第22話 ことのしんそう


 夕日に照らされた盆倉川が、てらてらと波打つように朱の光を反射してきらめいていた。

 プリズムのような乱反射はしかし大人しく、見る者をどこか穏やかにしてくれる。


 子供たちの騒ぐ声が遠くから聞こえるが、きっと大橋の向こう側か何かで遊んでいるのだろう、目視は出来ない。


 河川敷に設置された何の変哲もない木製のベンチに二人並んで座っていた。

 プシュ、という気の抜けた音は、先ほどその辺の自動販売機で買ってきたソーダ飲料。

 今はコーラは見たくもない。


「……で、どこから話したもんか」

「解散した、理由」

「解散じゃねえよ。俺が抜けたってだけの話だ」


 ぐ、とペットボトルを傾けると、喉を焼けるように通り過ぎていく。

 隣に座る優子が黙って待ってくれる間に、脳内で言葉をくみ上げて話せる形に捏ね上げて。


「まず、そう。俺たちは別に、仲が悪かったわけじゃねえ。むしろ、かなり良かったんじゃねえかな」

「それはライヴでも伝わってきたわ。とっても、とっても楽しそうだった」

「ちょいと恥ずかしい話ではあるが、そう思って貰えるのは嬉しいかな」


 へへ、と柄にもなく鼻の下をこすった龍次は、次の言葉を模索するように空を見上げた。

 だんだんと朱の色を示してきた空はまるで、ライヴの終幕の時を思い出すようでいまいち好きじゃない。


「……結局、優勝しちまったのが悪かったっちゃ、悪かったのかもしれねえな」

「え? どういうこと?」

「そんなに難しい話じゃないさ。いまや高校生バンドなんてのは若者のあこがれの頂点だ。そんなところに、高校一年生だけのバンドで殴りこんで優勝しましたなんて言ったら、そりゃ一般の枠を超えて凄まじい知名度にもなる。プロダクションに所属だの、スポンサーがつくだの、そういう面倒くさいことがいっぱい起き始めた」


 隣でソーダを嚥下する龍次の瞳は、どこか遠くを見つめているようだった。

 優子は両手を添えた自分のボトルに目を落として、ふと思ったことを口にする。


「……面倒くさいというか、そういうのって龍次も目指してたところなんじゃないの?」

「いいや?」

「へ?」


 思わず、顔を上げた。龍次はきょとんとした目で優子の方を見つめていて、その瞳にウソはなさそうで。もしかしたら勘違いをしていたのかもしれないと、優子は自分の唇に手を当てる。


「あれ? 龍次って優勝して回りからちやほやされた挙句、バンドで飯食ってけるぜ! ってところ一点に目が行ってるから優勝したかったんじゃ」

「お前の中の俺像!! 鏡越しのイエスタデイかよ!?」

「鏡越しのイエスタデイ」

「いやほら、アレだよ。鏡に映った自分を見て驚いたけどそれは昨日までの自分で」

「意味分からないのはいつものことね」

「なんなの!?」


 違う、違う違う違う! とぱたぱた手を振りつつ龍次は優子の言葉を否定する。


「俺はハナから日本で一番を目指すことだけを考えてた。その先のことなんかまったく考えてなかったし、強いて言うなら優勝した喜びが落ち着いたあとは連覇目指してやるぜ! くらいのことしか考えてなかったと思う」

「……でも、みんなは違った?」

「ん? ああ。違った。でも別にそこで齟齬が生まれて解散ってわけじゃねえよ? 俺は上しか見てないだけで、協調性はあったしな。だからシェイドの他メンバーが次にどうしたいって言えば素直に賛同してたし、それこそ知名度を利用して巡業ツアーやろうぜって言いだした時には俺も心が躍ったさ」

「……」


 龍次のその言葉にも嘘はないのだろう。優子が想像したように、龍次とメンバーの方向性の違いが切っ掛けになったわけでもなさそうだ。だとしたら、優勝がダメだったというのは何のことなのだろうか。

 それを予想できるほど龍次と同じ目線に立ったことはないから、想像は出来ないけれど。

 それでもきっと彼は今話してくれるつもりだろうからと、優子は言葉の続きを待った。


「……ま、さっきも言ったが。結局んところ問題は俺たちの外部にあったのさ」

「外部っていうと、さっき出てきた中ではスポンサーとかってこと?」

「察しが良くて助かるぜ。ファンの皮をかぶったストーカーなんかも、その一端だ。優子はシェイド見てたんだったら分かるだろうけどよ、沙奈って可愛いだろ」


 無言の蹴り。


「なに!?」

「いやなんかこう、のろけられたような苛立ちが」

「惚気じゃねえよ。俺なんかと釣り合う訳ねーだろ。そういう意味じゃなく、あいつは顔も良いし声なんかずば抜けて綺麗だから人気は出た。それが良い人気だけならよかったんだが……やっぱりストーカー紛いのことも起きたし、やっかみからの嫌がらせもあった。……ファンだけじゃなく、後援するっつってるような連中やプロダクションからもな」

「……」

「学生だからってナメられてたんだろうよ。経験になるからとかなんとか、ふざけた契約形態で契約させられそうになったりもしたが……その中でも一番酷かったのはアレだ。沙奈をグラビアで売り出すからバンド解散してどうのってな。そりゃ沙奈もキレそうになってたが、あいつは色んな意味で俺たちの中心だったからな……一人で必死に耐えてたよ。世の中の悪意から」


 ひどい。と言いかけた言葉を優子は飲み込んだ。

 そんなこと、今聞いている自分よりもずっと目の前の青年の方が感じ取っていたことだろうから。当事者に対する安い同情の声などよりも、今は真相を。


「……それで?」

「それで。それで、か。そうだな。俺がバンドを抜けて、プロダクション周りの黒いところとか沙奈が苦労してたファン擬きの連中を軒並み暴露した」

「……へ?」


 一気に、話が飛んだ。

 どういうことなのか一瞬理解が追いつかなかった優子だったが。

 だんだんと鮮明になっていく脳内と龍次がやらかしたことの全てを飲み込んで。


 えと、じゃあ、と自分でもまとまりきっていない言葉を、絞り出す。


「あんた……シェイドの受けた嫌がらせとかを全部被って、バンド抜けたの? 他のみんなに被害が行かないように……?」

「被害っつったって大したことねえよ。家に脅迫状が送られてきたり、SNSで粘着されたりがせいぜいだ。放火喰らったとか、刺されたとか、そんなことはされてねえ。……いやむしろ、そうさせねえように沙奈たちが"影薄"ネタをぶっこんでくれたのかもしれないと思ってる。それを悪口にしておけば、アホな粘着共もそれに同調して俺に構ってこなくなるってな」

「あんた」

「シェイドの連中に後から聞いたら、面倒事や調子に乗った案件を持ってくる会社も根こそぎ消えたし嫌なファンもいなくなったって言うからめでたしめでたしだ。ま、その辺は内緒だけどな。火種が再燃すっから」


 肩を竦めて愉快げに龍次は笑う。

 その乾いたような笑みが、なんだか随分と優子の胸に刺さるようだった。


「……龍次は、せっかく」

「だぁら言ったろ? 俺はあの時、上を見てられればそれでよかったんだ。冷静に考えればシェイドはもう頂点取っちまってるしな。あの中で誰が抜けるかっていえば、俺が一番都合よかっただけのこと。みんなも納得してんよ」


 な? と同意を求めるような龍次の声。

 しかし突然の情報ばかりでいっぱいいっぱいの優子は、ゆっくりと首を振る。

 俯き気味のその表情は龍次からは見えづらく、何か変なことを言ったかと龍次は眉根を寄せた。


「……してない」

「へ?」

「納得してない。してないじゃない。だから沙奈さんはあんたにああやって電話かけてまた一緒にやろうって言ってるんでしょ!?」

「お、おいおい何もそんなキレることねえだろ」

「あるわ!! あるに決まってる! そんな自己犠牲であんたが抜けたって」

「……じゃあ、どうすればあいつらを救えたと思う?」

「それはっ」


 龍次の見せた表情は、なんだか寂しそうな笑顔だった。


「……まあ優子ならまた別の案が浮かぶかもしれねえけどよ。あの時の俺にはそれが一番の手段だった。これならあいつらを守れる。あいつらがもう嫌な思いをしなくて済む。せっかく優勝して最高の気分だったのに、周りからのなにがしかで雰囲気ぶち壊されるのは我慢ならねえ。なら別に、シェイドを抜けようが俺たちは友達――楽しみは共有出来るんだから、俺が抜けたっていいだろって」

「……龍次」

「……ってあん時は思ってたんだけどな。でも、やっぱ」


 ――ちょっと、寂しいな。


 そう締めくくって、龍次は口を閉ざした。

 なんと声をかけて良いのか、優子には分からなかった。

 すべては終わったこと。シェイドと龍次の間には、龍次の中では決着がついている。


「……だからまあ、シェイドに勝ちたいってのはぶっちゃけ俺が上を向いていられる理由なんだよ。あいつらに、俺は楽しんでるってことを伝えたい。そのためにゃ、U18で俺があいつらに勝つのが一番だって」

「……でも、龍次。もし優勝したら、今度はあんたは私たちのところも抜けるの?」

「……さあ、どうだろうな」

「先に言っておく」


 優子はベンチから立ち上がる。

 あっけに取られている龍次の前に立って、両腰に手を当てて胸を張る。

 そして、指を突きつけてまるで宣戦布告でもするかのように声を上げた。


「うちのバンドから勝手に抜けることは、今後一切許しません!!」


「……おいおい優子」

「私は沙奈さんとは違う。龍次が居なくなってまでバンドを続けようなんて思わない。優勝なんて別に欲しくない。あんたがやりたいっていうから優勝目指すだけ。なのに、そのあんたが抜けるなんて意味がない。だから、分かった? もし抜けたいなら全員の許可を取ってから!!」

「むちゃくちゃだ、おい」


 ははは、と苦笑じみた笑いを交えて、龍次は眉尻を下げる。


「でもま、そうだな」

「なによ」

「……抜けちゃダメ、って言われるのが、こんなにうれしいことだとは」

「シェイドの時は?」

「感じ入る余裕がなかったんだろうな。引き留められるのは当たり前、だけど俺はあいつらのために振り切らなくちゃならない。そんな使命感だけが心にあった」

「……そっか」


 すとん、と優子はもう一度ベンチに収まる。

 それきりしばらく会話が途切れ、遠くで遊ぶ子供たちの高い声と、烏の鳴き声だけが周囲に満ちて。


「……シェイドに勝ちたい、か」

「優子?」

「龍次が何を思ってここまで来たのか、ちょっと考えてた」

「難しいことをするなよ、パンクするぞ」

「失礼ね!!」


 ふん、と鼻息も荒く優子はそっぽを向く。

 ただのポーズだったが、逆に今は龍次の顔を見ない方が都合がよかった。

 なんだか少し、照れくさい提案をしようとしていたから。


「……ちょっと、さ。沙奈さんと話させてくれない?」

「なんだ、ファンですとでも言うのか」

「話題の一つにはするかもしれないけど、主題は別のことよ」

「主題?」

「龍次の話を、ね」

「俺の話? なんでまた」

「そうね――」


 うーん、と唇に手を当てて。

 龍次が今、シェイドに向けて思っていること。沙奈との間にある確執。そして、優子が今、沙奈に提案したいこと。いろんな言葉が脳内を駆け巡った挙句、しかし。


 優子はいたずらっ子のいつもの顔で、微笑んだ。


「――過去の女に少し」

「なんか物凄い誤解を招いてる!!」



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盆倉高校軽音部の絶望的なバンド事情/藍藤遊 カドカワBOOKS公式 @kadokawabooks

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