第21話 コーラとジョーラ




 翌日の部活に龍次が顔を出した時、既に全てのメンバーが揃っていた。


 珍しいことに、優子もアコーディオンを取り出して楽し気に演奏を開始している。


「よぉ、早ぇな」


『ボエエ。ボエボエ』


「法螺貝であいさつしないでくれる!?」


 真っ先に龍次に気付いたまどかは、法螺貝を咥えたまま軽く手を振った。

 ボエ? と首を傾げるあたりまるで言うことを聞く気はないようだが。


 ……まあいい、と軽く一息。


 ギターケースを手近なテーブルの上において、龍次は改めて部室を眺めた。


 防音のために穴だらけにされた壁を除けば、何の変哲もないちょっと手狭な教室。

 折り畳み式の長机の上では相変わらず上履きを脱いだまどか。

 部屋の奥ではこれまた機嫌よくアコーディオンを弾き鳴らす優子と、シンバルに頬ずりしている変態もとい葉寅が居る。


 ……本当に勝てるのだろうか、これで。


 不安が無いといえば100%ウソになるこの状況で。

 ようやく優子が龍次の入室に気が付いたのか顔をあげた。


『不器用なんじゃなくて、最低なだけじゃない?』


 昨日の放課後に彼女が言った、ストレートな言葉を想起する。


 龍次にとっても電話越しの相手を突き放したあの感覚は決して良いものではなかったが、あの時の優子の目を今になって思い出すと、そこそこ以上に感情というものが欠落していたように思う。


 これは怒らせたかな。

 優子には関係のない話だからと切り捨てることも出来たが、これは"龍次のバンド"の話だ。何れ自分たちも無関係ではなくなると思ったのかもしれない。


 さて、そんな彼女は何を言ってくるのかと身構えていた龍次だったが。


「あら、遅かったのね。そんなんじゃ一流の琵琶奏者になれないわ!!」


「なるつもりがねーっての」


 ぴらぴらと手を振って龍次は優子の妄言をあしらった。


 多少面食らったものの、優子自身は少なくともこのタイミングで昨日のことを蒸し返すつもりはないようだった。


 ……冷静に考えてみれば、もしかしたら龍次の自意識過剰だったのか。


「はーい、みんな注目! 今日の部活を始めるわ!」


 ぱんぱんと手を叩く優子に合わせ、まどかは法螺貝を止める。

 龍次が何を言おうとひたすら法螺貝の嵐を巻き起こすくせ、優子には素直な彼女に色々と思うところはあるものの。ある種の諦めがないかと言えば、それもウソになる。


 なお、葉寅は気づいたら龍次の背後にいた。


「いっちいちびびらせんなよ!?」


「別に、気配を消す! とかそういうことしてるわけじゃないんだよ?」


「じゃあなんで毎回どっかに消えるの!?」


「そこはほら、龍次がものを考えない時間に動いているからというか」


「俺はいつだって思考の海を――」


「思考の海を?」


「――こう、ぷらんぷらんしてるというか?」


「何も考えてないじゃん」


 後頭部で手を組んで、けらけらと笑う葉寅。

 

 そう、二人でくだらない話に興じていると、龍次の耳元にそっと添えられる法螺貝。


『ボェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!』


「ぎゃああああああああああああああす!!」


 片耳を抑えて、何しやがるとばかりに隣を見れば。不機嫌そうに法螺貝を握ったまどかの姿。


「はいはい、アホな話してないで始めるわよ。ありがとまどか」


「え、今、完全に耳死んでたよね俺。ギタリストの耳が大変なことになってたよね」


「そこはほら、無駄話の代償というか」


「そんなに厳しい部活だったらお前ら全員退部だよなあこの部活!?」


「与太話はおいといて、夏休みまでに曲を完成させなきゃいけないんだけど、」


「与太話!?」


「この部活には、足りないものがあるわ!!」


「うわこれ知ってる今日ダメな流れだ」


 知らず頭を抱え始めた龍次のことなど、既に優子は見えていない。


 目をきらっきら輝かせているこの様子は、今日をどうでもいいことに使い潰そうとしていることの証に他ならない。本人は大まじめなのかもしれないが、龍次にとってはそうである。


 ぐるん、と龍次の方を期待感マックスで振り向く優子。

 仕方なくため息交じりに、彼女に問いかける。


「……で、今度は何が足りないんだ」


「バンドは――」


 そう、口にした瞬間。


 まどかがテーブルの上に一瞬でよじ登り、葉寅が部屋の隅から何やらレジ袋を持ってきて。


「――酒と!!」


 葉寅がデン! と袋から大量のコーラを取り出す。


「裸よ!!!」


 まどかがキメ顔でブレザーを脱ぎ捨て――


「待ぁて待て待て待て待て待て待て待て!!!」


「……龍次、離して。裸になれない」


「ならないで宜しい!!」


 ブラウスに手をかけ始めていたまどかを慌てて制する龍次。


 確かにロックは酒と裸というルーツは彼にも理解できこそすれ、こんなことで突然脱ぎだされたりしては目もあてられない。いやむしろ目を覆うはめになる。


 というかまどか意外とスタイル良いな。この三人の中では確実に胸のサイズは――


「りゅうじー」


「なんっ――」


 振り向いた瞬間、盛大にコーラをぶっかけられた。

 炭酸特有の気泡がはじけるような音と共に勢いよく噴出したコーラが顔面に。


「あぎゃあああああああああああああああ!! なに、すんだテメエコラ」


「コーラだけに」


「言ってねえよ!?」


 へらへら笑いながら、コーラを振っていた優子が笑う。この後片付けはどうするんだとか言いたいことは山ほどあったが、それよりも別のことに龍次は声を失っていた。


「なんでお前も脱いでるんですかねえ!?」


「ロックは酒と裸よ!!」


「うるせえよこのニワカ!! そもそもコーラだし楽器すら弾いてねえし!! 形から入っても仕方ねえわ!!」


「結構いいスタイルしてると思わない?」


「なんの話!? お前には恥じらいみたいなそういう感情とか熱い思いとかないの!?」


「熱い思いはいつでもこの胸に!!」


「熱い思いは余計だったよ俺が悪かった!!」


 まどかと違って、流石に完全に下着姿になろうとしているわけではなかったようだが。

 それでも、ビキニの水着をここで着ているのは下着と大差ないだろう。


 確かにプロポーションは……うん、悪くはない。

 ビキニの水着が映えるくらいにはスタイルも整っていると言えた。


 が……。


「……龍次。見惚れた?」


「いや見惚れたっつーかお前結構着痩せするタイ――」


「りゅうじー」


「なんっ」


 ぶっしゅー。


「ぎゃああああああああああああああああ!! 鼻!! 鼻コーラ!!」


 地面をのたうちまわる龍次。


 軽く鼻を鳴らした優子は再びブラウスに袖を通し、さっさと服を着てしまう。

 まどかも、もう良いのかといそいそボタンを付け始めている辺り、龍次を助ける人間はここには居ないらしい。


「あーあ。これはちょっとうん、龍次も対応が悪かったね」


「げっほ、なんてことしやがるんだおい……」


 コーラまみれになった龍次を、唯一服を着ていた葉寅が笑って起き上がらせる。


 学ランがコーラ臭くなってしまったが、洗えば落ちるだろうか。


「まあ確かに? あたしより? まどかの方が? スタイルとか? いいし?」


「なんで一個一個疑問符なんだよわざわざはてなつけなくても」


「それ以上はやめとくんだ龍次!」


「……龍次。煩悩」


「どう考えても俺悪くねーだろ!! というか」


 言葉を切った龍次に、三人の目が向く。


「これでなんかバンドとして前進出来たのか!?」


 三人の目が逸らされた。


 龍次はすう、と息を吸い込んで。


「解散だド畜生があああああああああああああああああああああ!!」












 その日の放課後。


 コーラまみれの上着をビニールに突っ込んで、今日はクリーニング屋に寄らなければいけないなと、そんなようなことを思いながらぽくぽく自転車を引いて歩いていると。


「今帰りなの?」


「んぁ、なんだ誰か待ってたのか?」


「あんたをね」


「金ならないが」


「なんの話よ」


 校門の前で待っていた優子は、龍次の妄言にふんす、と両腰に手を当てて。


 そのまま、帰り道に合流した。


「ねえ、聞いてもいい?」


 そう優子が口を開いたのは、どことない気まずさからお互いが口を閉じてしばらくしてからのことだった。


 他に誰もいない状況では、昨日のことを嫌でも思い出すのだろう。

 わざわざ何を、と言わない辺りにそのような意図を察して、無言で龍次は優子を見た。


「……あんた、何で"シェイド"を抜けたの?」


 果たして出てきた問いかけは、ある意味では予想外で。

 そしてある意味では、いつでも答えが用意してある疑問だった。


 どうして今そんなことを聞くのだろうかという疑問符はあれど、龍次はいつも通りにおどけて答える。


「そりゃお前、俺だけが影が薄いとか言われたら悔しくて泣いちゃうだろ?」


 と。


「真面目な話をしてるの!!」


「……おいおい。どうした急に」


「……知らないわけないでしょ。シェイドのギタリスト船河龍次。あんなに有名で、あたしも好きだったのに、影が薄いわけないじゃない」


「なにそれファーストヒア―なんだけど」


 直訳で初耳。


「……言えるわけないじゃない。けど、沙奈ちゃんに対するあのやり方を見てると、やっぱり気になっちゃうのよ」


「そう、か」


 ほう、と小さくため息を吐いて。


 コーラまみれのズボンに思うところもあったが。


 龍次はいつも通る河川敷の、小さなベンチを指さして言った。



「とりあえず、座って話すか」


「話してくれるの?」


「今更無関係ってのも失礼な話だ。洗いざらいとは言わねえけど、俺がシェイドを抜けた顛末なんてつまんねえ話で良ければな」


 その龍次のどこか達観したような言葉に、優子は小さく頷いた。

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