第31話 南ジョイルスの悲劇
女神さまが静かに語り始める。
「話は40年前に遡るわ……」
はじめにセピア色の背景が立体映像みたいに出現した。そこに後から色が着いてくる。左手には長く続く城壁。その向こう側には城の外観が見える。足元の石畳は町に続く道になっている。どうやらここは40年前の城下町のようだ。自分と女神さまはその場面に傍観者として立ち会っている形になる。お互いの存在はそのままに、まるで巨大なパネルの前でトリック写真を撮影するみたいに…。
そこに現れたのは高校生ぐらいの男女。制服なのだろうか。ともに紺のブレザーに白いシャツ、青いネクタイ、そして丈の短い赤マントを着ている。
<私とあなた達の父親スクラーム・スプリングフィールドは、ジョイルス魔法学校の同級生だったの>
女の子はかなりの美少女だが、そう言われてみれば女神さまの面影がある。男の方はクールというか取っ付きにくいというか、いかにもこのキャラの血縁者といった印象だ。
少女時代の女神さまが男の胸に軽く肩をぶつけながら尋ねる。
『ね、スクラームはやっぱり近衛兵に志願するの?』
スクラームと呼ばれた親父殿はクールに答える。
『ああ。スプリングフィールド家の長男だからな。当然のことだ』
『せっかく水使いになれたのに勿体無いわね。どうせならもっと魔法を活かしたトコに就職すれば良いのに!』
『それは価値観の相違だ。損得ではない。自分には何をすべきかの信念がある』
そのキリッとした顔つきが妙に格好良い。少女時代の女神さまはメチャメチャそれに見とれている! これは実に分かり易い。
<正直、彼と離れ離れになるのは悲しかった。幼なじみが初恋の相手だなんて良くある話よね。でも、あの頃の私はスクラームがすべてだったの……>
そこで背景がすっと薄まっていく。壁や道など物体の輪郭が失われ色が抜けていく。それと入れ替わるように他の物体が出現する。若かりし頃の女神さま達の姿もまるで幽霊が立ち去るみたいにフェイド・アウトした。そして場面変わって『謁見の間』のような場所が再現された。多分、どこかのお城なんだろう。ずらりと並んだ兵士達に見守られながら親父殿が国王みたいなジイさんから勲章を貰っているシーンとなった。
<スクラームは異例の早さで出世したわ。彼の能力なら当たり前なんだけど、プレッシャーは相当あったみたい。どこに行っても名家の跡取りという目で見られるし『やはりスプリングフィールド家の人間は違う!』って言われ続けてたから……> さらに場面は変わる。今度は少女時代の女神さまが単独でご出演だ。その背景にはキラキラ輝く湖面。水際を歩く女神さまは物思いに耽っているように見える。その姿はドキッとするぐらいに美しい。
<その頃の私は水の女神になるかどうか悩んでたわ。女神になるということは人間としての生活はできなくなるってことだから……私には自信がなかったの。親や兄弟との縁を切るとか、一生結婚できないとか、色々と厳しい『おきて』があったから。それに何より彼への未練がどうしても断ち切れなかったの……>
急に場面が切り替わって再び親父殿と女神さま。場所は不明だが背景は夕焼け空。どこかの高台から街を望むようなシチュエーションだ。
<それで彼に聞いたの。ずるいわよね? 自分の一生なのに。自分で決められないなんて。でも彼はきっぱりと言ったわ>
『自分の信念に従えばいい』
そう言い切った親父殿に見とれる少女時代の女神さま……語り部である女神さま自身も同じように親父殿を見つめる。
<彼は私の内心を見透かしてたんだと思う。それで背中を押してくれたのよ。それは後になって理解できたんだけどね。当時の私はその一言で決心したの。すべてを捨てて女神になろうって。で、同時に失恋しちゃったってわけ>
急にあたりが明るくなった。まるで夕焼けの光景から元にいた場所に瞬間移動で引き戻されたように感じられた。ここは先程まで戦っていた女神さまの住処だ。
〔戻った!? 回想終わり?〕
女神さまは腕組みしながら話を続ける。
「その後、私が女神修行にジョイルスを離れてる間に彼は結婚して二人の子供を設けたと聞いたわ。それが長男のエスピーニ。そして次男のあなたよ。女神になってから私がジョイルスに行ったのは3回ぐらいかしら。どうしても彼の子供達を見たくてジョイルスに行ったの。エスピーニは驚くぐらい彼にそっくりだったわ。あなたはお母様似ね。彼、もの凄くあなた達に期待してた。長男のエスピーニは強い心を持っている。スプリングフィールド家の家長に相応しい少年だって。次男のダンクロフォードは兄に比べて優しすぎるところはあるけど竜の扱いが大人顔負けで、いずれは相当の竜使いになれるんじゃないかって」
それを聞いて納得した。
〔そっか! この身体がドラゴン・フライで竜を乗りこなしてたのも、ディア・シデンと通じ合っていたのも、そういう下地があったんだ! けど……何で今はあまり竜に乗るのを好まないんだろう?〕
そこで女神さまの表情が変わった。
「でも幸せは長く続かなかったわ。それが17年前、南ジョイルスで起こった出来事。それがすべてを変えてしまったの」
ここからが本題だ。再び場面が切り替わっていく。こうも頻繁に背景が転換してしまうと自分の居るこの場所すら急に消え去ってしまいそうな気がした。
<17年前。まだジョイルスが統一される前のことよ。当時ジョイルスは大小9つの国で成り立っていたわ。その中で最も南に位置するバーグ王国とビフライ国。今で言うところのバーグ州とビフライ州ね。それにもうひとつ、リドア公国がグスト連邦に接する形で並んでいたの>
足元にはジョイルスの古地図が大写しになる。まるで自分達の体が人形みたいに縮んで地図の上に立っているように錯覚した。
<スプリングフィールド家は代々バーグ王国に仕える名門だったわ。その名は隣国のビフライやリドアにも広く知られた程よ>
なるほど。確かにそれは凄い。国をまたいで有名な一族とは相当なものだ。
<発端は些細なきっかけだったわ。ある日、バーグ王国の小さな町でビフライの商人が逮捕されたの。バーグ国内に違法な薬物を持ち込んで販売しようとした容疑で。それなのにその商人の仲間がビフライに戻って「不当逮捕だ」とか「バーグ警察に暴行された」とか大げさに騒ぎ立てて騒ぎが大きくなっちゃったの。はじめに暴動を起こしたのはビフライの人達よ。彼らは国境を越えてバーグの町で暴れまわったわ。本当はそこで毅然とした態度を取ればよかったのよ。それなのに当時のバーグ国王はそういう命令が下せなかった。人柄は良かったんだけどそれが裏目に出ちゃったのね。放置とまではいかなかったけど、ビフライの暴徒を抑えられなかった結果、それがいつの間にか国と国の小競り合いに発展してしまったの>
その間、女神さまの説明に合わせるように映像が小さく地図の上に表示された。ちょうどPCでウインドウを次々と開くように。
<問題はその後よ。これは後になって分かったことなんだけど、混乱に拍車をかけたのはバーグ王国の外相ムーニーだったの。ムーニー外相は、国王にはビフライとの衝突を回避する為に暴徒のことは穏便に済ませるように進言する一方で、裏ではビフライと通じて争いを煽っていたのよ。おまけにリドア公国に対しては嘘の情報を伝えたの。バーグはビフライとリドアを侵略して独立国家を創ろうとしているって>
途中でムーニー外相という奴の映像が出てきたが見るからに悪人顔のオッサンだった。ヒキガエルみたいな顔にオカッパ頭というだけで胡散臭い。冷静に考えればなぜこんな奴が国家を左右するほどの地位に重用されるのか不思議だ。だが漫画やゲームではよくある話だ。
<ムーニー外相はわざとバーグ王国が孤立するように仕向けたの。そのせいでバーグは両隣の国から攻められることになってしまったわ。当然、バーグの国民は自分達の生活を守る為に戦おうとした。でもバーグ国王はなぜか軍隊を出すのを渋ったの。それもムーニー外相の陰謀だったんだけど>
酷い話だ。こういう奴を売国奴というのだろう。
<その後に及んでもバーグ国王は平和的解決を望んでたわ。それで他国に仲裁を依頼しようとしたんだけど、それもムーニー外相に握りつぶされてしまった。それどころかムーニーは意図的に他国を敵に回すような外交を続けたのよ。さすがにバーグ国内でも王様の弱腰に対する不満や批判が相次ぐようになってしまったわ……>
情けない話だ。聞いていて段々腹が立ってきた。ヘタレな国王のせいでそんなことになってしまったとは……国民が不満を持つのも当然だ。
ここで場面が地図から大きく切り替わった。場所は城内の一室? 話の筋からするとバーグ王国の城だと思われる。執務室のような部屋の真ん中に大きな椅子がある。そこで頭を抱えているのが王様なのだろう。こんな時でも王冠はしっかり被っているのですぐ分かる。その横には軍服姿の男が直立不動で待機している。一瞬、エスピーニかと思ったが、どうやらそれは親父殿のようだ。親父殿はさっきの映像よりも幾分か老けていて、モミアゲから顎に繋がる髭を伸ばしていた。
王様が声を振り絞るようにして親父殿に尋ねる。
『スクラームよ。ワシは間違っておったのだろうか?』
『いいえ……閣下のお考えは重々承知しております』
『おおスクラームよ。お前だけだ。理解してくれるのは。ワシはジョイルスの同胞を殺めることだけは避けたかったのだ。だが甘かった。結果として我が国民を窮地に陥れ、ついには最悪の結果となってしまった』
『閣下。いずれ真実は明らかになりましょう。ですが民衆がすぐそこまで迫っております。ひとまず安全な場所へ……』
窓の外では怒号が飛び交っている。そこに入り混じる爆音や悲鳴。暴徒と化した民衆が城内に侵入してきたのだろう。
『スクラーム。ワシを討て!』
『な!? 何をおっしゃいます!』
『ムーニー……アレを重用したのはワシの失態じゃ。その責任を取らねばなるまい』
『閣下! いけませぬ! そのようなご命令など……』
『よいのだ! スクラームよ。長年、王族を守り続けてくれたスプリングフィールド家の人間にこのような命令は酷であることは承知しておる。だが、お前だからこそ頼めるのだ』
『無理であります。我がスプリングフィールド家の人間が主君に刃を向けることなど有り得ませぬ!』
『分かっておる。その忠誠心を疑ったことなど一度たりとも有りはしない。それにお前は最強の水使いでありながら一度も同胞を殺めたことがないと聞く』
『それは……私の技は民を守る為のものだからであります。ですが閣下をお守りするとあらば……覚悟はしております』
『よいのだ。無理をするな。同胞を傷つけないというのはお前の信念であろう。それを曲げるでない』
そう言った国王の唇の端から突然、鮮血が滴り落ちた。
『閣下!? な、何を!?』
国王は激しく咳き込みながら血を吐いた。
『ゴフッ……グッ……毒を飲んだ。ワシはもう……』
そう言い残して国王がガックリと頭を垂れる。親父殿は慌てて誰かを呼ぶ。が、誰も部屋に入ってこない。息絶えた国王の脈を測りながら親父殿は力なく膝をついた。
<その後、スクラームは信じられない行動に出たわ。彼は亡くなった王の首を掻いたの>
その時だけ影絵のように人物が黒く反転した。多分、残酷な描写になるからだろう。
<王の生首を持ったスクラームは城内になだれ込んできた民衆を前に自分がトップとなってこの戦争を終わらせると宣言したわ。国王の弱腰に失望していた国民は熱狂的にそれを受け入れた。そしてその言葉通り、本気を出したスクラームの力で戦局は一転して、3日後にはビフライもリドアも休戦を申し入れてきたわ>
そこまで見せられてハタと気付いた。
〔ちょっと待て。これって回想だろ? 何で女神さまがそんなに詳しいんだ? てか、誰に聞いたんだよ!?〕
当事者しか知りえない親父殿と国王の細かいやり取りもそうだが、なんで映像まで用意されているのか? それとも細かいことは良いってことなのか?
〔まあこれは漫画だから……神の視点ということで〕
恐らく作者はそこまで考えて描いているわけではないのだろう。
女神さまの回想は続く。
<でも、終戦を迎えてすぐにスクラームは指導権を放棄したわ。国外に避難していた女王を呼び戻して王政を復活させようとしたの。しかし一度王室に不信感を持った国民は誰もそれを歓迎しなかったわ。それで国内では民主化の動きと相まって政治的混乱が続いてしまったの。それはスクラームの意図するところではなかったけど。どうしようもなかったのよ……>
続いて場面がどこかの邸宅に移る。なんとか宮殿を思わせるような洋風の大邸宅だ。庭だけ見ても下手な公園より広くて立派だ。
<そしてついにスプリングフィールド家に悲劇が襲い掛かった……混乱に乗じて権力を握ろうとしてた勢力がデマを流したのよ。「スクラーム・スプリングフィールドは自分が実権を握る為に国王を殺した」って。冗談じゃないわ。それは国王の望みだった。それに彼は役目を終えてすぐに権力を放棄したのに! けれど、デマを流した連中はスクラームの人気と名門スプリングフィールド家の信頼を警戒してたのね。人望のあるスクラームの存在は彼等にとって不都合だから。そんな卑怯な連中だけど結果的に彼らは『スーミン党』という政党を作って権力を握ったわ。その後はデタラメな政権運営でバーグはメチャメチャになっちゃったんだけどね……>
ということはこの場面の立派な邸宅はスプリングフィールド家なのだろう。
<スプリングフィールド家は『国王殺し』の汚名を着せられて徹底的に排除されてしまったわ。国王の遺志を継いで国家の危機を救ったというのに。そしてついにスーミン党は口封じの為に暗殺部隊を送り込んできたの>
鬱な展開だ……てか、親父殿も反撃しろよと思う。なんか自分がやられたみたいに腹がたつ。回想シーンだからか身体は大人しく話を聞いているが、本当は腸が煮えくり返っているんじゃないかと心配になった。
そこで急に辺りが暗くなり、邸宅の外観が闇に包まれた。と同時に家のあちこちで火事になっているのが見えた。
<そしてスクラームは暗殺されてしまったわ。彼ほどの水使いでも相手が腕の立つ殺し屋6人ともなると自分の命と引き換えに瀕死の重傷を負わせるのが精一杯だったの>
そこで傷ついたスクラームが仰向けに倒れている映像が現れる。床には大量の血痕。場所は彼の寝室だろうか。室内はメチャクチャだ。そこにエスピーニ少年が駆けつける。
『父上!』
エスピーニ少年はパジャマにガウンを羽織っている。その手には血の着いた短剣…。
『父上! なんで……なんでこんなことに……』
エスピーニ少年は、まさに力尽きようとしている父親に縋り付く。辛うじて片方の目を開けようとする父……それを額からの血が邪魔をする。
『エスピーニ……自分はもう駄目だ。お前はダンクロフォードを守ってやれ』
『そんな……』
『良いのだ……これで。悔いはない。私は最後まで王に仕えると決めたのだ』
『父上……』
エスピーニ少年の顔は涙でクシャクシャだ。
親父殿はその頬に手を添えて言う。
『エスピーニ……己の信じた道のみを信じよ……それが……我らスプリングフィ……』
そこで偉大なる父は果てた。
『父上!!』
慟哭するエスピーニ少年。そこで画面が切り替わる。今度は邸宅の外。庭の片隅にある小屋。恐らくは竜舎だ。そこにも火の手があがっている。そこに炎に照らされたひとりの少年がうずくまっている。
〔え? 自分じゃん!〕
それは少年時代のこの身体に違いない。それがなぜかこんな所で震えている。そこに迫る影が三つ。
『おい! このガキも殺るのか?』
『勿論さ! この家の者は一人残さずって命令だ』
『チッ! さっさと片付けようぜ』
子供相手に物騒な会話をしながら迫る男達。こいつらも暗殺部隊のメンバーなのだ。
少年は懇願する。
『やめて……来ないで……』
だが男達は容赦しない。剣を振り上げながらの最後通牒だ。
『悪いな坊主。気の毒だがこれも仕事なんでな……』
そこに真横から黒い物体が突っ込んできた! 弾き飛ばされる男達。そしてその物体がドラゴンであることが分かる。
少年が驚いて声をあげる。
『ダメだよ! 来ちゃダメ!』
どうやら少年の可愛がっているドラゴンが助けに来たらしい。が、吹っ飛ばされた男達は立ち上がりながら怒りを爆発させる。
『糞が! 何かと思ったらドラゴンだと?』
『邪魔くせえ。先にこいつをやっちまおうぜ!』
少年が悲鳴をあげる。
『やめてぇ! お願い! やめ……』
少年の懇願は『ザシュ!』『ブシュッ!』という残酷な音でかき消されてしまう。
無慈悲な血しぶきが茫然とする少年の頬を打つ…。
『やめてっー!』
少年が叫ぶ。と同時に少年の周りに衝撃波が生じる。そして『ギャッ!』『グァッ!』という悲鳴を境に辺りが急に静まり返った。聞こえるのは業火が竜舎を焼き尽くそうとする音だけだ…。
〔ちょっ……な、何だ!?〕
良く見ると男達が倒れている。一目見て息絶えていることが分かる。それぐらい酷い出血だった。ひとりは顔から肩にかけて斜めに大きな切り傷が一本。もうひとりは胸から上の部分と下の胴体が完全に分離。残る一人は顔面がすぱっと削り取られている。
〔これって……子供の時のこいつがやったのか!?〕
潜在能力の突然の開花。そのきっかけは感情の高ぶり。それは漫画ではよくある描写だ。にしてはグロテスクなシーンだ…。
しばらくしてエスピーニ少年が駆けつけてきた。
『ダンクロフォード! 大丈夫か?』
しかし少年ダンクロフォードはドラゴンの死骸を見つめながら言葉を失っている。
エスピーニ少年が顔を背ける。
『うっ! これは酷い……しかもドラゴンまで巻き込むなんて。しかし、お前が無事でよかった! こいつらは誰かがやってくれたのか?』
兄の問い掛けに少年は無反応だ。かなりのショックを受けているのだろう。
<幸いにも暗殺部隊はそこで引き上げていったわ。そして生き残ったのは幼い二人の兄弟だけだった……>
燃え盛る竜舎の映像を最後に場面が反転した。周囲が明るくなり、再び元の場所になったのだ。
回想シーンを終えた女神さまが同情するような目つきでこっちを見る。
「これが南ジョイルスの悲劇よ。あなたは覚えていないだろうけど……」
その言葉を身体は目を閉じて聞いていた。そして身体を微かに震わせると静かに目を開いた。
『父は……父は、犬死ではなかったのか……』
その自らの台詞で強烈な感情がこみ上げてくる。そして視界が激しく滲む。
〔え!? 泣いてる?〕
それはまさに自分が号泣している感触と完全に一致した。まるで自分のことのように感情移入して泣いてしまった自分に気付く。
〔俺が……泣いてるのか?〕
そうだ。自分は今、ダンクロフォードとして泣いている。スプリングフィールド家の悲しき過去を知り、そんな中で最後まで信念を貫いた父を誇りに思いながら、感動とも感傷ともいえぬ得体の知れない感情に涙が止まらない。
女神さまがぽつりと言う。
「エスピーニはあなたに何も話してなかったのね……」
身体がこくりと頷く。
女神さまはやれやれといった風に首を振って言う。
「しょうがない人ね。恋人の私には話してくれたのに」
その意外な言葉に涙が吹き飛んでしまった。
〔は!? 恋人!?〕
身体も同じ反応をした。
『こ、恋人……だと?』
「ええ。ずっと前に別れちゃったけど一時期は真剣に愛し合ってたわ」
女神さまは悪びれるでもなくサラリとそんなことを言ってのける。こちらは唖然とするばかりだというのに。
〔片想いだった相手の息子と恋仲とか……そんなのアリかよ!?〕
身体が動揺しながら問う。
『に、にわかには信じられんが……あの兄上が!?』
「ええ。事実よ。私が女神でなければ結婚してたかもしれない。でも、最終的にはお互いの道を行くことで納得したの。所詮、結ばれない恋だったのよ……」
珍しくこの身体がパニックになっている。だが、頭を抱えたくなるのも分かる。
〔なんで親父さんの息子と付き合う? 女神さまって年齢いくつ? てか、こいつエスピーニ倒しちゃったし!〕
そうだ。いくらエスピーニが選んだ道とはいえ、ある意味、この身体は女神さまにとって恋人の
女神さまは静かに続ける。
「彼はあなたの能力を高く評価していたわ。いいえ、本当は恐れていたのかもしれない」
『バカな!? 水使いの才能なら兄上の方が遥かに上! 現に兄上は輝石抜きで自分と互角以上に……』
確かにそうだ。エスピーニと戦った時、彼は家宝だか秘宝だかを持っていたことは持っていたが、腕輪にはセットしていなかった。それでもあれだけ強かったのだ。
「本当にそう思う? じゃあ、なぜ彼はあなたに託したのかしら? それはあなたの実力を認めていたからじゃなくって?」
『それは……』
「彼が言っていたわ。あなたが4歳の時。南ジョイルスの事件がある前の話よ。その頃、あなたはドラゴンの飼育に夢中だったそうね」
『良く覚えてはいないが……そんなこともあったのだろう』
「ある日、あなたはドラゴンの散歩中に迷子になってしまったんだって? その頃10歳だった彼は必死であなたを探したそうよ」
ここでまたも回想シーンが始まった。先ほどと同様にセピア色の映像が立体的に浮かび上がり、やがてそれが色づいていく。そこで現れたのは少年時代のエスピーニがドラゴンの背中にしがみつきながら何かを探し回っている姿。
『ダンクロフォード! どこだ?』
飛んでいるのは砂漠地帯? 草木は殆ど無く、砂を被った岩々が転がり、行き倒れになった動物の骨が干乾びているような光景だ。
やがて少年は岩場の影に一体のドラゴンと人影を見つける。
『ダンクロフォード!?』
急いでドラゴンを降下させ、着地するエスピーニ少年。そして涙を浮かべながら弟を叱る。
『ダメじゃないか! 心配させやがって! こんな水も無い砂漠地帯で迷ったら死んでしまうぞ!』
ところが弟は衰弱している様子も無くケロリとしている。
『ごめんなさい。お兄様。でも大丈夫。お腹は空いたけど水はあるから』
そう言って幼い弟は両手で水を掬う仕草をみせる。するとその手の中から止めどなく水が溢れ出す。そしてそばにいたドラゴンがその水をピチャピチャと美味しそうに飲み始める。それを目の当たりにしたエスピーニ少年が唖然とする…。
そこで回想が終わった。
「その時、彼はあなたの底知れぬ才能に気付いたの。こんな乾燥しきった砂漠の真ん中で、いとも簡単に大量の水を出すなんて。それも誰にも教わっていないというのに」
『そんなことが……』
「さっき彼はあなたの才能を恐れていたかもって言っちゃったけど誤解しないでね。確かに彼はあなたの才能に只ならぬものを感じていたけれど、だからといってそれが理由であなたを追い出したわけではないのよ」
『俺がスピリングフィールド家を出た時のことか? それは分かっている』
「南ジョイルスの事件の後、あなたはドラゴンの飼育をぱったり止めちゃって、ずっと部屋に引き篭もっていたわよね? それをずっと心配していたのよ彼は。それで散々悩んだ結果、旅に出るように仕向けたのよ。あなたを自立させる為に」
『それは分かっている。何度かそういう風に解釈しようとした。あれは兄上の好意だったと。しかし俺がスプリングフィールド家に失望していたのは事実だ。そしてそんなくだらない家に固執する兄上を軽蔑するようになったのも……』
何だろう? もやもやする。胸の奥が重い。さっきの涙といい、この後悔の念といい、この身体と自分の感情が完全にシンクロしている。一瞬『同化』という言葉が浮かんだ。
女神さまが手を伸ばしてきた。
「仕方がないわ。子供なのにいきなり家を追い出されちゃったんだもの。苦労したのね」
女神さまの手の平のぬくもりを頬に受けながら身体が応える。
『そんなことはどうでもいい。だが、スプリングフィールド家の汚名はどこに行っても付きまとった……俺はそれを避けてばかりいた。それなのに兄上は……』
「そうね。誰よりも辛い立場に立たされてた。それでもめげずにこの国に尽くした。名誉挽回には長い時間が必要だったけれど、今ではみんな認めているわ。やっぱりスプリングフィールド家の人間は違うって」
そこでバーグ警備隊のことを思い出した。ヒゲの隊長は自分がスプリングフィールド家の人間であることを知っていたし、必要以上に自分に期待していた。
俯いていた身体が急に顔をあげて女神さまの目を見据えた。
『アンタは俺を憎まないのか? 兄上の
女神さまはその大きな瞳でじっと見つめ返す。そしてゆっくりと首を振る。
「私には彼の想いが分かるもの……あなたは敵なんかじゃない」
『それでいいのか?』
「ええ。だから言ったでしょ。本気でいくわよって。あれで確かめさせてもらったの。もしあなたがあれで倒される程度の水使いだったら私はあなたを恨んでいたでしょうね。迷うことなく殺してたわ」
身体はふぅと大きく息を吐き出す。そして目を閉じて言葉を探す。
『父上の覚悟、兄上の遺志……どうやらとんでもないものを背負ってしまったようだ』
それを聞いて女神さまが大きく頷く。
「私はあなたを信じるわ。彼と同じように」
そう言い切った女神さまの表情はなにかふっきれたように見えた。
身体は唇を噛み、大きく頷いた後で自らを鼓舞する。
『どうせ後戻りは出来ない。俺は必ず闇帝を倒す。それがせめてもの供養だ』
女神さまも大きく頷く。
「ええ。その意気よ。今のあなたになら安心してこれを託せるわ」
『それは!?』
「女神の逆鱗。世界でたったひとつの輝石よ」
そう言って女神さまが懐から取り出したのは赤と青が入り混じった輝石だった。
『赤……炎系。いや青い部分もあるが?』
「水系と炎系がマッチした輝石なの。本来は相反する性質だけどこれは奇跡的に両立してるのよ」
『それであれだけの技が出せたのか……』
「これは預けるだけ。だからすべてが終わったらちゃんと返してね!」
『うっ……』
「いい? 必ずあなた自身の手で私に届けて……」
そして女神さまはいきなり抱きついてきた。
〔む、む、胸が!! しゅ、凄い!!〕
これは生きて帰って来いという女神さまなりのメッセージなのだろう。が、いかんせんそのナイスバディに予告なしで密着されると……堪らん! 胸に押し付けられた柔らかいものがかなりヤバイ。その魔性的な圧力で頭が沸騰しそうだ。
女神さまがすっと身体を離して微笑む。
「まずは四天王の生き残りを倒しなさい! これは命令よ」
『ああ。アンタに貰った輝石。無駄にはしない』
「特にリーベンは必ずあなたの手で倒しなさい」
『何!? リーベンだと?』
「父親の敵を討つのよ。あの男は暗殺部隊の一員だったの。当時はグストの傭兵でまだ四天王になる前だったけど」
『それは本当か!?』
ゴゴゴと湧き上がってくる怒り。そんなこちらの反応に少したじろいだのか女神さまが戸惑う。
「え? そ、そうだけど……」
『分かった。奴は必ず……この手で殺す!』
凄まじい怒りのせいだろうか。殺意が源となって体じゅうに力がみなぎってくる。リーベンだかゲリベンだか知らないが、奴とはそういう因縁があったのだ!
『よし。早速、ポスト王国に向かうとしよう。行くぞミーユ!』
やる気満々で身体がミーユを呼んだ。たぶん、どこかに避難していると思うのだが……返事が無い。身体がイライラしながら何度か名前を呼ぶ。が、やはりミーユは出てこない。
女神さまも首を捻る。
「おかしいわね? あの子どこに……」
すると岩山の影からミーユが顔を出した。
「ま、待って欲しいミョ……なんだか……体が動かない……ミュ」
ミーユはヨロヨロと足を引きずっている。
『どうした? なにをモタモタ……』と、言いかけて身体が異変に気付いた。
女神さまが「ま、まさか!?」と、青ざめる。
〔え!? まさかって何が?〕
女神さまのリアクションを見る限り何やら只事ではないようだが…。
女神さまは慌ててミーユに駆け寄ると真剣な表情で叫んだ。
「まずいわ! 急がなきゃミーユちゃんが死んじゃう!」
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