そして若干、気を失いかけながらも何とか水面に出るとサルベージ船のクレーンで船に引き揚げられた。


 甲板で呼吸を整えようとしていると船長が慌てて駆け寄ってきた。

「だ、大丈夫ですかい?」

『時間は? どれぐらい潜っていた?』

「え、ああ、2時間ぐらいですかね」

『なんだ。それでは半分もいってないか』

「あんまり無理しない方が……」

『ああ……今日は休む』

「いったん引き上げますかい?」

『いや。明日は朝から潜るからここに留まってくれ。出来るか?』

「そりゃもう。二ヶ月分の食料と水は積んでまっせ」

『そうか。ではしばらく付き合って貰う』

 なんとも単純に思えるやり方だが、こうして修行が始まった。


   *   *   *


 朝イチで潜る。限界まで潜って昼頃に浮上。休憩を挟んで夕暮れまでまた潜る。夜はクタクタになってひたすら眠る。そんな調子で来る日も来る日も潜り続けた。潜水の時間は徐々に長くなっていったが、どうしても壁があるような気がしてならなかった。その限界を突破しないと恐らく最深部までは辿り着けない。そう考えると焦りもあった。既に30日以上はこんなことを繰り返している。ひたすら潜って、たまに深海魚を追い払うだけの毎日に心底、嫌気がさしていた。いい加減、目に見える成果が無いものか……。

〔マジで早く終わんねえかな。もう飽きた!〕

 正直、退屈を通り越して諦めの境地だった。恐らく、こんな姿を長々と読者に見せることはないと思う。せいぜい数ページを使ってこんな修行をしてますよという描写が誌面に載せられるだけだと思う。

〔こんなクソ単調な修行、まったく絵にならねえよ!〕

 そこからさらに一週間、同じような修行が続いた。

 そして今日を迎える。さすがに残り日数が気になってきた。身体の方もそれは同じなようで、今回はかなり気合が入っている。

『今日は最後までいってみる』

 船長にそう告げてから身体はいつものように海に飛び込んだ。


 今日は調子が良い。あまり邪魔が入らない。追い払う敵が殆ど出現しなかったおかげで、いつもより長めに潜っているような気がした。だが、やはり限界はあった。息苦しくなってきたのだ。

〔ぐぐ、やっぱ苦しくなってきやがった!〕

 しかし身体は浮上しようとはしない。覚悟を決めたのかもしれない。

〔ヤバい……意識が飛びそうだ〕

 必死で我慢する。するとしばらくたって目の前にすっと光が差してきたように感じられた。

 気のせいだろうか? 

〔こんなトコに光があるはず無い……〕

 これは気を失う瞬間に目の前が白くなる現象かもしれない。だが、意識はしっかり繋ぎ止められている。

〔……幻覚?〕

 前方にすっと影が現れた。モヤモヤとしたシルエット。それが立体映像のように飛び出してきた。そして誰かの形になる。

〔ちょっ誰だ!?〕

 身体がそれを見て硬直したように思える。身体は何かを振りほどくように首を振る。なんだか動揺しているようだ。

〔なんだ? 胸が、痛い……〕

 見覚えの無い人物の映像が両手を伸ばしてくる。身体はそれを拒否するように身を引こうとする。が、あっさり捕まってしまう。触感はあるようで無い。だが、動悸が収まらない。実に嫌な気分だ。得体の知れない恐怖、不安、倦怠感……恐らくありとあらゆるマイナスな感情がいっぺんに襲ってきたのだろう。ついに身体はパニックになって暴れだした。

〔ちょ……こいつマジで発狂するんじゃね?〕 

 本当に心配になってきた。もしかしたらこの完全なる無の世界は心の鏡となってトラウマとか封印した記憶とかと強制的に向き合わせるのかもしれない。

〔ひょっとして、そういう修行なんじゃないか?〕

 そこで気付いた。女剣士が言っていた『あなたにとって厳しい試練になる』というのはこのことだったのだ。

 未だ身体は沈み続ける。沈んでいくという感覚は残っている。むしろ加速しているようにさえ感じる。だが、身体にまとわりつく幻覚は容赦なく精神を蝕んでくる。

〔もうやめれ! これ以上は危険だって!〕

 いつの間にか幻覚は8つぐらいに増えている。ひとつでも気が狂いそうになっているというのに!

〔マジで止めて! こっちまで狂いそう……〕

 ここで突然『同化』という言葉が浮かんだ。自分の意識とこの身体は一心同体。しかし、これまではなんとか棲み分けはできていた。それが今、危機に瀕している!

〔冷静に! 他の、他のこと考えるんだ!〕

 自我を保つ為に必死で他のネタを考える。どうしても幻覚が目に入ってきてそれを邪魔する。幻覚のうちひとつはエスピーニだ。

〔こっちはリーベン? この人相の悪いオッサンは誰? え? なんでミーユまで!?〕

 敵だとか身内だとかが入り混じって纏わりついてくる。いや、もみくちゃにされるといった方が正しいか。まるで過激なライブのボーカルが最前列の観客に飛び込んだみたいに……。

〔逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ……〕

 なぜか現実世界での出来事がフラッシュバックした。これが走馬灯という奴なのか?

〔これは……もう、無理かも……〕

 考える気力が奪われる。決して諦めたわけではないのに確実に精神力が削られていく。ネガティブな思考が自我を押しのける瞬間、人は死を歓迎するようになる。

 その時、身体が目を閉じた。

〔な……〕

 その瞬間、すうっと体が楽になった。まるで浮き輪を背に流れるプールに身を任せるみたいに心地よい加速度に包まれる。それと同時に不思議な一体感が体の芯からこみ上げてきた。まるでずっと探していた最後の1ピースをジグソーパズルにはめ込むみたいにしっくりとくる。なんというフィット感! そして指先までとつま先までの感覚が異様に鋭くなってきた。一瞬、身体のターンが終わったのかと思った。だが、そうではない。もう、そんなことはどうでも良くなってきた。

(やべ……超気持ちいい……)

 温かい。温かい幸福感。それが全身から滲み出していく。もはや周りは『無』ではない。この場所は地上でもなく深海でもなく架空の世界でもない。今ここにあるもの。それはまさしく自分が存在するリアルな世界だ。

(……同化した? まあ、いっか……)

 体はさらに沈み続ける。先ほどよりも強い力で底の方に引っ張られている。これは殆ど自由落下だ。このまま一気に底まで辿り着けると確信した。

(限界突破……)

 五分ぐらい経っただろうか。ふいに足裏に衝撃が生じた。

(着いた? ここが底か?)

 自分の意思でぐるりと周囲を見た。何となく、右の方向に進むべきだと思った。体にかかる水圧は一段と増しているが動けない程ではない。慎重に歩を進めて直感が指し示す場所へと移動する。

(あれは!?)

 微かに光を放つ箇所がある。間違いない。あれが『海神の誇り』だ!

 予想通り、拾い上げたそれは輝石だった。泥土を取り払うと輝石そのものが光を放つ。

(よっしゃ、ゲットだぜ!)

 思わずガッツポーズが出る。これでようやくこの修行が終わる。伝説の輝石を手に入れたことよりもそっちの方が嬉しかった。

(さてと。どうやって戻るかな)

 ここまで落ちてくる分には苦労は無かった。が、浮上する為には何らかの手段を講じなければならない。

(浮かぶ時って、どういう術を使ってたんだろ?)

 水中なので呪文を唱えるわけにもいかず、身体は呪文なしで技を使っていた。だが、今は自分のターンなので帰り方が分からない。しばらく考えて足元に向かってエネルギーを噴出することにした。ひょっとしたらその勢いで浮き上がれるかもしれない。

(イメージ、イメージ……よし!)

 鼻から息を吐き出す要領で目一杯、手の平に力を込めた。その瞬間、体が弾かれたように上へと吹っ飛ばされる。

(やべ! 強すぎた!?)

 上から押し寄せてくる水圧が半端ではない。首がもげそうだ。それぐらい物凄いスピードで上へ上へと引っ張られていく。なんだか釣り上げられる魚の気持ちが分かった。

 訳が分からないうちに周りが薄っすらと明るくなり、突然、目の前が眩しくなった。

「ぷはっ!」

 思いっきり空気を吸い込むとむせてしまった。息を整えるまでに何度も咳をする。ようやく落ち着いたところでサルベージに引き揚げて貰う。

 船長が心配そうに顔を覗き込んでくる。

「だ、大丈夫ですかい? かれこれ5時間以上潜ってやしたね」

「ああ、底まで行ってたから」

「マジですかい! いやあ、あんまり長く浮かんでこねえから、何かあったのかとヒヤヒヤしてましたぜ」

「おかげで目的の『ブツ』は回収できたよ」

「おおっ、そいつは凄えや。やっぱ旦那は只者じゃありやせんな!」

 懐から海神の誇りを取り出してみた。正六角形にカットされたそれは、でっかいサファイアのようでさらにその内部が発光している。その光は微かに強弱があって、まるでこの輝石自身が生きているように思えた。

 しばらく輝石に見とれていると『バッシャン!』と、どこかで水が跳ねる音がした。それもかなりの大音量だったので近くで鯨でも跳ねたのかと思った。

 船長と2人で音のした方向を見る。

「なんか居る!?  生き物……鯨、鮫?」

 ここからでは判別できない。ただ、一頭ではないような気がする。

「鯨の群れかな?」と、目を凝らすが、群れにしては一直線に並びすぎているように思える。

(違う! アレは繋がってる!)

 海面から瘤のようなものが6つ飛び出している。それはほぼ等間隔で一直線に並んでいた。さらにその瘤の根元に黒い長い影が見える。相手は水中なので影しか確認できないが、相当大きな物体である事は分かる。それがゆっくりとこちらに向かってくる。

 それを見て船長がうろたえる。

「あわわわ……」

 迫り来る物体の動きはカッパ野郎の所で見た水竜に近い。

「何だありゃ!? でかい水竜か?」

 船長が目を見開いて叫ぶ。

「あ、あれはシーサーペントですぜい!!」

「シーサーペント? 海蛇か。けど、相当でかくね?」

「ま、まさか生きてる間に伝説のシーサーペントに出くわすとは……終わった」と、船長がへなへなと座り込む。

「おいおい。伝説とかカンベンしてくれよ。こっちは疲れてんのに」

 伝説といえばサイデリアに出現したバハムートを思い出す。が、あれも何百年に一回出るか出ないかだったはず。このシーサーペントも伝説クラスとなると、まるで伝説の大安売りだ。これも闇帝復活の影響なのか? 

 ヘビのように体をくねらせながら近付いてきた物体は一寸、動きを止めたかと思うと一気に距離を縮めてきた。そして船の手前で激しく波しぶきをあげると頭から突っ込んできた。

「ぎゃぁぁ!!」と、船長が絶叫する。

「いっ!?」

 ガッコンと船が手前側に半分沈んだ。水飛沫に視界を塞がれながらも海蛇の姿を確認する。すると海蛇の巨大な頭が船の下をすり抜けていく。その頭に続いて来るのは長い長い胴体だ!

(き、キモい……)

 流石にビックリして体が硬直してしまった。通過電車を間近で見送るみたいに海蛇が通過する間、何も出来なかった。

「神様お助けを……神様お助けを……」

 船長は頭を抱えて祈りを口にする。船の下を滑り抜けた海蛇は反対側に去っていった。が、すぐに方向転換すると再び体当りを仕掛けてくる。あんなのが続いたら船が持たない。

「畜生、ふざけやがって!」

 こうなったらやるしかない。

「くたばれ! ツゥマジカス!」

 手の平に力を込めて前に突き出す。すると『ピシュッ!』と、空気を裂くような音が発生した。

(え!?)

 自分で技を出しておいて驚いた。なんだか手応えが違う。

 急に技を繰り出したので紺色の水の刃しか出せなかった。が、それはいつもよりも速く飛んでいく。というより殆どその軌跡が目に留まらない。

(速っ!!)

 あっという間に水刃は鮫の背びれのように半身を晒しながら海面を走り、シーサーペントの向こう側に消えていった。が、あまりの速さに当たったかどうか分からない。

「ま、まさか外したとか!?」

 ちょっと不安になった。だが、それは杞憂だった。なぜなら水面に顔を出した海蛇が『ズパッ』という擬音と共に左右に分断されたからだ。まさに真っ二つ!

「一撃……かよ?」

 唖然とした。まさか自力で放った水刃一発で片付くとは考えていなかった。

(凄え……メチャメチャ強くなってる!)

 これが新しい輝石の効果なのか……いや、それだけじゃない!

(修行の成果!)

 そういえば体がやけに軽い。恐らくこれは毎日毎日、物凄い水圧の中で活動していたからなのだろう。つまり、何倍もの重力の中で修行をして超パワーアップを果たしたあの戦士と同じなのだ。

「そういうことか……」

 それともうひとつ思い当たる節がある。それは『同化』した可能性だ。以前、素の状態の女剣士が言っていた『同化するとパワーアップする』という言葉を思い出した。

(……大丈夫。乗っ取られてはいない。ちゃんと現実世界の記憶も残ってるし)

 改めて自らの体を確かめる。ぎゅっと握った拳にみなぎる力。その感覚で自分の体であることを実感する。

―― 準備は整った!


   *   *   *


 ベングランの港で一泊、腕輪に輝石をセットする為に寄った町で三泊した。その為、ポスト王国の首都に戻ったのは44日目の期限ギリギリになってしまった。

 早速、王宮の大広間を訪ねると既に女剣士、クーリン、フィオナが待ち構えていた。

 女剣士が腕組みしながら尋ねる。

「その様子だと上手くいったようね?」

「ああ。勿論さ」

 そう答えて左の腕輪を見せた。

「さすがね。あなたなら出来ると信じてたわ」

「そういうそっちはどうなのさ?」

「私? まあ、一応、試練はクリアしたわよ。それにクーリンとフィオナも」

 女剣士の後ろでクーリンがドヤ顔をする。

「当然だぜい。闇帝なんかにゃ負ける気がしねえ!」

 クーリンの見た目は殆ど変わっていない。が、額に大きな傷が出来ている。服もボロボロだ。ということはそれなりに厳しい修行をやっていたのだろう。一方のフィオナはオドオドしたところが無くなって少し大人になったように感じられた。

(なんか……いい感じ。畜生、やっぱフィオナの方が好みなんだよなあ)

 そこでちょっとだけミーユの顔が浮かんだ。だが、それを振り払う。ミーユはとっくにサイデリアに帰っていたし、第一あの夜は何もなかったのだ。ここでミーユに操を立てる理由が無い。

「あとはディノだけね……」と、女剣士の表情が曇る。

「え? あいつまだ来てないの?」

「そうなのよ。ディノが一番心配だったんだけど……やっぱり時間が足りなさ過ぎるのかしら」

 するとフィオナが女剣士の肩にそっと手を置いて言う。

「信じましょう。ディノはきっと来ます」

 しばらくして大広間の外が騒がしくなった。そして衛兵の「陛下がお戻りになられた!」の声でディノ達の帰還を知る。

「ほらね」と、フィオナが女剣士に微笑みかける。その表情に萌えながらもなぜか嫉妬した。フィオナのその表情にはディノに対する信頼が表れているように思えたからだ。

 先に大広間に入ってきたのは国王だった。見た目はディノと瓜二つだが王冠を被っているので区別はつく。それに最初に見たときより随分とやつれている。

 国王は我々が揃っているのを見て安堵の表情をみせた。

「諸君、本当にご苦労であった」

 女剣士が国王をいたわる。

「陛下こそお疲れではございませんか? あとは私達にお任せを」

「すまぬ。余が出来るのはここまでだ……あとは我が弟に託す」

 よろめきながら国王が入口を振り返る。すると満を持してディノが現れた。ディノはスタスタと胸を張って我々の前に歩いてくる。特にどこが変わったというわけではない。が、フィオナと同様に自信に満ちた顔つき、というか目がやたらと活き活きしている。

「みんな。待たせたね」

 ディノの第一声はありきたりのものだった。だが、女剣士をはじめ皆の表情が一斉にほころぶ。

 女剣士が潤んだ目でディノを見る。

「ディノ……やっぱりあなたは凄い子……」

 国王が大きく頷く。

「普通なら十年はかかるところを、たったこれだけの期間でやり遂げたのだ。余が保証しよう。ディノこそ『光の継承者』だ」

 そういえば光の刻印がどうたら言っていたが、ディノはそれを手にすることが出来たということなのか。

(……まあ、主役だからな)

 全くやっかみが無いわけではないが、闇帝を倒すには必要な戦力なのだ。ここはひとつ大人になって素直に受け入れることにしよう。

 国王がひとりひとりの目を見ながら激励する。そして闇帝討伐の作戦を指示した。

「闇帝はグスト連邦の最奥、バーメナン島に拠点を持つことが判明している。貴殿らはこの後、サイデリアを経由してグストに侵入して欲しい。ただし隠密行動につき少数精鋭で向かって貰わねばならん。非常に厳しい任務となるであろうが諸君は我々ポストの、いや全世界の希望である」

 要は我々5人だけでグストに侵入して闇帝を暗殺してこいということだ。問題は闇帝の隠れ家に到るまで敵国の中を行かなくてはならないということ。恐らく見つかれば只では済まないだろうし、場合によっては待ち伏せ攻撃をされることも想定される。

 国王の言葉に皆の緊張感が高まる。

 そこで女剣士が決意表明する。

「陛下。この命を賭けて必ずや闇帝の復活を阻止してみせます」

「おお。よくぞ言ってくれた。ミディア……頼んだぞ」

 そう言ったあとで国王が激しく咳き込んだ。やっぱり具合は良くないらしい。ディノがすっと側に寄って国王の手を取る。そしてキラキラした目で言う。

「大丈夫だよ。兄さん。必ず、闇帝を倒すから。誓うよ。この光の刻印に賭けて!」

 そこでディノの手の甲がキラーンと輝いた。その黄色っぽい光は闇夜の松明のように周囲を照らした。ディノの両手の甲には六角形っぽい図形が描かれている。まるでスタンプラリーのスタンプみたいに見えるがそれが強く発光している。

(手の甲に刻印……あれが光の刻印ってことか)

 主人公補正でディノがどれぐらい強くなっているのかは分からない。が、アレが最強クラスのパワーの源である事は容易に想像できた。

 いずれにせよ時は来た。

 自分は三種の神器を手にして確実に強くなっている。ディノも問題は無いと思われる。残りのクーリンは『炎のるつぼ』、フィオナは『蠢きの深森』、女剣士は『風の生まれた地』で、それぞれそれなりにはパワーアップしているはず。泣いても笑ってもこのメンツで『ラスボス』である闇帝に突撃するしかないのだ。

 この高揚感は何だろう? ゲームのエンディングに向かっている時の興奮に似ている。十分にレベルアップして、アイテムをたっぷり買い込み、最後のダンジョンに突入する時のテンションそのものだ。

―― 必ずぶち殺す!

 まだ見ぬ闇帝への殺意を抱きながら我々は最後の戦いに向かって出撃した。

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