第26話★病院、すべては誰のために
「――先輩!」
そこで我に返った。
ひどく息苦しく、何が起こったのか理解できない。
「先輩! 大丈夫ですか?」
エステルの緊迫した声が聞こえる。
いったい何が――そうだ、急に激痛が走り意識が遠のいた。
「だ、大丈夫。ちょっと立ちくらみ、かな……」
エステルの呼びかけに力なく答える。
しかし、息苦しさと眩暈で、何とか大丈夫だとアピールしようとしたが、上手く立ち上がることも出来ない。
「せ、先輩!?」
「ちょっと待ってください。
すると、エステルの後ろで様子を伺っていた看護師さんが魔法を唱えた。
看護師さんが唱えた魔法が全身を包みこむ。すると、謎の息苦しさや眩暈が嘘のように消え去り、気がつくとすんなりと体を起こす事が出来るようになっている。
こんなにも早く体調が戻るのか。
回復魔法の効果が凄すぎるというよりは、看護師さんが回復魔法への適正が高かったのかなと思いながら立ち上がる。
「すみません。ありがとうございます……」
「礼には及びませんが……それよりも、体調の方は大丈夫ですか?」
「はい。おかげさまで大丈夫です」
「そうですか……、急に倒れたのでびっくりしました。魔法である程度は回復したと思いますが、無理はなさらないでくださいね」
ある程度ではなく、ほぼ全快したと思ったが、それよりも看護師さんの優しい言葉に心が温まる。
思わず頬が赤くなる気がしながら立ち上がり、ふと横を見る。
そこには『第一・整体魔法士整備室』と書かれた、研究所のような扉があった。
不気味な感じがするその扉を見ながら、そういえば倒れた後に何か見た様な気がするけど、うまく思い出せない。
「先輩はこの扉の前で、急に意識を失ったんですよ? 何かあったんですか??」
その様子を見て不安に思ったのか、エステルが心配そうに声を掛けてくれた。
少し考えるが、特に身に覚えがなく首を傾げる。
「い、いや……特に身に覚えはないから、立ちくらみだと思うけど……疲れてたし、多分。そういえば、あの場所っていったい何なんですか?」
「整体魔法士の調整室です。あまり学生の方はご存じないかもしれないですが、当院は整体魔法士の方の調整も行っているんです」
「そ、そうなんですか……」
「えぇ。その第一調整室といったところです。今は患者さんがいないので入れないですけどね」
エステルが扉に手を掛けようとして看護師さんに釘を刺された。
看護師さんの言った調整という言葉に引っ掛かりを覚えるも、エイタやソラのような人たちはあそこで体を見て貰っていたのか。
しかし、どこか異様な雰囲気がするけど、いろいろと大丈夫なのだろうか。
「歩けそうですか?」
「は、はい、なんとか……。すみません、行きましょう」
まぁ変に詮索するのもよくない。それよりも今は妹の病室へ向かおう。
僕の言葉に看護師さんは頷くと再び歩き始める。その後に続くと、少し歩いたところで立ち止まる。
看護師さんが壁に手を触れた。模様が壁に広がり、どうやら扉だったみたいだ。
間もなくして扉が開き、後に続く。すると、少し広い廊下に出た。
廊下の左右には等間隔で扉がある。どうやら妹の病室に着いたみたいで、ある扉の前で看護師さんは歩みを止めた。
「それでは、私は他の患者さんの様子を見てきます。何かあったら声を掛けてください」
「はい、わかりました。ここまで案内ありがとうございます」
看護師さんは軽く会釈をすると、奥の部屋へと入っていった。
さてどうするか、そう思った時、突然エステルは手を握って来た。
ビックリして肩がビクッとしたが、振り返った先に不安そうな表情があってすぐに気を引き締める。
「先輩……」
「う、うん。開けるね」
いきなり手を握られるとは思わなかった。少し焦っていたが、それを顔に出さないようにして、手を扉に触れる。
さて、妹にはなんと声を掛ければいいだろうか。扉が開くまでの間に何とか整理しよう。
「実は別人なんだよー」と言えれば簡単だが、それを言ってしまうと良からぬ事になりそうだし、さすがに気が引ける。
無難なのは、エステルに話を任せて自分は要所要所で口を挟めばいい。うまくいく保証もないが、変に話題を振ればボロが出るかもしれない。よし、これでいこう。
方針がだいたい固まったところで、扉が開く。
とにかくなんとかなるだろうと思っていた。赤の他人の妹だが、その場のノリで会話が弾むだろう、そう考えていた。
しかし、扉が開いた途端、その考えは一瞬で消えた。
その考えが消えさったのも、室内から流れて来る異様な空気感だった。
それは……あぁこれは恐怖だ。感じたことの無いような恐怖。地の底から呼んでいる様な漠然とした得体の知れない恐怖感。そんな心地の悪さが全身を包み込んでいる。
その空気感に思わず足がすくんでしまった。その場で崩れ落ちなかったのはエステルの手を繋いでいたからだろう。
何とかなるだろう、会話も弾むだろう、そんな次元の話では無かった。
『魔法行使障害病』というものが、想像を遥かに越えた深刻な症状であると瞬時に理解する。
しかし、部屋に入ると扉は自動的に閉まり、更に強烈な恐怖感のようなものが全身を襲った。
踏み入れるべきでは無かった。そう思わせるような異質なものが、この病室内を渦巻いている。
ここで逃げ出さなかったのも、隣に立つエステルにかっこ悪いところを見せたくないという見栄か、それどころでは無くなっていたからかもしれない。
何とか平常心を保たないと。病室内を見渡そう。
日ノ本マウが入院している病室は、ガラス張りの仕切りと分けられているようで、足を踏み入れた部屋は椅子や机など面会のために置かれているようだ。
そして、ガラス張りの向こう側には――、
「…………ぁ」
言葉が出なかった。その姿を見て何一つとして言葉が出ず、代わりに出たのは言葉にすらならない掠れ声だった。
ガラスの向こう側には一つの容器があった。無数の管がその容器に繋がれており、その中にエステルと同じくらいの少女が横たわっている。
あそこにいるのは日ノ本コウタの妹の日ノ本マウ。多分そのはず。案内してもらったのだから間違いない。
しかし、その見た目は日ノ本コウタの妹だと思えない程に変容していた。
両頬は痩せこけ、髪の毛は色彩を失っており真っ白で、まるで生気を感じさせない弱弱しい姿。
その表情は眠っているようにも見えるが、何かに耐えるよう苦しそうな表情を浮かべているようにも見える。
その姿を直視することができず、思わず視線を逸らしてしまった。
しかし、逸らした先には、いつの間にか鞄から取り出したのか、レイレンの花を両手で握っているエステルが立っていた。
「やっぱり、いつ見ても堪えられないですよね」
僕が視線を逸らしたことに気づいたのか、エステルは小さく呟いた。
その言葉を聞いてなぜか罪悪感が生まれ、再び妹のマウが眠っている容器へと目を向ける。
瘦せこけた姿は生きているのかも分からない程で、肝心の魔霧が全くと言っていい程に、何も感じられなかった。
少し意識を向けると、その人の魔霧が見えてくるのだが、妹のマウからはほとんど感じられない。
少女の体を蝕む『魔法行使障害病』。そして、この世界に転生した原因であるとソラが言っていたのを思い出す。
本当に因果関係があるのか。目の前の少女を見る限りではソラの言葉も妄言にしか思えず、何が真実なのか。もしかしたら踊らされていたのか。何もかもわからなくなる。
「……マウ、元気になるといいですね」
「……だ、大丈夫。エステルの気持ちは、眠っていても届いているはずだよ」
「はい。そうだといいですね……」
エステルは力なく呟く。
辛うじて言えた台詞はあまりに他人事で、隣にいるエステルを直視することが出来ない。
しかし、それを聞いたエステルは静かに頷くと、ガラス窓に手を触れた。
「マウ、学校に居た頃は成績も優秀で、誰からも愛されるいい子だったんですよ……それなのに、どうしてこんなことに……」
その声には昔を懐かしむ色が含まれている。
だが、そのことを僕は知らない。何を言えばいいかわからず黙ってしまう。
ただ、僕が知らないだけで、彼女たちの中には確かに存在する過去。
エステルは静かに妹のマウを見つめている。
「きっと治るからね。マウのお兄さんが必ず治してくれる……」
「……う、うん。僕が必ず」
名指しされてしまい、反射的に答えてしまった。
しかし、この問題を解決すれば、もしかしたら元の世界に戻れるかもしれないし、そして何の罪もない日ノ本コウタの妹も救えるかもしれない。
エステルの言葉に静かに頷くと、同じようにガラス窓に手を触れた。
すると、眠っていたマウが目を僅かに開き、必死に手を合わせようと、片方の手でもう片方の手を支え始めた。
「マウ……」
その様子にエステルは涙声になっていた。
マウの手は弱弱しく震え、時間を掛けてゆっくりと容器の上部へと触れる。
『ありがとう……』
とても小さく弱弱しい声。しかし、ハッキリとした感謝の言葉は静かに胸に突き刺さった。
その様子を静かに見つめ、そして先程までは無かった確固たる意志があることに気が付く。
それは目の前の少女、日ノ本マウを救うということだった。
ただ、それを自分自身で解決できるかというと、傲慢だし自信過剰で到底出来るとは思えない。
しかし、この世界で親身になってくれたワカナとエイタ、あるいはソラと協力すれば、もしかしたら何とかなるかもしれないという謎の自信も同時にあった。
この世界に来たことにに意味があると、ソラも言っていた。エイタとワカナも何かがあると一緒に考えてくれた。
もしかしたらこの世界に転生したのだって、この問題を解決するためではないのかとも思えてしまう。
何よりも、知るチャンスが目の前にあるのなら、何もせずじっとしているより、自らの手で掴むべきだ。そのための力がこの世界にはある。
そんな事を考えていたら、どこか気分が軽くなったような気がした。
ふとエステルの方に目を向けると、そこには病院に入る前に浮かべていた屈託のない笑顔があった。
「いろいろ考えるのもいいですが、何かあったら相談してくださいね?」
「う、うん。ちょっといろいろ考え過ぎてた……」
見透かされたような言葉に、思わず気恥ずかしさを覚える。
すると、エステルの持っていたレイレンの花が静かに光を放っていることに気が付いた。
「エステル、花が光ってる……?」
「そうなんですよ。レイレンの花の効能で、光輝いたときはあらゆる症状を緩和してくれる……って、聞いたんです」
そう言われると、目を瞑るマウの表情が少し和らいだように見える。
すべてを優しく包み込むその光に、思わず笑顔を浮かべると、エステルも同じように笑顔を浮かべた。
「……それじゃあ、帰りますか? あまり長居してもあれですし」
「そうだね……じゃあ、また来るよ」
「またくるね、マウ」
僕たちの言葉を聞いてか、マウは向日葵の様に明るい笑顔を浮かべた。
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