第9話

「ツイてねぇな。畜生ガビダン!」


 偵察に先行したティティリが、帰って来なかった。

 同行した〈狗使い〉のエスノをリューリックが殴るのも無理はない。

 怪鳥にティティリが攫われたというエスノの報告も、胡散臭かった。


 ティティリは斥候スカウトだ。

 梯団に先行し、罠を探り、道筋を確かめる。

 斥候無しの探索は、闇夜に照燈を持たずに歩き回るようなものだ。


「どうするよ、オル?」


〈右盾〉のバゾラから与力として預かっているリューリックは窺うような目付きで尋ねる。

 こいつもティティリと同じで、バゾラの寄越した目付けなのだ。

 バゾラの意に叛くようなことをすれば、後で報告されることになる。


 魔術師としての格は〈震え〉のヨーマンよりずいぶんと落ちるリューリックがバゾラに重宝されているのは、味方を売るのが特異だからに他ならない。

 邪魔なベシャミが死んでくれたかと思えばバゾラの腰巾着を押し付けられるというのは、全くついていない。


「ここまで来て引き下がるというのも、上手くねぇわな」

「オルもそう思うか?」

「……そうさなぁ」


 瀬踏みの発言に、リューリックが食い付いた。

 この魔術師は〈聖域〉に帰りたくはないらしい。

 出発したときのバゾラの剣幕を見れば、今戻るのが懸命でないことはオルにも分かる。


 確かに、戻るには微妙な場所だった。

 今の位置は第三階層に到る“階段”まであと少しというところだ。

 ここから第四階層を斥候無しで戻るのは骨が折れる。

 第二階層まで辿り着きさえすれば、何とかなる可能性は高い。


「なぁオル。第三階層で斥候を“補充”するっていう手もあるんだぜ」


 リューリックの発言に、梯団の他の面子がギョッとした。

 オル自身も努めて表情を押し殺しているが、あまりいい気はしない。

“補充”というのは要するに梯団の皆殺しだ。

 第三階層まで来て疲弊した冒険者を待ち伏せして、斥候以外を速やかに殺す。

 生き残った斥候を、地上まで帰れば解放すると脅して使役するのだ。


 オルはこの方法で生きて地上まで出た生き残りを見たことがなかった。

 悪行を広められれば、冒険者の仁義が廃るからだ。

 良くない噂が立てば、色々と便宜を図ってもらい難くなる。


 バゾラの好む方法でもなかった。

 あの〈右盾〉のバゾラが仁義を気にしているわけではない。

 単純に、後の影響が面倒だからだ。

〈愚帝の霊廟〉の奥深くに数十人の人間を住まわせるには、オルでは想像もつかない面倒があるに違いない。


 それでもリューリックがこういう提案をしてきた、ということは興味深かった。

 オルを試しているのか、単にリューリックの趣味か。

 恐らく、趣味の方だろう。


 リューリックの魔術の腕がぱっとしないのは、師匠の娘に手を出して放逐されたからだとティティリが陰口を叩いていたのを聞いたことがある。

 斥候の“補充”ついでに “お楽しみ”を期待しているということは十分にありえた。


「“補充”は、無しだ」


 梯団にほっとした空気が流れる。

 誰も彼も血の気の多い傭兵や冒険者だが、金にもならない人殺しをやりたい奴は少ない。

 上からの命令無しに人を殺してしまえば、単なる殺人鬼と同じだ。


「じゃあ帰るって言うのかい? そいつは上手くねぇだろうよ、オル」

「早合点するなよ、リューリック。上は目指すよ」

「斥候はどうするんだ?」

「そこに代わりがいるだろう」


 親指で肩越しに指したのは、エスノの犬だ。

 梯団の連中は〈狗使い〉の方だと思うだろう。

 だが、オルはエスノを徹底的に信用していなかった。


「……役に立つのか、オル?」

「立ってる者は寄生木でも使えってな。“補充”しねぇなら使えるものを使うしかねぇだろうよ」


 振り返りながら、エスノの表情を見るともなしに見る。

 神妙な顔つきをしているが、笑いを噛み殺しているのがオルには分かった。

 黒だ。

 ティティリを殺したのは、十中八九エスノだろう。

 まだ十五にもなってないだろうに、物騒なガキだ。


「そうと決まれば先を急ごうや」


 リューリックが音頭を取り、梯団は歩きはじめる。

 オルの梯団に貸し出されているだけのリューリックが指揮を執るのは筋が通らないのだが、本人に気にする様子はない。

 バゾラの代理人を気取っているのだろう。


 小指で耳を穿りながら、オルはリューリックに続く。

 ここで揉めても詰まらない。

 それよりも、エスノから目を離さないことの方が重要だった。

 こういう奴は何をしでかすか分からない。


 この場で申し開きも聞かずに打ち殺しても良いのだが、それも上手くなかった。

 バゾラの一存で連れてきた〈狗使い〉を過失の証拠もないのに殺してしまえばリューリックは咎めるだろう。

 そういう面倒を抱え込むのは御免だった。


 梯団はゆっくりと進む。

〈狗使い〉が先頭では、手馴れた斥候と同じ具合には進まない。

 それでもエスノが意外に使えるとリューリックは満足しているようだった。

 バゾラの采配は見事だと周りの連中に吹き込むのも忘れない。


「それにしても、よりによって〈赤目〉が逃げるとはなぁ」


 独白じみたリューリックの呟きを、オルは聞き逃さなかった。

 ここで聞き返すようでは、冒険者として長生きはできない。


「全くだ。逃げたのがアリルでなけりゃ〈右盾〉の旦那もあんなに必死になりゃしないだろう」


 後ろから付いてくる梯団の仲間に聞こえないように低い声で答える。

 リューリックが片頬だけを上げて笑った。

 秘密を共有していると、勝手に勘違いしたのだろう。


「オレはあの〈赤目〉をさっさと殺しちまえば良かった、と思ってるんだ」


 物騒なことを言い出したリューリックの表情は読めない。


「そうかな。バゾラの旦那には旦那の深い考えがあると思うが」

「深い考えね。深いといえば深いのかも知れんがな」


 リューリックは何を知っているのだろう。

 オルが〈聖域〉に配属されたとき、既にアリルはそこにいた。

 バゾラも、リューリックも、ついでに言えばティティリもいたはずだ。


 もう少し何か聞き出せるか、と思ったところで邪魔が入った。

 犬が低く伏せ、唸っている。

 エスノは何が起こったか分かっていないようだが、オルは即座に剣を抜く。


 魔物だ。

 じんわりと染み出すように実体化する魔物にオルは斬りかかった。

 人間よりも動物の方が魔物の出現に早く気が付くことがあるというのは師匠から聞かされていたことだ。


 斬り伏せた手応えに慢心せず、二度三度ととどめを刺す。

 どうにも魔物の出現が多い時期らしい。

 となれば、何か特別な加護でもなければアリルもとっくにくたばっているだろう。



   ■



 そこが巣であることにアリルは最初、気が付かなかった。

 大きい。いや、大き過ぎる。

 枝や寄生木やどりぎの幹で作られた鳥の巣は〈聖域〉ほどの広さがあった。



「ガビダン……」


 畜生ガビタンと呟いたのか、怪鳥ガビタンと呟いたのかはアリルにも分からない。

 ここは、怪鳥の巣だ。

 二〇ヴァールはありそうな雛の化け物がぴぃぴぃと闊歩している。


 時折、辺りを黒い影が覆う。

 見上げれば、信じられない大きさの怪鳥が巣の上を旋回していた。

 この巣を、守っているのだろう。


 アリルは地面から突き出た幹の影に身を隠した。

 思うように身体が動かない。這って移動するのは思ったよりも難儀だ。

 幹に背を預け、痛む脇腹を押さえる。

 ぬるりとした触感は、血だ。

 致命傷。そのことは、見ずとも分かる。


 目を閉じ。荒い息を落ち着けようと努力する。

 だが、どれだけ強く押さえても指の間から血が滴り落ちていった。

 駄目だ。


 致命傷の理由は分かっている。

 服の下に大きな傷は怪鳥に掴み上げられた時、爪が刺さったのだろう。

 問題は傷を手当する方法がないということだ。


 冒険者たちは派手な傷口は酒で洗い、糸で縫う。

 師匠によれば、火で炙ってしまうこともあるらしい。

 今のアリルの手元には酒も糸も火も、犬もいない。


 ラヴリド。

 ラヴリドはちゃんと生きているだろうか。

 傷口を押さえ付けながら、アリルは相棒のことを思う。

 エナがしっかりと見ていてくれればいいが。


 傷の辺りが熱い。

 それ以外の場所は逆に、どんどん熱が奪われていくような感覚がある。

 ただただ、痛い。


 どうしてこうなってしまったんだろう。

 朦朧とする意識の中で、アリルは考える。

 もっと上手いやり方はなかっただろうか。


 考えてみれば、おかしくなったのはあの小部屋からだ。

 水晶球を触って、記憶が少し戻った。

 そのことが嬉しくなって、注意を払わなくなっていた気がする。


 塩を撒くのを忘れたり、事前の警戒を怠ったり。

 琥珀漿精じゅえきスライムに気付かなかったのも、アリルの失態だった。

 もっと早く敵を見つけていれば、打てる手はあったはずだ。

 生き残ることに、散漫だったのだ。


 薄れる意識で、巣の中を見回す。

 枝や幹だけで作られたと思っていた巣には、他にも色々な材料が使われていた。

 剣や鎧、それに、骨。

 冒険者の遺体はここで雛に啄ばまれ、骨は巣の構造材になったのだろう。

 このままでは、アリルも。


 悔いてもしょうがない、という諦めはアリルの中にない。

 悔しかった。

 生き延びたかった。

 いや、生き延びたい。

 目を見開き、奥歯を噛み締める。


 巣の上に広がる空には巨樹から張り出した枝葉が見えた。

 樹幹からどれだけ離れているかは、ここからでは確認できない。

 何とかここから這ってラヴリドとエナの所まで辿り着けないだろうか。


 そう、エナだ。

 エナには本当に悪いことをした。

 第四層から一人で地上へ辿り着くのはほとんど至難だろう。

〈順路〉から外れこんなところにいては、冒険者の梯団と出会うのも難しそうだ。


 痛みを意志の力で捻じ伏せ、立ち上がろうとする。

 胃の腑の辺りが、燃えるように熱かった。

 薬など飲んだ記憶はないが、まるで霊薬か何かを飲んだかのようだ。


 生きたい。

 なんとしても、生きたい。

 その思いに呼応するように、胎の奥の熱が少しずつ全身に広がっていく。


 二度三度とよろめきながら、立ち上がる。

 身体が重い。全身を鉛の血が駆け巡っているような重さが圧し掛かった。

 それでも、立ち上がることはできる。


 手近なところで鈍い輝きを放っていた剣を、杖代わりにした。

 雛の視界に入らない様に注意しながら、一歩一歩進む。

 死に掛けていたはずの身体がどうして動くのか、アリルには分からない。

 だが今は、せっかく動くようになった身体でできることをするべきだ。


 歩き難い巣の中を、一歩一歩確かめるように進む。

 目指すのは、巨樹の幹の方だ。

 幹に辿り着いても、どうにかなるというわけではない。

 それでも、ここで座して死を待つつもりはアリルにはなかった。


 巣の材料には、塩槐も葉ごと使われている。

 これで魔物が現れるのを防いでいるのだろうか。

 もし現れても、あれほど巨大な雛なら却って餌にしてしまいそうだ。


 ぴぃぴぃという声が騒がしくなる。

 親鳥が何かを運んできたようだ。

 五、六羽の雛が、くちばしを必死に突き出している。


 次の瞬間、アリルは思わず耳を押さえた。

 断末魔だ。怪鳥が運んできたのは、冒険者だった。

 哀れを誘う命乞いの声が、耳の奥に残る。

 声には聞き覚えがあるような気がしたが、誰の声かは分からない。


 雛が咀嚼するのを見ないようにしながら、アリルは剣を拾い直した。

 恐らくアリルは、親鳥が誤って落としてしまった餌なのだろう。

 巨大で強暴でも、雛は雛。

 親鳥から与えられた餌しか口にすることができないのかもしれない。


 巣の中を歩き回るアリルは、雛から無視されている。

 落ちた餌を食べる力がまだ雛にはないのなら、巣から脱出できる見込みはあった。

 気を取り直し、必死に進む。


 傷はまだ痛むが、胎からの気力は次第に全身に行き渡りつつあった。

 足取りも、一歩一歩軽くなっているような気がする。

 理由は考えない。

 与えられた幸運の意味に悩む前に、それを活かして生き延びる。


 巣を脱出する。

 幹に辿り着く。

 幹を登る。

 樹幹でラヴリドとエナを探す。


 言葉にしてしまえば、たったこれだけのことだ。

 歩いて、歩いて、歩く。

 雛は時折こちらに視線を向けるが、あまり気にした風はない。

 巣の中を蠢く虫程度にしか思っていないのだろう。


 アリルにとって、これは好機だった。

 剣を杖に先を急ぐ。敵がいないのなら、どれだけ急いでも問題はない。

 後ろでぴぃぴぃと雛が啼いている。


 巣の縁が近くなってきた。

 気持ちは逸るが、足元は覚束ない。

 枝を乱雑に編み上げて作った巣は、場所によって歩き易さに差があった。


 迂回路を探した方が良いだろうか。

 そう思ったアリルの視界の隅に、巨大な芋虫の魔物が蠢いているのが見えた。

 名前は知らない魔物だ。

 第四階層の動物や魔物について、アリルは伝聞以上の知識を持っていない。


 恐らく、アリルと似たような身の上なのだろう。

 怪鳥に餌として連れてこられたが、雛が食べ損なった。

 芋虫はアリルに気付くと、ゆっくりとこちらへ進みはじめた。

 同じ境遇に置かれたもの同士だが、仲良くできそうにはない。


 アリルの選択は、逃げることだった。

 手負いの上に、足場は悪い。武器は拾った片手剣だけだ。

 相手になる道理がなかった。


 幹の方へ逃げるが、やはり足場が悪い。

 激しく動くと、腹の傷口からの出欠が酷くなるような感覚もある。

 少し逃げるを変えて距離を稼ごうとするが、上手くいかない。


 名も知らぬ巨大芋虫は、一〇〇はありそうな足を巧みに動かして這ってくる。

 こういう足場では、足の数が多いほうが有利なのだ。

 じりじりと縮まる距離に、焦りばかりが募る。


 敷き詰められた枝の折れる音が近付いて来た。

 アリルは振り返るのを止め、前だけを見て歩く。

 巣の縁はもうすぐだ。

 そこに辿り着いたからどうなるというわけではない。

 そんなことは分かっているが、今のアリルは前に進むことしか考えていなかった。


 真っ直ぐだった地面が斜面になり、緩やかに勾配を描き始める。

 腹が痛い。血は流れ出し続けていた。

 杖代わりの剣を突き立て、坂を上る。


 芋虫の足音は、すぐ後ろに迫っていた。

 アリルは気にせず、巣の縁に手を伸ばす。


 トスッ

 トスットスッ


 何かが突き立てられるような音がして、芋虫の蠢く足音が止まった。

 それでもアリルは、構わずに巣の縁を登る。

 恐怖よりも、生きたいという気持ちの方が勝っていた。


 後、一歩。

 もうあと少しでこの巣から脱出することができる。

 じ登るようにして縁近くまでは辿り着いたが、アリルはそこで止まってしまった。


 前に進む意志はある。

 気力もある。

 足りないのは、血だ。


 ここで終わるのか。

 悔しさが涙となって、頬を伝う。

 その時、アリルの目の前に手が差し伸べられた。


 毛深い。

 思わずその手に縋ったアリルが驚くほど、その手は毛深かった。

 そして、柔らかい。まるでラヴリドの肉球のようだ。

 柔らかな掌の感触を訝しんでいると、強い力で一気に引き揚げられる。


「あ、ありがとう!」


 助けられた礼をアリルが述べると、恩人はハッハッと舌を出して笑った。


「構わぬよ。気紛れで助けたのだ」


 人ではない。

 恩人の頭は、犬の形をしていた。

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