第26話 風雲急~迫りくる恐怖

 援軍として登場したポスト王国の海軍は思ったより遥かに強力だった。

 彼等は一糸乱れぬ隊列で確実に距離を詰めながら正確無比な砲撃を繰り出した。一方のジョイルス艦隊はサイデリアを深追いしすぎたところに、この身体の放った魔法で身動きが取れなくなっている。ポスト海軍はその横っ腹を一方的に狙い撃ちしていく。ポストの攻撃はそれだけに留まらない。続いてV字型の編隊を組んだドラゴン部隊が続々と飛来し、ジョイルスの空母をピンポイントで爆撃していく。ジョイルス側もドラゴン兵を出して迎撃を試みるが、ポストのドラゴン部隊を止めることが出来ない。ジョイルスのドラゴンはバラバラで明らかに慌てふためいているのが見てとれる。それに対して統率の取れたポスト側はVの字型を維持しながら悠々とジョイルス艦隊の上空を闊歩する。どうやらポストのドラゴン隊は爆撃用と空中戦用の混成部隊となっているようで、うまく役割分担をしているらしい。空中戦用の兵が敵ドラゴンを個別撃破し、爆撃用のドラゴンは爆弾を数珠繋ぎで落としていくことに専念する。

 そんな具合で形勢は一気に逆転した。次々と黒煙を上げて沈黙するジョイルス艦隊には、もはや無敵艦隊の面影は微塵も無かった。サイデリアを追い詰めていたはずの彼等がなすすべも無くポスト海軍にフルボッコにされる様を眺めながら思った。

〔なんかカードゲームみてぇだな…・・・〕

 それは切り札となるレアカード次第で形勢がコロコロ逆転するカードバトルを連想させた。恐らく現実世界の戦争はこんな風にはならないと思う。漫画だからこそこういう展開になるんだろう。ただ、正直言って戦争の悲惨さみたいなものは不思議と感じられなかった。まるでゲームや映画のワンシーンを眺めているような感覚だ。

 ポスト王国の援軍によって、どうにかこの戦いは決着した。壊滅的な打撃を受けたジョイルスの無敵艦隊は完全に撤退した。しかし、サイデリア海軍の受けたダメージも相当なもので多くの艦船が自力航行が不可能となり、ポスト艦船に曳航されることになってしまった。そのせいで我々の乗った旗艦が軍艦島に帰還するまでには来た時の倍以上の時間がかかってしまった……。


   *   *   *


 午前中の激しい戦いを終えて軍艦島の司令部に戻った時には既に真夜中だった。

 司令部ではポルコ将軍がポスト王国海軍の司令官をうやうやしく出迎えた。

「助かりましたぞ! 貴国のご英断に感謝であーります」

 ポルコ将軍がポストの指揮官に握手を求める。

 すると犬のドーベルマンに似たポスト指揮官はニコリともせずに答える。

「なに。礼には及びませぬ。我がポスト王国は世界の番兵。ジョイルスの蛮行を許すわけには参りますまい」

「流石であーりますな! なんとも頼もしいお言葉。いやはや貴殿のような高い志を持った軍人が少しでも我が軍におれば、こんな無様な姿はお見せしなくても済んだものを……実にお恥ずかしい限りであーります」

 サイデリア艦隊の被害は甚大だった。報告によると総勢32隻のうち、小破が3、中破が7、大破が12、残り10隻が撃沈されたとのこと。その数字をみれば『負け戦』であることは明白だ。ところがポルコ将軍はまったく反省などしていない。というかギガント砲の失敗など無かったことになっているようだ。やはり組織のトップともなるとこれぐらい面の皮が厚くないと勤まらないのだろう。

 ポスト指揮官がしかめっ面で言う。

「しかし、貴国の戦力をもってしてもこれほどまでの大打撃を受けるとは……無敵艦隊。やはり噂どおり、さぞかし強力だったのでしょうな」

 そこでムチカ大佐が報告をする。

「そのことなのでありますが……ジョイルスは禁じ手を使っていたのであります」

「禁じ手とな?」と、ポルコ将軍が怪訝な顔をする。

「はい。彼等は国際ドラゴン保護条約を無視して水竜を使っておったのです。そうだな? クーリン君!」

 大佐に同意を求められてクーリンが背筋を伸ばす。

「ハイ! ジョイルスは水竜に爆弾を飲み込ませ、特攻させていたのであります!」

 それを聞いて司令室の一堂がどよめいた。

 ポルコ将軍が机を叩く。

「なんと邪道な! そんなカラクリがあったとは! 実に驚きであーる!」

 ポスト指揮官は苦虫を噛み潰したような表情で吐き捨てる。

「フン。なにが無敵艦隊だ。聞いて呆れる。ドラゴンを使い捨てにするなど愚かなことを」

 誰もが憤りを感じている様子だ。どうやらこの世界ではドラゴンをとても大切に扱っているらしい。確かに大事な移動手段であるし、ドラゴン・フライのようにリスペクトの対象でもある。人々の生活に密着した愛すべき生き物。どちらかというと現実世界での犬のポジションのような存在だ。それを魚雷代わりに使い捨てにするなどこの世界の住人には考えられないことなのだ。

 そんな重苦しい雰囲気の中、サイデリアの兵士が「た、大変であります!」と、司令部に飛び込んできた。

 ポルコ将軍が呆れ顔で尋ねる。

「なに事ぞ? 騒々しいのであ-る」

「そ、それが、その、何から報告してよいやら……」

 よほど慌てているのかその兵士は口ごもってしまった。するとその背後から聞き覚えのある声がした。

「私から説明します」

 そう言いながら入ってきたのは何とあの女剣士だった。

〔女剣士! 来てたのか!〕

 デーニスで別れる時に彼女は、ジョイルスでの諜報活動の結果をポスト国王に報告する為に帰国すると言っていたはずだが……。

〔え? ケガ?〕

 女剣士は足を引きずりながら苦悶の表情を浮かべて歩く。おまけに額には包帯が巻かれていて血が滲んでいる。明らかに重傷だ。

 女剣士を見て敬礼したポスト司令官が目を見開く。

「ミ、ミディア様! そのお怪我は!?」

 それを聞いてハッとした。

〔へえ、ミディアって言うんだ。名前〕 

 女剣士のキャラクター名をはじめて聞いた。よくよく考えれば今まで名前が出なかったのが不思議なくらいだ。最もデーニスで沢山話した時に現実世界での本名が『咲』というのは聞いたのだが……。

「なんと、おいたわしや……」と、ポスト司令官が言葉を失う。

 女剣士はヨロヨロと室内に入ってくると中央のテーブルに手を着いて自らの身体を支える。立っているのもきつそうだ。それを見かねたポスト司令官が手を貸そうとするが女剣士はそれを制する。

「大丈夫です。それより是非、伝えておかなければならないことがあります」

 彼女の言葉に一同が緊張する。やや間が空いてポルコ将軍が口を開く。

「で、何を伝えたいと?」

 すると口を真一文字に結んでいた女剣士がゆっくりと言葉を振り絞る。

「今回のジョイルスの動き……これはグスト連邦の差し金だとばかり考えていました」

 彼女がここでそれを言うまでもなく、グストが黒幕というのは周知の事実。何を今更と思ったところで女剣士が続ける。

「グスト連邦がジョイルスに宣戦布告をしました」

 それを聞いてポルコ将軍が椅子を跳ね除けるように立ち上がる。

「そんなバカな!? グストとジョイルスは同盟を結んでおるはず!」

 女剣士が苦しそうに答える。

「誰もがそう思っていました。ですが、我々の認識は甘かったようです。グスト連邦は、ジョイルスのサイデリア侵攻を非難するという声明を発表してジョイルスを攻撃したのです。表向きはサイデリアの平和を守る為、だとか……」

 そこでポルコ将軍がとうとう怒り出してしまった。

「なんということか! けしくりからんのであーる! だいたいグストは今の今まで我がサイデリアにちょっかいを出しておったというのに! 何が平和を守るだ? どの口がそんな戯言を!」

 ムチカ大佐も同調する。

「明らかにポーズですぞ! グストがジョイルスをけしかけたのは明白! そのくせ自らが正義の味方気取りとは!」

 ポスト司令官が見解を述べる。

「なんと……そのような大義名分を持ち出されてしまうと誰もグストに文句が言えん。これでグストは堂々とジョイルスを支配下に置くことが出来るという訳か……」

 それらの意見を聞き終えて女剣士がゆっくりと首を振る。

「問題はそれだけではありません。グスト連邦は我々ポスト王国との国境付近にも兵を集結させています」

 ポスト司令官が呻く。

「ばかな……グストは何を考えている? 全世界を敵に回すつもりか? それではまるで……」

 司令官が口にするのを躊躇った言葉を女剣士が代弁する。

「第四次世界大戦、ですね」

 その禁句はまるで沈黙の魔法のように周囲を黙らせた。

 しばしの沈黙。そしてポルコ将軍が重い口を開く。

「わからん。わからんのであーる。なぜゆえにグストは破滅への道を突き進む? 世界を敵に回すとはあまりにも無謀であーる」

 ムチカ大佐も首を捻る。

「分かりませんな。グスト連邦が幾ら用意周到に準備していたとしてもジョイルスとポスト王国、それに我がサイデリアを相手に戦えるとは到底思えませぬ。私にはヤケクソのように思えます。グストは捨て身なのでしょうか?」

 そこで満を持して身体が口を開く。

『それだけバックが強力ということなんだろう』

 身体の台詞にポルコ将軍の顔が引きつる。

「き、君は何を言っておるのかね……」

 その言い回しは事実を認めたくない人間特有の妙なイントネーションだ。

『恐らくは闇の勢力が整った。そう解釈する方がしっくりくる』

 将軍はプルプル震える指先をこちらに向けながら否定する。

「や、闇の勢力だと? そ、そ、そんなものは迷信であーりゅ……」

 ろれつが回っていないのは動揺している証拠。本当に『闇』の存在を信じていないはずはない。むしろその脅威を嫌というほど知っているからこそ無理に否定しようとしているのだろう。

 身体が吐き捨てるように言う。

『フン。信じたくないなら結構だ。せいぜいその当たらない大砲でも磨きながら震えているがいい』

 そこで女剣士が「非常に申し上げにくいのですが」と口を挟む。彼女は言葉を選ぶようにゆっくりと説明する。

「実はそれだけではないのです。いいですか。落ち着いてお聞きください。それほど悪い状況なのです。先ほどサイデリア国王にはお伝えしたのですが、現在、グスト連邦の国境からサイデリアに向かって正体不明の飛行物体が接近しています。大きさは約3.5メルモ。速度は8ベクタ。周囲に紫色の霧をまとっています」

 女剣士の報告をぽかーんと聞いていたポルコ将軍の顔が見る見る青ざめていく。それが『紫色の霧』の部分でピークに達した。

「そ、そ、そんなそんな……バカなバカな……」

 将軍の狼狽振りは相当なものだ。目の焦点が合っていない。ムチカ大佐やポスト司令官も目を白黒させている

 そこで女剣士が追い討ちをかける。

「飛行物体の正体。恐らくは伝説の巨大ドラゴン『バハムート』だと思われます」

 即座にポルコ将軍が反応する。

「そ、そんなものは伝承に過ぎん! 有り得ない! 有り得ん! あってはならんのであーる!」

 身体が呆れたような口調で突っ込む。

『それはアンタの願望だろう。事実を受け止めるしかなかろう』

 ポルコ将軍はうわごとのように「有り得ん」を繰り返す。ポスト司令官の視線は宙を彷徨う。話についていけない若い兵士達は呆然としたり戸惑ったりしている。

『伝説の巨竜『バハムート』紫の雲をまといし破壊の使者……200年に一度、世が乱れた時に現れるという』

 独り言のように呟く身体の台詞が沈黙の中で際立つ。

『確かバハムートが最後に目撃された記録は80年前。200年に一度のものが出現したとなると、やはりそういうことか』

「あり得ん! あり得んのであーる! そんな作り話など非科学的であーる!」

 将軍は頑なに認めようとしない。

 女剣士が何かに気付いてこちらに向き直る。

「ちょっと待って! さっきのはどういう意味? 200年に一度なのに出現したとか……」

『まだ80年しか経っていないのにそれが出現したとなると、考えられる可能性はひとつ。誰かが呼び寄せたということだ』 

 その答えに女剣士が目を見開く。

「嘘でしょ……誰かがバハムートを召喚したってこと? そんな魔法を使える人間がこの世に居るなんて……」

『有り得ない話ではない。もしかしたら200年に一度出現するというのはバハムートではなく、魔法使いの方かもしれん』

 少し冷静さを取り戻したムチカ大佐が女剣士に尋ねる。

「で、その飛行物体の進路は?」

 女剣士が卓上の地図に手を伸ばし、ある部分を指先で指し示す。

「国境の町、ムルガンから西に8000メルモの地点です。ここからさらに北下しています」

 彼女はそう言って指先を地図の上で滑らせた。

〔ホクカ? 南下じゃなくて?〕

 そういえばこの世界の地図は南北が逆だった。野良犬のような形をした大陸は上が南なのだ。なので、犬の首から背中にかけてを領土とするグスト連邦から犬の前足にあたるサイデリアに向かうとなると南から北へ向かうということになる。

 その時、通信機らしきものをいじっていた兵士が声をあげる。

「緊急入電です! ムルガン国境警備隊がグストとの国境付近で消息を絶ったそうです!」

 ムチカ大佐が顔を顰める。

「しょ、将軍! ここは空軍に任せたほうが……」

「わかっておる。我々海軍は動けぬ。だがサイデリア軍の一員として我らも何とかせねばならんのであーる」

 気がつくといつの間にかポルコ将軍の表情が変わっていた。あれ程うろたえていたのに今は修羅場を潜り抜けたチワワのような顔つきになっている。

 将軍はいったん目を閉じ、かっと目を見開いて命令を発した。

「動けるドラゴン兵はすべて首都へ向かい王立軍に合流! 砲撃可能な艦は首都の内海に集結・待機! 残った兵士はギガント砲の準備を。首都防衛モードだ!」

 それを受けて司令室の面々が弾かれたように次々と部屋を飛び出していく。ポスト司令官も軽く一礼をして慌しく出て行った。その結果、司令室に残ったのは将軍の他に通信兵が一人、それに女剣士、クーリンと自分だけだ。

 ポルコ将軍は部下達が散開するのを見届けてから椅子にもたれかかった。そして背もたれに背中をこすりつけながら沈むように腰を下ろした。

 女剣士がそんな将軍に声を掛ける。

「微力ながら私も力を貸しますのでこの子達をお借りしても宜しいでしょうか?」

 将軍はちらりとクーリンの方を見やって首を捻る。

「この子達? 別に構わんのであーるが、さほどお役に立つとは……」

「いいえ。そこの少年兵。それとディノという少年をお借りしますわ」

 クーリンはなぜ自分が指名されたのか分からずにポカーンとする。

 女剣士がこちらを向いてニッコリ笑う。

「ダン。あなたは勿論、ついてきてくれるわね?」

『フン……勝手にしろ。どういうつもりか知らんが』 

「私に考えがあるの。その為にはあなた達の力が必要よ」

 女剣士の言葉をぐったりした表情で聞いていた将軍が微かに反応する。

「なんと……ポスト王国の人間である貴殿がなぜそこまで? まことにありがたいことではあーるが……」

「同盟国だからです。それに我が王国にとってもバハムートは脅威ですから」

 女剣士の即答に身体が口を挟む。

『そうだな。バハムートを操っているのが闇の勢力なら遅かれ早かれポスト王国も同じ運命だろうからな……』

 その言い方には嫌味が含まれているような気がした。が、女剣士はそれには構わず、キョロキョロと何かを探している。

「あら? ディノはどこ?」

 それを聞いてクーリンが申し訳無さそうに言う。

「医務室です。力を解放したせいで気を失っています。今は妹が看病してますが、回復には3日ぐらいかかるかも……」

 クーリンの説明によるとディノは『覚醒』の代償として酷く体力を消耗して気を失ったように眠っているそうだ。そして今はフィオナに付きっ切りで看病されているという。正直、ジェラシーを感じる。

〔クソ……なんだよ。主人公特権かよ〕

 そこで女剣士が頭を抱える。

「なんでこんな時に!? 困ったわね。あの子の力が必要なのに!」

〔肝心な時にコレかよ! まあ、ピンチの時に主人公が遅れてくるのは少年漫画の定番だけどさ……〕

 化け物みたいな相手の襲来にディノがどの程度役に立つのかは分からない。だが、主人公が活躍しないことには事態は収まりそうに無い。

 女剣士の表情が曇る。

「何とか目覚めさせられないかしら……」

『蹴飛ばして叩き起こせばいい』

「ちょっ! さ、さすがにそれは!」と、クーリンが慌てる。

「仕方ないわね。取りあえず連れて行くしか……でもどうやって?」

『抱えて飛ぶしかあるまい。そのうち目を覚ますだろう。相手が相手だけにな』

 これから化け物と対峙しなければならないというのに、なんだか緊張感に欠けるやりとりのような気がしないでもない……。


   *   *   *


 女剣士ミディアのドラゴンを先頭にバハムートが出現したと思われる目的地へ向かう。

 先ほど首都の上空を通過したが、深夜だというのに首都を脱出しようとする人の群れが四方八方に流れていくのが見えた。避難を促すサイレンが眠りを妨げられた街を幾重にも取り巻き、とてつもない危機の到来を予感させていた。

 女剣士の真後ろにはクーリンとフィオナが乗るドラゴン。その後を自分達が追うのだが、なぜか身体はディノを小脇に抱えている。

〔重い……てか、この野郎、何のん気に寝てやがんだよ! こんな奴にフィオナは……〕

 女剣士がディノを無理やり連れて行くと言った時にフィオナは大いに抵抗した。そんな彼女の必死な姿に心底、萎えてしまった。やっぱりフィオナの心はディノに向いているのだ。それを思い知らされた。仮にここで身体の自由が利いたとしても、他の男に心を持っていかれている女の子を振り向かせるような術を自分は持ち合わせていない……。

〔ぶっちゃけ、捨てていきたいんだけど〕

 話の行きがかり上とはいえ、憎き恋のライバルをご丁寧に運ばなくてはならないとは何ともやりきれない。


 山を越え大河を辿り二時間ほど飛び続けたところで女剣士が振り返った。

「そろそろよ! 周りに注意して!」

 ちょうどその時、前方から何かの大群が押し寄せてきた。まるでブーイングでも浴びているみたいに観客からモノを投げつけられているのかと思った。が、それが鳥の大群だと判って、バハムートから逃げてきたのだと理解した。遥か前方を見据えると、夜明け前の青白さが闇の底にそっと忍び込もうとしているところだった。真っ黒な山々の輪郭に朝焼けの気配が漂い、そのシルエットが紫色に変色しつつあった。

〔もうすぐ朝なんだ……〕

 さらに飛ぶこと数十分。異変に気付いた。何となく視界が遮られる。湿気を肌で感じる。多分、これは朝霧なのだろう。だが、それならこのピンクっぽい色合いは何なんだ?

『これは……』と、身体が眉を顰める。

 もうその時点ではすっかり怪しい霧に包まれていた。

〔このままじゃ逸れてしまうぞ……〕

 そんな心配が的中した。前方の女剣士の後姿はおろかクーリン達のドラゴンさえ見えなくなってしまった。他のドラゴンの羽音も聞こえない。

 ピンク色のように見えるこの霧は、恐らくバハムートが纏う紫の雲……。

 突然、右手の霧が晴れた。と、同時に〔ひっ!?〕と、心臓が飛び出しそうになった。『ムッ!』と、流石の身体も大きく仰け反った。

〔で、で、でか……〕

 突如、間近に現れたのは巨大な目玉だった。ダンプのタイヤ程の大きさ……それがギョロリと動く。白目の部分が特にキモい!

〔い、いきなりかよ!? 気絶するかと思った!〕

 身体が慌てて手綱を引いて、目玉から離れるように急上昇する。

 1秒、2秒、3秒……時間がやけに長く感じられた。

 そこで風が『ゴォォ』と、うねった。そして急速に視界が開けてくる。

〔こ、これは!?〕

 まるで強力な掃除機で煙を吸い上げたみたいに隠されていた物体が徐々に姿を現した。

〔こ、これがバハムート!? まるで勝てる気がしねえ……〕

 それはあまりにも衝撃的な登場だった。この世界に来てドラゴンは幾つも見てきた。だが、こいつはスケールがまるで違う。頭だけでも普通のドラゴン5頭分のサイズだ。さらに立ち上がったカンガルーにも似たその全身はちょっとしたビルに匹敵する。おまけに羽の大きさがこれまた邪悪なまでに巨大だ。霧が晴れてようやくその姿が露になったものの、まだ暗いせいもあって細部までは判別できない。が、天女の衣みたいなものがあちこちに着いていて、金魚のヒレのように動いているのは識別できた。

〔てか、晴れたんじゃなくて……こいつが霧を吸ってるんじゃないか?〕

 よく見ると紫の霧はバハムートの大きな口にどんどん吸い寄せられている。

『これはマズい!』と、身体がディア・シデンの首に張り付くような姿勢をとった。

 何がマズいのか良くわからない。が、しばらくしてバハムートの吸い込みが止んだ。そして次の瞬間、耳をつんざく轟音が響き、目の前が真っ白になった!

 何が起こったのか分からない。が、後方で物凄い爆発音がした。身体が振り返ると大地に巨大な火の玉がめり込む瞬間が目に入った。 

『何という破壊力……これがメガフレアか』

 どうやらあの火の玉はバハムートが放ったものらしい。

〔ギガント砲よか凄え……いや、比べ物になんねえ!〕

 その大きさはケタ違いだ。ここから見ただけでもそのスケールに身震いする。爆風の凄まじさも半端ではない。水の盾を作るヒマさえ無く吹っ飛ばされる。まるで風力を強にした扇風機に煽られるティシュペーパーのように、あっという間に持っていかれてしまった。

『うぉぉおお!』

 身体が必死で手綱を引き、体勢を整えようとする。が、右腕はディノを抱えているので片手でコントロールせざるを得ない。錐もみ状態で宙を転がるディア・シデンから振り落とされないようにするのが精一杯だ。

 その間にも恐ろしい爆音は止まない。ようやく暴力的な風から逃れられたので改めてバハムートとその先に放たれた火の玉を見比べる。

〔シャレになんね……これをどうしろと?〕

 これは漫画の世界だ。そう簡単には死なないとは思っている。しかし、流石に今回ばかりはそうも言っていられないような雰囲気が漂っている気がした。

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