第21話 女剣士との対話

 女剣士のドラゴンに乗って一路、デーニスへ向かう。

(やっぱ速ぇ!)

 その飛行速度に感動した。カバドラゴンとはスピード感がまるで違う。例えるならヨボヨボの散歩と駅伝ランナーのラストスパートぐらいの差がある。前方の景色がグンと手前に引き寄せられ、颯爽と足元を潜り抜けていく。流れ行く光景は僅かな名残を残して、あっという間に後方へ去っていく。風を切り、風と一体化する触感が心地よい。この調子ならデーニスへは今日中に着きそうだ。

とはいえ、それでも移動中はたっぷりと時間がある。本来なら女剣士と話すチャンスなのだろうが、ドラゴンの背中に乗った状態での会話は困難だった。こちらが投げかけた言葉は風に押し戻され、女剣士の言葉は聞き取るより先に後方へ流れてしまうからだ。

(けど、会話が無いってのも気まずいな……)

 その時、風に煽られてドラゴンが大きく右に傾いた。油断していた。その勢いで放り出されそうになる。慌てて何かを掴もうと左手を伸ばす。

『むにゅ』

本当にそんな音が聞こえた。

(この左手の感触……これって。もしや!?)

「ちょっ! なに触ってんのよ!」

 女剣士の言葉で我に帰る。で、手の平に生まれた謎の温もりが彼女の『おっぱい』であることを理解する。

「わっ! ご、ごめん!」と、手を離そうとするが、焦って指が膨らみに引っ掛かってしまう。ちょうど指先で表面を掠めるような具合で。すると女剣士が「あン」と、悩ましい声を漏らす。

「わ、悪ぃ……」

「ちょっと、やめてよね! 敏感になってるんだから」

 そう言って恥ずかしそうに身体をよじる女剣士の姿に萌えた。

「ごめん。わざとじゃないんだ」

「もう! 気をつけてよね……」

 そう言って顔を赤らめる女剣士の横顔に強く魅かれてしまった。

(良かった。あんまり怒られなく。けど、柔らかかった!)

 じっと手を見る。そして先程の感触を思い起こす。おっぱいの柔らかさを例える表現として『マシュマロみたいな』という言い回しがよく使われる。だが、さっきのはマシュマロでも豆腐でも贅肉でもない不思議な触感だった。手を離した後でも余韻が残る。まるで手の平に薄い幸福の膜が出来たかのような感覚だ。

(強いて言うなら『温もりスライム!』て、バカみてえだな……)

 自分で思いついたキャッチフレーズのくせに、その下らない発想に自己嫌悪。少し凹んだ……。


*   *   *


 ひたすら飛び続け、夜も深まってきた頃、ようやく目的地の上空に近付いた。

そこで、女剣士が唐突に「ん!」と、身をよじらせた。彼女の肢体がビクンと跳ねる様はエロゲーみたいでドキッとした。と同時に自分も背筋がピンと伸ばされる。二人同時にということは、この場面は誌面に晒されるのかもしれない。

「もうすぐデーニスに着くわよ」

『すまんな。相乗りさせてもらって』

「いいのよ。どうせ帰り道だし。それにちょうど良かったわ。貴方に託したい物があるから」

『託したい物だと? 乗せてもらった手前、文句は言いたくは無いが子供の使いなら他を当たってくれ』

「そう言わないの。これは貴方達にとって重要な物よ」

『貴方達? どういう意味だ?』

「私がジョイルスで集めてきた情報をあげるわ」

『情報か……ジョイフルで何をしていたんだ?』

「ちょっとしたスパイ活動よ」

『フン。ポスト王国の意向か……』

そこでデーニスの町が見えてきた。深夜なのに町の明かりが無数に輝いている。さらにケーキ山の壁面にも幾つもの明かりが灯されているのが遠目にも分かる。

女剣士が呟く。

「こんな時間まで工房の明かりが灯っているなんて……」

確かケーキ山の壁面には沢山の工房があるはずなのだが、そこの明かりが軒並み点いているということは、工房がフル稼動していることを意味する。女剣士のドラゴンから見下ろした眠らないデーニスの町は何かに急かされているように見えた。

さらに町の上空を通り過ぎ、ケーキ山に接近する。穴という穴からオレンジの明かりが漏れる壁面をなぞるように飛んでいると身体がある場所を指差した。

『上から三番目……そうだ。あそこの穴に入れてくれ』

 それを聞いて女剣士が頷く。

「分かったわ。あそこに入ればいいのね」

 身体が指定したのはカイトの工房だ。恐らく、また輝石の加工を依頼するのだろう。


 カイトの工房に到着した我々は早速、カイトを呼び出した。

 作業着姿のカイトは大汗をかきながら笑顔を見せる。

「よお! 英雄のご帰還かい!」

『商売繁盛のようだな。こんな夜遅くまで仕事とはな』 

 そう声を掛けるとカイトが暗い顔をする。

「ここ数日ずっとこんな調子さ。ジョイルスからの発注量が半端じゃなくってな」

 女剣士がやれやれといった風に首を振る。

「やっぱり……開戦の準備って訳ね」

「ああ。俺達は職人だから政治のことは良くわからねえ。黙って仕事をこなすだけだ。だけど、これからどういうことが起こるかは十分分かってるつもりさ」

 そう言うとカイトは大きなため息をついた。

『ここが狙われる心配は無いのか?』

 それは率直な疑問だった。工業立国であるデーニスの技術がジョイルスに狙われることは十分に考えられる。

 その質問に対してカイトが「それは心配ねえ」と、言い切る。

『なぜだ? 武器の調達にはこの国の技術が必要だろうに』

「それは否定しない。けどな、俺達デーニスの職人は、どんな境遇でも誰かに屈することは無い。俺達は永久に中立を守る。これは伝統なんだ。ジョイルスの奴等もそれを分かってるはずさ」

 女剣士がその説明を補足する。

「奴隷として働かされるぐらいなら『職人の誇り』を守る為に死を選ぶ。すべての国民にそういう覚悟があるんでしょ。今までデーニスが侵略されなかったのはそれがあるからななのよね」

「お! そっちの姉ちゃんは良く分かってるじゃねえか!」

 カイトが女剣士を見てニヤリと笑う。で、何かに気付いたような表情を見せる。

「およ? そういえばあの小っちゃい子はどうした? 一緒じゃないのか?」

『ああ、ミーユか。あの子は後から来る。とにかく今は急いでサイデリアに戻らないとならないんでな』

「つまり急ぎで仕事をしろと? アンタ、いつもそれだな」

『分かっているならとっとと仕事にかかってもらおうか』

 そう言って身体は懐から輝石を取り出した。エスピーニから受け取った『秘宝』だ。

 輝石を受け取ったカイトが目を丸くする。

「こ、これは……『賢者の嘆き』! スプリングフィールド家の秘宝じゃないか!」

 宝石のようなその青い輝石は、やや薄く葉っぱのような形をしている。職人のカイトが驚くぐらいだからやはりレアなアイテムなのだろう。

 カイトが感嘆する。

「アンタ、やっぱり只者じゃないな! こないだの『女神の涙』といい、今度の秘宝といい、どれもSランクの輝石じゃないか」

 身体は腕輪を外してそれもカイトに押し付ける。

『ごたくはいいから作業に取り掛かれ』

「分かった! 他ならぬ英雄殿の頼みだ。徹夜でやらして貰うよ。明日の朝まで待ってくれ」

 カイトが輝石を腕輪にセットする間、我々は工房で休ませてもらうことにした。


工房の休憩所で腕輪の完成を待つ。ランプの明かりが無くても工房の火がここまで差し込んでくる。オレンジ色に染まった室内には丸テーブルに椅子が4脚。どこから持ってきたのか女剣士は酒を飲みながらすっかり寛いでいる。

そこで身体が唐突に尋ねる。

『託したい物があるんだろう?』

 女剣士はグイとグラスを傾けて喉を潤すと静かに頷く。

「そうだったわね。ちょっと待って」

 そう言って彼女が取り出したのは小さな皿だった。それも何の変哲も無い白い小皿だ。

「これを手に入れるのに苦労したんだから」

 女剣士はそう言うが只の小皿を入手するだけならホームセンターにでも行けばいいのにと思った。

 彼女は小皿に水筒の水を注ぎ、そこに手をかざして何やら呪文を唱える。すると『ボワッ』と白煙が上がり、煙の中から巻物が出現した。

『巻物だと!?』

「世界地図よ。それとジョイルス軍の戦力、配置とかもね」

『軍事機密……なるほど』

 女剣士が巻物を広げるとこの世界の地図が描かれていた。

〔ああ、これって前にも見たっけ……〕

はじめて見た時から思っていたが、この世界の大陸はやっぱり『野良犬』みたいだ。しょぼくれた野良犬を真横から見たら多分こんな形になるはずだ。頭の部分がジョイルス、前足がサイデリア、首から背中にかけてグスト連邦が占め、後ろ足と垂れ下がった尻尾がポスト王国という位置関係。そして、ここデーニスは胸の辺りにある『ブチ』にあたる。

 女剣士が指で地図をなぞりながら説明する。

「この通りジョイルスがサイデリアを攻めるには海からしかないわ」

 確かにジョイルスが陸軍を進軍させるにはデーニスの領土を通らざるを得ないし、随分と遠回りになる。となると頭の部分から前足に向かって海軍で攻めるのが最短コースだ。

『だがサイデリアがこの広い海岸線を防衛するのは並大抵ではないな』

「そういうこと。ジョイルスはここ数年、海軍増強に力を入れてきたわ。彼らは虎視眈々とサイデリア侵略を狙ってたってわけね」

『で、その軍事機密の出番ということか』

「ええ。ジョイルスがどの地点に上陸するか。正確な場所までは特定できないけど海軍の配置からある程度は予測できると思うの」

『それを俺に届けろということだな』

「そうなのよ。この小皿をディノに渡して欲しいの」

『分かった。いいだろう』

 女剣士は巻物をしまうと再び変な呪文を唱えて小皿にそれを封印した。

「ねえ。ところで無敵艦隊って知ってる?」

『ああ。聞いたことはある』

「ジョイルスの海軍は世界最強……その中でも飛び切り強力なのが無敵艦隊。彼等が蹂躙した後にはペンペン草も生えないって言われているわ」

『無敵の艦隊……噂には聞くが、そんなに強いのか?』

「そうね。ポスト王国海軍が束になってかかっても相当苦戦するでしょうね。私が調べたところではドラゴン空母が12隻、戦艦が8隻、輸送艦が4隻の大船団よ」

『ドラゴン空母? 何だそれは?』

「一隻につき50頭前後のドラゴンを搭載できる船よ」

『それが12隻ということは、ざっと見積もってドラゴン兵だけで六百か。確かに相当な戦力だ』

緊迫した空気に包まれる。女剣士は酒を注ぎ足し、静かにそれを口に運ぶ。身体はテーブルの角を見つめながら沈黙を続ける。すると突然、身体のコントロールが戻ってきた。

「あれ? 戻ったぞ」

「みたいね」

 女剣士も同様に身体の自由が利くようになったらしい。

「てことは誌面に載るのはさっきの部分までか。無敵艦隊ね……何だか煽るだけ煽っておいてその後の説明は無しかよ。無責任な作者だなあ」

「そりゃそうでしょ。だって漫画だもん。『無敵艦隊は凄い』って刷り込んでおいた方が読者の期待が高まるでしょ」

「どうだかな」

「あら。バトルものは敵が強力なほど盛り上がるものじゃない。それに無敵艦隊は本当に手強いと思うわ。恐らく本気になればこの世界の海を軽く制圧できるんじゃないかしら」

 それを聞いて疑問に思ったことを尋ねてみる。

「でもさ。だったら何で今までそれをやらなかったんだろ? サイデリアなんてすぐ攻略できるだろ」

「それはサイデリアの魔力が強力だったからよ。それにジョイルスがそんなことをしようものならポスト王国が背後から牽制するだろうし」

「じゃあ何で急に戦争になるのさ?」

「グスト連邦と組んでるって考えるべきでしょうね。私が集めた情報の中にもその証拠が幾つかあったわ」

「それじゃ益々ヤバいじゃんか。只でさえサイデリアはグストの侵攻を受けてるんだろ? 奴等が同盟を結んで一緒に攻めてきたらアウトだろ」

「そうね。ただ、サイデリアとグスト連邦は山脈で隔てられているわ。だからグストが一気に攻めてくる可能性は高くないと思う。おそらく、グストはポスト王国を牽制するとか国境付近での攻勢を強めるとかサポートをするつもりなんじゃないかしら」

「つまり、今回の開戦はグストがジョイルスをけしかけてるってことか」

「ええ。グストにとってはジョイルスが負けても損は無いんだから。サイデリアが消耗すればサイデリアへの侵攻が楽になるし、場合によっては同盟を反故にしてジョイルスを侵略したっていいわけだから」

「汚えなぁ!」

「国と国との争いなんてそんなものよ。自国の利益こそ外交の基本だから」

 女剣士の話を聞いていると何だか意外な気がした。もっと単純な図式だと思っていた。この世界には絶対的な悪が居て主人公達がそれに挑む。いわゆる勧善懲悪。それがこの物語の本質だと思い込んでいたんだけど……。

「何だかややこしいなあ。少年漫画なのに」

 正直、それが素直な感想だ。

「まあ、そう言わないの。多分、この漫画の作者がバトルだけじゃ物語に幅が出ないとか考えてるんじゃないかしら」

「作者の気まぐれかよ。やれやれ。実際に戦う身になって欲しいよ」

「でもね。最終的には悪の本体を倒すことがあなた達の目的になるはずよ」

「闇帝イーベンと四天王か……」

「あら。知ってたの!?」

「まあね。エスピーニ将軍とかいう奴に聞いた。こいつの兄貴らしい」

「そう。なら話は早いわ。この戦争が長引けば世界大戦になってしまうわ。で、そうなるように裏で動いてるのが闇の勢力。そこであなた達が闇の勢力を倒して世界を救う。メデタシ、メデタシっていうのが今後の展開ってとこね」

「何だか先が長そうだな。まだ四天王の一人しか倒していないし、パワーアップはしてるけど敵もどんどん強化されてるからキリが無さそうだし……」

「まあ焦らないことね。前に忠告したように『同化』にだけは気をつけて」

「ああ、同化してしまうと自分の意識っていうか存在が消えちゃうってことか。それは気をつけるつもりだよ。キャラに精神を乗っ取られないように自分の意思はしっかり守れって言うんだろ?」

 それを聞いて女剣士が苦笑いを浮かべた。

「ただ、ちょっとね……それだとキャラの潜在能力を完全に引き出せないらしいけど」

「なんだよそれ。矛盾してね?」

「そこなのよ。ストーリーが進めば進むほど『同化』が求められるってこと。多分、身体と精神がバラバラだと本当の強さは発揮できないってことだと思う」

「そっか。つまり強くなりたければシンクロ率を高めろてことか。でも、諸刃の剣なんだよな。それって。これからも敵は強化されるだろうから強くなりたいとは思う。けど、自意識も失わない。そんなの両立できるかどうか正直、自信無いよ」

 そんな愚痴を聞いて女剣士は目を細める。

「フフ。前に同じことを言ってた仲間が居たわね」

「仲間!?」

「前にも言ったでしょ。ここに転生しちゃった人達に会ったことあるって」

「ああ、そうだっけ。で、その人達は今どこに?」

「ひとりはこの近くに居るはずよ」

「ちょっと待て! なんか嫌な予感が……」 

 女剣士は首を竦めて続ける。

「変な人よ。私はもう絡みは無いけど、興味あるなら会ってみれば? アドン村とかいう田舎に住んでるらしいんだけど」

「まさかその人の名前って?」

「なんか『ミスター・マラキク』とかアホみたいな名を名乗っているそうよ」

「やっぱり!」

 危ないところだった。奴は『同化』のリスクを教えないで「強くなるには自らの潜在意識を解放する必要がある」みたいなことを言って修行をさせやがったのだ。

(あのカッパ野郎! あいつのテキトーな指導のせいで危うく『同化』しちまうところだったじゃねぇか!)

 女剣士が俺の反応を見て意外そうな顔をする。

「あら。あの人のこと知ってるの? てか、もう会ったとか」

「まあ修行の一貫で。仕方なく」

「へえ! そうなんだ。あの人、相変わらずホモでしょ~」

「うん。ガチホモだった」

「でもよく無事だったわねぇ」

「俺は好みじゃなかったみたい。太った男じゃないと駄目なんだってさ」

「うーん、マニアックね!」

 女剣士は以前、カッパ男と交流していた時のことを話してくれた。意外なことにカッパ男は、物語序盤にサイデリアで魔法学校の講師をしていたそうだ。ディノやフィオナはその時の教え子であり、その関係で女剣士とも絡みがあったという。ところがこのカッパ男、意地悪な先生役でそこそこ出番があったのだが、ディノ達が成長するにつれてお役御免となり、いつの間にかフェードアウトしていった。で、いつの間にか趣味に走って現在に至るということらしい。

(あいつ、連載開始の頃にはちゃっかり登場してたんだ……)

 この漫画をちゃんと読んでいなかったから記憶に残っていないのだろう。

「ところであのカッパ野郎は『同化』してないのかな? この世界にどっぷりハマってるみたいだったけど?」

「そうね。まだ同化はしてないんじゃないかしら。未だにバリバリのホモだってことは前の世界と同じだから」

そう言って女剣士は含み笑いを浮かべる。

「そっか、転生前からそういう趣味があったから同化しないんだな」

 つまり、確たる意思を持ち続けることで同化を免れているということなのだ。

 女剣士が続ける。

「でも、あの人の場合はこの世界でハーレムを築き上げてるからね。仮に同化しちゃったとしても本望なんじゃないかな」

 この世界で生きるという覚悟が出来ればそれも有りかもしれない。けど、それはやっぱり違うと思う。

「俺は嫌だな。自我が無くなっちゃうのは。それって死んだってことにならない?」

「そうね。ある意味、そういうことかも」

 この漫画のキャラに自我が完全に取り込まれてしまうということは、自分という存在が無くなってしまうことに他ならない。それに漫画のキャラである以上は作者の意図で簡単に殺されたり描かれなくなったりするリスクが常に付きまとう。そんなのは生きているとは言えない。元の世界に帰れるという保証が無い限り、やはり同化は避けた方が良いに決まっている。

 そこで思い切って聞いてみる。

「そういう自分はどうなのさ? 同化しそうな気配はあるの?」

「どうかしら。自分でも良く分からない……」

「そのキャラは気に入ってる?」

「ん。まあまあ、かな」

「もし、このまま同化しちゃったとしたら後悔する? 元の世界に未練は無い?」

 それらの質問に対して女剣士は眉を寄せて少し考え込んだ。そしてゆっくりと答えた。

「正直、今まで何度も考えたわ。最初の頃は戻れなかったらどうしようって。そのうち『どうせ戻れないならこの世界で前向きに生きよう!』って思えるようになってきたの。でもその為には元の世界へ思いを断ち切らなくちゃならないじゃない。だからわざと現実世界の自分を否定したりもしたわ。必要以上に……」

 女剣士の言わんとすることは何となく理解できた。彼女は未練を断ち切る為にわざと現実世界の自分を全否定したのだろう。それは寂しげなその表情にも表れているような気がした。

(この流れでなら答えてくれるかな?)

 そう思って尋ねてみた。

「元の世界ではどこで何をしてたの?」

 いきなり年齢を聞くのもどうかと思って当たり障りの無い質問を振ったつもりだった。しかし、彼女は突然、不機嫌そうな顔をする。

「それって今、必要な情報?」

 思いの他ぶっきらぼうな口調に戸惑う。

「いや、その……どんな生活してたのかなって」

「気になる?」

「まあ、ちょっと……」

「そんなことを知ったところで今の状況が変わるわけじゃないよね? てか、ぶっちゃけ元の世界のことはあまり話したくない」

「そうなんだ……」

 やはり彼女は現実世界のことに触れられたくないらしい。本当は彼女のことをもっと知ることでなぜ自分たちがこの世界に飛ばされてきたのか、その手掛かりが得られるかもしれないと思ったのだ。 

 急に気まずくなってしまった。時折、金属を打つ音が工房の方から聞こえてくる。深夜特有の気だるい時の流れを感じながら彼女の頬を染めるオレンジ色をぼんやりと眺めた。よく見るとオレンジの淡い光は一定ではなく弱まったり揺らいだりした。その様はまるでキャンプファイアで好きな女の子を遠くから見つめているようなシチュエーションを連想させた。

彼女が積極的に話さないのなら仕方ない。そう考えて自分の話をすることにした。好きな音楽やゲームのこと。学校や家族のこと。それでも足りなくて結局は中学、小学校と昔のエピソードまで披露する羽目になってしまった。その間、彼女はたまに「ふぅん」と相槌を打つだけで殆ど聞き流しているみたいだった。

(何だか惨めな気分になってきた……)

 現実世界のことを話せば話すほど「自分はなんてつまらない人間なんだろう」という気持ちになってしまった。まさか自分語りをすることでこんなに凹むとは思いも寄らなかった。そうこうしているうちに眠気が襲ってきた。半ばやけっぱちな気分で意識をそれに委ねる……。


   *   *   *


 身体を揺すられて目が覚めた。気付くとカイトが自分を起こそうとしていた。

カイトは興奮気味に言う。

「待たせたな! 今度のは最高傑作だ。はっきり言って超自信作だぜ!」

 寝起きなので頭がぼーっとしている。が、意外とリアクションは早い。

『どれ? 見せてみろ』

 すんなりと台詞が出たことに驚いた。

〔あれ? いつの間にか身体の出番になってる……〕

 身体は受け取った腕輪を左腕にはめる。

『ほう……』

 身体がそう感心した時だった。妙にぞわぞわした。くすぐったいような感触が腰の辺りで発生し、背中を伝わって肩の周りに広がった。寒気ではない。武者震いのような感覚に上半身が包まれた。

『これは……何という力だ!』

 これはエスピーニとの一騎打ちで身体からオーラが放出された時の感覚に似ている。

『これが秘宝の力か!』

 身体がその感触を噛み締めているとカイトが満足そうに頷く。

「うん。いい出来だ。にしても、アンタ、どんだけ強くなるつもりなんだよ!」

 それに対して身体はクールに答える。

『終わりなど無い。満足してしまったらそこで終わってしまう』

「やれやれ。まあ、アンタみたいな化け物を相手にしなきゃならん奴等に同情するよ。そうそう。アンタが来てる事をロイの奴に連絡したら養竜場に必ず寄ってくれってさ」

『ロイ……ウルド養竜場か』

「ドラゴンを貸してやるってよ。これから戦場だってのに『アシ』が無きゃアンタも大変だろうって」

『それは助かる』

〔あれ? ミーユは良いのか? けど、まあいいか〕

 身体は確実にバージョンアップした。それに加えてウルド養竜場のドラゴンを借りることが出来るという。これから始まる戦乱の中で立ち回る準備はこれで整った。

『よし。行くぞ!』

 そう言って力強く一歩を踏み出す身体には緊張感と高揚感が入り混じっているような気がした。

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