第24話★遭遇、ぱっとしない十二星の旅団
憂鬱な気分になりかけた途端、不意に声を掛けられた。
若い男性の声だ。慌てて顔を上げると、僕の様子を覗き込むように、爽やかな微笑を浮かべた背の高い細身の男性が立っていた。
え? だ、誰だこの人? コウタの知り合いか?
「え、えと、何か用ですか?」
コウタの知り合いかもと思って聞いてみたが、絞り出すような掠れ声が出てしまった。
急に話し掛けられて思った以上に気が動転していた。何だか恥ずかしくて顔が赤くなる。
しかし、男性は特に気にした様子もない。なぜだか、良い事でもあったのかのように笑顔を崩さない。
「用って程じゃないんだけどね。ちょっと、隣いいかな?」
「えっ、隣ですか?」
「うん。そうそう、君の隣に座ってもいいかな?」
「あ、はぁ……」
気の抜けた返事を返しながら男性を見る。
こちらの戸惑った態度など、まるで気にもしていないような微笑。どちらかというと人の好さそうな笑顔が安心感を与えていると思い始めて来た。そう思うと、なんだか人を安心させる雰囲気を纏っているようにも見えて来た。
ということは、この男性は良い人。良い大人かもしれない。
とにかく、その場に立たせておくわけにもいかないので、ぎこちなく頷いて相席を承諾した。
「ありがとう。失礼するね」
「い、いえ……。それで……僕に何か用でも?」
礼を言った男性の口調はどこか嬉しそうで、妙な感じがしつつもそう質問をした。
すると、男性は少し考えるように目線を泳がせて、ふと何かを思い出したかのように手を叩くと、なぜか困った表情を浮かべた。
「あー何て言うか、不審者に声を掛けられたと思われたなら、素直に謝らせて欲しい。ごめんね?」
「え? あぁ、いえ別に……僕の方こそ、誰かに声を掛けられるとは思ってなかったので……」
「それでも驚いたなら、ごめんね。まぁこうして声を掛けたというのも、あそこの花屋に学生が訪れるのは珍しいなーと思って、ついね」
申し訳なさそうにしている男性のペースが掴めないまま、花屋という単語を聞いてそっちへ目を向ける。
あそこの花屋の常連さんか何かなのかな。そんな事を考えながら、男性のペースに飲まれないように一呼吸つく。
「僕は付き添いで訪れただけですので、すぐに店からは出ちゃったんです。あなたもお買い物ですか?」
「ん、僕かい? そうだね。ちょっとした花を購入するようにお願いされてね。というか、すぐ出て来たってことはやっぱり、あの花屋には長居出来なかったんだ?」
「そ、そうなんですよね。なんだか、目と頭が痛くなって……」
「そうそう。そうなんだよねー。なんでかよくわからないけど、僕も痛くなるんだよ。しばらくあのお店に行くのはやめようと思っちゃうくらいにね。でも置いてある花はどれも良い花だから、つい買いに来てしまうんだ」
男性はそう言うと、少し苦笑いを浮かべていた。
初対面の癖によく喋るなと思いながら、この男性もあのお店の異常性には気が付いている様だ。
普通に店内を歩いているエステルが異常なんだなと思うと、何だが安心した。
「えっと、お花というと、どういったのを購入されるんですか?」
「詳しくは……ちょっと言えないんだけど。まぁ、結構有名な花かな?」
「有名な花ですか……」
有名な花と言われても、まだこの世界に来てから日が浅いからピンとこない。
それよりも、ちょっと言えない花というのはいかほどのものか。もしかしたら頭の中がハッピーになる、そんな怪しい花を買いに来たのではないか。
何だか不安な気持ちになりかけ、真意を確かめなければと謎の使命感に駆られる。
「どんな花なんですか? どれを買うのか、非常に迷うと思ったんですが」
「え、そうなの? てっきり君もレイレンの花を買いに来たと思ったんだけど、違うのかい?」
「……レイレンの花、ですか?」
「そうそうレイレンの花。……って言っちゃったね」
男性は再び苦笑いを浮かべるが、レイレンの花に聞き覚えがあった。
ということは、知らないはずなのに知っている、つまりソラに与えられた知識の中にあるものということ。
今日の授業で聞いた魔法世界に群生している花の名前は何一つとしてわからなかったが、レイレンの花については詳細に知っていたことを思い出した。
レイレンの花のことに意識を向けると、どうしてこの花だけの知識が豊富なのかわからないが、何でもその花は万病に効くという非常に希少価値の高い花で、人の手では決して育つことが無いらしい。個体数が非常に少なく、そこそこ高値で取引されているという。
「おっと、その花の事、知っているんだね?」
どうやら男性は、僕が少し考え込んだ様子からレイレンの花のことを知っていると感じたようだ。
まさにその通りなのだが、男性の表情が急に真面目なものに変わり、少し目を丸くしてしまった。
男性は、僕の様子を見るなりすぐに苦笑いを浮かべて手を振った。
「あぁ、ごめんね。ちょっと知ってるような反応だったから、ついね」
「い、いえ。知っているといっても、そんなには知らないですよ」
「いやいや。その態度は結構知っているように感じたよ? 学生の内にそれを知っているなんて、随分物知りなんだね」
「い、いえ、たまたまですよ」
少し食い気味な褒め方に苦笑い不可避だが、男性は「そうか、そうか」と何かに納得している様子で、どうにも釈然としない。
「レイレンの花は、その性質上非常に特異な効力があって、けっこう重宝されているからね。ちなみになんだけど、レイレンの花がどの地方に自生しているかは知っているかな?」
「あー、えっと……。確か、第一浮遊都市北部の『星の都』でしたよね?」
それを聞いた男性は、驚いた表情を浮かべた。
あれ? もしかして、言ってはいけないことだったのかな?
急に話を振られたから、思わず口が滑ってしまったが、もしかしてレイレンの花についての知識は一般的なものではないのかもしれない。そう思うと、この驚きようにも納得がいく。
少し慌てた様子で否定しようとしたが、男性はすぐに興奮した様子で、
「そうそう、そうなんだよ。あそこでしか採れないし、しかも育つ条件がいろいろと複雑で、市場にはあまり流通していないから生産地を知らない人も多くいるんだ。いやはや、この花が量産されれば、魔障病ももしかしたら解決する糸口になるかもしれないのに、ちょっと残念だよね。そうすれば僕の仕事も――」
よく喋るなぁと思いかけたとき、男性はハッとした様子で手を叩くと、急に立ち上がった。
急に立ち上がったことにびっくりして男性を見つめると、思わず背筋を正すほどの迫力を纏っていた。
今までそこに無かったはずの魔霧が漂い始めているのが見え、どこか空気が張り詰めていくのを肌で感じた。
「そういえば、自己紹介がまだだったね」
そんな空気感の中、男性はさりげなくその言葉を言った。
その言葉とは裏腹に、先程まで無償で振りまいていた笑顔が消えさっており、代わりに大変に真面目な顔つきがそこにはあった。
「僕の名前は、春風マチト。見ての通り汎人で、魔法使をやってて、
そこまでを淡々とした口調で言うと、満足したように男性は腰を下ろした。
それと同時に辺りを渦巻いていた空気感は消え去っており、先程と同じで弛緩した空気感に戻りつつあった。
「春風さん、というんですね。なるほどー」と言いながら、後半に何か引っかかる言葉があるのではと思い直し、頭を捻る。
「え、えっと? 春風さんは、
「うん。そうだよ。
なぜかやけに投げやりな声で言うから、にわかには信じられなくて、何度も頭の中でその言葉を繰り返す。
その一人が、こうして目の前にいる。
本当なのか? 少し年上の好青年っぽい見た目の男性が十二星の旅団の一人というのか?
男性が嘘を言っている可能性を考えたがそれは限りなくゼロに近いだろう。
そもそも十二星の旅団のメンバーを知らないということを除いても、先程の男性の態度は真実を物語っているに十分だった。
そうか、この人が最強の魔法使と呼ばれる一人……。
なんというか政治家の様に、特定の場所、特定の空間、この世界で言うところの行政区内でしか姿を見れないとばかり思っていた。
不思議なものを見るような表情をしていたからか、春風と名乗った男性は若干というかだいぶ口角が引きつっており、悲しそうな表情を浮かべていた。
「あれ? 僕のこと本当に知らないの? あー、そっかぁ……そうだよね……。その様子だと、僕の事知らない感じなんだねぇ……。まぁ、見た目は十二星の旅団の中でも目立たないほうだってよく言われるから、無理もないかぁ……そうかぁ……」
春風さんはそう言い終えると落ち込むように視線を下げて、最後は何て言っているかわからないくらい小さい声で俯いてしまった。
まだ魔法世界に来てから間もないし、そもそもソラがくれた知識にも無かったし、知らないのはしょうがない事なんですよ! という思いは届かず、申し訳ないという表情と動作をしながら励ましにかかる。
「い、いえ! 自分が勉強不足だったというか、何というか……」
「いやいや、気にしなくていいよ? 僕も積極的に活動している訳じゃないからね。僕のことを知っている人も少なくはないし、当然君が知っていなくてもまぁしょうがない」
「そ、そうなんですか?」
春風さんはその言葉に頷くと、少し真剣な顔つきで僕の問いかけに答える。
「どっちかというとだけどね? 他のメンバーよりは表立って仕事をしていないというか。というと語弊があるか。まぁ、昔から特殊な仕事をやっているから、有名じゃないということだね」
「そうだったんですね。それを聞いて何だか安心感が……。特殊な仕事というのは、ちなみに何の仕事を?」
「結構聞くね。まぁここだけの話しということで。あまり言ってはいけないんだけど……特別に。ちょっとした事件の調査を――っと、君の連れが戻ってきたみたいだよ?」
「え? あ、ホントですね」
途中で言葉を切ったので不信に思って視線を辿ると、僕達の方に向かって歩いてくるエステルの姿が見えた。
遠目だったがその腕には大きな花があり、それがレイレンの花であると、近づくにつれて既に知っている知識が教えてくれた。
「邪魔しちゃ悪いね。じゃ、これで失礼するよ。せっかくの休憩時間を邪魔して悪かったね」
「あ、いえ、全然……」
春風さんがどんな仕事を知っているのかが気になったが、これ以上詮索するのもよくないだろう。
そう思っていると、春風さんは僕のことを一瞥して、どこか意味ありげに微笑みを浮かべた。
「それじゃあ、またね……日ノ元コウタ君」
「はい、また……?」
何なのだろうと思うより先に別れの言葉を言うと、春風さんは花屋の方へと歩き出した。
その後姿を見つめながら、そう言えば自己紹介をしていなかったけど、僕の名前というか日ノ本コウタの名前を知っていたという事実に気が付いた。
まぁ『日ノ元コウタ』というのは本当の意味で本名ではないのだが、この世界での本名で、名乗ってもいないのに知っているということは、偶然声を掛けた訳でも無く、何か意図があって話しかけて来たのだろうか。
しかし、春風さんは初めて会ったかのように声を掛けて来たし、実際のところは本人に聞かないとわからない。その姿は花屋に消えようとしていた。
「先輩! 見てください!」
その視線は、目の前まで着ていたエステルに阻まれる。
考えたところで仕方がないので、嬉しそうに言うエステルが持っているレイレンの花へと目を向けた。
エステルの両手にあるのは、淡い赤色が輝く美しい大輪が一つ咲いているレイレンの花。万病を治すともいわれる花だが、魔障病に対しても一定の効果を発揮するらしい。
その効果量は残念ながら知らなかったが、エステルが極上の笑顔を浮かべているあたり、相当な効果を期待が望めそう。
「ワカナがくれた優先購入券って、レイレンの花のことだったんだね」
「そうですよ、当たり前じゃないですか。ワカナ先輩がくれた券で、こうして買うことが出来て本当に嬉しいです……。やっぱワカナ先輩は、アマカルカ・ルマ内でも屈指の――」
「あーえっと、すれ違った男性のことって知っている?」
話が長くなりそうだったのでそう質問をすると、話しを遮られたことに怒ったのか、「ふんすっ」という声が聞えそうな表情をしながら、心当たりは無いようでそのまま小首を傾げた。
「いえ? 見た事ない人ですけど。なんですか、知り合いか何かですか?」
「いや、何でもないよ。僕も見た事無かったから、誰かなーと思って」
どうやらエステルは春風さんのことを知らないようだ。魔法使を統べる程だから知っているとばかり思ったが、先程本人も言っていたように知っている人は少ないようだ。
「ふーん? まぁいいですけど。それよりも早くこのお花を見せたいですね」
「うん、そうだね。きっとこの花を見せれば病気も良くなるよ」
「ですよね、ですよね! じゃあ、早速ですが! マウのとこいきましょうか!!」
「……へ? 僕も行くの?」
「え? 行かないんですか?」
あれ? お買い物に付き合うまでじゃなかったのか?
その言葉が意外だったかのようにエステルは目を丸くしているし、どうやら本来の目的はこの先にありそうだ。
「え、いや、その……」
どう反応すればよいか迷っていると、エステルはしばし無言で僕を見つめ、何かに納得したように何度も頷く。
何に納得したのか。気になるので、ぜひ教えてくださいと思っていると、エステルは何だか悪だくみを思いついたかのような表情をして、思わず嫌な汗が流れる。
「――なるほど、なるほど。いやぁー先輩。やっぱそこ気にしちゃいますよね? 愛する妹さんに、私達の関係見せる訳にいきませんからね? ね? そうですよね?」
「あ、う、うん?」
そういうこと? と思うのと同時に、『愛する妹さん』という言葉に、頭が真っ白になりかける。
「やだなー冗談ですって! 真に受けないでくださいよー。なんにせよお兄ちゃんと行くって、先週約束したじゃないですかー」
どうやら、エステルがやけに言っていた「マウ」という人物はコウタの妹だったようで、まさかの展開に頭を抱えそうになるが、そうなる前にエステルが僕の制服を引っ張った。
「れっつらごー、ですよ!」
「は、はい!」
まだいろいろと整理がついていないから待ってほしい、という願いなど届かず、その返事にエステルは天高く腕を突き上げる。
ちょっと本当に待ってほしいのだけれど……妹? 可愛い妹? 待って、まだ心の準備ががが。
しかし、僕の様子など一ミリも気にせず、浮かれた様子のエステルに引っ張れたまま、妹が入院しているという病院へと向かうためにテレポータルへ入った。
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