第四章『病気』‐少女達を蝕むモノ‐
第22話★偶然、女子トイレ事件のヒロイン
お昼休み後の授業を終え、ようやくの放課後。
鐘の音が響き渡り、それを聞いた瞬間、どっと疲れが押し寄せた。そのまま机に突っ伏してしまう。とても長い一日を過ごしたような気がする。
振り返ってみると、午前中は実技授業ということで、初めて魔法を使い、いきなり結界?のような魔法を複数人で構築した。
まさか、あっという間に出来るとは思わなかったし、どうやら七黄木先生も同じようで驚きを隠せない様子だった。その様子のまま授業終了と言われ、エイタとソウイチととりあえず休憩所へ向かった。
そこで時間を潰すのもいいとは思ったが、せっかくだし魔法を使いたいという申し出に、エイタとソウイチが応えてくれた。
魔法の練習をするため、自主練習室なる教室に行くと、そこには同じメンバーだったエルナも居て、彼女とソウイチによる模擬戦闘を見せて貰った。
模擬戦闘はほとんど一瞬で終わってしまったが、思い返しても強烈な印象を残し、今もその熱を感じることが出来る。
あれは今まで味わったことのない感覚だった。あれを自分も出来ると思うと興奮を抑えきれない。
その後、エイタによる、魔法を使うための基礎訓練を受け、なんとか基本的な魔法を唱えることが出来るようになった。
今思っても、結界だか何だか知らないけど、よく構築できたなぁと思う。まぁきっとエイタとエルナとソウイチのおかげだろう。
そして、実技授業が終わったワカナと、変な言葉遣いのイツアと合流し、昼食を取るため立派な食堂へと向かった。そこで、冬深生徒会長からのお誘いがあり、生徒会の勧誘と、魔障病に罹った生徒の隔離についての話があった。
午前中だけで、相当なイベントがあった。そして、午後は魔法植物学という授業があり、正直なところこれが一番しんどかった。
内容としては、どの地方にどういった植物が生息しているか、それを使った魔法薬の生成など、まるで長い呪文を唱えているかのような先生の声を聞き、何度も寝そうになった。
しかし、周りの生徒達は誰一人として船を漕いでおらず、むしろ食い入るように聞いていたため、なぜか焦りを覚えて必死に授業を聞いていた。
そんなことがあり、もう体力が限界に来ている。というか限界だ。このまま目を瞑ってしまえば寝てしまえそう。
さすがに、今この場で寝てしまったら、いつ起きるのかわからなくなるので、机から頭を上げた。
ボーっとしながら、机に置いてある教科書類を鞄の中にしまっていく。鞄は革製のリュックサックの様なデザインで、ワカナの様な女子生徒が背負うと、それはもうとても可愛らしく映るのが一番の特徴といえるだろう。
その姿を想像しながら席を立ちあがる。さて、あそこの席には何とも言えぬ可愛さのワカナが……いなかった。
おかしいな。もしかして、先に帰ってしまったのか? というか、エイタもすでに居ない。ってか、誰もいない。皆、早帰りなのか。
何か用事があったのか、もしかして嫌われてしまったのか……。まぁ居ないのは仕方がないし、とりあえず帰ろう。もしかしたら、噴水前で待っていればいずれ来るかもしれない。
そう思いながら教室を出た。廊下は夕暮れ色で染まっており、少し眩しく思わず目を細め、どこか懐かしさを感じた。
昔、僕にもこういった時間が確かに存在していたはずだ。学校に行き、学校から帰りそしてまた学校へ。
その時は、いったいどんなことを思って生きていたのだろうか。その思い出も今はどこにも存在しない。あるのは、ただ懐かしいと感じることだけだった。
そんな事を思いながら廊下を歩き、階段を降りていく。
朝は、エイタと一緒に登校し、簡単に案内されていたので、なんとなく道を覚えている。
一階に差し掛かったところで、そういえば最初に目を覚ました時、この階段を慌てて降りて、慌てて女子トイレに入ってしまったことを思い出す。
あの時は焦っていたし、仕方がないだろう。そうそう、ちょうどあぁいう学生にぶつかって――っていうか、僕を見て固まっていないか? 固まってるし、本人だ。
思わず歩みを止めた。
これは運命の出会い? とびきり最悪の出会いってやつですね。
体が動かないまま、目線だけあっちへこっちへ移していると、女子生徒の顔が見る見るうちに赤くなり――これは、昨日みたいに大声で叫ばれるやつだ。
こんなところで叫ばれては刑務所暮らし待ったなし。助け船エイタも居ないし、これは詰んだかもしれない。
しかし、捕まる訳には行かない。覚悟を決め、息を思いっきり吸い込み――
「い、いや、先日はご、ごめんなさい! もうなんていうか! ほんと、ごめんなさい! 自分も慌てて、君も慌てて? お互い慌てて? いやほんと大変だね! という訳で、ご、ごめんなさい!」
謝罪から入った。それも、これでもかというくらい大仰に、とにかく謝罪に徹した。
昨日の叫び声からするに、相当のプレッシャーを彼女に与えてしまったはずだ。
自分を女子に置き換えてみれば、そんな事は一目瞭然。昨日は思わずスケベ―な心が躍りだしたが、今回はそうはいかない。
周りの生徒が立ち止り、何かを言っているのが聞こえたが、お構いなしに謝罪しまくる。
「……あ、あの――」
「ごめんなさい! ごめんなさい!! んー! ごめんなさい!」
「…………」
気が付くと、彼女は無言で僕の制服の裾を引っ張っていた。
思わず謝罪を止め、何事かと上を向く。すると、恥ずかしそうにそっぽを向いて、「……着いてきてください」ただ、一言そういった。
その言葉に、ふと我に返る。複数の生徒たちが僕ら見つめ、ひそひそと話している。これはやっちまったというやつで、断る理由もなく、彼女の後を追いかける。
彼女は、少し足早にその場を立ち去ろうとしており、慌てて後に続く。そういえば目の前の女子生徒は、エイタがくれた生徒の顔つき名簿にはいなかった。
ということは、別のクラスの人か。いや、制服の色が僕らと違うし、階段を四階降りたところに彼女がいたので、一年生なのだろ。ということは、後輩だ。
これは、後輩に辛い思いをさせてしまったと深く反省するしかない。次は土下座かと思いながら、キリキリと追いかけた。
彼女は、教室棟を出て外へと向かっている。あれ、このルートはもしかして……休憩所へと続く道だった。どうやら彼女もそこに向かっているみたいだ。
もしかして、一部の生徒にとってあの休憩所は憩いのスポットかもしれない。
そこに着くと、彼女は、無言で自販機へ向かいジュースを購入する。それを片手で持ち、近くにあったベンチへと座った。彼女は缶を開け一口飲み、軽く深呼吸をする。
何か言うつもりだ、ごくりと唾を飲み彼女が口を開くのを待つ。
「……えっと、昨日の事はどうやら反省してるみたいなんで、まぁワタシとしては許せないですけど? 一応許します。なにやら事情、あるみたいですしね」
どこか棘のある言い方だが、どうやら許しを出してくれた。それに安堵しつつ、胸を撫で下ろす。
「ふぅ……。いや、ほんとごめんね? えっとそれより、お名前を――」
「お名前? え、先輩? 冗談よしてくださいよー。その年にして老化ですかー?」
と、どこか小馬鹿にしたように彼女は言う。
しまった! どうやら、前のコウタと接点があるようだ。しかし、今のコウタである僕には全く心辺りが無い。
どうやってこの場を切り抜けようか、焦りを見せないよう至って平静を装って考えていると、彼女は突然プッと吹き出した。
「あはははは! いや! ご、ごめんなさい! ……ふぅ、マウの言ってた通り、慎重な方なんですね!」
と、彼女はなぜか納得した様子で、先程とは打って変わり笑顔を浮かべて、手を差し伸べてきた。
これは握手してもいいのだろうか。まさか、女子生徒の方から握手を求められるとは思ってもみなかった。若干の震えを抑えながら、彼女の手を握る。暖かい!
がっちりと掴んだことに彼女は眉根を潜めたが、すぐに笑顔を浮かべた。
「こうして喋るのは初めてですね。いっつも先輩の事、マウから聞いてました。ワタシ、エステル・
「――あぁ、よろしくね。エステルさん」
「先輩、さんづけはやめてくださいよー」
「ごめんごめん! エ、エステル?」
すると、彼女はキャーと言いながら、両手を頬にあてた。この動作は経験則からするに、突然下の名前を呼ばれて照れるとかそういうやつだ。
「マウが男の子になったみたいぃー!」
「…………」
どうやら違ったらしい。
マウというのがどの子かわからないが、コウタと関係のある人なのだろう。
「……そいえば先輩! 今日は、ワカナ先輩と一緒じゃないんですか?」
さっきの話はどこへやら、突然どこか熱っぽい声で聞いてきた。
「んー、授業終わるまでは一緒だったよ。でも、授業終わったと同時に、エイタとどこかに行っちゃったみたいなんだ」
「エイタ? あぁ、あの変な人ですか。それよりも残念……」
あからさまに落胆した様子だ。それよりも、エイタの事を変な人って言ったことの方が気になるが。
「うん、なんかごめんね? ……えっとワカナとは知り合いなの?」
「――え? いやいやいや! し、しし、知り合いだなんて、そんな!」
すると、凄い勢いでそれを否定し、どこか遠くを見つめ始めた。
「ワカナ先輩……。ワカナ先輩とは、一度だけ話す機会があったんですよね。その時ワタシ、上手く魔法が使えてなくて、ちょっと悩んでいたんです。そしたら偶然、ワカナ先輩が目の前を通りかかって『君、複雑な魔法は無理そうだけど、単純な魔法は人一倍だよっ!』って、褒めてくださったんです!」
空き缶を両手で握り、その時の情景を思い浮かべるかのようで、声が躍っている。
どう聞いても、褒めたというか遠まわしに、「君単純そうだから複雑なのは無理だよ!」っていう風にしか聞えない。それを素で言うワカナも凄いが、それをプラスに捉えたエステルも凄い。
現に、こちらの様子など気にせず、夢の世界へと旅立っている。
「それで、ワカナに何か用があったの?」
それを聞いたエステルは、夢見な表情から一変、若干頬を赤らめた。
「い、いや、それ、それほどまで重要じゃないっていうか……。なんていうか……。と、とにかく!」
そういい効果音がなりそうなくらい人差し指を立てる。
「ここで会ったのも何かの縁、ということで買い物に付き合ってください!」
「……え?」
「先輩、買い物、かいものに付き合ってくださいよー」
あからさまに、小馬鹿にした口調と態度でエステルは笑っている。しかし、まったくウザったいとかそういった感情が生まれてこなかった。逆に、それすらも愛おしく、なぜかとても心地が良いように思えてしまっている。
「ごめんごめん。っていうか、僕でいいの?」
「だって、ワカナ先輩いないですし。妥協案? っていうやつです」
「エステル、君ってズバズバ言うね……」
思わず苦笑いを浮かべたが、エステルは全く理解していないように小首を傾げている。
「まぁいいや。それより、買い物って何を買うのかな?」
「えっと、ですね――」
と言いかけたところでエステルはニヤリと口角を上げる。嫌な予感がする。
「先輩、聞いちゃうんですか?」
エステルは熱っぽく言う。冗談にしても名演技だ。思わずドキッとしてしまう。
しかし、百戦錬磨の僕。エステル以上に、ワカナやソラと言った美少女と、何度もお近づきになっている。そんなこんなで騙されるわけがない。
「そ、それは、き、気になるジャン!」
最後はなぜか声が裏返り、何もかもが台無しだった。
「……いやー、その反応はないっすわー」
当のエステルもドン引きするしかないという結果になってしまい、好感度が若干下がったような気がした。
「ご、ゴホン! で、商品というのは……」
「お花、ですよ」
そう呟いた彼女の表情には先程までとは違い、暗雲が立ち込めている。どこか底冷えしたモノが浮かんでいた。
先程までの笑顔とは落差が激しすぎたため、思わず顔を強張らせる。
「お、お花ね……お花、お花……」
場を取り付くように言葉を繰り返した。
どうしてそんな表情になったのか、さすがに聞くわけにはいかず、そう呟いた後、元気を無くしたエステルを静かに見つめる。
「――ッ! す、すいません。つい!」
と、場の空気感に気づいたのか、声を張り上げた。
その反応から、どうやら無意識という感じで、冷めた表情になったのだろう。今は対照的に顔が紅い。
「あぁ、いや? 全然いいよ。気にしないで」
「……ふふ、先輩といると、なんか調子狂うなー」
「え? それってどういう意味?」
「なんでもないですよー。それじゃ、いきましょうか」
エステルは立ち上がり、缶をゴミ箱に投げた。缶は綺麗な空を描き、見事ゴミ箱に吸い込まれる。
立ち上がったエステルは軽くガッツポーズを決め、機嫌がいいのか鼻歌を歌いながら先を歩いて行った。
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